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(16)こいつ本当にダメだ

――こいつ本当にダメだ


 セラの迷いの無い真剣な表情を見て、フェイはそう確信した。黒い帽子を深くかぶり、どうにでもなれとその場に力なく座り込む。

 一方、公女殿下の乱入で宿屋のカウンター付近はすったもんだの大騒ぎだ。


「セ、セシリア様、俺の宿屋に公女殿下がっ! こいつはすげえ話のネタだぞ!」

「うそっ、本物? でも噂どおり小さいし、可愛いし、綺麗な金髪だし」

「ああああっ! この事はどうか、どうか妻にはご内密にっ!」


 狸顔のマスターは感激し、女性は疑いの目を、浮気男のハンスは床にひざまずいてセラを拝み倒している。

 その状況を見てもセラは顔色一つ変えず、ビシリとハンスに指差すと無駄に威厳のある声で宣告した。


「ハンス! 結婚している身でありながら、なんと言う……奥様になんとご報告すればいいのですか!」

「うひいっ!」


 ハンスはガタガタと縮こまり、同時にフェイもガックリと床に手を着いた。


――終わった。依頼人まで暴露しやがった


 涙で視界がにじんでくる。

 これ以上後悔することなど無いと思っていたのに、甘かった。いくらなんでも対応が甘過ぎた。まず最優先でセラを何とかすべきだったのだ。

 教会に預けられないとしても、せめてロ−プでがんじがらめにして口に布をかませ、誰にも見つからない場所に放り込んでから仕事するべきだった。

 それなのに口約束だけでどうにかなると信じていた自分がバカだったのだ。

 うな垂れるフェイの隣で、しかしセラの暴走はとどまるところを知らなかった。


「ハンス、もしあなたが改心し、これから一生奥方だけを愛すると誓うなら……ラドクリフの名において、奥方様には報告しないと誓いましょう」

「勝手に誓うなよ、頼むから……」


 ファイの悲痛なつぶやきもむなしく、ハンスはパッと顔を輝かせると「誓います! 誓います!」とひれ伏した。

 当然、その隣にいた紫ワンピースの女はハンスをむんずと掴み上げて、したたかに顔をひっぱたく。心に響くほど痛そうな音だった。

 セラはふぅと息を吐くと、にっこりと微笑んでフェイを見る。


「良かった。これで、ハンスさんも奥様と幸せになれますね」

「……で、どうやってその奥さんには報告するんだよ」


 フェイは半眼でセラを睨みつけたが、セラはあごに指をあててきょとんと首をかしげる。


「何も無かったですよ――じゃダメなんですか?」


 フェイは深い深いため息を吐いた。

 依頼人に浮気してましたと報告するのは簡単だ。証拠を掴んで報告すれば、たとえ調査が一日で終わっても、定額どおりの報酬がもらえる。

 しかし、何も無かったと報告するには最低でも10日は張り込む必要があり、当分の間、仕事は終わらないのだ。

 つまり、報酬がもらえるのがずっと後になるという事だ。

 メリットがあるとすれば、セラの言う通り、ハンスが奥さんと仲良くなってくれることを願うのみ――


「いや、ちょっと待て。報告が10日後になるって事は……経費を水増し請求できるって事じゃないか?」


 よくエルカがやっている手ではあるが、さすがに不正請求は後味が悪いのでフェイはやった事がなかった。


――でも入院代でエルカに迷惑掛けたし……この際、仕方ない、よな?


 なにより依頼人に納得してもらうためには必要な事だろう。仕方が無いとフェイは狸顔のマスターを探すことにした。経費の水増しにはマスターと口裏を合わせる必要があるのだ。


「ん? そういえばマスターがいないな?」


 フェイの疑問にセラはさらりと答えた。


「マスターなら、さっき外に飛び出していきましたよ」

「ふーん、外か……外っ!?」


 一瞬、嫌な予感がフェイの脳裏をかすめた直後だった。


 バンッ


 宿屋のドアが大きく開け放たれ、真っ白な鎧を来た男が飛び込んできた。

 その男は顔半分が痛々しい青あざになっていたものの、目はギラギラと怒りに燃えている。

 そして、その怒りの視線がすぐさまフェイを捕らえた。


「見つけたぞ、リア=フェイロン! 領親衛隊アズマ、貴様をひっ捕えてくれる!」


 アズマと名乗った男は、刃渡りが腕の長さほどもある細身の直剣を抜き放った。


――あんの狸親父、速攻で俺を売りやがった!


