(2)それは尋問のような
それは尋問のような光景だった。
少女がほとんど口を開かないため、フェイの質問もつい事情徴収のような口調になってしまうからだ。
「で、痛いから泣いてた訳じゃないんだな?」
コクン
「何かに追われていて、すごーく怖かった、と」
コクン
「で、相手の顔は見たのか?」
ブルブル
少女は相変わらずハンカチを握り締めてメソメソと泣いていた。
フェイはため息を吐くと、彼女から聞き出した情報を頭の中でまとめる。
朝、一人で街を散歩していたら、途中で誰かに尾行されていると気が付いたらしい。それが怖くて逃げてまわっていたら、すっかり帰り道が分からなくなったそうだ。
そして途方にくれた時、家出をした兄――つまりエルカが経営するクエスト屋エルカーナの看板を偶然目にした、と言うわけだ。
「……大体の事情はわかった。ああ、そう言えば自己紹介がまだったな。俺はリア=フェイロン、フェイでいい。お嬢ちゃんの名前は?」
「――セシリア、ひっく、ラドクリフ」
「ラドクリフ……そうか、そうなるんだよなぁ」
店長であるエルカの父ラドクリフ公は九公爵の一人だ。公爵位はシュバート国に九つある領土とセットになっており、つまりラドクリフ公はここゼクス領の領主様と言う訳だ。
もっとも店長のエルカは家出と同時に勘当され、それ以来エルカはラドクリフ姓を使わず、ただのエルカと名乗っている。
エルカが何故家出したのか、知りたくないと言えば嘘になる。
しかし、家庭背景なんて詮索されても迷惑なだけだ。ならば一切聞かないのがパートナーだろう、フェイはそう思っていた。
話を戻そう。
そのエルカとセラの父親ラドクリフ公が治めているのがここ鉱都ゼクス領である。
鉱都の名の通り、ここにはバイスレイトと呼ばれる貴重な鉱物の鉱山があり、当初はその作業場のようなものだった。
しかし、王都アインと港都ツヴァイ領までを繋ぐ巨大な道路バイスアルムが建設される時、ここをバイスアルムが通る事になってから状況は一変した。
当然、大量のバイスレイトが必要になり鉱山付近の人口は増え、さらには物流の大動脈となったバイスアルムはゼクス領に巨万の富をもたらしたのだ。
今やゼクス領は商業都市として、かなり裕福な領に位置している。
つまり、このセシリアなる少女は非常に裕福な領の公女様だという事だ。
その娘を誘拐しようと狙うのは、共感できないしても非常に効率的で納得できた。
況や、何故そんな狙われやすいネギカモ姫が一人で出歩いているか、である。
「さて、まずはセシリア公女殿下――じゃあ長いな。ええと、セラでいいか?」
少女の目が僅かに開かれた。
しばらくフェイを値踏みするように見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、セラ。いまお茶入れてやるから、そろそろ泣きやめよ?」
セラは握り締めたハンカチで顔をこすると、もう一度頷いた。もう泣くまいと引き結んでいる口元がいじらしい。
「さて、こっちは捨てるか」
フェイは名残惜しそうに冷めたお茶を窓から廃水路に捨てると、新しくお茶を淹れはじめた。
チロチロと火の燃え残る釜戸に薪を追加すると、水がめからケトルに水をすくい、勢いを取り戻した火にかける。
その器用な手つきを、セラは興味深そうに眺めていた。
やがてエルカーナ店内がベルリーフの豊かな香りで満たされる。フェイはカップをセラの前に差し出すと「どうぞ」と薦めた。
差し出されたカップをおずおずと受け取ると、さすがに領主公女殿下らしく優雅に口をつけた。
「おいしい!」
子供らしく素直な反応にフェイも素直に嬉しくなった。この瞬間は自分が味わうに次いで至福の時なのだ。「だろ? なにせ入荷したばかりのベルリーフだからな」とフェイが上機嫌に笑うと、つられてセラもようやく微笑む。
話を切り出すに絶好のタイミングが訪れたのだ。
「で、セラ。一つ質問があるんだが」
