(25)月夜に響く鈴のような
月夜に響く鈴のような声。
普段のオドオドしたセラからは想像もつかない、凛と芯の通った声だった。
耳を澄ませば、その周囲から多くのざわめきも聞こえる。どこかでセラが大勢を前にして話しているのだ。
フェイはその声に耳を傾ける。
「この世界のルール。それは、自分でやった事の責任は、自分で取るという事です」
――覚えて、いたのか
保安所の椅子に座りその事を教えたのは、他ならぬフェイだ。
教えた側としては少し嬉しくなる。やはりセラは世間知らずなだけで、決して愚かではないのだ。
「だとすれば、私に幸せになる権利はありません。何故なら私は、生まれた時に母の命を……奪ってしまったのです」
ザワザワ
喧騒が一段と大きくなった。
フェイも耳を疑った、そんな話は全く聴いていなかったからだ。
「私は、私が綺麗だと思っていました。でも、本当は誰より汚れていたのです。私がするべき罪滅ぼしは、このゼクス領のために生きて、そして死ぬ事。そう思い、このパーティに参加しました」
その言葉に、昨夜のセラの悲壮な顔を思い出す。
『明日、私の婚約者が決まるの』
『そしたらフェイは自由だから、ここから出られるから』
『さよなら』
――そうか、だから
セラは、自分の意志で公女としての過酷な運命を受け入れたのだ。胸がジワリと熱くなる。
「――しかし、私はもう一つの贖罪を見つけたのです。ですから、パーティに参加する訳にはいかなくなりました」
この言葉に、詰め掛けていた貴族達ならず、給仕をしていた人々も困惑の声を上げた。
――嫌な、予感がする。セラを止めたほうがいいか?
フェイはすぐさま直感に従った。
茂みに隠れるのをやめ、満月の庭園へ近づく。そこには詰め掛けた会衆が、ある一点を見つめている。その先にいるのは、深紅のドレスを身に着けた少女だ。
セラは何十人もの視線を受けても、少しも怯るんでいない。
もとより空気を読めない性質だが、今はそれだけではない。確信めいた強い意志が感じられるのだ。
つまり、ぶっちゃけて言えば暴走中である。
「私、セシリア=ラドクリフは公女です。自由な結婚は許されない身です。が!」
――が! がってなんだよ、がって!
頭に鳴りわたる警戒信号に従って走り出した。止めないと恐ろしい事になる予感は確信に変わる。
しかし、セラは遥か向こうにいる。急いで止めるためには会場を突っ切るしかない――すなわち見つかる事と同意だ。
フェイは一瞬迷う。隠れる事と止める事、どちらが被害が大きいか。
「考えるまでも無いか」
立ち塞がる水路を一足で飛び越えた。それを見た侍女の一人が小さく悲鳴をあげたが、そんな事に構っている暇は無い。
「私にはリア=フェイロンと言う、愛し合った人がいます」
――合ってない! 合ってないぞっ!
これ以上の言葉を言わせてはいけない。しかし、セラまでの距離は絶望的なまでに埋まらない。やむを得ず、フェイは叫んだ。
「セラアアアアッ!」
「フェイ?」
セラは耳ざとくフェイの声を聞き分け、指差した。
「あの人が、私の婚約者、フェイですっ!」
刹那、二人の間にいた貴族たちが、カーテンを開くように一斉に道を明けた。無意味に素晴らしい統制である。
そのままフェイは押し出されるように、セラの眼前に突き出された。
ここまで来てやる事は、力ずくでセラの口を塞ぐ事だった。しかし、フェイは説得と云う非常に愚かな選択をしてしまったのだ。
「セラ、昨日の宣言はどうしたんだ! 俺を自由にしてくれるんじゃなかったのか? おい!」
そんな声は暴走しているセラの耳には届かない。届く訳が無かったのだ。
次の瞬間、セラの口からその言葉は、問答無用で飛び出した。
「私に、この人の赤ちゃんができたのですっ!」
世界は、凍りついた。
「でっ、できるかああああああっ!!!」
フェイの絶叫で、止まっていた周囲の時間が解凍された。
土砂降りのようなざわめきが広がった。無論、その内容は混乱とフェイへの蔑みの言葉である。耳には「変態」「鬼畜」「ロリコン」だのと聞こえてくる。
しかし、それらの雑言を振り払うかのように、セラは拳を握り、天へと掲げた。
「私の罪滅ぼしは新しい命を育むことですっ! この子のために、私は鬼でも悪魔にでもなります!」
「ふざけんなっ! 鬼と悪魔に謝れ!」
しかし、セラは首を傾げてこともなげに言う。
「どうしたの? フェイ、あなたの子供よ」
「そんなわけあるかあっ!」
「さあ、認知して」
「にっ、認知とか言うなあああっ!」
フェイは頭を抱えてうずくまった。
ゾクリ
首筋に悪寒が走る。
恐る恐る振り返ると、満月をバックに悪魔がいた。
スカートのスリットからはしなやかな足が覗き、一直線に上空に向けられている。周囲に溢れる闘気さえ気にしなければ、さぞ魅惑的な姿だろう。気にならない訳が無かったが。
「ちょ、ちょおお! 待てっ! 違っ――」
言葉ごと切断するように、容赦なくカカトは振り下ろされた。
剃刀のような一閃をのけぞってかわし、そのまま後方へ飛ぶ。
ドンッ
その途中で、何か巨大なものにぶつかった。
がああああああっ!!
