(22)満月の庭園
満月の庭園は、そのステージのいたるところに花々が飾られ、パーティの会場として一層豪華さを増していた。
――なんて贅沢な
その庭園をコノハは剣呑な目で睨んでいた。
ポンと肩に手が置かれる。横を見なくても手の大きさで誰なのかすぐに分かった。婚約者役のエルカである。
「コノハ、そんな目で見ないでくれ。貴族は、特に九公爵は代償も大きいんだよ」
「分かってる。政治の道具になるなんて、いくら贅沢な暮らしが出来たってあたしはごめんだね」
「あたし、じゃなくて、この場では私と言って欲しいな」
空はまだ明るく、日もそろそろ赤くなろうかと迷う時間だが、コノハとエルカは既に満月の庭園へ侵入していた。
庭園から邸内への通路も確認を終了し、警備の配置もクロフの情報そのままだ。
ただ、衛視以外にも忙しそうに働く侍女や執事達が予想より多い。これは注意しなくてはならないだろう。
「大丈夫、計画は今のところ順調だ。パーティが始まってセシリアに皆の注目が集まった時、行動を開始する」
「近衛兵のアズマとか言う男が、五階の牢の鍵を持ってるのよね」
「そうだ。一応策は仕掛けてあるが、万一の時は近衛兵から鍵を強奪する。一番危険なポイントはここだろう。詰め所の位置は把握しているな?」
コノハはゆっくりと頷き、もう一度満月の庭園を見回す。
その漆黒の瞳は、冷静な遂行者としての眼光があった。その視線に満足したエルカも周囲をさりげなく見回す。
ステージを囲う水路の外側には、ここが邸内だと忘れそうになる程の樹木や花々が、静かに風にそよがれている。あそこは万一の時に身を隠す場所になるだろう。
一方、ステージ内の所々に設置されたテーブルには、色鮮やかなオードブルが運ばれ始めたようだ。料理を運ぶ侍女達に混じり、到着した貴族達の姿もちらほらと見かけることが出来た。
ふと、貴族の一人と目が合う。
見覚えのあるその貴族は微笑を浮かべ、エルカの方へとやって来た。
「やあ、エルカーノ」
「お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました、リーガン公子殿下」
「ああ、堅苦しいのは無しにしよう。僕らは同位だろ」
「そう言ってもらえると肩の荷が下りるよ。リーガン」
「それより、そちらの美女は?」
話を振られたコノハは、思いっきり固まった。
「ああ、こちらは私の婚約者のコノハです。コノハ、こちらはツヴァイ領の公子、リーガン」
「お初にお目にかかります」
コノハは必死に笑顔を作り、ぎこちない会釈をしてみせた。
リーガンは海都ツヴァイの公子らしく真っ黒に日焼けしており、それゆえ真っ白な歯が印象的な好青年だ。その眩しいばかりの歯をニッと見せ、人懐こく笑う。
「エルカーノ、君は果報者だな。こんな美人はツヴァイにだって見たことが無いぞ!」
「ありがとう。だが今夜手を出すのは、我が妹だけにしてもらいたいな」
「あっはっは、分かっているさ。君の妹にはあった事が無いが、それは美しいとの噂をかねがね聞いている。実に楽しみだよ」
「噂は噂、過度な期待は禁物だよ」
「……ふむ、噂と言えば」
リーガンの笑みが少し陰る。
「君の妹だが、既に婚約者がいると噂を聞いたよ。一体どういうことだ?」
「それは……」
エルカは失言だったと顔を少しだけしかめた。
「そんな事、根も葉もない噂に過ぎません。ご安心を、リーガン様」
コノハが薄く笑って答える、ただし目が笑っていない。
リーガンはゾクリと体を震わせると、僅かに身を引いた。
「そ、そうか、まぁ、婚約者を決めるパーティで聞くことでは無かったな。じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
そう言ってリーガンは足早に去っていった。
「……まずかった?」
「いや、とても助かったよ。感謝する」
そう言ってエルカは少し笑い、真っ赤な空を見上げた。
――さあ、始まるぞ
ガラムが息を整えながら応接室に入った時、そこには不機嫌を絵に書いたようなゴリネルがいた。
――遅かったか
ガラムはさりげなく領主の後方へ控え、有事に備える。
「しかし、わしは確かに聞いたぞっ! 一人や二人ではない。何人もだっ! しかも、リア=フェイロンを目撃した者までいたのだぞっ!」
「そう言われましても、そのような輩は存じませんな」
「いいのか、これを見ても同じことが言えるのかっ?」
ゴリネルは唾を吐き散らし、懐から一枚の紙を取り出した。先週、ガラムらが総力をあげて回収したはずのリア=フェイロンの張り紙だった。
――やはり、流出していたか
ガラムは内心、申し訳ない気持ちで一杯になったが、領主は眉一つ動かさない。
「ああ、その張り紙ですか。もうしわけない。セシリアは妄想癖があって、時折、そんな落書きを配布することがありましてな」
「バカなっ!」
「私も、娘の妄想癖には頭が痛めておったところです。しかし、我が娘が気に入らぬなら、このようなパーティに参加して頂くのも申し訳ない。どれ、邸内で別席を設けましょうか?」
「……もういい」
ゴリネルは足を踏み鳴らして、応接間を出て行った。
「見事です、領主公」
「ふんっ、あやつの魂胆など透けて見えるわ。弱みを握り、このゼクス領の利権を奪うことに執着しておるだけだ。全く吐き気がする」
「はて、吐き気と言えば――――っ! 領主公、ひとつ気になることがございます」
「なんだ?」
「セシリア様が、その――いえ、まだ確かめた訳ではないのですが、その……」
「何だと言うのだ、ガラム。いま時間が無い事は、お前が一番分かっているだろう」
ガラムは深呼吸を一つして、敬愛する領主にその推察を語った。
「セシリア様は、身篭っておいでではないかと――」
約束の十八時になっても、まだ領主とセラは満月の庭園に現れない。
お陰でエルカとコノハの二人は、訪れる貴族達に延々と挨拶を繰り返すことになった。
「こちらは、美都アハトのコーディリア公子殿下。コーディリア公子殿下、こちらはコノハ、私の婚約者です」
「お初にお目にかかります。コーディリアです」
「こ、こちらこそ」
公子、と言うからには男なのだろう。声もずいぶんと低い。しかし、着ている服は見事に女物のドレスであり、顔の造形もコノハが見惚れるほど美しい。女性と言われれば絶対に信じていただろう。
――美都アハト領、どんなところなんだろ?
