伊達や酔狂で探偵役やワトソン役はいない
ではディティールについて。
まずはキャラクターです。
あ、その前に、基本的なところを押さえておくと、小説っていうのは基本的に次のどれかです。
1.一人称
2.一人称よりの三人称(三人称だが誰かの視点に近い)
3.完全な三人称(神の視点)
さて、この時点でミステリ、推理小説的には結構きついのが一つありますね。三番目の完全な三人称、神の視点です。神にとっては謎はないですからね。
ということで、完全な三人称のミステリ、推理小説がないことはないですが、基本は上の二つです、やっぱり。
さて、となると、主人公、つまり読者の視点となる登場人物が必要になります。
ここで、それを探偵役にしてしまうと、少し難しい。
というのも、探偵役は当然謎を解く役なので、物語の途中から色々なことに気づき、的確なところを観察、注目し、色々と考えるわけです。
結局真相に至る推理については展開上、最後の方になってから口にするわけですけど、当然いきなりその推理が出てくるわけじゃなくて、過程があるわけです。
その探偵役の視点を読者の視点にすると、過程が結構ばれやすいんですよね。つまり、謎が作りにくい。途中でばれちゃう可能性が高いわけです。
そんなわけで、探偵に付き添っていて、探偵が何かに気づいていても気づけない役=ワトソン役が、読者の視点として活躍する構造が多いんですね。
ヒントがあるのに気づけない、探偵が推理を発表するまで真相が全く分からない、つまり作者にとっての理想の読者=ワトソン役という構造があって、それゆえワトソン役が主人公格になるとも言えるかもしれません。
あと、探偵役が一人で黙々と捜査と推理をするのも退屈なので、受け答えをするパートナーとしてワトソン役の存在が必要というのも当然あります。
ちゅうことで、逆に主人公をワトソン役ではなく探偵役にする場合は、結構注意しないといけません。探偵役のキャラクターを最後の最後まで真相に気づかない凡人寄りのキャラにするとか、構成を工夫して探偵役が気づいたことを読者に分かりにくくするとか。
あと、探偵役を主人公にしにくい理由としては、探偵役が大抵奇人変人だから読者が感情移入しにくというのもあります。
さて、多くの推理小説で、ワトソン役に比べて探偵役のキャラクターが強烈な変人キャラが多いのにも理由があります。
まず、読者にとって理解しにくいキャラにして探偵役の推理の過程を読者から見えにくくする。
そして、次が結構見落とされがちなのです。
ミステリ、特に推理小説になるとそこで起こる事件は不可解で、場合によっては猟奇的だったり悲惨だったりします。
そういう事件を、己の頭脳と精神だけで推理し、解決するという探偵役は紛うことなく「異常者」なのです。
特に素人探偵の場合はそれが顕著ですね。仕事でもないのに、何の義務も権利もないのにそんな常人なら目を逸らすような事件にも挑んで、真相を暴いてそれを犯人に突きつける。普通じゃありません。
推理小説は小説なので、小説的物語的にもクオリティが高くあるべきであるのは前も言いました。
その中で話の流れやキャラの言動、思考、動きは自然であるべきですが、探偵役はぶっちぎりで「不自然」なキャラクターなわけです。
ということで、常人キャラにしてしまうと、キャラは常人なのに事件に関して「異常者」という不自然極まりない形になってしまいます。
なので、最初から探偵のキャラを異常なものにして、不自然なはずの言動、思考、動きを自然にしてしまうという手をとっている小説が多いということです。
形式を一人称にするか三人称にするか。
主人公格を誰にするのか。
探偵役、ワトソン役のキャラはどのようにするのか。
ここら辺は、実は結構重要なポイントですので押さえておきましょう。謎やトリックにも関わってきますので、メインの謎とトリックを考える時に一緒に考えるのがおすすめです。
ちなみに、神の視点のミステリも、探偵役やワトソン役が不在の推理小説も存在します。が、初心者が手を出すものじゃない気がします。




