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(18)小窓に浮かぶ月

 小窓に浮かぶ月は綺麗だが、何も答えてはくれない。ただ白銀の光を静かに注ぐのみだ。


「……ふぅ」


 フェイは暗い牢の中で一人ひざを抱えて座り、狭い夜空に浮かぶ月を見上げていた。

 なにせ他にする事が何も無いのだ。

 あるのはボロ布のような布団と毛布、悪臭を放つ大きな壺――これがトイレなのだから趣味が悪い。他にあるものを強いてあげれば、頑丈な扉と肩幅の半分も無い小窓、それだけである。

 やる事もない、見る物もないこの状況では、どうしても同じ事ばかりが頭をよぎった。


「エルカ、どうしてお前が俺を……」


 この牢で目を覚ましてから丸一日、フェイの口からはため息とその言葉ばかりだ。

 実のところ、その理由はなんとなく分かっていた。

 あのままガラムとやりあっていれば良くて半殺し、悪ければフェイの首は胴と泣き別れていた事だろう。


――いや、今だって十分やばいんだよな


 考えてみればそうだ。いったいフェイは何のために捕まったのか?

 そんなもの決まってる。あの過保護変態領主の人間サンドバッグにされるためだ。

 きっと今夜にでも、あの頑丈な扉が音をたてて開き、肉食獣のような顔が――


 ギギイッ


「おい、リア=フェイロン。エサだぞ……って、何をやってんだ?」


 便所壺の影に丸くなって震えているフェイを見て、親衛隊員アズマは頬をひきつらせた。

 一方のフェイは入ってきたのが領主で無いと分かるや、その場で屈伸を2度ほどすると、たった今アズマに気付いたように顔を上げる。


「おっ? もう晩メシか!」

「……俺はこんなヤツに負けたのか」


 アズマは心底悲しそうに首を振る。

 なにせフェイを取り逃がした不手際で、5日間の牢番をさせられているのだ。

 月明かりに浮かんだ顔には宿屋で見たときよりも青アザがいっそう濃くなっており、えもいわれぬ悲壮感が漂っていた。


「そのアザ、痛そうだな。大丈夫か?」

「人事みたいに言うな! メシ持って帰るぞ!」


 アズマの手には粥の入ったお椀があり、腹立たしいほど旨そうに湯気を立てている。

 空腹には勝てず、フェイは黙って手を合わせるとそれを神妙に受け取った。


「……言っておくが」


 さっそく地面に座って食べようとしているフェイを見下ろし、アズマは憎々しげに宣告する。


「俺は貴様を絶対に許さないからな。貴様はセシリア様を投げ捨てたんだ」


 そんな事は分かっていた。

 だが、『捨てた』と言う言葉に胸が小さくうずく。

 捨てられる痛みは十分に分かっていたはずだった。

 しかもセラは、ただ一心に自分にすがっていただけであり、それを正面から裏切ったのだ。


「セラは――その、元気か?」

「元気か、だと?」


 月明かりに浮かぶアズマの顔が、怒りに彩られた。


「このごにおよんで心配するフリか! いいだろう。貴様に良心があるとは思えんが、少しでも心があるなら聞いて悔いるがいい!」


 失言だった。聞きたくなかった。フェイは後悔するが既に遅い。


「セシリア様は食事も取らず、眠りもせずに延々と泣いていらっしゃる! 忌々しいことに、セシリア様を投げ捨てた貴様が、牢に入っている事を泣いているんだ!」


 わんわんとセラの泣く声が、耳の奥に聞こえた気がした。

 痛かった。これならいっそ殴られたほうがましだ。

 それきり返事をしなくなったフェイに興味を失ったのか、アズマは足音も荒く牢を後にする。


――くそっ。バカだ、あいつ


 残されたフェイは耳に残る泣き声を振り払うように、湯気の立ちのぼる粥を無理やり口に入れた。

 味は全くしなかった。




 同じ頃、フェイの上司として取調べを受けたエルカは、丸一日経った今ようやくエルカーナへ戻ってきた。

 しかし、返ってきた待っていたのはコノハからの抗議の嵐だ。


「エルカッ! どうしてフェイを引き渡したのよ!」

「ちょっと、コノハ。落ち着いて」


 コノハの剣幕は凄まじかった。ルナがなだめているが収まりそうにない。

 しかし、詰め寄られているエルカは、あくまで平然と答えた。


「ああするしかなかった。フェイが死んでもいいのか?」


 逆に切り返され、コノハは信じられないとばかりに眉尻を逆立てた。


「剣を向ける相手が違うじゃない! あんたのパートナーは誰なのよっ!」

「無茶を言うな。師匠は既に本気だった。ああなったら二人掛りでも倒すのは難しい」

「戦う前から何よっ! この臆病者!」

「ちょっと、コノハ。あなただって分かってるはずじゃない。あれ以上フェイが戦ったら、本当に犯罪者になっちゃうんだよ?」

「っ――でも、もうすぐクロフの結婚式なの。フェイが、一番楽しみにしてて……」


 コノハはあきらかに焦っていた。

 そして、焦っている気持ちにあれこれと理由をつけているが、本当の原因が他にあることに、ルナはなんとなく気が付く。


――セシリア様が来るまでは、フェイに手を出す人なんていなかったもんね


 だから、コノハは胸にある独占欲に気が付く事も無く、親友というポジションを満喫していられた。焦る必要も告白する必要も無かった。

 それがいつの間にか、街中がフェイと公女様の婚約話で持ちきりなのだ。

 言うなれば、自分のものだと思っていた桃の実を、収穫間近に盗み取られたようなものだ。

