第九話(5)
――おおー! 青組の猛攻が赤組を襲ったが、なんとか赤組大将たてなおした~!
放送ブースが実況で盛り上げる。各組のテントからどよめきが、保護者が多い観覧席からは若干の悲鳴が上がった。
私は土埃と入り乱れる騎馬の群れで、莉緒くんを見失っていた。葉月先輩も見当たらない。頼りになってるんだかどうなんだか、あのお兄さんは。
以前ならこんな心配をする性格ではなかったと思う。私、桐原理々香という女子は、まわりに適当に合わせて、難なく高校まできた、波風を立てないタイプの女子だった。
でも、なんだかこの二か月。いやこの十日間で、何かがはじけ飛んだ。自分というものを貫く、そのための自分を見つけたのかもしれない。
どたどたとうごめく騎馬の塊で、いまだに心配の種がみつからない。
騎馬(を模した生徒たち)の群れがぶつかり、グラウンドを踏みつけ、砂埃を巻き上げる。視界は黄ばんだカーテンのようで、莉緒くんの姿など影すらも見えなかった。
そのなかでも、白組大将の衣装をまとう、一ノ瀬真白はよく目立った。彼女は生徒会長という事もあり、女子ではめずらしく団長を務める。団長は騎馬戦の大将を務めるのが習わしなんだとかで、男子種目に特別参戦している。さすがにぶつかり合いには加わっていないが、戦況を見極めやすい位置に、少しずつ移動していた。いつの間にか白組テントから赤組テント近くにまで動いていた。
ふと、私は真白会長が何かを発見したような表情を見た。その視線の先、わずかにひらけた土煙の向こうで、誰かが倒れたように見えた。
莉緒くんだ。騎馬の体をなしておらず、失格の状態。彼は丸刈り頭に連れられて場外に、まるで落ち延びるように移動し、そこで倒れた。
「……!」
ガタンと、思わず椅子を倒して私は立ち上がった。グラウンドの真白会長も、それに気づいていた。馬を降りようとして止められている。それもそうだ。大将が馬を降りたら全体の負けになってしまうのだ。
私は葉月先輩の保冷バックを抱えて走った。
グラウンドを大きく迂回して莉緒くんの元へ向かう。葉月先輩は、とっくに駆けつけていて、莉緒くんをお姫様抱っこして走り出すところだった。行先は……保健室だ!
◆◇◆◇◆
莉緒を抱きかかえたことなんて、子供のころの記憶にもない。はじめて抱き上げたその体は、恐ろしく軽くて、意識のない莉緒を見るのが怖かった。
俺の右手には、莉緒の柔らかな小さな肩、左手には細い膝。その体は熱くて、莉緒の頭が俺にもたれている。
とにかく莉緒の体が熱い。なんで気づかなかったんだろう。早く止めるべきだったのだ。
俺の体だって、日差しと運動の熱量で熱いはずなのに、莉緒の体はもっと熱い。
「先生!」
俺は保健室の扉を乱暴に開いた。
「あー」 と、こちらの緊迫感をものともせずに状況を察知した白衣姿の先生がベッドに寝かせるよう指図して、姿を消した。俺は普段、保健室には近寄らないが、男子に少し人気のある三十歳手前の保健医だ。見覚えはあるのだが、名前は憶えていない。
莉緒をベッドに寝かす。空調が肌寒さに震えるくらい効いていた。
カーテンを閉め、莉緒の体操着の上着を脱がす。それから、ひとまず保健室の手拭きタオルを湿らせて莉緒の頭を冷やす。
「あー、はいはい。ここに浸からせちゃって」
先生が、ずるずる何かを引きずってきた。水を張った小児用のプールだ。手際が良いというよりは準備してあったみたいだった。夏みたいな暑さだ、警戒するのは当たり前なのだろう。
「服は着たままでいいから」
俺は、言われるがまま、再び莉緒を抱き上げ、今度はゆっくりとプールに横たえた。
頭が沈まないように支えてやる。
「うう、つめたぁい」
りこみたいなかわいい抗議に俺は苦笑してしまう。
「りお? だいじょうぶか?」
「意識はしっかりしてるわね。救急車はいらないかな。気持ち悪かったりしない?」
「はい」
莉緒の受け答えがしっかりしているので、ひとまず安心した俺は、もう一つ伝えるべきことを思い出した。
「先生、騎馬戦で落ちたんです」
「頭は打った?」
