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元遊び人のゾンビ伯爵に求婚されたので、文官として契約結婚したら溺愛が始まりました

掲載日:2026/09/05

「お願いだから俺と結婚してぇええええ!!」


 ある日、わたしことシシリー・メラントはゾンビのような男に求婚された。

 この顔は……たぶんレオン・ハルバルト。一年前に伯爵家を継いだはずの騎士だ。

 彼との接点はたまーに


「これ経費で落としてよぉ!!」


「ただの文官に無茶言わないでください」


なんて色気のいの字もない会話だけだったはずなのにどういう風の吹き回しだろうか?

 彼を観察する。

 明るい茶色の髪はパサパサで、肌は土気色。目の下の隈はどす黒く、げっそりとこけた頬。騎士の制服を着ているのに、どう見ても細い。殴ったら折れないか心配になる。

 ただ、緑眼だけはまだ光が宿っていた。


「レオン様、どなたかとお間違えでは?」


「シシリー嬢に頼んでる! いくら俺でも間違えないよ!」


 ますます意味がわからなくなった。わたしが首を傾げると、レオン様はがしっとわたしの両手を掴んだ。


「ちゃんと説明するから、断らないで!」


「それ、脅迫では……?」


 手を掴まれたままだけど、わたしは一歩下がった。すると、レオン様は一歩半距離を詰めてきた。距離が、近い!

 ともかく、このままではスッポンのように離れなさそうだからわたしは話を聞くことにした。


「それで? なぜ親しくもないわたしに求婚を?」


「俺には、君が必要だから!」


「必要……」


 間髪入れずに返された言葉を反芻する。


「そう! 君じゃなきゃ駄目なんだ!」


 一年前に伯爵家を継いでから目に見えてやつれてきたレオン様。確か、領地の経営もこの一年で傾いてきたはず……。


「それはわたしが『メラント子爵家』の者だからでしょうか?」


「あと『俺に興味なかった』ことも、理由」


 わたしは目を瞬いた。求婚しているのに、自分に興味がないという条件はどういうことなのか。


「ほら、俺ってものすごい美形でしょ?」


「……今は見る影もありませんが」


「ともかく! 家では安らぎたいの。静かに、ちょっとでも寝たい……。だから、『メラントの黄金』っていわれている君が欲しい」


 納得した。


「つまりは、文官としての能力を買われての求婚ということですね? 素直に補佐官に雇いたいって言えばよろしいのに」


「補佐官じゃ結婚して辞めちゃうじゃんかぁ……」


「配偶者を無期雇用の労働者とお考えで?」


 なかなかひどい考え方をするものだ。わたしが半眼で睨みつけると、レオン様はうっと気まずげに顔ごと逸らした。


「それに、補佐官として雇ったんじゃ、最終的に判断をするのは俺になる。領民をこれ以上飢えさせるわけにはいかないんだよ」


 つまり、ご自分の経営判断に自信がないということか。


「結婚すれば、夫人にとっても領地を富ませるのは義務になるから。君なら真剣に考えてくれるだろう?」


 落ち窪んだ目でじっと見つめられた。わたしも見つめ返す。目は逸らされなかった。


「まあ、いいですよ」


「え、ほんと?!」


 レオン様の土気色の肌に赤みが差した。


「ただし、条件があります」


 わたしはずっと掴まれていた手を外し、ぴっと人差し指を立てて見せた。


「まず、先代ハルバルト伯爵が主導で開発した種麦をメラント子爵家へ融通してください」


「ちょ! あれはうちの虎の子なんだけど?!」


「……メラント子爵家にうまみがなければ、父は説得できませんよ?」


「うう、わかった。君を手に入れるための条件なら仕方がない」


 レオン様はしおしおしていたけど、わたしの提示した条件を受け入れた。


「……でも、自分で言っといてなんだけど、本当にいいの? 俺、自信あるのは顔だけだよ? 仕事も大してできるわけじゃないし」


「それは存じ上げております。……わたし、結婚願望ないんですよね」


「そうだったんだ。確かにそうでもなきゃ顔も頭もいい君が『御局令嬢』なんて言われるわけないか」


 貴方と違って顔は別に良くないけど。わたしは今二十二歳。この国の適齢期は十六から、遅くて二十歳まで。レオン様も二十四歳なので、とっくに行き遅れ同士だ。

 

「先日、とうとう父が二十も上の殿方の釣書を用意したのに気づいたんですよね……」


「つ、つまり、君にとっても渡りに船……?」


 レオン様がゴクリと生唾を飲み込んだ。


「そうなります。あと、わたしは仕事は辞めません」


「え、大変じゃない?」


「ある日突然、『この子は貴方の子です』と子を連れた女性が乗り込んでくる可能性もありますので」


「うぐっ。ひ、避妊はしてたよ……?」


 完全に否定できないところがクズだなと思う。

 まあ、それでもいい。


「わたしに伯爵夫人としての仕事以外は求めないでくださいね」


「うん、君も俺を愛さなくていいよ。だから、お願いだから俺を見捨てないで……」


 こうして、お互いの利害が一致した結婚が決まった。わたしはこれでもう『結婚しろ』と言われないことに安堵していた。

 人を好きになることなど非効率で面倒だと思う。

 だから、レオン様とは婚前契約書を作成した。『お互い、愛は求めないこと』。まさかこの契約書のせいで、夫から何度も『お願いだから、結婚してぇええええ!!』と求婚される羽目になるとは、このときの私は知る由もなかった。