セラはお茶で警戒心が薄れてきたのか、すぐに頷いた。
「なんで城を抜け出したんだ?」
ガタンッ
セラはカップを持ったまま立ちあがる。お茶を溢さなかったのは見事だ。
大きく見開いた目は「なんでその事を?」と雄弁に訴えていが、普通に考えてそれしかないのだ。
豊かになった代償としてゼクス領の治安レベルが低くなった。だから、クエスト屋なんて『事件解決屋』が成り立つのだ。
そんな中、誘拐して下さいと言わんばかりの贅沢な格好で、娘を一人歩きさせる親はいない。ならば抜け出した事は明白――そう、正直に言おうかとも思ったが、もうひとつの理由をフェイは口にした。
「エルカも、よく抜け出してたって言ってたからな」
「兄様も、ですか?」
「あぁ、だから抜け出したくなる気持ちはよく分かる。ほら、座れって」
セラは言われるままに座り、不思議そうにフェイを見る。
「じゃあ、とりあえず城まで送ればいいよな?」
「あ、はい」
慌てて返事をしてコクコクと頷く様は、人形のような作り物めいた雰囲気が漂っている。確かに美しいが生気を感じないのだ。下町のクソガキばかり見てきたせいか、余計にそう思った。
目鼻立ちが整いすぎるのも、考え物かもしれない。
「じゃあ準備するから、そこで茶でも飲んで待ってな」
営業スマイルで言ったものの、フェイは心の中で溜め息を吐く。
こういう身内の仕事は全く金にならないからだ。
たとえ無事に届けても、届け主がエルカの知り合いでは領主と言えど礼金は期待できない。あったとしても『ありがたーいお言葉』だけなのだ。それはむしろ要らない。
だからと言って、これが誘拐に発展するかもしれない以上、放っておくわけにもいかない。
ため息の一つも出るというものだ。
壁にかけてあったホルダー付きのベルトと愛用のボウガン、大ぶりのダガ―を腰にぶら下げ、最後に厚手の黒いレザージャケットを羽織る。
今日のような小春日和に厚手のレザージャケットはかなり蒸すだろう。しかし、万が一にも誘拐犯と乱闘なんて事になれば、この皮一枚で命が助かるかもしれないのだ。
しっかりとベルトを留め、セラに声をかけようとした――その時だった。
コンコン
ドアが軽くノックされた。
セラは猫のようにピクリと顔だけ反応し、フェイも油断無くボウガンを構える。
例えば賊が白昼堂々と客を装って店内に侵入する、という可能性もこの街ならありえるのだ。
フェイはドアの向こうにいる人物に向かって照準をあわせつつ、バンとドアを蹴り放なった。
「きゃああああああっ!!」
また絶叫された。
扉の向こうにいた無害そのものの顔を見て、フェイはボウガンの先端をヒョイと上げる。
「タイミング悪いよ、ルナ」
「何? 何なの? あれ? お客さん?」
フェイの肩越しにセラを見つけ、「わあ、かわいい!」と声を上げた彼女は、神官補佐のアルティア=ルナティヒ、通称ルナだ。
癖の無い栗毛色の髪を伸ばしており、相変わらず神官候補生の制服を生真面目に着込んでいる。
綺麗と言うよりは愛嬌のあると言った感じで、彫りの浅いその顔は表情をコロコロと変え、いつも周囲を和ませてくれる。
ルナはエルカーナの開店以来――いや、開店前からも色々と手伝ってくれている女性だ。
さらに彼女は若干二十一歳ながら神の『約束』を受けており、簡易的な治療医術の心得もあるため、緊急要員として力を借りる事も多い。
あだやおろそかにできない人であり、ある事件をきっかけにフェイがひっそりと心を寄せている相手でもあった。
「さあ、入ってよ。ちょうどお茶も淹れたとこなんだ」
「わーい!」
フェイは営業用でない笑顔で道を譲ると、ルナは軽い足取りで中に入る。そして、不安そうな目で事の成り行きを見ていたセラに「こんにちは」と声をかける。
ルナは孤児の面倒を見ることが多く、子供相手によく好かれるのが自慢でもあった。が、セラはモゴモゴと返事をしながらも目一杯フリーズする。
