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(10)もう死にたい

――もう死にたい


 19年の人生で始めて、フェイの脳裏にそんな考えがよぎった。

 体中はズキズキ痛むし、領主に殴られた顔は特に酷い。まるで顔全体が虫歯にでもなったかのようで、風が吹いても辛かった。

 しかし、何より痛いのが、看病に来てくれたはずのルナの視線だ。

 虫でも見ているかのような目で、ベッドに横たわったフェイを見下ろしている。


「で、もう一度聞くけど、何があったの?」

「……別に」


 そう言って、フェイは視線をそらす。


「別にじゃないでしょ! その怪我はなんなの?」

「こ、転んだんだよ」

「転んだって……フェイ、私が嘘を見抜くの得意だって忘れたの?」


 知っている。忘れるわけが無い。

 だからこそ言う訳にはいかないのだ。

 カシムの件はともかく、セラと結婚うんぬんなどルナには口が裂けても言いたくない。

 だからと言って中途半端に話をはぐらかそうとしても、ルナの前では通じない可能性がある。

 従って、フェイはだんまりを決め込でいるのだ。


「ふぅん、そうなの。転んだ傷なのね……」


 ルナは冷たい口調でそうつぶやくと、見習い神官服の袖から手をにゅっと出し、それをフェイの顔へと伸ばしてきた。

 迫る手のひらを見てフェイの顔が引きつる。


「ル、ルナ。いったい何を?」

「だって、ただ転んだだけなんでしょ? だったら触るくらい平気よねぇ」

「なにバカな事を――お、おい、やめろ」

「なら、本当のこと話なさい」

「い、嫌だ! ちょ、待て。やめろ、やめてっ――アーーーッ!」


 ペタペタと触る手にフェイは悶絶してのたうつ。


「ほら。やっぱり痛いんじゃない」

「いてぇよ!」


 涙目で怒鳴り返したフェイに、ルナは深く深くため息をついた。


「私ね、フェイにお願いされたから、二人を見送った後、ずーっと1人でエルカーナの店番してたんだよ」

「うっ」


 弱い部分を突かれ、フェイはまたルナから視線を逸らす。

 しかし、ルナはベッドに身を乗り出し、フェイの顔を覗き込むように話し続けた。


「なのに、すぐに帰ってくるって言ってたフェイは全然戻ってこないし、エルカも帰ってこないんだもん! だから陽が暮れても帰れなくって、結局教会には朝帰りよ? 神官長にすっごいすっごい怒られたんだから!」


 そう言って非難がましく唇を尖らせた。

 あの頭の固い神官長からネチネチいびられた事は、確かに可哀想だと思う。

 しかし、フェイは昨日の一件で骨身にしみて悟ったのだ。同情や善行、愛だの友情だのがどれほど身を滅ぼす存在なのかと言うことを。


――そう、必要なのは悪だ! 冷徹な悪の心なんだ!


