(29)薄い雲が空を覆い
薄い雲が空を覆い、馬車の窓から見える空気は灰色に淀んでいた。
暑いと感じる季節に入った今、この天気は砂漠の探索には有り難い天候だ。ひょっとすると夕方にはスコールがあるかもしれない。
――朝、洗濯しなくて良かったぁ
窓の外を見ながら、ルナはそんな事を考えていた。
竜馬の馬車はご丁寧に六人乗りだ。
前後に分かれた対面式であり、酔い易いルナが前向きの窓際をとったため、奥からルナ、コノハ、ディアナの順になる。
後向きの席は奥からエルカ、フェイ、カシムの順に座った。筋肉漢二人に潰される形になったフェイは非常に不快そうだ。
しかし、コノハだけがフェイの浮かない顔の原因が、他にある事に気づく。
「なんだよ、コノハ。俺の顔に何かついてるか?」
「ううん。でも今日のフェイ、すごく元気ないと思って」
退屈そうにしていたディアナが、ひょいとフェイに顔を向ける。
「どうしたの黒猫ちゃん、酔っちゃった?」
「だから、黒猫ちゃんって呼ぶなっ!」
フェイは息を落として、不機嫌そうに頬杖をついた。
「ただ……ゴルゴンが誘拐なんて、ちょっと信じられなくて、さ」
「ゴルゴンは最低の盗賊団だ。それぐらいやって当たり前だ」
強い口調で吐き捨てたのはカシムだった。顔には不機嫌を通り越して怒りの色が見える。
「最低ってなんだよ!」
「最低だから最低と言ったまでだっ! やつらが砂漠の民に何をしたと――」
「カシム」
ディアナの静かな制止の声に、カシムはすぐさま貝のように口を閉ざした。
カシムの代わりに口を開いたのはエルカだ。
「フェイ、私も疑問に思っていたんだが、どうしてゴルゴンに憧れる? 言っては何だが、誘拐くらいは普通にやる集団だぞ」
「それは……」
エルカが人のプライバシーを詮索した。それはすなわち知る必要があると言うことだった。
今回の依頼はゴルゴンに刃を向ける事であり、場合によれば命のやり取りがある。迷い、逡巡があれば命取りもになるのだ。
フェイはため息を吐くと、観念したように頷いた。
「……分かった、話すよ」
そうは言ったものの、過去を話す事は正直、怖かった。
言葉に詰まり、チラリと窓の外を見る。とんでもない速さで景色が流れており、既にゼクス領の西端まで来ていた。
時間は、迷う事を待ってくれそうに無いようだ。
フェイはだらけていた姿勢を正し、ボツボツと語り出す。
「十六年前、ゼクス領が食糧難になった時、俺は捨てられたんだ。三歳で捨てられれば生きてなんかいけない。俺が死ななかったのはゴルゴンと、オルフェルのお陰だ」
「ああ、オルフェルさん」
ポンと手を打ったのはルナだった。
たしかにルナが知っていてもおかしくない。あの食糧難で何十人もの子供が孤児になった。彼らが頼るとすれば教会か、オルフェルの所だったのだ。
「俺を拾ってくれたオルフェルは、ゴルゴンのメンバーだった。そりゃあ、時々盗みはしたが、それをみんなに配ったんだ。盗んだ相手だって、悪い事して儲けてたヤツだけを狙った」
「オルフェルさんってゴルゴンの人だったんだ……ええと、義賊、だったの?」
「そんなつもりは無かったと思う。オルフェルはいつだって自分を悪だって言った。悪者だって割り切って、言い訳なんかしなかったんだ」