俺の言葉を耳に入れつつ、先生は莉緒を見ていた。
「打ってないと思うけど……ぼうっとします」
先生は、今度は莉緒の小さな頭を撫でまわして、痛くないか聞いた。莉緒によると、たんこぶとかはなさそうだ。
「少し休んで落ちついたら、病院に連れてきなさい。頭はだいぶ熱いから、軽度の熱中症ね」
「リオくん!」 「リオくん?!」
そこへ理々香ともう一人、杉山さんといったか。二人が現れて、俺はプールに浸かる莉緒に、あわてて上着をかけた。だって、莉緒の上半身はびちゃびちゃに濡れて、下着が透けていたのだ。
保健の先生は、それにはなぜか何も言わずに、新たな来訪者に場所を空けた。
「リオくん、これ使いなさい」
と、理々香が差し出したのは俺が家で母さんに持たされた保冷剤とタオルだ。
「ありがとー。きもちいい~」
まるで温泉にでも入っているように莉緒はご満悦だ。ゆでだこだもんな。
「これ飲んで!」
杉山さんが差し出したのは紙パックのフルーツジュースだ。ストローはすでに通してあって、杉山さんが差し出すままに、ストローを莉緒がちゅー、っと吸った。おいしそうな笑顔だ。
その平和な反応には一安心だけど、その裏で俺の腕には莉緒の体重がぐったりともたれかかったままなのが、俺は怖かった。莉緒に何かあったらと、気が気ではないというのが正直な気持ちだ。
「あ……」
「どうした?」
「最後のリレー、走れそうにないや……」
今日の莉緒のテンションはやる気が溢れすぎていたが、さすがにもう、走る、とは言いださなかった。けど、とても残念そうだ。
「ごめん、兄さん。張り切りすぎちゃった。ちょっと、男子っぽいこと、出来るんじゃないかって、思ってたんだぁ……」
莉緒の元気は、まるで電池が切れたみたいだった。男子っぽい……男らしさ、そういう他人からの評価に対して、無理をさせてしまったのだろうか。
「あなたの代わり、私が走るわよ」
理々香がドンと自分の胸をたたく。
「でも、男子の枠だから……」
「緊急なんだし、なんとかなるわ。こういうゴリ押し、たまには使いなさい」
「うん……」
ぶるっ、と莉緒が身震いする。
「寒いのか?」
「ああ、そうしたら、そろそろ水からあがって、氷を使って部分的に冷やす方法に変えなさい」 先生が気づいて指示する。
俺は、また莉緒を抱き上げた。濡れそぼった体を衣類ごとタオルで拭いてベッドに座らせる。
先に着替えさせねば。着替えは、杉山さんがもっとおおごとになるのではと、莉緒のカバンを持って来てくれていた。
女子二人には悪いがベッドの周りのカーテンを閉めると、莉緒のシャツをバンザイさせて引っ張ろうとして、莉緒が止めた。
「兄さん……恥ずかしいよ…自分でできるから」
白い体操着が濡れて張り付く体の線に、俺は気づいた。紺色のスポーツブラと胸のふくらみを、莉緒は身を縮こまらせて隠した。
そう、か。恥ずかしいよな。俺がやろうとしてたのは、莉緒にとっては丸尾くんと同じだったかもしれない。
「そうだな。わるかった」
ただ……俺はなにか莉緒にしてやりたくて、ぎゅっとベッドに座る莉緒を抱きしめた。
莉緒の手が、か弱く俺の体操服を握り返していた。俺の腕の中にある莉緒の頭が、熱かった。
その夜、子供部屋は静かで、りこの布団のある右側は、すーすーと部活疲れの寝息が聞こえる。
左隣は莉緒の布団。母さんの車で学校から直接病院に連れていき診察を受けたが、ひとまず異常は無し。体調が悪化するようなら夜中であっても救急外来に来るようにと言われていた。
いま、莉緒はよく寝ているけれど、熱があるので保冷剤を包んだタオルを枕に敷いて、おでこにも濡れタオルで冷やしている。時おり寝苦しそうに目を覚ますので、枕元に飲み物を置いておいた。
真夜中に、莉緒の瞼が開いて、目が合った。莉緒は何かを言うでもなく、ぼんやりと俺を見つめて、安心したのか、また眠ったようだ。
そんな莉緒を眺めながら、俺もいつの間にか眠りに落ちたのが、体育祭の日の、最後の記憶。
「おやすみ、りお」
つづく
『はるうた 2 ひまわりの夏』 に続きます。