※



 わたしは無事にシシリー・ハルバルト伯爵夫人になった。

 お父様はハルバルトの麦を手に入れられた上、わたしの結婚問題が片付いてご満悦だった。


「いやぁ、うちのシシリーを選ぶとは噂は当てにならんもんですなぁ」


「ははは」


 レオン様は乾いた笑いしか出てこないようだ。『お父様、噂は本当』なんて無粋なことはもちろん言わない。

 一年前のレオン様は本当にお顔が良くて、数々の浮き名を流していた。

 軽い男に群がる女性の趣味はわからない。


「うちのシシリーはなかなか結婚しなくて。ハルバルト伯爵と結婚すると言われたときは驚きました」


「私の人生にはシシリー嬢が必要でしたので、懇願したのです。どうか結婚してほしいと」


 あ、『私』って言った。いつも軽い口調すぎて敬語を使えるとは思わなかった。いや、これは失礼すぎか。


「まあ、情熱的なのね!」


 お母様が喜んでいる。……まさかとは思うけど、社交界で言いふらされないよね、これ。

 レオン様は意外と卒なくわたしの両親の会話に答えていた。横から聞いていると、熱烈なプロポーズを受けたことになっていた。

 ……確かに熱烈ではあった。愛ではないけど。


「シシリーちゃんのどこが好きになったのかしら?」


 うあ! 人前でちゃん付けはやめてほしいとあれほど言ったのに!

 お母様は頬を上気させて、レオン様に質問を投げかけていた。


「私への態度が一切変わらなかったことですね。女性は私の顔を見て、勝手に期待するのにシシリー嬢はまったく変わらなくて。かといって、私が事務仕事で行き詰まると親切に教えてくれるんです。そのときに、彼女はとても公正な人なのだと感激しまして。あとは一度気づいてしまうと、もう……」


 レオン様が頬をかいた。げっそりとやつれている。浮かべる笑顔が痛々しい。

 お母様はとても楽しそうにあれこれ聞き出していた。


 わたしの家からの帰り道。レオン様がそわそわとしていた。


「……なんですか?」


 あまりにも気持ち悪いので、早めに原因を絶とうと話しかける。


「いや、本当に結婚式しないのかなって」


「いりませんよ。行き遅れ同士の結婚式なんてどういう見世物ですか。内輪のお披露目だけで十分です。だいたい、これは契約結婚でしょうに」


 私がそう言うと、レオン様は眉尻を下げた。


「君の婚礼衣装を着た姿は美しいと思うよ。見世物なんかじゃない」


「わたしを口説かなくても結構です。仕事はちゃんとやりますので」


「そういう意味じゃないんだけどなぁ」


 レオン様が頭をボリボリとかいた。じゃあどういう意味だと聞くと面倒くさそうなので流してしまおう。


「レオン様、ご家族のお墓はどちらにありますか?」


「え? 馬車で二十分くらいのところにあるけど……」


「それでは、今日はもう日が暮れてしまうので改めてご挨拶に参りましょう」


 そう告げるとレオン様は首を傾げた。


「あい、さつ?」


「ええ、わたしの家族に会っていただいたので、今度はレオン様のご家族の番ですよね?」


 なぜか不思議そうにしているので、わたしはレオン様に説明する。数瞬、固まったかと思ったら今度はぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。


「あ、ありがど〜〜〜!!」


 わたしは殿方が人前で大泣きするのを初めて見て驚いた。ハンカチを差し出すと、レオン様は雑に目を拭いた。力を入れすぎて、目元が赤くなっている。


「お墓、忙しすぎてほとんど行けてなかったんだ。嬉しい」


 それから、ぽつりぽつりとご家族のことを話し出した。


「俺の両親、俺が小さいころに亡くなってるんだよね。だから、歳の離れた兄上が俺の親代わり。兄上はとても優秀で、甥っ子も兄上に似てて本当に優秀でかわいい自慢の甥っ子だった」