言葉にしてみると、意外にもスラスラと言葉が出てくる自分に、フェイは驚いていた。
――そう悪い過去でも無かったのかな
オルフェルのいかにも悪人と云った面構えと、顔に似合わない穏やかな声がフェイの頭に蘇る。
「オルフェルは俺を含めて十人もの孤児の世話を、文句言わずに見てくれた。そんなの奇麗事じゃできない。あれが悪なら、俺も悪でいい」
「でも、オルフェルさん、急にいなくなっちゃたよね?」
ルナが頬に指を当てて思い出し、フェイは小さく頷いた。
「ああ、十年前にオルフェルは急にいなくなった。後で噂に聞いたんだけど、ゴルゴンの本体に呼ばれて合流したらしい」
「アンタがパンを盗んで、半年の間、鉱山で働かされた時だっけ?」
「ああ、あの後にコノハに会ったんだっけ。オルフェルだけじゃなく、一緒に住んでた仲間もみんないなくなって、ちょっと荒れてたんだ。そんな時にコノハに会って、ケンカして、散々ぶちのめされて、おまけに仕事を紹介してもらった。あの時は助かったよ」
コノハは素直な謝礼よりも、フェイをぶちのめした過去に真っ赤になって俯いた。
「と言う訳で、俺の命を助けてくれたのはゴルゴンなんだ。間違っても貴族達じゃない。これが俺がゴルゴンに憧れる、本当の理由だ」
くっくっくと喉を震わせて笑う音、ディアナが可笑しそうに顔を抑えていた。
「何だよ、何が可笑しいっ!」
「ごめんね。黒猫ちゃんがあんまりにもお人好しだから、ついね。綺麗な過去を汚すようで悪いんだけど、そのオルフェル、だっけ? たぶん、腕っ節が強かったんじゃない?」
「あ、ああ、すごく強かったよ」
「それで、孤児たちを徹底的に鍛えて、そしてゴルゴンに連れ去った」
「それがどうしたって――」
「それは、『草』だね」
ディアナはその灰色の髪をかき上げ、笑っているような、詰まらなそうな、ひどく曖昧な顔を見せた。
「あちこちで善人面して情報を収集したり、組織の良い噂を流したり、そこらの孤児を拾って暗殺者に育てたり。そういう奴を砂漠の民は『草』って呼んでる」
チン
フェイは短剣を引き抜き、ディアナに向けた。
「オルフェルを馬鹿にするなら、俺は許さない」
カシムが動こうとして、ディアナはそれを目で制す。ルナは息を呑み、エルカは腕を組んだまま動かない。
「馬鹿にしてるのそっちだと思うけどね……ああ、そうそう。その十六年前の食糧難、何で起こったのか、知ってる?」
「……知らねぇよ、そんなこと」
「まぁ、何故か秘密にされてるから、黒猫ちゃんは知らないわよねぇ。ゴルゴンが穀都フィーアの食料庫を襲ったなんて」
突きつけられた短剣の刃を、ディアナは人差し指で愛しそうに撫でる。
「つまり、あなたはゴルゴンのせいで親に捨てられたってわけ。なのに恨むどころか憧れるなんて、もう可笑しいッたらないわ」
ケラケラと笑うディアナにつられ、ダガーの先がカタカタと震える。
しかし、そのフェイはそれ以上刃を進めることができなかった。代わりに、すがるようにエルカに目を向ける。
「エルカ、本当か? ゴルゴンが原因なんて、本当なのか?」
「……ああ、本当だ」