どうやらセラは初対面の相手は誰でも苦手らしい。
フェイはしょうがなしに助け舟を出した。
「名前はセシリア、エルカの妹だよ」
「ええっ! エルカに妹なんていたの? 初耳!」
ルナは両手をパタパタさせて驚いた。
フェイはセラの事情を簡単に説明すると、ルナは腰に手をあてて嘆いた。
「ほんと最近は治安が悪くて困ってるの。教会に来た人が食器を盗むなんてしょっちゅう、なかには女性の下着まで盗まれて」
「ええ!」
「なに。、そこだけ食いつくなんて、ちょっとやらしいじゃない」
「あ、いや、驚いただけで」
フェイはもごもごと口を閉じる。ルナの前では、まだまだ大人になれない自分が妙に歯がゆい。
「じゃあ、フェイはこれからセシリア様を城まで送るのね?」
「あ、ああ、そのつもりだけど」
「そっかぁ、なら仕方ないか。私、帰るわね」
「ええええっ!?」
「だってここ、閉めちゃうんでしょ? フェイのお茶飲みに来たんだけど、そういう事情ならしょうがないしね」
「あ、いや、その……」
しまった。ルナが遊びに来てくれるなど、10日に1回くらいのものだ。その貴重な日に儲けにもならない仕事が入るなど、悔やんでも悔やみきれない。
そんなフェイの様子に、ルナがちょっと不満げにフェイを覗き込む。
「何? まさかまた店番させるつもり?」
その手があった。
手早く送って戻ってくれば、二人きりでティータイムができるかもしれない。
「いや、その、店番頼むよ。今全然依頼がなくてさ、このままだと結構苦しくて」
「うーん……他にやることないし、まいっか。でも夕方までには帰ってきてね」
「もちろんだよ!」
勢い込んだ返事に、ルナは屈託無く笑った。その朗らかな笑顔にフェイが見とれているとクイクイと袖を引かれた。
セラだ。
妙に不満そうな上目使いでフェイを睨んでいる。
「あぁ、悪い。そうだな、早く行かなきゃな。じゃあルナ、店番頼むな」
「ふぅん、なるほどね……うん、頑張ってね」
フェイよりもセラを見て『頑張って』と言ったようだったが、セラはプイとルナから顔を背けてフェイを先導した。
フェイは苦笑を漏らし、続くように外へ出る。
「がーんばってねー!」
春の陽気を体現したようなルナの声が、二人の出発をささやかながら祝福したのだった。
陽はまだ高く光も強かったが、幸いにもサワサワと心地よい風が吹いており、散歩には絶好の日和だ。抜け出したくなったセラの気持ちも分からないでもない。
息を大きく吸い込むと、青い、春の芽吹きの匂いがした。
「よし、最短距離で行くぞ!」
領主の城はここから徒歩で一時間ちょっと、セラの遅い歩調に合わせても、まず二時間はかからないだろう。わざわざ高い乗り合い馬車に乗るまでもない。
フェイは時折振り返って、微妙な距離を取ってヒョコヒョコと付いてくるセラを確認した。こうやって子供を連れて歩くと、自分が一気に年寄りじみた気がして嫌になる。
振り返る。前を向く、振り返る――そこでようやく、セラが後ろにいると、いざと言う時に守りにくいと思い当たった。
「セラ、できれば前を歩いてくれないか? 道はちゃんと指示するから」
フェイは極めて紳士的に切り出したつもりだったが、セラはぶんぶんと首を振った。
いざと言うときの安全の為だと理由を説明したがそれでも首を振る。フェイにはまったく理解不能だ。
「これから人ごみを歩くんだ、はぐれたら危険なんだ、わかるよな?」
イライラしたフェイは半分脅しのつもりで言った――のだが、セラはにっこりと微笑むと、走りよってフェイの手を掴んだ。
確かにこれなら一番はぐれないだろう。しかし、なぜ前を歩くのが嫌で手を繋ぐのが良いのか、極めて理解不能だった。
しかし、危険だと言った手前、フェイは手を繋いで歩き始める。しかし、これがどうしようもなく恥ずかしいのだ。これではまるで自分が誘拐犯だ。
知り合いが来ないことを祈りながら、道の端をコソコソと歩き続ける。