 どこか遠いところを見つめて、レオン様は続けた。


「義姉上もこんな俺に優しくて。俺、ずっと兄上家族に甘えてたんだ。……だから、まさか事故で全員亡くなるなんて思わなくて」


 じわりとまた涙が溢れている。その顔のまま、レオン様はこちらを向いた。


「ねえ、シシリー嬢。ハルバルトに嫁いでくれてありがとう。……大事にするから捨てないでね」


「そうですね。福利厚生は大事です」


「そこ?!」


 わたしの言葉にレオン様が驚いている。いったいそれ以外になにがあるというのか。


「まさか、馬車馬のように働かせるおつもりで……?」


「違うよ! 違うけど……!」


 レオン様の中ではなにかが違うらしいけど、説明できないようだ。しばらく百面相をした結果、うまい言葉が見つからなかったらしい。


「もういいや……。とりあえず、明日はお墓行こう」


「承知いたしました」


 わたしの言葉にレオン様はがっくりと肩を落としていた。……意味がわからない。


 翌日、二人でお墓に訪れた。枯れ葉や砂ぼこりで汚れてしまっている。

 最初に二人で掃除をしてから花を手向けた。

 わたしが心の中で挨拶をし終わっても、レオン様はまだ長い間祈りを捧げていた。わたしはそれを静かに見つめた。


「……ああ、待たせてごめんね。久しぶりだから話したいことがたくさんあって」


「構いません。大事なことです」


 わたしがそう言うと、レオン様は嬉しそうに目を細めた。


「やっぱりシシリー嬢と結婚できて良かった」


「あの、シシリー『嬢』と呼ぶのはやめませんか?」


 レオン様は急にあわあわとうろたえ始めた。わたしの言葉に振り回されすぎじゃないか、この人。


「え?! なにか気に触った?」


「いえ、一応夫婦なので呼び捨てにしてください」


「……いいの?」


「? はい」


 わたしが頷くと、もじもじしだした。……気色悪い。


「シシリー」


「はい」


「うへへ、家族みたい」


 今度は笑い出した。情緒不安定だろうか。


「家族でしょう。書類上は」


「書類上は。……なら、シシリーも俺を呼び捨てにして」


「下位貴族から格上に嫁ぐ場合は敬称をつけるのが一般的です」


 わたしが断ると、手を握られた。


「俺が呼んでほしいから、お願い。……もう呼び捨てしてくれる人はいないからさ」


 哀愁漂う表情で言われて、少し考える。視界の端に見えるのは、ハルバルト家の墓。


「わかりました。……レオン」


 彼の名を呼ぶと、本当に嬉しそうに笑った。少し、幼く見える笑顔だった。



※



 ハルバルト家で働く補佐官を紹介された。


「イアン・マクスです。奥様、よろしくお願いします」


 五十代くらいの痩せた男だ。こちらも頬がこけて、隈がひどい。レオンと並べて比べてもどちらがひどいか甲乙つけがたい。


「シシリー・ハルバルトです。こちらこそよろしくお願いいたします」


 お互いの紹介が終わり、すぐさま現状把握に取り掛かる。

 急ぎの決裁はレオンが担当し、イアンさんはひと通りの帳簿を持ってきて説明を始めた。


「イアンさんから見て、レオンは何に躓いていますか?」


「複合的な判断は苦手なようです。資料をまたがるものは、どの資料を見るべきかということがまずわからないようです。先代様は長年の経験から必要な資料を選ばれておりましたが……」


「なるほど、暗黙知での判断を失った状態なのですね。わかりました。わたしは今までの資料をさらって、その暗黙知を文書化します。イアンさんは今まで通りレオンの補佐をお願いします」


「承知いたしました」


 イアンさんの返事を聞いてから、時期的に必要な資料からまとめていく。

 領主の執務机では、レオンが唸っている。

 イアンさんがレオンの仕事を確認しに行く。


「レオン様、これは——」


 内容を確認して、いくつかの資料を渡していた。レオンはそれを確認しながら少しずつペンが進むようになった。

 確かにこれでは仕事が滞る。

 早く正常に仕事が流れるよう、整えなければならない。

 わたしはまず自分の仕事に集中した。



※



「今度からシシリー・メラント氏は、シシリー・ハルバルト氏になったので名前を間違えないように」


 室長から就業前にわたしが結婚したことの周知が行われた。

 爵位が上がるので、呼び間違えは問題になりやすい。


「えー、シシリーさん、レオン様とご結婚されたんですかぁ?」


 声をかけてきたのは、アウラ・モルブ男爵令嬢だ。文官には支給の制服があるが、シャツのボタンを必要以上に開け放している。ちらちらと谷間がのぞく状態で、男性文官が鼻の下を伸ばしているのをよく見かけていた。