フェイは短剣を下ろすと、黙ったまま座り、俯き、目を閉じた。
馬車はガタガタと真っ白な道を突き進む。
時間は一秒だって待ってはくれなかった。
「ほら、飯だ」
さも悪人と云った風貌の男が、鉄格子の向こうから不機嫌そうに食事を差し出す。分厚いパン切れが一枚と、頑丈そうなカップに水がなみなみと入っていた。
「ありがとう、ございます」
おずおずと食事を受け取ったのは、牢に入れられているのが場違いとしか言い様が無い男の子だ。
なにせ豪華な純白のサーコートに、艶のあるシャツ、濃紺に金の縁取りが映えているスラックスだ。その衣装を売るだけで、一般人なら何年も遊んで暮らせるだろう。
――しかしまぁ、誘拐されたくせに、飯をもらっただけで『ありがとう』か
不機嫌そうな男は、牢の向こうでモソモソと上品に食事を取る男の子、エドガー王子を睨んだ。
陰影が見事な細い金髪、少女のような柔らかで繊細なつくりの顔、大きな蒼い瞳。天使のようなという形容詞がピッタリと来る。
年齢は十二歳。王子誕生の感謝祭があったのが十二年前なので間違いない。
それは盛大な祭りだった。高齢で子を諦めかけていた王に待望の子が生まれ、さらに王位継承権のある男の子だったせいだ。
「――それが、これか」
「ん? どうしたオルフェル?」
オルフェルと呼ばれた男は、隣にいるゴロツキの見本のような風情の男に、なんでもないと言うように、ヒラヒラと手を振った。
「いや、俺は今、とんでもない事をしてるんだろうなって」
「なんだ? オルフェルとあろう悪党が、誘拐ごときでビビったか?」
オルフェルはその悪人面をさらにしかめた。
「そんなんじゃねえ。ただ、こいつを見てると思い出すんだ」
「何をだよ」
「昔拾ったヤツだ。アイツを思い出す度に思うよ。悪人にはどうしてもなれない人間がいるんだってな」
「なんだ、そいつグズだったんだ?」
ゲハゲハと笑うそいつは確かにグズではない。獰猛な狩人にも優秀な暗殺者にもなる。だが、オルフェルは好きになれそうになかった。
「いや、優秀だったさ。俺が教えた十人の中でも随一だな。気転は効く、手は起用、足も速ければ、剣の筋もいい。射撃は特に良かったな」
「なんだ、面白くねえ。ゴルゴンでも出世できるタイプじゃねえか」
オルフェルは「いやいや」と苦笑して首を振る。そして、それ以上話そうかと迷った。他愛の無い、どうでもいい話なのだ。
だが、こんな話でもしないと、今回の任務は胸糞が悪くてやっていられなかった。
「そいつは、まぁ、一言で言うとバカだったんだ。グズに付き合ってパンを盗みに入って、グズを逃がすために捕まった。お陰で半年間も鉱山で穴掘りだ」
「ゲハハハッ! そいつ本当にバカだなっ! で、そのバカは今どうしてるってんだ?」
「さあな、十年前の召集で鉱山に置き去りにして、それっきり……思えばあれからか、ゴルゴンがおかしくなったのは。昔はウィシャの大将が先頭にたって、ボンクラ貴族から財宝をふんだくって、そりゃあ痛快だったんだぜ」
「知らねえよ、俺様が入ったのは七年前だからな。ゲハッゲハッ!」
オルフェルはこんなヤツに話すんじゃんかったと、小さくため息を吐いた。
バタン!
