第1章:事故召喚者
死ぬ瞬間というのは、案外あっけない。
強烈な衝撃も、走馬灯もなかった。ただ、夜の交差点でスマホの画面を見ていた視界が、白く塗り潰された。それだけだ。
――だから、目を開けたときも、ここが死後の世界だと疑わなかった。
「……天国、にしては、くすんでるな」
仰向けに寝転がったまま、空を見る。
そこには青でも黒でもない、濁った灰色の空が広がっていた。雲は低く、まるで天井のように圧し掛かってくる。
体を起こすと、乾いた草の感触が掌に伝わった。風が吹くたび、色を失った草原がざわざわと音を立てる。
「夢……じゃ、ないよな」
頬を抓ると、ちゃんと痛い。
心臓も、規則正しく動いている。
――生きている。
その事実が分かった瞬間、遅れて恐怖が込み上げてきた。
「ここ、どこだよ……」
周囲には建物も人影もない。ただ、灰色の世界が果てしなく続いている。
そのときだった。
「起きたか」
背後から、低く落ち着いた声がした。
反射的に振り向く。
そこに立っていたのは――人の形をしているが、人ではないと直感させる存在だった。
黒い法衣。長い影。
顔の半分を覆う無機質な仮面。
そして、仮面の奥から覗く瞳は、色を持たなかった。
「……誰だ、あんた」
喉が渇くのを感じながら尋ねると、存在は小さく頷いた。
「私は管理者。この世界を調整し、循環を監督する者だ」
「管理者……?」
意味は分からない。だが、冗談ではないことだけは伝わってくる。
「安心しろ。お前はまだ死んでいない」
「“まだ”って何だよ」
「正確には、生と死の境界にある」
管理者は一歩、こちらへ近づいた。
足音はしない。まるで映像が滑るように距離が縮まる。
「本来、この場所に来るはずだった魂があった。勇者として召喚される予定の魂だ」
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
「だが、召喚の過程で事故が起きた」
管理者は、事務的な口調で続けた。
「異世界と元の世界、その狭間で魂同士が衝突し、正規の勇者は消滅した」
「……は?」
頭が、理解を拒否する。
「その余波で、近くにあった魂――つまり、お前が引き寄せられた」
要するに。
「俺は……巻き添え?」
「そうだ」
即答だった。
「選ばれたわけでも、期待されたわけでもない。完全な事故だ」
胸の奥が、じわりと冷える。
異世界転移。勇者。
そういう話では、普通「選ばれし者」になるはずじゃないのか。
「じゃあ俺は、何なんだよ」
「代用品ですらない存在だ」
管理者は、淡々と告げる。
「だが――完全な無価値でもない」
その言葉と同時に、管理者が指をこちらへ向けた。
次の瞬間。
心臓を掴まれたような感覚が走る。
冷たい何かが、体の内側に流れ込んできた。
「っ……!」
「お前には祝福を与える」
「祝福……?」
一瞬、期待がよぎる。
魔法。剣才。チート能力。
だが、管理者の次の言葉が、それを粉々に砕いた。
「灰色の祝福だ」
視界が、ひび割れる。
「魔力は持たない。身体能力も平均以下。
神の加護も、成長補正もない」
最悪だ。
「その代わり――」
管理者の無色の瞳が、わずかに細められた。
「物語に干渉する権利を与えよう」
「……物語?」
「この世界で起こる出来事は、無数の分岐を持つ。
お前は、その分岐点を“見る”ことができる」
理解する前に、足元が崩れた。
「待て、説明が――!」
「いずれ分かる」
管理者の声が、遠ざかる。
「灰色の魂よ。
お前がどんな結末を選ぶのか、見せてもらおう」
闇が、全てを呑み込んだ。
――次に目を開けたとき、俺は血と炎の匂いの中にいた。
燃える村。
悲鳴。
そして、剣を振り上げる魔族の影。
その瞬間、俺の視界に文字が浮かんだ。
《選択可能》
嫌な汗が、背中を伝う。
《①少女を助ける
②村から逃げる
③何もしない》
「……冗談だろ」
だが、選ばなければならない。
物語は、すでに動き出していた。




