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第四幕

 こんな戦闘行動は、久しぶりだった。悲鳴を上げる筋肉を酷使しながら、高層ビルの屋上へと降り立ち、へたりこんだ。

「ぶはぁー! こんな動いたの何十年ぶりだよーっ!」

「お姉さん強いんだねぇ……」

 感心するように言うめぐみに対して、コンクリートの上に座り込んで休憩している菖蒲は、ちょっと不本意そうに頬を掻いた。

「……強くないよ。腕力ばっかり無駄にあってさ。壊すことしか出来ないもん。そんなの、強さのうちに入らない」

 言いながら、菖蒲は巫女装束の袖から見え隠れしている、包帯に包まれた自分の左手を見つめた。

「あの世、ってさ。大きく勢力が二分されてるんだよ。ウェイト様と、マルセイユ様っていう、強大な死神が総べてる。で、私はマルセイユ様の勢力に属してて。死神がそれぞれ担当する地域によって大別されてて。アジアとアメリカがマルセイユ様陣営。中東からヨーロッパがウェイト様の陣営、って感じ。で、私人間だった時に日本に住んでたから、必然的にマルセイユ様直下の死神になったんだけど。この二人がまた仲が悪くて! 同じ死神なのに、仕事に対するポリシーの違いっていうの? それで度々対立しててさ。……六、七十年くらい前かな。些細な小競り合いから大爆発しちゃった時があってさ。その時私、普通の死神じゃなくて戦闘中級死神、っていう、まあ、さっきから私ら襲ってきてる狗の人間版みたいなのやってて。そのせいで無駄に戦闘経験あるんだ」

「ふぅん?」

 長々と説明したが、まだ幼いめぐみの興味をそそるような内容では無い。適当な返事を返されちょっとだけ意気消沈してしまった。

「お姉さん、日本に住んでたんだ? いつごろなの?」

「江戸時代、って知ってる?」

「うーんと。昭和の前!」

「惜しい。いや惜しくないけど。まあ、私人間に換算すると今二百八歳だから、推測してくれよ」

「おばあちゃん!」

「黙らっしゃい! この美しいお姉さんに向かっておばあちゃんなどと……。男にはもてたんだよ。伝染病であっけなく死んだ……け……ど……」

 ふと、天を見上げた菖蒲が、絶句する。

 黒い。夜なのだから空が黒いのは当たり前だとは思うが、そんな生半可な黒さではない。先ほどまで空で瞬いていた星が消滅していた。遠くを見ると星は見える。この上空だけが、丁度、ぽっかりと大穴が開いたように、黒い。

 目を凝らすと、その黒い場所全体が、怪しげに蠢いているのが見えた。そう。まるで、何かの群れのような。

「クソが! 一体、何なんだよ!」

 転がしていた鎌を取り、立ち上がり、忌々しげにその黒を見つめる。

 狗。狗狗狗狗狗。五匹でも、めぐみを守りながらだとかなりの苦戦を強いられたはずなのに。

 その空を埋め尽くす黒全てが、狗だった。数えることすら不可能な数の狗が、こちらを向いて、牙をむいた。

 黒さ全体に、乱杭歯の輝きが、まるで星の瞬きのように広がって行く。

 めぐみが、菖蒲の袴をギュッと握って不安そうに見上げてくる。

 と。その黒さの中央から、一層強い光を纏った人影が下りてくる。

 菖蒲とは対照的な、どこかのお嬢様のような豪奢な金髪に、フリルをふんだんに使った黒い西洋ドレスを身に纏った、フランス人形のような外見の少女。気の強そうな猫目から発せられる眼光が、菖蒲を射抜いた。

 そして、その左手に持つ、死神の象徴たる鎌は、血が滴ってきそうな、鮮やかな赤。

 高いところから、菖蒲を小馬鹿にしたような表情で見下ろしてくる。

「こんにちわ、同業者さん」

 だが、その表情とは裏腹に、少女は丁寧にスカートの裾を両手でチョンと摘まんで、深々とお辞儀を菖蒲に向けた。そして、顔を上げ。

「早速ですが、順当な内容を要求します。その子を渡して貰いましょうか」

 丁寧な台詞の陰に混じる、侮蔑の色。割と短気な菖蒲の神経を、逆なでする。

 しかし、そこはグッとこらえ、考えた。彼女の台詞通り、菖蒲も予想はしていたのだ。めぐみが、この戦闘の要因だ、と。

 どんな要因かは分からない。しかし、これだけはわかる。この少女に渡すわけにはいかない。マルセイユ陣営の人間にこうして敵対的行動を取るのは、ウェイト陣営の死神しか有り得ない。