「すごいですね。『淑女の恋人』をよく捕まえましたね。最近は見る影もないですけど」


 夫には妙な通り名がついているようだ。アウラさんの顔から侮る感情が透けて見える。


「確かに、今は見る影もありませんね」


 そこは事実なので同意しておく。すると、なぜかアウラさんは面白くなさそうに口を歪めた。


「あたしだったら、あの状態のレオン様から求婚されても断りますよ。シシリーさんって物好きなんですね」


「まあ、どうしてもと乞われましたので。すみません、未決の書類があるのでもうよろしいですか?」


「! 今のレオン様は貴方にお似合いですね。どうぞお幸せに」


「? ありがとうございます」


 よくわからないがお礼を返しておく。アウラさんはかっと頬を染めて、去っていった。心なしか苛ついているようだ。

 最近の若い子の機微がわからない。

 アウラさん以外にも似たような祝辞を送る令嬢がいた。レオン様は何か恨みでも買っているのだろうか。……いや、あり得そうだな。

 もう少し、この結婚に慎重になるべきだったかと後悔した。


 騎士団へ書類を届けるために通路を歩いていると、窓の外からレオンの声が聞こえた。

 誰かと話しているようだ。


「まさかお前が結婚するとは思わなかったよ。しかも、あの御局令嬢!」


「あの野暮ったい黒眼鏡だろ? しかも、茶髪に黒眼って全体が暗いじゃん。レオン、やっちまったな!」


 ずいぶんとあけすけな会話だ。男ばかりだとこうも遠慮がないのか。


「シシリーは素晴らしい女性だよ。俺がどうしても彼女と結婚したくて無理を言ったんだ」


 いつもの軽い語り口でレオンが返していた。それに対して、周りがどよめいている。


「お、お前……目が悪くなったのか?」


「失礼な! お前らが彼女の魅力を理解できなさすぎるんだろう! 俺は彼女の静かな話し方も、仕事をしているときの横顔も全部魅力的だと思ってんの!」


「ちょ……『淑女の恋人』がどうしたら肌の一つも見せなさそうな令嬢に懸想するんだよ。胸も尻もでかくないじゃん」


「だからぁ——!」


 窓から離れたので、もう話の内容は判別できない。同僚と猥談できる心の余裕ができたようで何よりだ。

 あれなら、帰ってからも仕事をする余裕があるだろう。わたしは頭の中でハルバルト家の仕事の予定を組み直した。



※



 三月ほど経つと、レオンの顔色はだいぶ回復した。

 今まで、多忙とストレスで睡眠もろくにとっていなかったらしい。睡眠がとれないことで、食欲も落ちて痩せてしまった身体は少しずつ肉付きが良くなっている。

 領の仕事もわたしが整理したことで、悩むことが少なくなり、イアンさんの負担が減ったと喜ばれた。

 レオン曰く、まだ全盛期にはほど遠いらしいが、少なくとも騎士の仕事に差し障りはなくなってきたようだ。


「レオン、ハーブティーを淹れました。休憩をしましょう」


 苦手なりに書類に取り組む姿は好感を覚える。しかし、疲れてきて効率が落ちているようなので、仕切り直しのためにお茶を淹れた。


「ありがとう! シシリーの淹れるハーブティーは美味しいね。俺、ローズヒップティーなんかは酸っぱくて苦手なんだけど、これは平気なんだ」


「他にもブレンドしているからでしょうね。わたしも酸味の強いお茶は苦手なので」


「俺と同じだね」


 嬉しそうにレオンが笑った。食の嗜好が似ていることはいいことだ。

 お茶を飲みながら、他愛のないことを話す。レオンはいつも楽しそうにしている。

 休憩を終えると、ペンを滑らせるスピードが回復していた。

 わたしはそれを確認してから、自分の担当分を片付け始める。室内には、カリカリとペンで書き付ける音と紙をめくる音だけが満ちていた。


「あ……」


 レオンの手が止まった。


「どうしました?」


 レオンの手元を見ると、王家の紋章が入った招待状。


「ああ、『夏の宴』ですね」


「去年は喪に服していたから忘れてた……。今からじゃドレスを作るの間に合わないよね?」


「新しく仕立てるのは無理でしょうね。わたしのドレスの心配ならご無用ですよ。結婚が決まった際に注文したものがありますから」


「うう……、俺が贈りたかった」


 レオンはそう言うと、机に突っ伏した。


「夫が妻にドレスを贈るのは義務ではないから大丈夫です」


「そうじゃないのに……。あ、せめて宝飾品は贈らせて!」


「それでしたら、ジゼット伯爵領のエメラルドのネックレスを。今度、取引を持ちかけたいので」


「俺の奥さんは働き者だなぁ……」


 後日、宝石商を呼ぶとレオンは長い時間をかけてネックレスを選んでいた。

 わたしはドレスに合うデザインと格が揃えば何でもいいと言ったけど、ささいな違いを気にしてわたしに当てたりするのを何度も繰り返す。そして、ようやく納得のいくものが見つかったようだ。


「俺、こんなに真剣に宝飾品選んだの初めて」


「今まで何度も贈り物はしたのでしょう?」


「兄上家族にはするけど、俺が義姉上に宝飾品を贈るわけにはいかないだろう?」


 わたしは首を傾げた。


「今までにお付き合いした女性には?」


「えー、ないない。その日を楽しく過ごせればそれで良かったから。わざわざ次に繋がることなんてしないよ」


 クズだ。刹那主義にもほどがある。


「だから、貴方が困ったときに助けてくれる令嬢は現れなかったんですね」


「うっ! ごもっともです。俺の顔面が劣化するにつれて、引き潮だってもう少し優しく引くよってくらい引いてったからね……」


 あまりな例えが面白くて、つい声を出して笑ってしまった。レオンが真ん丸に目を見開いたあと、頬を染めて嬉しそうに目を細める。


「シシリー、笑うとかわいいね」


「……だから、口説かなくても仕事はしますが」


「そういうんじゃないんだけどなぁ」


 レオンが天を仰いだ。契約結婚の妻におべっかを使う意味がわからない。



※



 夏の宴は国中の貴族が集まる大規模な夜会だ。

 早めに移動しないと、馬車の渋滞に巻き込まれる。わたしとレオンは一時間以上も早く、会場入りした。

 わたしは自分が用意したドレスを着て、レオンが選んだネックレス、さらにいつの間にか追加で購入されていたイヤリングをつけている。

 イヤリングもジゼット伯爵領のエメラルドだ。

 それらを身につけたわたしをレオンはとても満足そうに眺めていた。

 レオンはあれからさらに体調が回復していた。華やかな衣装に気圧されず着こなしている。肌艶も良くなり、こけた頬もよく見なければわからない程度になった。睡眠も食事もとれるようになったので、回復速度が上がった。