「ちょおおおおお!」
掴みかかった領主の手を、フェイは泣きそうになりながらも必死で掻い潜る。
「師範、これを使えっ!」
どこからともなく、大根のような太さの棒がコノハに投げらた。
コノハは無意識にそれを掴むとフェイの一部に狙いを定め、体を弓のように引き絞った。
「萎えろっ!」
気力を根こそぎ奪うような掛け声とともに、大根棒が唸りを上げ突き出された。
フェイは全霊を持って身をよじり、紙一重で避ける。しかし、当たったかのようなその一撃を見た貴族たちは『ああ』とも『うう』ともつかないうめき声を上げた。パーティの参加者は主に健全な男子なのだ。
続く二撃、三撃も皮を削るように避ける。しかし、水を吸った服が重いと感じた瞬間だった。
ガシッ
後方から肩を捕まれた。領主に捕まったのだ。
とんでもない握力で押さえつけられ、あっという間に自由を奪われる。
動けなくなったフェイの前に、コノハは悠然と立った。
息を静かに吐き、大根棒を構え、無情な一撃を加えようと、体を引き絞る。
――エルカ、俺はどうすれば……ああっ、そうか! そういうことだったのかっ!
「お前らっ! 良く聞けええっ!」
フェイの全霊を込めた叫びが響いた。
その気合に、悪魔が、一瞬だけ止まる。
「俺はっ、童貞だああああああっ!!」
その魂を削るような悲痛の叫びは――奇跡を起こした。
獣を父親に、悪魔を淑女に戻したのである。
領主公もコノハも、放心したようにその場に膝を付いた。周囲からも勇気ある発言に歓声のようなどよめきが湧き上がったのだ。
そして、フェイはひとり、満月の下に立ち尽くす。
――エルカ、俺、やったよ
かくして戦いは終わった。これで終わったのだ。何もかも。
「ねえ、フェイ。ドウテイってなに?」
背後からのセラの一撃に、フェイは両手をついて轟沈した。
「あなたに子供なんて出来ようが無いって事よ、幸せなお姫様」
その答えは、誰もいなくなったはずの高台から降ってきた。
驚いたセラとフェイが声のした方を見ると、一人の女性が高台の上に立っている。
長く波うつ灰色の髪が顔にかかっていて、表情はよく見えない。しかし、服装はこの会場において異彩を放っていた。ドレスではなく灰色の大きなマントを身に纏っているのだ。
「子供が出来ないって――うそ! そんなのっ」
「本当にお子様なのね……黒猫ちゃんが可哀想だわ」
その言葉に殴られたようなショックを受け、セラはペタンと座り込み、それきり黙ってしまった。
代わりに口を開いたのはショックから我に返ったフェイだ。ムクリと立ち上がるとマントの女性に向かって指を突きつける。
「うるせえっ! 黒猫ちゃんとか言うなっ! だいたいお前、誰だよ!」
「あら、いい質問ね」
女はバサリとマントを払う。
その中にあったのは、砂漠の民特有の皮鎧と、腰に下げた二本の曲刀だ。
「私は砂漠の長、ディアナ」
その言葉は、会場にいた全ての視線を掻き集めた。
すると、視線からディアナを守るように脇に控えていた男が一歩、前に出る。見事な体躯の砂漠の戦士、間違うはずが無い――カシムだ。
ディアナと名乗った女性は、視線が集まった事に満足して頷くと、鈍く光る灰髪を無造作に掻きあげる。その髪の下にあった顔は、魅惑的な笑顔だった。
ディアナは妖艶な唇を開くと、何でもない事のように告げた。
「今朝、あなたたちの王子様が誘拐されちゃったんだけど、どうする?」