「そんなの、断るに決まってるじゃない?」

 強がりのように、フンッと鼻で笑う菖蒲。逆に少女を挑発するような態度を取ると、その外見通り、プライドが高いのか、あっさり交渉の決裂を告げた。

「ならば、順当に、力ずくで奪わせて貰いますね」

 言って。少女は上方へと移動し、右手を上げた。そう、まるで戦国時代の武将が、兵卒に突撃を告げる直前のような――。

「伏せてろ! めぐみ!」

 言って。菖蒲は、袴にしがみついていためぐみを突き飛ばした。

 尻もちをついためぐみが、泣きそうになりながらその場で縮こまるのを確認もせず、巫女装束の上半身を肌蹴た。袖から両腕を抜くと、戦争の名残であろうか、傷だらけの右腕と、肩口まで包帯で覆われた左腕、そして、サラシを巻いた平たい胸と、健康的なゆるい括れを見せる白い腹と中央に穿たれた臍が露わになった。

 それと、同時だった。少女が、上空で右手を振り下ろす。一気に、上空から、狗が津波のごとく、大気を凌辱するかのような密度を孕んで、殺到してくるのを、菖蒲はため息交じりに見つめ、左腕の包帯に手をかけた。

 結び目を解くと、一気に締め付けが緩み、包帯が地面に落ちてその腕が露出する。

 白い腕を侵食する、黒い模様。その模様は、見ていると精神的に不安定になってくるような禍々しさを孕んでいた。

 菖蒲は、左手に意識を集中させ、掌を狗の群れに向けた。

「ぐっ!」

 迸る。爆発するように、一瞬で周囲を埋め尽くす、黒いガス。

 黒。圧倒的な、黒。狗の黒さなど、比べ物にならない、光を全て吸収しているかのような黒。

 それと同時に腕に走る、鮮烈な痛み。血が出ているかと錯覚するほどのそれが、腕から、菖蒲の脳髄を電撃のように直撃する。

 気絶しそうな痛みを無理やり噛みつぶし、左手を掲げ続けると、現れる。その黒いガスに、鮮やかなまでにぎらつく、二つの真紅の相貌が。

 無形だったガスがやがて形取る、龍。菖蒲の左腕から、塔のような巨大な角を生やした、更に巨大な龍の頭部が生えていた。

 菖蒲は、その龍を、狗の大群へ向け、手を開く。連動し、龍の口が開く。菖蒲の体よりも数十倍、数百倍のの大きさを誇る龍の顔、それよりも更に数十倍の大きさまで、顎門が八方向に展開される。野球場くらいの、広大な、黒々とした口腔が展開され、突っ込んでくる狗を迎え撃った。

 一口。顎門を、一度閉じる。ただ、それだけのことで、無数の狗が食い荒らされる。咀嚼するまでも無く、一口、一飲み。

 もう一口、と、大食な龍が顎門を開く。その口腔内には、既に狗達のの姿は無かった。

「あああああ!」

 更に龍の首を伸ばす菖蒲。左手に走る激痛に顔をしかめ、それを紛らわすように大声を発しながら、三分の一ほどが一度に食い殺された狗の群れの一角へと、龍を侵食させる。

 一口。顎門を、閉じる。一飲み。更に左腕の痛みが強まり、黒が、菖蒲の体を侵食する。健康的な色をしていた肌へと、まるで呪詛のように、龍の紋章が上半身へと広がる。

 限界だった。これ以上狗を取りこむと、自分が龍に食い殺される。今にも気絶しそうな痛みを押さえつけながら、突き出していた左手を鎌の柄に添え、構える。

 次の瞬間から、鎌を、龍が侵食する。“黒”で構成されていた龍の形が、変形していく。元々の龍の大きさと、喰った狗の分を追加した、更に、更に巨大な鎌が、構成される。柄の長さはおよそ二百メートル。刃の長さはおよそ百五十メートル。非常識なまでに巨大な漆黒の鎌が、菖蒲を始点にして構成される。

「しっ、死ねええええええ! ちくしょうどもがあああああ!」 

 鎌を。菖蒲が振るう。菖蒲自身は、通常サイズの鎌を振っただけ。それをトレースした動きで、巨大な鎌が、猛烈な先端スピードを誇る、暴力的なまでの破壊力の権化となって襲いかかった。