物凄く小さな領だと聞いた事があるが、楽団や劇団の九割はアハト領に本拠がある。コノハは純粋に興味が湧いた。
「あの、コーディリア公子殿下、アハト領はどのような領なんでしょうか?」
「おお、良くぞ聞いてくれましたっ! では、我が愛すべき故郷、アハトの物語をお聞かせしましょう。我がアハトは、この剣の国が建国した当初は、もちろん存在していませんでした。しかし、二百年前、隣国ウォランとの戦争において……」
――しまったあああああ!
押してはいけないスイッチを押したコノハは、「はぁ」と頷きならがら、アハト領の壮大なる起源から工芸品の種類、美術の歴史、アハト領出身の伝説の吟遊詩人のサーガまで、延々と聞くことになった。
そんなコノハをエルカはさりげなく見捨て、食料を補給することにした。
『腹が減っては猫にも勝てぬ』である。
「さて、何があるか……ん、魚が多いな」
好物であるリブステーキが無いばかりか、肉料理がほとんど無い。久しぶりに王都産の最高級リブステーキを食べられるかと期待していただけに、エルカは少し消沈した。
しかたくなく、ツヴァイ産の魚貝バター焼きを皿に盛り、レモンを絞る。
バターの風味が香ばしく、これはこれで美味そうだった。
――それにしても、これだけ露骨に肉類が無いとは、一体……
思案を遮るように、ポンと肩を叩かれる。
「や、エルカーノ」
「ああ、リーガンか。父上もセシリアも遅れてしまっているようで、申し訳ない」
リーガンは「いやいや」と手で制し、塩釜焼きにされた白身魚の身をほぐし、皿に盛った。
「そう言えば、今日はエドガー王子も来る予定なんだが、エルカは見ていないか?」
「いえ、まだ見てませんが……確かに遅いですね」
「そうか、いや、あの気まぐれな王子だ、ゼクス領の商店街で道草を食っているのかもしれないな」
「はは、確かに我が領の巨道商店街は他の領に無い活気がありますから。それに、王子に婚約はまだ早いでしょうしね」
「あっはっは、確かに女性より土産に目がいく年頃だろう。おっと、向こうでケント伯子を待たせているのでね、失礼するよ」
慌しくリーガンが去った後も、エルカはテーブルを離れず思案にふけった。
――王都産の食材が無い上に王子の遅延、王都との街道に何かあったか?
さりとて、今はフェイの救出こそ急務である。関係の無い余計な詮索は、任務の実行に支障をきたすだろう。
では、クエスト完遂のため、今出来る事は何か?
すなわちそれは、食料の補給である。
エルカは一人納得し、魚貝のバター焼きにフォークを付き立てた。
領邸と庭園の間にある休憩所に、セラはじっと待機していた。
領主からの挨拶があった後、すぐに会場へ出られるようここで待て。父親である領主にそう指示されたからだ。
休憩所と言っても大理石でできた堅固かつ豪華な小屋である。ただし、大理石ゆえその表面は冷たく無表情であり、セラの心をますます消沈させた。
「――セラ、少し、話がある」
セラが目を向けると、父親の鬼気迫った顔があった。
その脇に似たような表情のガラムもいる。
――また、良くない事かな
暗鬱たる気持ちで、セラは小さく頷いた。
「セラ、昨夜から気持ちが悪いそうだな」
「はい」
「何度も吐いているとも聞いたぞ、本当か?」
「……はい、大事なときに申し訳ありません」
カタカタカタカタカタ
テーブルが鳴っていた。
領主の両拳が硬く震えるにあわせ、休憩所に備え付けられているテーブルが、呼応するように振動しているのだ。顔色は夕日などに負けないくらい真っ赤である。
「では、単刀直入に聞こう……セラ、あのリア=フェイロンと、やましいことはしていないか?」
「やましい、こと?」
聞き返されて領主はゲフンと一つ咳払いをする。
視線を小窓から見える夕日に向け、ガラムに向け、セラに戻したところでゴクリと唾を飲み込んだ。
しかし、迷っている時間など無い。聞くしかないのだ。
最後に心で三つ数えた後、意を決した父は決死の言葉を放つ。
「子供が、できたのではないか?」
ガタンッ
セラは雷に打たれたように立ち上がり、その額に手を当てた。
心当たりがあるような娘の挙動に、領主の真っ赤だった顔が一気に青ざめた。
一方、セラは昨日の夜の事を思い出していた。
――あの時の、キスで?
「セラッ……まさかっ……まさかっ……」
「私と――フェイの――子供?」
「違うと言ってくれ、セラアアアッ!」
額に当てていた手を、お腹に当てる。
「――――うれしい」
その言葉で領主は、キレた。