「――あの」
おずおずとセラが声を出した時、さすがに手を繋ぐ事が恥ずかしくなったのだと、フェイは胸をなでおろした。
「そうか、じゃあ俺の前を歩いてくれるか?」
ブンブンと首を振っての全否定。
フェイの僅かな期待は一秒もしないうちに崩れさった。
「あの、さっきの女の人」
「さっきのって言うと、ルナの事か?」
セラはコクンと頷く。
「ルナがどうかしたか?」
「恋人、ですか?」
セラの一言にフェイは僅かに動揺し、思わず顔を背けた。
「そりゃあ恋人じゃない――けど、友達ではあるな。うん」
「恋人、いないんですか?」
「はぁ!?」
フェイは自分の顔が引きつっているのを自覚した。
何でそんな事を答えきゃならない、と怒鳴ろうとしたが、ここでセラが泣けば完全に誘拐犯だ。
フェイはため息混じりに答えた。
「……そんなもん、いない」
するとセラはとニマニマと笑って見上げてくる。
その歳で恋人もいないんだ、と言われたような敗北感をフェイは覚えた。
――これだからガキは
これ以上恋愛話など広げてたまるか、と、フェイはあえて別の話題を切り出した。
「そうだ。セラのガーディアンってどうしたんだよ? 公女殿下ともなれば、一人や二人はいるんだろ?」
「その、ガラムは、お休みで」
「ちょっとまて! 今、ガラムって言ったか?」
セラの言葉を遮るように、フェイは思わず声を荒げた。
「ガラムって、あの風のガラムだろ? 曲刀の達人の?」
「知ってるんですか?」
「そりゃあ知ってるさ! あの盗賊団ゴルゴンの元副団長で、ああ、そうか。エルカの剣の師匠だったよな。いや、そう考えればありえるか。いやぁ、そっかぁ」
ナラド=ガラムディン、通称『風のガラム』。知る人ぞ知る曲刀の達人だ。
ラドクリフ公に仕える前には、なんとあの最強と名高い盗賊団ゴルゴンの副団長だった人である。
各地で軍をも退ける盗賊団ゴルゴンは、怖れられつつも義賊として自由と力の代名詞となっている。
フェイも、クエスト屋をやる前はゴルゴンに入団する気でいたのだ。
いや、今でも機会があればと思っている。
――ひょっとして、セラに話をつければ、ガラムさんに会えるかも?
「なぁ、セラ。今度でいいから、ガラムさんに会わせてもらえないかな」
「会う?」
「そうそう。会って話がしたいんだよ。俺、いつかガラムさんみたいになりたくてっさ」
「ガラムみたいに?」
セラは小首を傾げる。
「ああ。いつかさ、ガラムの後継者って呼ばれるようになれたらなって」
「後継者って――」
「いや、流石に無理なのは分かってるよ。でも、きっといつかは」
――そう、あのゴルゴンでも一目置かれるような男に!
妄想に浸っていると、フェイの手がグイと引かれた。
見ると、微妙に頬を赤くしたセラが立ち止まっている。
長い間歩いていたので、体調でもくずしたのだろうか?
しかし、セラは微笑むと小声でつぶやいた。
「なれます」
「ん?」
「フェイさんなら、ガラムみたいに、なれます!」
「あ、あぁ、ありがと。と言っても、俺なんてまだ全然弱いんだけどな」
「ううん。フェイさんなら、絶対、大丈夫!」
顔を上げたセラの目は真剣そのものだった。こうも真っ直ぐに言われると不思議と自信が沸いてくる。それと同時に、今は『この子を守らなくては』と強く決心したのだ。
「おし、じゃあしっかり守ってやるからな」
「は、はいっ!」
「それから、もうフェイさんはやめろよ。フェイでいい。なんかむず痒いんだ」
「じゃあ、その……フェイ」
「そうそう、その方がこっちも楽だ」
「……はい」
繋いでいた小さな手に、キュッと力が込められる。
その瞬間、小さく弱い手の感触に何故かゾクリとした悪寒を感じた。
決定的な間違いを犯したような、そんな寒気が走ったのだ。
――こんな子供に恐怖を感じるなんてな
フェイは苦笑すると、疑念を頭の片隅へと追いやったのだった。
その疑念が確信に変わるまでの間だが。