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Shoot:1  Dog and Realize Girl (2)


 白昼堂々の強盗事件に巻き込まれた那々たちは、直美の傷(転んだ時に擦り剥いていた)の手当の後、事情聴取のため警視庁に連れて来られた。現行犯逮捕したのが本庁の警部である諸角本人だったこともあるが、強盗傷害及び銃器不法所持という重大事件だったことや、許可証持ちとはいえ一応民間人である斎が発砲した件で少々ややこしい事態になってしまい、早々に本庁の捜査一課に処理が回されたのだ。

 当然のごとく引っ張られてきた斎が解放されたのは、午後七時を過ぎた頃だった。型通りの聴取は受けたが、諸角の口添えもあってどうにか無罪放免で済みそうだ。

 もう≪ペニーハウス≫の営業時間は終わっている。結局店を放り出してきてしまった形になるが、不可抗力だから仕方がない。斎はとりあえず、壁に背を預けてぼんやりと廊下を眺める。あまりうろうろするなと諸角に釘を刺されたのだ。

 警視庁に来るのは、別に初めてではない。帯銃許可証を申請する時、実技試験を受けに来たのはここだったし、何度か銃の修理や整備の仕事を受けて、品を届けに来たこともある。事情聴取をされたのは今回が初めてだが。

「……あの……」

 ほそい声に、ふと我に返った。そこに立っている少女の姿を見つけて、安心させるように微笑む。

「大丈夫? もうすぐ帰れると思うよ。――って、僕もこんなの初めてだから、詳しいわけじゃないんだけど」

 少女は答えずに、顔を伏せる。ずっとこの調子だった。

 星海那々。運悪く事件に巻き込まれてしまった少女。

「友達は?」

「まだちょっとパニック入ってるらしくて、婦警さんに面倒見てもらってます。あたしは、気分転換してきたらいいって言われて」

「うん、その方がいいと思うよ」

 彼女の表情は緩まない。斎は視線をさまよわせる。

「……平気で銃を撃つ人間は、やっぱり怖い?」

 尋ねると、ふるふるとかぶりを振る。

「……怖くは、ないけど。でも……」

 ――似てるから。

 呟いて、彼女は黙り込んでしまった。

「……そう」

 斎はまた、廊下の壁に視線を戻した。誰に似ているのかは、訊かない。

 しばらく、沈黙。

「あの、天瀬さんは」

「え?」

 再び彼女を見ると、見上げてくる視線にぶつかった。初めて、真正面から彼女に見つめられている。

「どうして、あんなに銃の扱いが上手いんですか?」

「あ~……」

 痛いところを突いてくる。斎はため息をついた。

「……銃工(ガンスミス)って、知ってる?」

「銃工?」

「銃を整備したり修理したり、改造したりする職人のこと。僕、一応営業許可受けてる公認銃工だから。銃って、整備しっ放し、改造しっ放しってわけにはいかないでしょ? ちゃんと試し撃ちして、問題なく撃てるのを確認しなきゃいけないし、資格試験の時には射撃指導なんかもするから、銃を撃つ機会は下手したら現役自衛官より多いんだ。扱い慣れてて当然なんだよ」

 事実である。帯銃許可証の申請のためには試験をパスする必要があり、そのためには射撃の訓練を受けなければならない。とはいえ、指導までできる人材となると、数は限られてくる。まさか現職警官や自衛官が出張って行くわけにもいかず、そうなると民間人でありながら、ある意味銃のスペシャリストでもある銃工などはおあつらえ向きの存在なのだ。自動車教習所の教官のようなものである。

 説明に納得したのか、那々は口をつぐんだ。そういえば、と斎はふと思い出す。提出してあるベレッタを、諸角から受け取る話になっていたのだが、まだだろうか。

 ベレッタに意識を飛ばしてしまった斎を、那々はそっと盗み見た。

 ――彼と、重なる。

 一瞬でわずかな射線を捉え、銃を持った相手を制圧した技量が、車を運転しながら追手を仕留めたあの少年にオーバーラップするのだ。その顔立ちや、穏やかな物腰、何もかもが彼を思い出させてやまない。

 もう、彼はいないのに。

 この世に、いるはずのない人なのに――。

「――っ……」

 泣きそうになるのを、懸命にこらえた。

 よりにもよって、今日。こんなに、彼に似た人に逢ってしまうなんて。

 彼が生きていれば、まさに目の前のこの青年のようになるのだろうと、ぼんやりと思う。やさしい、穏やかな雰囲気をたたえた人。それでいて、いざとなれば野生の獣のように、牙を剥くこともできる青年。