「うるせぇ、俺の知ったことか」


 この悪態にルナは目を丸くして驚いた。

 普通ならばここで素直に謝るだろうフェイが、まさか悪態をつくなど思っても見なかった事だ。


「どうしちゃったの? なんか、変だよ。本当にフェイなの?」

「……いいや、もう俺は昨日までの俺じゃない。俺は変わったんだ――冷酷な、悪党にな」

「プッ」

「……今吹いただろ?」

「ご、ごめん。なんかフェイってば可愛くて。あははははっ」

「…………」


 まぁ、いい。いつか名前を聞いただけで血も凍りつくような大悪党になってやる。

 そうフェイは心の中で誓った。


「ところで、コノハから『ごめん』って伝言を預かったんだけど、なんだったの?」

「さ、さあな」

「あー! やっぱり何かあったんでしょ? コノハ、すごーく沈んでたよ。ちゃんと話し合ったら?」

「ふん、うるせえ」

「ちょっと、フェイ! いい加減にしなさい!」


 激しく食い下がるルナに、優しい言葉だけはかけまいと気を引き締める。

 冷徹になるには、ここが我慢のしどころなのだ。


 そんな生産性のない争いを断ち切ったのは、さらなる来客だった。

 ノックとほぼ同時にドアが開け放たれ、目の細い人の良さそうな男が入ってくる。


「よぉ、フェイ――なんで怪我が増えてるんだ?」

「クロフ、聞くな、頼む」

「……そうか、お前も大変なんだな」


 フェイの目に少し光る物を見たせいか、クロフは哀れんだ目を向けただけで、それ以上は聞かなかった。

 ルナに一言挨拶をしたクロフは、フェイの寝ているベッドの脇にイスを持ってきて座る。

 衛視用の白鎧を来ていないところを見ると、今日は非番らしい。


「っと、そうそう。まずはフェイに報告しないとな」

「報告?」

「ええとな、とうとうレンファがな、その……結婚を承諾してくれたよ」

「おおっ! 本当かっ! ――イタタ、くそっ、おめでとう!」


 悪になると頑張っていたフェイの氷の仮面は、幼馴染の朗報によってあっさりと砕け散る。

 体中が痛いのに、それでもフェイは笑顔が止まらなかった。


「おいおい、フェイ。安静にしてろよ。でも、ありがとな」

「これが安静にしてられるかよ! でも、ずいぶん早いな。さすがに昇進はまだじゃないのか?」


 クロフは鼻を人差し指の裏でゴシゴシとこすり、目をさらに細くした。

 昔から変わらない、照れているときのクロフのクセだ。


「いや、それがな、城にセシリア様の迎えを呼びに行った時な――」

「そうだ! あん時は領主なんて呼びやがって。お陰で思いっきり殴られたじゃねえか!」

「いや、それは俺のせいじゃないぞ。門番にセシリア様の名前を出したら、領主様が飛んできたんだからな」

「ぐっ――」


 確かにクロフに非は無いため、フェイは押し黙った。

 隣で聞き耳を立てていたルナが、何か言いたそうにフェイを見ているが、無視することにする。

 クロフはコホンと咳払いをすると、鼻をもうひと撫でした。


「それとだ。結局、領主様には本当の事を報告したんだよ。セシリア様を助けたのはリア=フェイロンだってな」

「はぁ? なんでバラしたんだよ、もったいない。しかも、それで何でレンファと結婚って話になったんだ?」

「実はな、門兵にセシリア様の事を報告したら、領主様がすごい剣幕で出てきたんだ。そのあまりの真剣さに、ふと我に返ったんだよ。このまま嘘をついていいのか、これでレンファと結婚できたとして、自分は後悔しないのかってな」


 そこまで聞いて、正義感の強いクロフらしいとフェイは苦笑を浮かべた。

 思えば7年前、コノハと3人でチームを組んで遊ぶようになってから、クロフはすっかりコノハの正義感に感化され、ついには衛視になってしまったのだ。

 そう言えば、クロフの初恋の相手はコノハだったことを思い出す。

 散々アタックにつき合わされ、お陰で散々な目にあったが、今では懐かしい思い出だった。


「……でな。気が付くと領主様へ正直に報告しちまってたって次第だ。それを今朝、レンファのヤツに話したらなんか感動してくれてさ、『男は誠実な一番』とか言って、結婚を受けてくれたんだよ!」


 少し恥ずかしそうに語るクロフの表情は、本当に嬉しそうだった。


「まぁ、レンファもきっかけが欲しかっただけかもな……って、何でルナが泣いてるんだ?」

「だって、素敵じゃない」


 こっそり盗み聞きしていたルナは途中からは堂々と聞き始め、今ではハンカチ片手にポロポロと泣いている。

 フェイには理解できない涙だった。


「まぁ、とにかく良かったな。クロフ」

「ありがとう。レンファのヤツも覚悟を決めたら決めたで、今朝から会う人会う人に報告しててさぁ」

「そうか――って、まさか俺の事まで言ってないだろうな?」

「いや、むしろお前のセシリア様誘拐救出劇の方がメインでな」

「ふっ、ふざけるなっ! ぐっ、いってぇ……」

「もうフェイってば、安静にしなきゃダメじゃない。で、クロフさん。フェイとセシリア様の話って?」


 きらきらと瞳を輝かせて聞くルナに、クロフはほいほいと事実を話し始めた。結婚が決まって嬉しいのか、口に油でも塗ったようだ。

 もっとも、クロフには今日の午前中のやり取りは知られていないはずだ。

 婚約だのゴルゴン討伐だの、ルナには絶対に話せる事ではなかった。


――はぁ、嫌なこと思い出しちまった。いっそこの街から引っ越して……そうだ! ゴルゴンに入団しちまえばいいんじゃないか!