「まだ主要な家は会場入りしてませんね。休憩室に行きましょうか?」


「そうだね……あ、先にあそこの男爵家に挨拶をしてからでいい? 遠い親戚なんだよね」


 そう言った視線の先にはモルブ男爵が立っていた。


「申し訳ございません、把握しておりませんでした」


「いやいや、義姉上関係の親戚だから。もう縁が切れてるっちゃ切れてるんだけどね」


 レオンはそこで言葉を切って、少し昔を思い出すように目を閉じた。


「でも、大事な家族の血縁だから」


 彼にとって、本当に兄家族が大切だったことが伝わってくる。


「そうですか。では、ご挨拶に行きましょう」


「ん、ありがとう」


 レオンが腕を差し出すので、そっと手を絡める。見上げると微笑む顔。……回復してから殺傷能力が高い。顔面凶器だ。


「これはこれは、ご無沙汰しております!」


 モルブ男爵に声をかけると、媚を感じる声で挨拶をされた。


「なかなかお会いできず……やっと喪が明けまして。モルブ男爵、最近迎えた私の妻のシシリーです」


「シシリー・ハルバルトでございます。夫の大切な親族にお会いできて光栄です」


 わたしがカーテシーをすると、モルブ男爵は上から下までさっと視線を走らせた。

 ピクリとレオンの腕が動く。


「ああ、娘から聞いております。職場では長年ご活躍だそうで」


「ありがとうございます。アウラさんにもお世話になっております」


 まあ、まったくお世話になってはいないが。アウラさんは与えられた仕事はしてくれるが、ミスが多い。しかし、社交辞令は大事だ。


「娘は今友人のところへ挨拶に行っております。そろそろ戻ってくる頃合いなのですが……」


「え! レオン様?!」


 ちょうど戻ってきたようだ。


「レオン様、ご回復されたのですね! おめでとうございます。はぁ、麗しい……。あ、シシリーさんもいらっしゃったんですね」


「はい、妻のおかげです。アウラ嬢は妻と同僚だったんですね」


「え? ああ、そうなんですよ~。シシリーさん、ずっと結婚しなかったから仕事が恋人なのかと思ってたのに、レオン様と結婚するんですもん。びっくりしました〜」


 きゃらきゃらと笑うアウラさんと、その言葉で一瞬固まるレオン。確かに。この結婚は言い得て妙だ。


「シシリーさん、イヤリングとネックレス素敵ですね。自分で用意したんですか?」


「あ、いえ、これは夫が……」


「ふぅん、緑の宝石を、レオン様が……」


 なぜか面白くなさそうな表情で呟かれた。しかし、それも一瞬ですぐにアウラさんはレオンに向き直る。


「レオン様、あとであたしと踊ってくださいね! いつものように」


 アウラさんはなぜか『いつものように』と言うときだけわたしを見た。レオンを見ると、こちらもわたしを見ていた。


「シシリー……」


「はい。アウラさんと踊られるのですよね。わたしは構いませんので、どうぞ」


 そう言うと、今度はレオンが明らかに悲しそうな顔をするし、レオンの顔を見たアウラさんに睨まれた。解せない。


 モルブ男爵たちと別れたあとも夫婦として挨拶をして回った。

 顔面が回復したレオンへの衝撃が強いようで、その反動がわたしに返ってくる。

 わたしは淡々と質問には答えを、嫌味は流し続けた。

 女性からの風当たりは特に強かった。さすがは『淑女の恋人』だ。


 王族の開会の挨拶が終わると、音楽が奏でられ始める。人々は大広間の中央に移動し始めた。


「シシリー、俺たちも踊ろう」


「ああ、最初のダンスはパートナーとですものね」


 縁がないので、すっかり忘れていた。わたしはレオンの手に自分の手を重ねた。

 中央に移動すると、ちょうどダンスが始まるタイミングだ。レオンと向かい合って、ホールドをとる。親族以外の殿方と踊るのは久しぶりだ。距離が普段よりも近い気がした。

 ステップを踏み始めると、レオンのダンスがとても上手いことがわかる。踊りやすい。


「シシリーとダンスができて嬉しい。こんなに踊りやすいのは初めてだ」


「それ、誰にでも言ってるのではないですか?」


「違うよ……」


 くるりとターンを決めて、一曲目が終了した。少し、息が上がっている。他の人の邪魔にならないように移動しようとしたのに、レオンが手を離さない。


「レオン」


「ね、シシリー。もう一曲踊ろう」


 手を引かれてダンスを踊ろうとする人々の中に入ってしまった。次々と集まってくる人の間を抜けることは困難だ。


「もう……あと一曲だけですよ」


「ありがとう」


 ぎゅっと抱きしめられた。違う、次の曲はこんなに密着しない。


「ちょ」


「へへ」


 レオンはすぐ離れると正しいホールドをとる。わたしは睨みつけたけど、レオンは緩んだ顔のまま踊り始めた。


 結局、合計で三曲付き合わされた。さすがに足がフラフラする。隣で支えるレオンは笑顔のままふらつきもしない。腐っても騎士のようだ。


「さあ、シシリー。座って」


 壁際の椅子にわたしを誘導すると、近くの使用人から水を受け取って戻ってきた。

 わたしは水を受け取るとすぐに飲み干した。


「レオンとはもう踊りません」


「ごめん! 次は気をつけるから、踊らないなんて言わないで?」


 椅子に座ったわたしの足元にレオンが跪いた。上目遣いにわたしを見てくる。


「……戦闘職と事務職の体力の違いを考慮してください」


「! 気をつけるよ!」


 ぱっと笑顔を浮かべたレオンにわたしは苦笑いを浮かべた。

 なんだかんだ絆されている気がする。


「あ、レオン様! やっと見つけた!」


 アウラさんの声が近づいてきた。

 立ち上がったレオンの腕に、そのままの勢いでしがみついた。開いた胸元を腕に押しつけている。


「シシリーさん、レオン様お借りしますね。先ほど許可を取りましたから、もちろんいいでしょう?」


「ええ、どうぞ。レオン、わたしはここで休んでいます」


「……わかった。一曲踊ったらすぐ戻ってくるよ」


 レオンがわたしの頬をさらりと撫でてから、アウラさんをエスコートする。アウラさんがわたしのことを親の敵かってくらい睨んでるんだけど。

 二人が去っていくと、周りが少し静かになった。椅子に座ったままぼーっと踊る人々を眺める。疲れた。正直もう帰りたい。


「ああ、楽しかったです。ねえ、レオン様、どうしてもう一曲踊ってくれないんですか?」


 しばらくすると、アウラさんがレオンの腕にまとわりつきながら戻ってきた。

 レオンは笑顔を浮かべてはいるが、アウラさんのお誘いは断っていた。


「俺の奥さんを無理させちゃったから、心配なんだ。アウラ嬢はまだまだ楽しんで」


 そう言ってさっさとアウラさんから腕を離し、こちらに歩いてきた。


「シシリー、少しは回復した?」


「そうですね。ジゼット伯爵に声をかけられそうなくらいには」


「あ、そこはブレないんだね」


 わたしは無事にジゼット伯爵に声をかけ、後日詳しい話をする予定を取り付けた。



※



 レオンのお顔が完全復活したことが知れ渡ると、途端に招待状の数が激増した。

 中には、レオンだけを名指しで誘う露骨なものまである。

 レオンはその一つ一つに丁寧に断りを入れ、必要な夜会にはわたしを伴った。

 レオンの隣に立っていると、女性が彼に熱い視線を送っているのがわかる。結婚した男にいつまでも秋波を送る理由が理解できない。

 それだけ、レオンが遊び回っていたということか。

 わたしが疲れて椅子に座ると、途端にレオンのもとに女性が群がり始める。わたしの目の前でしなだれかかる猛者もいた。

 レオンは慣れているようで、さり気なく身体を離し距離をとる。


「ねえ、レオン様。奥に特別に用意した部屋がありますのよ。いらっしゃらない?」


「遠慮しておきます。妻が一人になると心配なので」


 人好きのする笑顔で丁寧に断るレオンに、一人が意味ありげにわたしを見た。


「あら、大丈夫よ。奥様、『御局令嬢』として有名だったもの。わざわざ声をかける殿方なんていないわよ」


 レオンがぐっ、と拳を作っていた。力を入れたままなのかぷるぷると震えている。

 相手は侯爵夫人。格上の相手だ。


「私が気になるのです。今まで妻の魅力に他の男が気づかなかったのは幸いですが、これからもそうだとは限らないので」


 まるで妻を溺愛している夫の台詞だ。照れたように笑うレオンに、ご婦人方のハートが射抜かれているのが見えるようだ。

 拳だけが場違いな行動をしている。器用だ。


「羨ましいわ〜。でも、レオン様は奥様のことを愛していらっしゃるようだけど、奥様の方はどうなのかしら? 旦那様がこんなにおモテになっているのに、嫉妬の一つもしていないじゃない」


