第九話 体育祭(1)
開会セレモニーが始まった。
赤、白、青、黄、各組の団長と副団長が、どでかい団旗をもって選手宣誓やら国旗掲揚が行われるのだ。
吹奏楽部も出番だ。セレモニー用の音楽は彼らの演奏によるものだった。
さっそく莉緒の出番でもあった。なんとなく莉緒の姿を追う。皆に溶け込んで、堂々とあの楽器を吹いていた。思い出せない、あの楽器の名前……。
マウスピースを吹いて膨らむ莉緒の頬が少し赤い。
国旗と校旗が掲げられ、青い空にはためく。
昨年優勝の黄組団長から選手宣誓が終わり、校長の挨拶と実行委員長の競技諸注意が続く。
いい加減、生徒たちも待ちくたびれてきたが、ご近所向けのイベントと化しているので仕方ないのか。暑くて校長の話が手短だったのは、唯一の救いだ。
ほんとに暑い。朝の時間帯だというのに、もう日差しがじりじりしている。テントが張られた待機エリアから出たくない。観覧席も、ありったけのテントが張られてご近所の人々の憩いの場になっている。
競技役員席もテントが張られていて、俺はその下に真白の姿を見つけた。真白が、こちらに気づいて小さく手を振ってくれる。それもほんのわずかなこと。ほかの役員に仕事の話を振られたのか、真白はそちらに行ってしまった。
「兄さん、ただいま」
開会セレモニーが終わると、莉緒が俺たち赤組のテントに戻ってきた。
「おかえり。いい演奏だったぞ」
保冷バッグから冷やしたタオルを出し、水筒の冷たい水を注いだコップを莉緒に渡した。
「ありがとう。みず、おいしい」
日陰に入って、ほっと脱力したように莉緒はリラックスした。
「もうずいぶん暑いからな。無理するなよ?」
放送委員のブースが会場を煽り始め、競技が開始される。
小手調べは短距離走。
「あ、桐原さんだ」
莉緒が待機の列に桐原理々香を見つけた。今回の件で俺自身も共通の知り合いになった桐原理々香も、同じ赤組だ。彼女は長い髪を頭の上でまとめて暑さを凌いでいた。
そういえば、莉緒からクラスメイトの名前を聞くのは初めてじゃないだろうか。
「僕、ひと言声をかけてくるよ」
「おう」
◆◇◆◇◆
私は、柄にもなく緊張していた。部活動なんてしたことなかったし、中学の体育祭も目立たず過ごしてきたから。
種目は狙い通り、というか、短時間で済む不人気種目にことごとく当たって、今から出番。
一番手の種目はちょっと目立つ。短距離走は不人気だけど、その反面、活躍がわかりやすい。言い換えると、活躍できる者にとっては、花形種目だ。足の速いやつはかっこいい、というステータスの見せ場なのである。
ああ、種目選択失敗したかな……競技に邪魔にならないよう、髪を頭の上で結ぶ。
「桐原さん」
声の主は、まぶしい笑顔を私に向けていた。
「ありがとう、色々助けてくれて」
「葉月……リオくん……油断するのはまだ早い。世の中、嫌な奴はいっぱいいるのよ? だいたい、私はイライラをぶつけただけでしょ。ああいう悪さが許せなかっただけ」
彼をつい苗字で呼んでしまった私は、宣言通りに名前をつけ足して呼んだ。すると彼はすごく嬉しそうに笑顔を強めた。
「それでも、ありがとう。がんばって」
「そっちも今日は四種目、大変よ? リオくん」
「がんばるよ」
そういうリオくんに、私は笑顔を返した。私が笑顔だって? なんてことだ、私は笑っている。そこらのグループの女子が笑いあっているみたいに。
緩みがちの頬を叩きながら、私は競争の列に並んだのだった。
◆◇◆◇◆
莉緒が赤組のテントに戻ってくるころには、桐原理々香はゴールテープを切っていた。
運動神経がいいのか、組み合わせが良かったのか、ともかく一着だ。やるなあ。
種目は短距離走を皮切りにどんどん進む。地元イベントと化した青陵学園体育祭は、実にスムースな運営だ。集計もほぼリアルタイムで放送ブースが選手を煽り立てている。
「兄さんの出番は?」
「玉入れと、騎馬戦だな。走り回る種目は回避した」
こうして座っているだけでも汗ばんでくる陽気だ。走り回るのは、普段運動している奴らに任せたいものだ。
莉緒はといえば、学校の体操着に、指定の長袖まで羽織っている。そうせざるを得ないのだ。下着——スポーツブラがかすかにでも透けるのを隠すためには、半袖だけだと難しい。着用している事実を隠蔽するには、長袖の上着が不可欠だ。それに、中学時代よりふくらみも目立つから、上着は普段の体育の授業から欠かせなかった。でなければ、男子と言い張るのはもはや難しかった。
遺伝子の異常による第二次性徴時の女性的変化……倉松医師の説明を脳裏から追いやる。
細かいことはいい。今はしっかり莉緒をサポートしなきゃ。
さぞ暑いだろう。綺麗でやわらかな髪質の前髪が、早くも少し汗で張り付いている。
「ほら、しっかり水分とれよ」
俺はまた水の入ったコップを渡す。と、母さんが用意した水筒を見て思い出した。
「母さん、そろそろ来てるかもな」
「あ、そうだね」
観覧席の方をきょろきょろと探す。今日の莉緒は、本当に明るかった。
「母さん、いたよ?」
莉緒が指さす方向に、母さんがいた。あちらもこっちを見つけて、莉緒に手を振り返していた。なんだか小学生のころの運動会を思い出すな。
「ようし、僕そろそろムカデ競争だから、いってくるよ」
うん、やっぱり今日の莉緒はなんだかものすごく張り切ってるな。楽しそうだ。
赤組、莉緒のチームは第三ヒート出走。ムカデの先頭は、一番背の低い莉緒だ。男女交互に並ぶので、背の低い莉緒の後ろの女の子は、少し走りやすい……のか?