 内心で毒づくが、今は階下にいるアズマをどうにかしないとまずい。

 なにせ親衛隊といえば生半可な腕じゃないだろう。対してフェイの武器は腰に差しているダガーが一本きり、得物の長さで言えば半分にも満たない。かなり分が悪かった。

 フェイは被っていた帽子を目深に被りなおし、作戦その1を決行する事にした。


「いえいえ、人違いですよ。私はザーボン=デガワと言うしがない行商人で――」

「フェイに剣を向けるなんて! このセシリアの婚約者と知っての狼藉ですか!」

「人の努力を片っ端から無駄にするなっ!」


 涙ながらに絶叫したフェイに向かって、アズマは剣を構えたまま油断無く階段を登り始める。


「ったく、いい加減にしろよ……俺が何したって言うんだ」


 ヤケクソ気味に愚痴をこぼすと、フェイはかぶっていた黒い帽子をかなぐり捨てた。

 そして、セラを横向きにヒョイと抱える。いわゆるお姫様抱っこと呼ばれる恥ずかしい抱え方だ。


「フェイ?」

「……やってやる、やってやるぞ。悪だ。俺は悪だ、悪になるんだ!」


 フェイはセラを抱えたまま階段の上辺に立つと、登ってくるアズマに真っ向から対峙した。


「貴様っ、汚らわしい手で公女殿下を抱きおって! さあ、返してもらうぞ!」

「言われるまでもねえよ!」


 そう叫ぶと、フェイは抱えていたセラをアズマの胸元へポイと投げた。


「なっ!?」


 アズマは守るべき公女殿下を受け取るため、構えていた剣を咄嗟の判断で落とし、全神経を使ってセラを受け止める。

 見事、セラは腕の中にすぽりと納まり、アズマはホッと息を吐いた。

 そして目を上げ――再び顔をひきつらせる。

 硬そうなブーツの底が、目前まで迫っていたのだ。


「落ちろおおっ!!」


 フェイの落下力を加えた蹴りが、アズマの顔面目掛けてぶち込まれた。


 ドゴスッ


 鈍い音と共に、アズマはセラを抱えたまま階下に向けて吹っ飛ばされた。


 ゴンッゴンッ……ガン


 最後に一際痛そうな音が響き、ようやく宿屋に沈黙が訪れた。

 親衛隊員アズマは階段の最下段で完全にのびている。しかも、気を失ったセラをしっかりと抱えたままである。敵ながら見事な忠誠心だった。

 フェイはそれでも警戒しながら階段を下りたが、やはりアズマはぴくりとも動かなかった。

 そのアズマの胸で、気を失っているセラをちらりと見る。

 どこも打ってはいないはずだが、表情が僅かに苦しそうだった。


 ズキン


 今更ながら胸が痛む。一歩間違えば危険な事をやったのだ。

 セラの真っ白な頬に手をさし伸ばそうとして、止める。


――馬鹿か俺は。悪だ。振り返るな。このまま立ち去るんだ


 自身に言い聞かせ、フェイはゆっくりと振り返って一歩を踏み出した。


 ガシ!


 突然足首を捕まれた。

 思わずフェイの口から悲鳴が漏れそうになったが、足を掴んでいた相手がセラと知り、悲鳴はため息に変わった。


「……フェイ」


 セラは不安そうな顔でフェイを見上げている。

 捨てられそうな子犬の目、疑う事を知らない、嫌になるほど真っ直ぐな視線だ。


「フェイ、どこへ行くの?」

「……どこでもいいだろ」

「私も、行く」

「ダメだ。そこにいろ。もう分かっただろう。俺は、お前を……」


 それでも、セラはゆっくりと起き上がる。


「えへへ。もう大丈夫」


 そう言うと、セラはにっこりと笑ってフェイを見上げた。

 まるで怖い物でも見たような表情で、フェイは一歩後ずさる。


「……なんで、お前は」

「ん? 大丈夫、フェイ?」


 セラは真っ直ぐにフェイを見上げ、心配そうに覗き込んでくる。

 その碧の目をフェイは見返す事が出来ず、目をそらした。


「いいか、よく聞けよ。俺は、お前を利用したんだ。お前を――ぐっ」


 捨てた、と言おうとして吐き気がした。

 腹がねじれて、胃がキリキリと痛む。


――親に捨てられた事くらい、もう平気だと思ってのに


 フェイを捨てた親と同じように、自分もセラを捨ててしまった。その事が、フェイの心を激しく動揺させていた。


「利用したって、私は平気だよ? フェイのこと信じてるから」

「うるさいっ! 黙れよっ!」

「フェイ、どうしたの?」


 そう言って心配そうに触れたセラの手を、フェイはパシンとはじいた。


「触るな! お前のソレは、どうせただの『はしか』なんだろ! 金持ちの道楽なんかに付き合ってられるか!」

「なに? はしかって、なんのこと?」

「黙れよ! さっさと俺なんか捨てて、他の貴族様に可愛がってもらえ! このっ――」


 グイッ


 突然、えり首を捕まれた。

 掴んだのは今まで傍観していた紫のワンピースの女――ハンスの浮気相手の女性だった。

 女は憤怒の表情を浮かべ、右手を高々と振り上げる。


 ズパアアン!


 ハンスの時以上の破裂音が宿屋中に響きわたった。

 しかし、フェイは叩かれた頬をおさえ、呆然と女を見上げていた。

 女の目に涙が溜まっていたからだ。


「あたしは、確かに許されない恋をしたよ! 牢に入れられたって文句は言えない。でもね、あんたね、何様か知らないけどね、女の子の恋を馬鹿にするなんてね――」


 女は両手でフェイのえり首を掴み、声を震わせながら力の限り叫んだ。


「この世の誰にだって許されちゃいないんだよっ!」


 操り人形のように掴まれたまま、フェイは何も言い返す事が出来なかった。

 その通りだと思ってしまったからだった。


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