 火の粉が飛んできた。ただぼけーっと眺めていてはいけなかったらしい。

 火事になってはいけないので少し火消しすることにする。


「夫のことを愛しているので。信頼しているのですよ」


 わたしがにこりと微笑むと、なぜかレオンの顔が真っ赤に染まった。

 女性の囲みを抜け出してわたしの前に立つ。


「う、嬉しい! 俺もシシリーを愛してるよ!」


 ん? レオンに言ったんじゃないんだけど。周りまで呆気に取られている。


「ええと、レオン?」


 レオンの行動の意味が理解できず、レオンの顔を見つめた。

 蕩けるような笑顔でわたしを見ている。……顔面凶器の圧が強い!


「帰ろう。必要な家門にはもう挨拶もしたし、ファーストダンスも踊った。少し早く帰るくらい、問題ないよ」


 そう言って、わたしの手を捧げ持って手の甲にキスをした。唇の熱さに、身体が震えた。

 周りの女性たちから悲鳴のような声が上がるのがどこか遠く感じる。

 レオンはわたしの肩を抱き、周りの女性たちに優雅に挨拶をして歩き始めた。肩を掴まれているわたしは自然とそれに従うことになる。

 馬車に乗ると当然のように隣に座ってきた。契約結婚の適切な距離感では、断じてない。


「レオン……? 近いのですが」


「シシリーがあの場で愛してるって言ってくれるなんて思わなかったよ」


 レオンがわたしの頬に触れた。


「ああ言えばご婦人方も黙ると思いまして」


「え……?」


「ですから、相思相愛の夫婦の演技をすれば、相手は手を出しにくくなると思いました」


 頬に触れた手がゆっくりと降りていく。


「演技……」


「? はい」


 何かまずかったのだろうか? そのあと、レオンは黙って何かを考え込んでいた。



「お願いだから、俺と結婚してぇええええ!!」


 家に帰り着くなり、レオンはわたしの前に跪いた。


「は? もう結婚してますよね?」


 もう夫婦として半年以上も過ごしたのに忘れてしまったのか。


「そうだけど、違う! 本当の夫婦になりたいの!」


「本当の、夫婦?」


 わたしが首を傾げると、レオンが頷いた。


「俺はもう婚前契約書を守れない……。シシリーが好き。愛してる」


 わたしの手をとって指先に口づけられる。目だけはわたしを捉えている。


「今だって、その唇にキスしたい。なんだったらドロドロのぐちゃぐちゃに甘やかしたい」


「え、は?」


 ちょ、なんかよくわからないけど怖い効果音で甘やかすと言われても!


「ね、離婚しよう。そして、すぐに結婚し直そう。君に触れる権利が欲しい……」


 わたしがドン引きしているのに気づかないようで、レオンはさらに言い募る。


「い、一旦持ち帰らさせてください!」


 慌てて叫ぶと、なぜかふっと目元が和らいだ。


「嬉しい。拒否ではないんだね」


「!」


 指摘されてわたしも気づいてしまった。改めて言おうとしても、拒否の言葉が出てこない。

 恋愛なんて面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なのに……。

 次の日からレオンの猛攻が始まった。


「シシリー、今日は一緒に職場へ行こうね。ほら、隣においで」


 馬車は対面に座っていたはずなのに、当然のように隣に引き寄せられる。逃れようとしても、騎士の力に勝てるわけがない。

 隣に座ると、当然のようにレオンはわたしの手に指をからめてくる。


「……触れる権利が欲しいって言ってたのに、もうすでに好き勝手触れてるじゃないですか」


「これはただのスキンシップだろ? もっと、触れたいの。いい?」


「知りません!」


 わたしがぷいと顔を背けると、隣からくすくすと笑う声が聞こえる。手は、繋がれたまま。


 あるときはドレスを誰が注文するかで揉めた。


「ぜったい、次のシーズンのドレスは俺が注文する! 大丈夫、脱がしやすいデザインは熟知してる!」


「自分で脱ぎやすいデザインくらい、わたしも理解しています」


「何言ってるの? 俺が脱がしやすいデザインに決まってるよ」


「……」


 結局押し切られて、レオンが注文していた。センスはいいのが幸いだ。


 結婚しているのに、求婚される。もう回数を数えるのが面倒になる。


「シシリー、そろそろ結婚する気になった? 俺はいつでも準備できてるよ」


 自分の頬にわたしの手を添えさせながら聞かれた。

 色気たっぷりの笑顔が近い。攻撃力が高い。


「……身の安全を守るためには現状維持でいくか、撤退するかどちらがいいか考えているところです」


「逃げるのは許せない、かな? 地の果てまで追いかけるから、覚悟して」


「ひ、ひいい……」


 じわりじわりと距離を詰められる。逃げ道がいつの間にか塞がれていることにわたしは慄(おのの)いた。



※



「だからってなんであたしを相談役に選ぶんですか?! ねえ、バカなの? バカですよね? バカにもほどがある!」


 職場に併設しているカフェテラスで、アウラさんにバカの三段活用みたいに罵られた。

 アウラさんの前には、このカフェテラスでなかなか食べられないと有名な限定ケーキセットが置かれている。わたしからの相談料だ。


「昔のレオンを知っている知り合いといったら、アウラさんしか思いつかなくて」


「確かによく知ってますけど! こう、あたしは敵認定されてないわけ?」


「アウラさんは与えられた仕事はこなすし、間違いを指摘しても文句は言いつつ、きちんと直してきますから。人間性に問題はないと判断しました」


「人事か!」


「いえ、ただの文官です」


 アウラさんが叫びすぎて肩が上下している。彼女はセットの紅茶を飲んでため息をついた。


「だいたい夫に迫られて困ってますって、ただのノロケじゃないですか。何が問題なんです?」


「あまりにもぐいぐい迫ってこられるのが、その、怖くて……。昔からそんな感じなんですか?」


「そんなわけないじゃないですか。レオン様、上手に後腐れない相手だけを『来るもの拒まず去るもの追わず』でしたよ。まあ、あたしだってキスくらいはしてもらったことありますけど」