「リオー! キリキリ走れ~!」
なんだか短距離走で吹っ切れた桐原さんが叫んでいる。俺も負けずに声援した。
「りお! 焦るな! がんばれー!」
俺たちの声援の甲斐あってか、莉緒チームは途中まで先頭だった、が。
ハイペースがたたって足がもつれた。それでも何とか立て直して三着。
「ようし! ようし」
赤い法被を着たマッチョな先輩、いつの間にか俺の隣にいた赤組団長もご満悦だ。何て名前だっけな。とりあえず、通称・赤マッチョとしておこう。
団長は勝利に向けて、得点源にカウントしていなかった種目が上位で点を取ってくれたのがうれしいようだ
体育祭ガチ勢というか、やるからには勝とうぜ、みたいな空気になると、莉緒は男子として戦力外だ。邪険にしないまでも、マイナス要素で見る向きも出てくる。それは避けたい。
「葉月先輩、難しい顔してますよ?」
桐原さんは、やはり目端が効くひとなんだろうな。
「心配しなくても、リオくんは、私たちがいますよ」
それは、莉緒がマイナス要素としての扱いを受けるのではないかと想像する俺の心配を打ち消す言葉だ。
莉緒たちや、同じ種目に出場したメンバーがテントに戻ってきて温かく迎えられていた。男女交えてやんややんやと喋っている。
たしかに、あれなら大丈夫かもしれないな。
テントの下の自分の椅子に戻った莉緒に、俺はまたタオルと水を差しだす。転倒一回かまして埃だらけの莉緒は、笑いながらスタートがああだったとか、あそこでどうだったとか、転んだ理由まで楽しそうにお喋りした。
ちょっとだけ、はしゃぎすぎてる子供みたいに思えて心配になる。
俺は苦笑いして、頬に着いた泥汚れを、濡れタオルで拭ってやった。
「兄さんったら、大丈夫だよ、自分でできるから」
くすぐったそうに莉緒が笑う。
それもそうか。濡れタオルを手渡すと、莉緒は俺を見上げて言った。
「兄さん、僕ほんとにがんばるから。だから、あんしんして」
俺はゆっくり、続く莉緒の言葉を待った。
「ほら、僕って頼りなくてさ、中学で騎馬戦とか選ばれたことなかったし、だから、他の種目もたくさん走れてうれしい」
◆◇◆◇◆
「ちょ、何よアレ」 「ああ、葉月莉緒くんでしょ?」
「そのとなり! 最近生徒会長と噂の葉月くん。なんか、弟君にかいがいしくって」
「私も見てた! 尊い……」 「莉緒くんも、なんて頑張り屋さんなのー!」
私の目から見ても、葉月莉緒とそのお兄さん、葉月先輩は距離が近い。
他のメンバーのサポートから帰った私は、三年先輩女子たちの声を耳にして、話題の二人を見る。葉月兄弟、なんだか少し手も触れあっているのでは? いや、そういう風に見えるだけか。まあ、そんなところが女子たちの楽しい噂話になるのだろう。
この分だと、お兄さんの懸念は赤組女子に限っていえば大丈夫かも。
「理々香ちゃーん」
黄色いハチマキをつけた柚羽が赤組テントにやってきた。
「敵のくせに何しに来たのよ」 しっ、しっ、と私は手を払う。
「ひどいよ、理々香ちゃん。陣チュー見舞いだからイイの! それよりお昼休みになったら、お弁当一緒に食べよ?」
なんだ、お昼の予約か。プリントの件で盛大にめんどくさいやつとして目立った私だ。他にお昼を一緒に食べる相手がいるとでも思っているのだろうか……思ってるんだろうな、柚羽は。この子はそういう子だって、付き合いは短いがわかる。
「ね、リオくんは?」 と柚羽。
「ああ、なんだかお兄さんといい雰囲気になってるわ」
「えっ? リオくんてBLとかそういう感じ?」
こいつもそういう手合いか。私ははしゃぐ柚羽をはたく。
「葉月先輩! そろそろ玉入れですよ。大して動かないんだからきびきび入場門に行ってください? リオくんは私らが守っててあげますから」
「お? おう!」
なにやらどもった声が応じる。先輩の尻を叩いて、私らは莉緒くんの席を囲んで座った。
守ってあげるなんて言ったからか、なんだか莉緒くんが照れている。どのワードがささって照れたのか。心持ち、頬も赤い。
まあいい。誰かの悪意がまだ残っていたとしても、私がこいつら兄弟を守ってやるんだから。




