(23)があああああっ!
があああああっ!
その轟音をコノハは雷が落ちたのだと思った。しかも、相当近くにだ。
アハト領の公子コーディリアも、佳境に入った話をバッタリと止め「キャア」とその場にしゃがみ込む。
原因不明の轟音で、パーティ会場は騒然となった。
「コーディリア様、お話の途中申し訳ありませんが、私、何があったか見てきます」
「ああ、コノハさん。危険ですよ」
しかし、コノハはこれ幸いとばかりにその場を早足で離れた。すると、エルカもすぐ後ろにぴたりと付いて来る。
「あの音は何だったの?」
「分からない。落雷にしては光もないし、雷雲だってない――不確定要素は確かめるしかない」
がああああああっ!
凄まじい轟音が再び響きわたる。先ほどと同じ方角からだった。二人は身をすくめ、しかし、その目は音源を探る。
すると、雷鳴の代わりに、男の声が聞こえてきた。
「領主公っ! どうか落ち着いてくださいっ!」
よく響く、低く威厳のある声。それはエルカには馴染みのある声だった。
「ガラム? ……と云う事は、さっきのは父上かっ!」
「は? 父上? エルカ、あなた何をバカなこと」
「来れば分かる!」
エルカは歩を進め、茂みを一息に抜けると大理石で出来た豪華な休憩所が見えた。
白い壁に阻まれて見えないが、そこから凄まじい気配がする。轟音はそこから発生していたのだ。
「領主公、まずは開会の挨拶をっ――――ゴフッ」
「あんの盛りのついた黒猫めがあああああああっ!!」
間違いない、あの轟音は、人の声だったのだ。
二人は恐る恐る、現場へと近づく。
「黒猫って、フェイのこと?」
「たぶん、そうだ。父上が、完全にキレている……こんなことは、初めてだ」
ブルリとエルカの体が震えた。
休憩所まであと数歩と云うところでエルカの足は止まり、これ以上近づくなとコノハに目で合図を送る。コノハも無言で頷き、僅かに身を低くした。
「領主公っ! 各国の方々が待ちかねておりますっ! ここは堪えてっ――」
「セラを孕まされて黙っていろと言うのかっ!? ふざけるなあああっ!」
――孕ます?
エルカとコノハはお互いを見て、ゆっくりと五秒間見詰め合う。
四……三……二……一
クワッ
コノハの顔に険相が一気に浮かび上がった。化粧の下からである。
そして、何も言わずにグルリと向きを変え、パーティ会場へとゆっくりと歩き去った。
やがて、コノハの姿が、エルカの視界から外れる。そこで初めて、エルカは呼吸する事ができた。
体からあらゆる力が抜け、ガタガタと震えだす。
――フェ、フェイ、お前、なんて事をおおっ!
どうすればフェイが生き残れるのか、もはや検討もつかない。
どんな状態でも対応できる計画を立てたはずが、フェイの災厄を呼ぶ体質は桁外れだったのだ。まるで墨汁につけた綿のように、そこらじゅうの災厄を吸い上げているとしか思えない。
だが、一つ心に引っかかった事がある。あのフェイが本当にセラに手を出すだろうか、という事だ。どうにも想像できないのだ。
――しかし、まずはコノハを説得せねば
エルカは気力をふり絞って立ち上がると、パーティ会場へフラフラと走りだした。
コノハはすぐに見つかった。給仕の侍女に何か頼んでいるらしい。
「ナイフを……下さい」
「はい、ナイフですね。どのようなナイフがよろしいでしょうか?」
「ソーセージを……」
「はい?」
「ソーセージを……ザクッ……と、切れるのを……お願い」
――だめだ、コノハは声の届かない世界に行ってしまった
脂汗を浮かべたエルカは説得をあきらめ、作戦を絶対に使いたくなかった最後の一つに切替える。
何故、使いたくなかったか、それは作戦などと呼べるものではないからだ。
すなわち、強行突破である。
「生きていろよ、フェイ」
エルカは泣きそうになりながら、一直線にフェイのいる牢へと駆け出した。
「領……主……公……」
ドンと地響きを立て、ガラムは轟沈した。アゴへの一撃が止めになったのだ。
障害物が動かなくなった瞬間、獣は一際大きく叫び、一箇所を目指して爆走を始めた。もちろん、目指すはフェイのいる牢である。
領主公が居なくなり、再び静けさを取り戻した大理石の休憩所に、一つだけ動く影があった。
黒と深紅のドレスを身に纏った少女である。
少女は小さく頷くと、父親とは違う道を歩き出す。その目指す先にある場所は、貴族たちの集う満月の庭園であった。
その少女の目は、確信に満ち溢れていた。
「――ありがと」
「い、いえ」
コノハの雰囲気に怯えた侍女は、早々に踵を返すと早足で去った。
残されたコノハの手には、鋭く光る銀のナイフが一本。そして、『切る時』に『抑える』ための銀のフォークが一本、しっかりと握られている。
キン
コノハは、その二つを静かに打ち合わせた。
「うふふふふ」
何を想像したのか壮絶な笑みを浮かべ、そして音も無く走り出した。その目は周りなど見えておらず、ただ建物の一角のみを見つめていた。
だから、すぐ脇にいた少女の存在にも気が付く事無く、コノハは庭園を走り去ったのだ。
セラは一人、庭園の一角に設置された高台へ、ゆっくりと登る。
やがて、その姿に目を留めた貴族たちが集まり出した。
「あれが公女か……たしかに、美しいと言えば美しいが……」
「なんだ、十六ではなかったのか?」
「ゴルゴンの呪いらしいぞ」
「まあ可憐だこと……でも、あの衣装は頂けないわね。もっと……」
ザワザワザワザワ
「――みなさん」
セラが口を開いた途端、ざわめきは雨が上がるように止んだ。
「本日は私のために御集まり頂き、ありがとうございます。ゼクス領を代表して、御礼申し上げます」
外見からは考えられないほど凛とした声であり、一同はその声に聞き入った。
「みなさんに、重大なお知らせがあります」
セラはお腹の前で手を組み合わせると、うっすらと微笑を浮かべたのだ。
今回もフェイは登場しませんでした。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。
次回はフェイが登場します。
フェイ好きの皆様、申し訳ありません。