 ツンとあごを上げてアウラさんが言った。聞けば未亡人やら愛人が複数いる夫人やら、責任を取らされる心配がない女性だけを相手にしていたらしい。クズではある。


「もー、ほんと調子狂う……。夫婦ならやることやってるんでしょう? いつまで生娘みたいなこと言ってるんですか」


「……」


「え、まさか」


「け、結婚したときは、レオンを生存させることが最優先だったので……」


 本当は契約結婚だったからだけど。さすがにそこまで開示する気はない。


「やだー! 勝ってるはずなのに全然面白くないー!」


 勝ってるって何のことだ。あ、キスか。

 アウラさんの唇を見つめた。ちょっと厚めで薄く紅を履いたつやつやの唇。


「待って。よくわかんない視線で見ないでください」


 頬を染めてアウラさんが唇を隠した。


「身体的接触は、大事なのでしょうか……?」


「まさかのそもそも論。わからなきゃやってみればいいじゃないですか、……ってだからあたしを見ないで! 怖い!」


 ぶわっと二の腕に鳥肌が立ったアウラさんは必死に腕をさすっている。

 わたしはアウラさんから言われたことが、頭の中を回っていた。



※



「シシリー、この書類確認してー」


 レオンが領地の産業に関する書類をわたしに手渡した。一枚ずつ内容を確認して問題がないか調べる。


「……はい、確認しました。問題ないです」


 書類を返すと、レオンがほっとしたような笑顔を見せた。最近はイアンさんがいなくても判断ができるようになった。数字の間違いはたまにあるけど。


「ね、シシリーのお茶飲みたい」


 甘えるようにねだられて、わたしは頷いた。用意をするわたしをレオンはじっと見つめている。

 淹れたハーブティーをソファの前のテーブルに置くと、当然のように隣を指し示された。


「おいで」


 たった三文字の言葉なのに逆らえない。大人しく隣に座ると嬉しそうにわたしの手をとって甲に口づけた。

 ティーカップを持って口をつける動作を目で追う。ハーブティーを飲み込んだ喉が上下する。ティーカップから口を離したあと、唇が水分で潤い、つややかに見えた。


「シシリー、どうしたの?」


 わたしの視線に気づいたレオンが顔を覗き込んでくる。


「アウラさんと、キスしたことがあると聞きました」


「ぐふっ! む、昔の話だよ……?」


「はい、存じております」


 アウラさんからも最近の話のような言われ方はしていない。


「え、待って。その話はどこから?」


「アウラさんから直接聞きました」


「アウラ嬢……!」


 レオンが頭を抱え始めた。過去の話を確認しただけで過剰な反応をされて逆に戸惑ってしまう。


「レオン、大丈夫です。昔の貴方は後腐れない相手しか深い関係にはなってないと聞いています」


「何がどうしてそんな話に?!」


「わたしが聞いたからです」


「へ?」


 レオンがぽかんと口を開けて止まってしまった。


「レオンはなぜわたしに触れたいのですか?」


「好きだから」


 即座に答えが返って来た。


「でも、触れ合う行為は愛がなくてもしていましたよね?」


「うぐっ! 昔の悪行が刺してくる!」


 わたしの問いにレオンが悶えている。愛がなくてもできるのに、愛があるからしたいとはどういうことなのか。


「……逆に、シシリーは誰かに触れたいなって思ったことないの?」


「わかりません。恋愛のことは考えたことがなかったので」


「試してみる?」


「……試して、みます」


「え、ほんと?!」


 驚かれてしまった。自分が何を了承したのか改めて気づいて急に恥ずかしくなる。


「あ、やっぱりやめ」


「だめ」


 ちゅ、と軽く唇が触れてすぐ離れた。


「どう?」


「……わかりません」


「じゃあわかるまで、しよ」


 今度は深くなった。何度も何度も繰り返されるそれに息ができない。目尻に涙が滲んだ。


「ほら、ちゃんと息継ぎして」


 わたしが酸欠になっているのに気づいて、レオンが唇を離す。肩で息をしていると笑われた。


「息ができなくて、苦しいです」


「うんうん、慣れれば上手になるよ」


 まるで幼子を慰めるように言われて、頭を撫でられる。

 レオンの顔を見ると、あまりにも幸せそうに微笑んでいた。


「じゃあ、慣れるまで頑張ろうか」


「え、ちょ」


 結局レオンが満足するまで、それは続いた。



※



「だからっ、なんであたしに報告するんですかぁ!!?」


 今日もアウラさんは元気だ。彼女の前には今月限定のパフェが置かれている。


「検証を提案されたので、報告が必要かと」


「恋愛を実証実験扱いしないでもらえます?!」


 アウラさんはスプーンでアイスをすくって一口食べた。瞬間、目が蕩けたように緩む。


「ああ、美味しい。もう何も考えずにこれだけ食べてたい……」


「それは困ります。相談料分は仕事をしてください」


「なんであたしスイーツにつられちゃったんだろ……うう、美味しいよぅ」


 アウラさんはしばらくパフェを堪能すると、わたしに視線を向けた。


「で、結局どう思ったんですか?」


「……嫌ではありませんでした。苦しかったですが」


「なんか想定よりも濃い話されてる……」


 わたしが首を傾げると、アウラさんが明らかに呆れた表情を作る。


「あのですね。あたしも男爵令嬢なので、しても軽いキスくらいだし、最後までなんてしたことないんですよ」


 またパフェを口に入れた。もう底が見え始めている。