 残存する狗が、弾け、砕け散って行く。

 そして、その刃は狗だけに飽き足らず、狗を使役していた少女をも、巻き込んだ。

「きゃっ!?」

 割と可愛らしい悲鳴を上げた少女が、鎌を構成する闇へと消え失せた。

 鎌が形を崩し、周囲を覆っていた黒いガスが徐々に晴れて行く。

 先ほどまで隠れていた星が、月が、今ははっきりと見える。

「ふー……ふー……」

 鎌を振りぬいた菖蒲が、鎌を投げ出し、小刻みに震える左腕を見つめた。喰った分は全て鎌と一緒に吐き出したらしい。先ほどまで黒かった場所は白になり、龍の紋章だけが左腕に残っている。

「お、おわっ、おわ、った?」

 全身から力が抜け、その場にへたり込んで、天を仰いだ菖蒲に、しかし、信じられない光景が目に入った。

 中空に浮いている、黒い球体。菖蒲の必殺の一撃を。死神同士の戦争で、大量破壊兵器扱いされた菖蒲の全力に、耐えた。

 菖蒲が絶望すると、同時。その球体が弾け、中から現れる、狗を使役していた少女と、一人の男性。ジーンズに、地味な色合いのシャツに茶髪のサラサラの髪をした、優男だ。

 しかし、その男性を見て、菖蒲は更に驚愕の色を強めた。

「マルセイユ様!?」

「あ。おとうさーん!」

 菖蒲とめぐみの声が重なる。しばしの沈黙。菖蒲がめぐみをギョッとした表情で見つめており、優男と少女は楽しげに笑いながら、菖蒲とめぐみがいるビルの屋上へと降り立った。

「やあやあ、めぐみ。久しぶりだね。ごめんなー、あんまりお見舞いに行けなくて」

「わーい! おとうさーん!」

 と。めぐみは、菖蒲がマルセイユと言った優男に駆け寄って、そのまま胸へと飛び込んだ。傍から見ればほほえましい光景であるが、完全に置いてけぼりな菖蒲はその場で唖然とするしかなかった。

 まるで漫画のようにめぐみを抱いてクルクル回っていたマルセイユが、じゃれつくめぐみを諭しながら、菖蒲の方に向き直り、一層楽しげな笑みを浮かべた。

「菖蒲。流石だな。久々に見応えのある奮迅ぶりだった」

「……状況を把握できませんが、マルセイユ様」

 そう。彼こそ、菖蒲が所属する勢力の長である死神、マルセイユであった。

 そして彼は、戯れでこの世に家庭を持つような変な死神であった。菖蒲もそれを知っていたが、まさか、めぐみが彼の娘だったとは考えも及ばなかった。

 彼自身の外見は少し日本人離れしているが、めぐみはおそらく日本人の母親の血を多く引いているのだろう。そう考えると違和感も無い。

「いや、なーに。長いこと平和が続いていたから、色々となまっているのではないかと思ってな。それに、最近またウェイトと喧嘩してな。ひょっとしたら“戦争”の再来になるかもしれんから、その気付け薬も兼ねた、サプライズイベントということだ。……彼女の使役、なかなかだろう? あの規模で戦闘下級死神を操れる者などそうそうはいないぞ」

 そう言って顎で示す先にいる、先ほどまで菖蒲に戦闘死神の狗をけしかけてきていた少女が、先ほどまでの挑戦的な態度をどこかに隠した、育ちの良いお嬢様、といった雰囲気を身にまとい、一つお辞儀した。結局は彼女も、同じ勢力だった、というわけだ。結局は、全てが茶番劇であった。

 菖蒲は、何度目かわからない、深い深いため息をついた。自分はサプライズイベントで殺されかけたのか、と。

 我が上司ながら、手の込んだ悪戯が大好きなのはたまったものじゃない。死神ウェイトとの不仲もマルセイユの道楽好きが原因という声があるのも、菖蒲は今この瞬間、ものすごい勢いで納得してしまった。

「まあ、お疲れさん。今日はもうそのままあの世に上がっていいぞ。お前が放りだした死亡同意書もちゃんと回収してあるからな。ああ、そうそう。まあ、だいぶ無理しただろうから一週間の休暇を与えよう。以上」

 言って。マルセイユはそのまま、あの世へと、めぐみの魂を連れて上がって行ってしまった。

 先ほどまで敵対していた少女も、ペコっともう一度お辞儀をし、上がって行く。

 ものすごい脱力感。普段の彼女なら啖呵の一つでも切りそうなものだが、そんな元気も無く、肌蹴ていた巫女装束に袖を通し直し、コンクリートに落ちていた包帯と鎌を持って、あの世へと上がって行った。

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