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第8章:選択肢の消失

 違和感は、朝からあった。


 頭の奥が、やけに静かだ。

 いつもなら、何か起きる前にざわつく“気配”が、今日はない。


「……来ないな」


 何が、とは言わなかった。


 リリィは、俺の顔を覗き込む。


「いつも、変な文字出てたもんね」


「……ああ」


 出ない。


 それが、こんなにも不安だとは思わなかった。



 昼過ぎ、小さな集落に辿り着いた。


 木柵で囲まれただけの、貧しい村だ。

 だが、人の気配がある。


 ――安心しかけた、その瞬間。


 悲鳴が上がった。


「魔獣だ!」


 柵の外。

 狼に似た魔獣が、村人を追い立てている。


「……来たか」


 反射的に、視界を探す。


 だが――


 何も、表示されない。


「……お兄ちゃん?」


 リリィの声が、遠い。


 これまでなら、選択肢が出ていた。

 戦うか、逃げるか、助けるか。


 でも、今回は違う。


 何も、ない。



 魔獣が、子供を弾き飛ばした。


 血が、地面に散る。


 思考が、追いつかない。


「……くそ」


 俺は、走り出していた。


 理由は、分からない。

 損得も、結果も、考えていない。


 ただ――見過ごせなかった。


「離れろ!」


 叫んで、石を投げる。


 当然、効かない。


 魔獣が、こちらを向いた。


 死ぬ、と思った。



「――伏せろ!」


 聞き覚えのない声。


 次の瞬間、魔獣が吹き飛んだ。


 槍が、地面に突き刺さっている。


 現れたのは、鎧姿の女性だった。

 額に傷。

 鋭い目。


「無謀だ」


 短く言う。


「だが、判断は早かった」


 彼女は、魔獣に止めを刺した。



 事後処理の中、俺は膝に手をついていた。


「……生きてる」


 それが、正直な感想だった。


 女性は、こちらを見る。


「冒険者か?」


「……いいえ」


「なら、何者だ」


 答えられない。


 勇者でもない。

 冒険者でもない。

 ただの、異物。


 そのとき。


 リリィが、俺の手を握った。


「この人は、選んでくれた」


 女性は、少し驚いた顔をした。


「……そうか」



 夜。

 焚き火の前。


 初めて、俺は“待たなかった”。


 選択肢を。

 表示を。

 許可を。


「……怖かった」


 独り言が、漏れる。


 もし、あの瞬間、俺が動かなかったら。

 誰かが死んでいた。


 視界に、微かな文字が浮かぶ。


《能力低下:不可逆》


 だが、その下に。


《意思決定:自律》


 初めて見る表示だった。



 リリィが、隣で言う。


「……お兄ちゃん」


「ん?」


「今日は、後悔してない?」


 考える。


 確かに、危なかった。

 無謀だった。

 死ぬ可能性も高かった。


 それでも。


「……してない」


 即答だった。


 リリィは、安心したように笑った。


 その笑顔を見て、分かった。


 これまで俺は、

 選択肢に責任を押し付けていた。


 「表示されたから選んだ」

 「他に道がなかった」


 でも、今日の選択は違う。


 誰にも強制されていない。



 夜空を見上げる。


 星は、少しだけ増えていた。


 視界に、最後の表示が浮かぶ。


《灰色の祝福:再定義中》


 俺は、静かに息を吐く。


 もう、元には戻れない。


 だが。


 選択肢がなくても、

 俺は、選べる。


 それを知った夜だった。

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