「そういうのは、耳で知識入れてるだけです。シシリーさんは経験豊富なレオン様がいるんだから実地で教えてもらってください!」


「実地……」


「シシリーさんはレオン様とどうなりたいんですか? 今のままじゃ、レオン様も蛇の生殺しですよ。いつか我慢できなくなったらどうするんですか?」


 レオンとどうなりたいのか? 考えたこともなかった。このまま契約結婚がずっと続いていく気がしていたから。

 穏やかに仕事をして、休憩時間に二人でお茶を飲む。仕事が終われば二人で出かけたり、美味しいものを食べたり。

 ささいな喜びを積むのが幸せだと感じていた。


「あの、我慢できなくなったら、とは?」


「浮気ですよ! 浮気!」


 契約結婚だから。お互いに愛を求めないことが条件だから。誰か別の人間とキスでも、もっと先に進んでもわたしに何か言う権利はない。


「それは、仕方ない、かと」


「それ、もしあたしが今目の前でレオン様にキスしようとしても同じこと言えます?」


 すでに一度キスしたことがある相手。レオンが大事にしている親族。

 アウラさんの唇を見つめた。同性から見ても、つやつやの唇は美しいと思う。

 視界が急に滲んだ。


「……って! 泣くぐらいなら、ちゃんと嫌って言ってください!」


 わたしを見てアウラさんが慌てだした。泣くぐらいなら? 目元に手をやる。……濡れている。


「ア〜ウ〜ラ〜嬢〜?」


「ひっ! レオン様!?」


 ぬっとアウラさんの背後からレオンが現れた。気づかなかった。


「俺の奥さんと何を話していたのかな〜?」


 なぜか怒っている。顔面兵器は怒っても圧が強い。


「レオン様の悪行の話ですよ! レオン様が『淑女の恋人』じゃなければこんなに話がややこしくなりませんでした!」


「何の話?! え、悪いの俺なの?」


 レオンの圧に負けず、アウラさんは言い返していた。強い。


「ちゃんとシシリーさんと話し合ってください! あたし、当て馬なんてやりたくないんで!」


「え、だから何の話なの?!」


 アウラさんはささっとパフェの最後の一口を食べ終え、席を立った。

 一度わたしに視線を向けると、ツンとあごを上げて顔をそらし、そのまま去っていった。

 状況を把握できないレオンだけがあわあわしている。

 わたしはアウラさんの後ろ姿に少しだけ頭を下げた。


「レオン、仕事は……?」


「もう終わったよ。ほら、涙を拭いて」


 レオンがハンカチを取り出して、わたしの目元を優しく押さえるように拭いた。


「帰ろう」


「はい」


 帰りの馬車の中で、ようやく涙がとまる。レオンはわたしが落ち着くのを待ってくれていた。レオンの顔を見て、頷く。ほっとしたような顔をされた。


「アウラ嬢といったい何を話してたの?」


「アウラさんとレオンがキスをしてもいいのかと確認されました」


「しないよ?!」


 わたしはまた頷く。


「例えばの話です」


「なんでそんな話に……」


「レオン様が浮気するかもしれないと言及されて」


「しないってば!」


 わたしはレオンの顔をじっと見つめる。


「してほしくないんです」


「え?」


「過去の話は聞いても、特に思うところはなかったのですが……。わたしは、今のレオンに他の女性に触れてほしくないみたいなのです」


 レオンの頬が染まった。一拍置いて表情が緩む。


「俺はもうシシリーしか触れたくないよ」


「わたし、だけ……」


 心臓がはねた。そのまま鼓動が速くなる。顔が熱い。


「シシリーは?」


「わたし?」


「シシリーは他の男に触れられたい?」


 そう聞かれても、誰の顔も浮かんでこない。誰に触れられたいのかと考えたら、もう目の前の顔しか……。


「レオンに、触れてほしい」


 自然に答えが口からまろび出る。わたしが自分の言葉に驚くのと、唇を塞がれるのは同時だった。

 深く、熱い。翻弄されながら受け入れる。身体の奥で熱が灯る。


「れ、れおん……」


 よくわからない感覚に震えた。思わずレオンにすがりつくと、そのまま抱きしめられた。


「ね、結婚しよう」


 また求婚された。もう結婚している。


「……婚前契約書は双方の合意があれば破棄することができます」


「シシリー、それって」


「わたしも、婚前契約書に背いてしまいました……たぶん」


「たぶんて」


 レオンが笑った。表情の一つ一つをずっと見ていたいと思う。形の残らないものが欲しい。わたしを見つめる瞳、繊細なものを扱うように触れる手、身体の熱。


「契約書は無効、ですね」


「じゃあ、今からは本当の夫婦だ」


 家に着くと、そのまま横抱きにされて運ばれた。たどり着いたのは、レオンの寝室。

 ベッドの上に降ろされて、手際よい手つきでレオンがわたしの衣服をほどいていく。


「ね、いっぱい甘やかさせて」


「お、お手柔らかにお願いします……?」


 レオンがわたしに触れる。もう身体に走る幸福感を否定できない。

 わたしはレオンの甘やかしに身を委ねた。


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現在、もう一組、本当の夫婦を目指す長編も連載中です。


感極まると気絶する夫と、元社畜妻が特訓で本当の夫婦になるお話です。こちらもぜひ、作者ページから覗いてみてください。


『殲滅公爵と恐れられた夫が、私の限界オタクだった件』

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