突然、背後でドアがあわただしく開かれた。
「オルフェルの旦那! クラー参謀の伝令が来ました」
「――通せ」
牢の前から離れ、監視用の椅子に座ったオフフェルの元に、伝令役の小柄な男がやって来た。
その小柄な男は軽く頭を下げて挨拶すると、地面に膝を着く。悪党にもルールはあるのだ。
「クラー参謀からの伝言です。どうやらエドガー王子誘拐の噂がシュバート国に漏れたらしいですぜ」
「ちっ……軍か領に何か動きはあったか?」
軍は動かない――クラーからそう言われたが、王子誘拐ともなればいつかは動くはずなのだ。そう考えて行動せねば、取り返しのつかない事になる。領の私兵が動く事も考えねばならない。
面倒な事になったと、オルフェルは奥歯をギリリと噛みしめた。
「ゼクス領の領主がクエスト屋を雇って、王子探索を依頼したらしいです」
「……は? それだけか?」
「それだけです。あ、ですが、クラー参謀は黒猫に気をつけろと」
「黒猫だあ?」
伝令の男は頷き、一枚の紙をオルフェルに手渡す。
オルフェルは、それを眼前に垂らした直後、我が目を疑った。
「…………フェイ」
日が中天に昇った頃、エルカは御者に馬車を止めさせた。
午前中はひたすらバイスアルムを西に走ったため、ゼクス領と王都とのほぼ中間地点まで進む事が出来た。周囲には荒野が広がり、北にはツヴェルフ砂漠がうっすらと見える。
チョビ髭の御者が竜馬達に水と干し肉を与えている間に、ルナは再び王子の場所を調べた。
木の棒が指した方角はほぼ真北。これは偶然ではなく、ディアナから入手した砂漠の地図から予想ポイントをエルカが出した結果だった。
「ここからバイスアルムを外れ、あそこに見える砂漠の縁まで行く。その先は砂煙が危険だから、馬車を降りて歩くぞ」
「そこから目的地まではどれくらいなの?」
体力に自信が無いルナは不安そうな顔で聞く。
「たぶん、普通に歩けば二時間くらいで着くだろうが、隠れて行くとなると四、五時間はかかる」
「うわ、五時間……馬車に残っちゃ駄目?」
「すまない。ヤツラのアジトの目星は着いたが、そのどこに王子を隠しているのかが知りたいんだ」
「帰ったらミルフィーナのケーキ食べ放題、それで手を打ちましょう」
「……了解した」
エルカの顔が苦渋に歪んだ。
ルナは超甘党であり、その別腹は三つを下らない。かなりの散財を覚悟した決断だった。
フェイ達がバイスアルムを外れてツヴェルフ砂漠に向かった一時間後、同じ場所を竜馬の馬車がもう一台通過した。
その馬車にいる面々はツヴァイ領公子リーガン、アハト領公子コーディリア、ゼクス領公女セシリア、及びそれぞれのガーディアンである。
「セシリア様、顔色が優れませんが大丈夫ですか?」
「だい、じょうぶ、です」
セラの頼りない返事は、尋ねたリーガンをますます心配させた。
「このあたりで休みましょうか?」
「いえ、お願い、少しでも早く王都に、うっぷ…………ガラム、あれを」
ガラムは懐から萎れた革袋らしきモノを取り出す。セラはそれを受け取り口をつけると、盛大に吐いた。
すると、萎れていた袋は膨張し、妙に生々しいカエルの形を現したのだ。
「うわ……」
隣に座っていたリーガンは、その生々しさにうめいた。
「一度吐くと、楽になるんです。ほら、これ、かわいいでしょ」
「……あの、それは一体何でしょうか?」
「ゲロゲロ袋のゲロちゃんです」
セラは真っ青な顔でカエル型の革風船っぽいモノを振った。相当薄い革で出来ているらしく、ところどころ内容物が透けて見える。
タプンタプンと揺れるゲロちゃんを、セラはおもむろに馬車の窓に釣り掛けた。
「こうすると酔わないって、お父様が」
「どんな密教ですか、それはっ!」
引きつった顔のリーガンに、コーディリアがもたれかかる。
「ごめん、リーガン。アレ見てたら私も気持ちが……うぷっ」
「よせっ、コーディリアッ! 気持ちは分かるが、お前も一応男だろっ! 耐えろっ!」
しかし、コーディリアの不調を目ざとく見つけたセラは、ガラムからもう一つカエル袋を拝借し、青ざめたコーディリアに押し付けた。
「あの、これどうぞ」
「うぷっ!」
「沢山入るので男の人でも大丈夫です。このお尻の部分を開いて、口をしっかりつけて下さい」
「っっ!!」
やがて、カエルが二匹仲良く吊り下げられ、王都に着くまでタプンタプンと哀愁を誘ったと言う。
お食事中の皆様、ほんっとーに申し訳ありませんっ!
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