 そんな事を考えながら、病室の外を吹き抜けの窓越しに眺める。

 そこには昨日と同じ『子猫が欠伸をしそう』な穏やかな午後が広がっていた。

 急にエルカーナが懐かしくなる。


――でも、俺がいなくなったら、エルカーナはどうなるんだろうな


 エルカの悲しそうな顔を思い浮かべ、フェイは首を振ってゴルゴン入団などと考えた自分を恥じた。


 しかし、もしフェイがこの時エルカーナ店内で繰り広げられている会話を聞いていたら、違う結論を出したことだろう。

 まさにこの時、クエスト屋エルカーナの応接室では、店主のエルカと竜馬のような厳しい顔の偉丈夫とが話し合っていたのだ。


 竜馬顔の偉丈夫は、研ぎ澄まされた肉体をシュバート国の正規軍服で包んでおり、その腰には使い込まれた剣が息を潜めている。

 しかし、対するエルカの顔は、完全に気を許した穏やかなものだった。

 腕を組み、笑みすら浮かべて口を開く。


「今フェイがエルカーナからいなくなると、経営上かなり困るのだが、その可能性はないと?」

「ご安心下さい、殿下。リア=フェイロンがゴルゴンに入る可能性は、砂漠の砂粒ほどもありません」

「師父、何度も言っているが私はもうラドクリフ公爵家の一員ではない。エルカと呼んで欲しい」


 師父と呼ばれた偉丈夫は、厳つい顔に朗らかな笑みを浮かべた。

 無論、一般人が見れば物騒と形容して許される笑顔である。


「私にとって殿下は殿下です。10年前と何も変わりませぬ」

「ふむ、城を出て少しは変われたと思っていたのが……」

「それは地が出ただけでしょう」


 かつて師弟であった二人は豪快に笑い合った。

 いま来客があれば、この偉丈夫二人の間に割り込むにはよほどの勇気が要ることだろう。


「それはそうと、父上が無理難題を吹っかければ、フェイとて盗賊団に入りたいと考える可能性もあるだろう。何故それは無いと言い切れる? 私が知る限り、あいつほど盗賊として優秀な人間はいないぞ」

「ずいぶんと評価されていますな。まあ、ご安心下さい。先ほどセシリア様のご命令で、街中に連絡板を立てましたので」

「なんと! セシリアの命令でか!?」


 エルカの声が裏返る。

 引っ込み思案で自分の意思もろくに話せなかった妹が、街中に連絡版を出すような行動に出た。これはエルカにしてみれば、『猫が話す』ほどに驚くべき事だったのだ。


「恋を知ると女とは変わるものだな……で、その内容は?」

「セシリア=ラドクリフの婚約者リア=フェイロンがゴルゴン討伐を成し遂げるまで、ゼクス領民はこれを全力で支援すべし、と」

「ほぉう、今夜は街中の食卓でオカズにされるだろうな。いやいや、少しフェイが可哀想ではあるな」


 可哀想と言いながらエルカの顔はニヤニヤと実に楽しそうだった。

 対する偉丈夫は心底意外だと憤慨してみせる。


「可哀想な事などとんでもない! セシリア様のご寵愛をこれほどの受けるなど、男冥利に尽きると言うものでしょう――もっとも、この事はゴルゴンどもの耳にも入っていましょうな」

「……なるほど、そうなればフェイが入団するなどとても無理、か。ひょっとして師父はフェイのことが嫌いか?」

「リア=フェイロンなる名は、この『風のガラム』が手塩にかけた殿下を下町へ誘惑し、あまつさえ娘同然のセシリア様のお心をさらった不届きな盗人、と記憶しております」

「ふむ、相違ない」


 エルカは頷くと、歪んだ笑みを口元に浮かべる。

 それはフェイなど届きもしない邪悪な笑みであった。


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