(24)親衛隊とは
親衛隊とは、簡単に言えば邸内の警備をする衛視のことである。衛視の中でも特に実績があり、かつ人格者が親衛隊に選抜される。
彼らは通常の衛視より高額な給与がもらえる代わりに、週五日を邸内で寝泊りしていた。その寝所たる詰め所も邸内の一角に存在しており、常に五、六人は詰め所に駐留している。
しかし、今現在、詰め所に居座っているのはアズマ一人だけだった。他の親衛隊が全て満月の庭園の警備に当たっているせいだ。
だが、たった一人で詰め所に留守番をしているアズマは、何故か満面の笑顔であった。なぜなら、可愛らしいと評判の侍女アイラが、アズマのためにパーティの食事をこっそりと持って来てくれたのだ。
今、彼の前には滅多にお目にかかれないようなご馳走が、湯気をたて所狭しと並んでいる。
「いやぁ、アイラちゃん、いい子だよなぁ。ひょっとして俺に気があったりして…………おっと、冷めないうちに頂くか」
まだ温かなリブステーキにアイラが手作りしたというオニオンソースをたっぷりとかけ、一気にかぶりついた。
「うまいっ!」
続いてマッシュポテトの山に突撃しようとして……額からマッシュポテトの山に突っ込んだ。
バンッ!
音をたて詰め所の扉が開け放たれる。
入り口で息を切っているのはエルカだった。
詰め所の中からは誰も、何も反応が無い。美味そうな匂いが漂うだけである。
「よし、ここは計画どおりか」
頷いたエルカは、マッシュポテトの山に頭を突っ込んで、それでも眠りこけているアズマの懐から、牢の鍵を易々と拝借した。
「アイラは上手くやったようだ。三日で落としたかいがあったな」
ようやく計画通りになった事に満足し、エルカは詰め所を後にする。
ここにルナがいれば、エルカはどこまでもエルカだったと感想を抱いた事だろう。
カチャッカチャッ ガチャン!
慌しい金属音でフェイは目を覚ました。
ボロ布のような布団を押し上げ、物音を見る。
扉を開けようとしている音だとは分かったが、アズマが食事を持ってきたにしては酷く焦っているようだ。
バンッ
突然、弾けるように扉が開かれた。
そこに現れた顔を見て、フェイは我が目を疑う。何度も会いたいと願っていた顔があったからである。思わず目が潤んだ。
「エッ、エルカーーッ!」
しかし、フェイの呼び声に、エルカは必死の形相で答えた。
「いそげっフェイッ! 死ぬぞっ!」
切羽詰った顔と声――悲しいかな不幸慣れしてしまったフェイには、それだけで何となく事態を理解してしまった。
エルカはフェイが拘束されてないと確認するや、すぐに階段を降りはじめる。その焦り様は並大抵のモノではない、あのエルカがだ。本当にただ事ではないのだと、フェイも文字通り牢から飛び出した。
三段、四段と飛ばしながら階段を駆け下り、エルカとほぼ同時に階下に着く。
右の通路を見る――何もない。
左の通路を見る――獣がいた。
があああああっ!!
獲物を見つけた領主は理性のカケラも無い叫び声をあげると、猛獣そのものの動きで襲い掛かってくる。
「のわあああああっ!」
フェイ達は宙を掻き、半泣きになりながら残された右の道へ逃げた。
しかし、残る道の先に、ゆらりと細い影が現れる。
影は濃紫のドレスに身を包んでいるが、もう十年近い付き合いであるフェイは、その身のこなしやシルエットから、それが誰であるかすぐに理解した。
「コノハッ! 助けにきてくれたのか」
フェイは安堵の声を吐き、走り寄る。
「よせっ! フェイッ! それはもう人間じゃないっ!」
鬼気迫った制止の声に、フェイはコノハの顔を見てしまった。
悪魔だった。
キンッ
悪魔の手がブレて、光る何かがフェイの下腹部を狙って射出される。
フェイは『く』の字になって、間一髪でソレを避けた。
ガギッ
後方で領主だったモノが、ソレを歯で受け止めた。
ソレの正体は重そうな銀のフォークだ。しかし、獣はソレを苦も無くバキリと噛み砕き、ゴリゴリと咀嚼すると、そのまま飲み込む。人外魔境もいいところだった。
前方から第一射を外したコノハが、ギラギラと光るナイフに舌を這わせ、無言で近づく。確かに、ソレはもう人間ではない。
フェイは完全に戦意を喪失して、その場に膝をつく。
「エルカ、俺、なんで生まれたんだろう」
「あきらめるなっ! いいか、大切な質問がある」
「何を、こんな時に……」
「これが命運を決めるんだっ! イエスかノーで即答せよっ! 沈黙は許さんっ!」
「イ、イエッサー」
「よし!」
エルカはフェイの目を見て、真剣に聞いた。
「お前は、童貞か!?」
「――は?」
「いいから答えろ!」
「イ――イエス」
「生きろっ! リア=フェイロン!」
エルカはフェイの襟元とズボンを掴んで担ぎ上げると、開いている窓から外に向かってブン投げた。
ちなみに、ここは四階である。
「ノオオオオォォッ!!」
フェイは空飛ぶ亀のようにグルグルと回りながら落下していった。キラキラと光る涙が綺麗に舞う。
ドボーーン
遥か下方で水音がした。
暗がりで見えないが、満月の庭園を囲む水路のための貯水池が、この下にあったのだ。ここで生まれ育ったエルカならではの荒技である。
フェイがまだ無事だと断定した獣と悪魔は、我先にと階下へ駆けていく。つまり、危機はまだ終わったわけではないのだ。しかし、
――後は、お前の悪運次第だ。フェイ
エルカは脂汗を拭い、静かにその場にへたり込んだのだ。
歪んだ白い光が見える。
それが水中から見た月だと気が付いたのは、一度水を飲み込んだ後だ。慌てて水を蹴って、フェイは水面を目指す。
「げ、げほっ……くそっ、体中が痛え」
水面に上がって初めて、水面に叩きつけられた痛みを実感できた。が、それでも止まる事は許されない。ヤツラはすぐに来るのだ。
――最後に泳いだのはいつだっけ
思い出すように水を掻き、足が地面に触れるや、気力を振り絞って水中を走った。思い通りに進めなくて何度となくつんのめってしまうが、どうにか池から上がる。
水を吸った服がひどく重かったが、服を脱いでいる時間も惜しい。仕方なく裾だけ軽く握って絞ると、それでも水が滝のように流れた。ひどく惨めな気分になった。
「――出口は、どこだ?」
辺りを見回すと、ここは山の中かと思うほど木々や花々が散在している。
しかし、追っ手から身を隠すには最適だ。出口を探すより、一度隠れたほうが賢いかもしれない。そう判断したフェイが最適な隠れ場所を探しだした時――声が聞こえた。
「私は、大切な人に、この世界のルールを教えてもらいました」
澄んだ空に響く声。
その声を聞いただけで鼓動がズキズキと高まった。続いて胃がキリキリ痛みだす。
――間違いない、この声は
セラの声だった。