 人間とはおろかなもので、無くなって初めて、自分がどれほどその実を食べたかったのか思い知る。まして、恋の実ともなればどれほど胸が焦がれるだろうか。


――いつものコノハなら、無理やり行動して解決しちゃうんだろうけど


 しかし今、フェイの運命の手綱は絶対的な権力者である公爵家に握られてしまった。いくらコノハに槍が振るえても、どうすることも出来ない状況だ。

 だから、その不安をひたすらエルカにぶつけているのだろう。


 不器用だと思った。何とかしてあげたいと思った。

 ルナはコノハの怒鳴りの視線を黙って受け止めているエルカの横顔を見つめる。


「……エルカ、あなた何か考えがあるんでしょ?」


 その問いにエルカはゆっくりと頷いた。


「ちょっとした情報筋から聞いた話なんだが、次の満月にセシリアを紹介するためのパーティが開かれる事になった。近隣領から上級貴族達を大勢呼び、セシリアのよき婚約者を決めるという盛大なパーティだ」

「よき婚約者……って、そんなの絶対にセシリア様は納得しないでしょ。なんでやるの、そんなの?」


 首を傾げたルナに、エルカは少し悲しそうに首を振った。


「セシリアの意思は関係ない。決めるのは相手と父上だ。父上が相手を気に入り、相手がセシリアを気に入ればそれで話はお終い。貴族の結婚はそう言うものだよ」


 ルナは知らなかったと口元に手を当てた。

 確かに領主の子供が公子、公女と呼ばれる。それは公爵家の人間が得る莫大な権力の引き換えに、その人権が領民のために費やされるからこそ、公の子供と呼ばれ、皆から尊ばれているのだ。

 しかし、意に沿わぬ結婚が当然と言われると、さすがに受け入れがたい。


「問題は、そのパーティで婚約者が決まってしまう事だ」


 エルカは本当に困ったように腕を組んだ。


「どうして?」

「新しい婚約者が決まり次第、フェイは本当の犯罪者になり、おそらく処刑される」


 大人しく聞いていたコノハは、その言葉に目を見開いた。


「そんな無茶苦茶じゃない! なんでフェイが処刑なんてっ」

「しょうがないさ、コノハ。結婚と言うのは重要な外交なんだ。そこに元婚約者なんて存在が知られれば体裁が悪くなる」

「ふっ、ふざけないでよ! 絶対に許さないわよ、そんなものっ!」

「ああ、私もそれは絶対に阻止する」


 それまで淡々と話していたエルカの声に、初めて強い意志が宿った。

 

「幸い、私も父上から公子としての参加要請をされた。これでも一応他の領からは、まだゼクス領の長男だと思われてるからね。そして、今回はこれを利用してフェイを救出する。コノハ、協力してくれるか?」

「次の満月……10日後ね。勿論よ」

「助かる。では、私の婚約者として同行してくれ」


 コノハは迷い無く頷いた。

 しかし、一方のルナは不安そうな顔を隠せない。


「ちょっと待ってよ……もし上手く救出できたって、それじゃまだお尋ね者じゃないの? そしたら、エルカーナには帰れなくなるんだよ?」

「心配ない。フェイにはパーティ会場で婚約破棄の宣言をさせる。領の面子は丸潰れになるかも知れんが、そこでなら領主公も強引な手には出ないはずだ。これで追っ手を差し向ける理由もなくなるだろう」

「でも……」


 それでもルナの顔からは、不安の影は消えなかった。


――無理もないか


 エルカにもその気持ちは痛いほど分かる。

 なにせ自信たっぷりに言ったものの、不確定要素が多過ぎるとエルカ自身が思っているのだ。

 何より今の状況が一番の予想外なのである。


――まさか、こうまで事態の進展が早いとは


 エルカの狙いとしては、セラの芽生えかけた恋心を婚約パーティと言う障害を使って燃え上がらせようとしただけなのである。

 しかし、セラの恋心と行動力は予想を遥かに超えて成長していた。

 まさか脱出して会いに来るなど、後先を考えぬ盲目っぷりにも程がある。

 お陰でフェイへの危険視が頂点にまで高まってしまったのだ。


――フェイもフェイだ。エルカーナで大人しくセシリアを差し出せば、一発殴られるだけで済んだものを


 下手に逃げたため、結局こう言う事態になってしまったのだ。

 お陰で明日からエルカとて、悪名を被ることになる。

 なにせ男同士の決闘に割り込み、しかも悪役であったガラムの側に荷担したのだ。

 エルカはため息をついて昨日の事を思い出した。


『すまない、フェイ』


 そう言ってフェイを昏倒させた後、周囲の野次馬達からの罵声は凄まじかった。

 決闘を邪魔された師匠も、鬼のような形相でエルカを睨み、剣を突きつけてこう言った。


『殿下! 一体どういうおつもりか!』


 お陰でエルカの正体はバレる、石は飛んでくる、兄失格だのシスコンだの言いたい放題だ。

 だが、あのままではフェイが殺されていただろう。

 師匠はエルカですら見たことが無い二刀目を抜いていた。あれの意味する所は死闘である。

 フェイがそこまで本気にさせたのだ。


――黒猫、か


 最後に師匠はフェイをそう呼んでいた。

 確かに、すばしこいところも、気まぐれなところも、妙に懐くところもそっくりだ。


――父上、私の黒猫は絶対に取り返して見せますよ


 エルカはそう胸に誓い、小窓に浮かぶ月を見上げた。


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