 そういえば、年齢的にもぴったりかもしれない。

 そこまで考えて、那々は斎から目をそらした。考えれば考えるだけ、空しくなってくる。

 過ぎた過去は、どれだけ望もうと変わらないのだ。

 互いを見ないまま、斎と那々はしばらくそこに立ち尽くす。

「――星海、那々さん?」

 女性の声に、那々ははっと顔を上げた。

「あ、はい」

「お母さんが迎えにみえたわよ。お友達も」

「はい!」

 ほっとして、那々は部屋に戻ろうとした。ふと斎を見ると、彼はどう解釈したのか苦笑する。

「いくら何でも、僕は迎えに来てもらうような年じゃないよ。ベレッタ待ち」

「ええと、そういうつもりじゃなかったんですけど……」

「あ」

 勘違いに気づいて、斎がぽかんとした顔になった。那々が笑いをこらえる。

「おい、待たせたな」

 ちょうどやって来た諸角が、あろうことかベレッタを斎目がけて投げて寄越した。

「うわあっ!」

 絶叫しながら、斎が飛びつくように受け止める。しっかりと両手で抱え込んで、きっとばかりに目を向けた。

「何てことしてんですかっ!」

「おい、いくら何でも弾入った銃を投げるほど非常識じゃないぞ俺も。ほれ、弾はこっちだ」

「心臓に悪い冗談はやめてください。かっちり二秒は止まりましたよ」

 ぶつくさ言いながら、斎はベレッタをポケットに突っ込んだ。弾は、マガジンに詰めて銃にはセットせず、ハンカチに包んでシャツの胸ポケットに。転ばなければ大丈夫だろう。

 事情聴取を受けた部屋に足を向けると、椅子に座っていた女性が立ち上がった。

「那々! あんた大丈夫なの!? もう、電話もらった時は倒れるかと思ったわよ」

「うん、大丈夫。怪我もないもん」

 女性は娘の無事を確かめて安堵の息をつく。そして諸角に気づいて目を見張った。

「まあ、もしかして刑事さん? あの時の」

「はあ。五年ぶりですか。すっかり大きくなってて、最初は分かりませんでしたよ。名前を聞いて気がつきましたが」

「……知り合いなの?」

 首をかしげた那々に、母が顔をしかめた。

「あんた、覚えてないの? あの事件の時に、お世話になった刑事さんよ。ほら、帰って来てから少しして、挨拶にいらしたでしょ。その時に、会ってるはずだけど」

「え……?」

 思わず見上げると、諸角は笑って手を振った。

「いや、五年も経ちゃ顔も忘れるさ。あんな事件の後だったし、むしろ思い出したくないだろう」

「……じゃあ、あの教団の事件の時の……?」

「正直、あの時は、警察はほとんど何もできなかったからなぁ……あの≪ペインレス・ドッグ≫が子供を連れ出してくれてなかったら、捜査令状も下りたかどうか……」

 思いがけない再会に、那々も諸角も驚きが先に立って、一瞬時を忘れた。

 だから、気づかなかった。

 少し離れて立つ斎の表情が、凍りついたことに。




「――畜生!」

 がん、と部屋の壁に拳を打ちつけ、西脇哲治(にしわき てつじ)は吐き捨てた。鞄を放り出して、燃えるような眼で何もない壁を睨みつける。

(俺だって! 俺だって、あれくらい……!)

 彼女を守るのは、自分のはずだった。先にあいつが飛び出して来なければ……!

 ――哲治が彼女に出会ったのは、高校に入学してすぐだった。廊下ですれ違っただけの、ありきたりといえばありきたりな出会い。

 星海那々。一年後輩の、哲治にとっては誰よりも愛しい少女。

 普段の明るい勝気な表情も、時折見せる遠くを見るような表情も、すべてが哲治の目には好ましく映る。他の少女たちのように、どれだけ自分を飾り立てるかなどという、つまらないことに固執していないのもいい。

 彼女のことを知りたいがため、何度か後をつけたこともあった。家も知り、よく立ち寄る店も見つけた。何度か手紙も書いたが、特に反応はないように見える。だが、いつかは返事をくれるはずだ。根拠のない思い込みでしかないが、哲治にとっては確信だった。

 今日は、彼女が友人に連れられて新しく見つけた店に行くというので、こっそりと後をつけた。顔のいい店員がいるからと彼女を引っ張って行く友人が鬱陶しい。だが彼女自身は乗り気ではないらしく、哲治をほっとさせた。

 そう、大して気にはしていなかったのだ。

 あの事件が起こるまでは。

 彼女に銃が向けられた時、哲治の身体は硬直して動かなかった。周囲の通行人に紛れたまま、彼女を救うために割って入ることもできなかった。

 那々を救ったのは哲治ではなく、ビルから飛び出してきた青年だった。

 彼が銃を鮮やかに操り、刑事と協力して強盗を取り押さえたのを、哲治は目の前で見せられたのだ。ことが終わった後に、那々があの青年を食い入るように見つめていたことが、身震いするような屈辱感を呼び起こした。

(俺だって、あれさえあれば……!)

 動けなかった後ろめたさと嫉妬を、彼への対抗心にすり替えて、哲治は歯噛みした。

 苛々と頭を掻きむしり、机の引き出しを開ける。きちんと並べたノートや筆記具をかき回すようにどけると、その下に隠してあったピルケースを掴み出した。中から小さな袋を取り出して、中の錠剤を見つめた。

 そうだ。今日調子が悪かったのは、これを忘れていたからだ。痛恨のミスだった。

 初めてこれを飲んだ瞬間、哲治の世界は変わった。痩せぎすで上目遣いばかりだった自分の顔が、精悍で自信に満ちた表情に変わっていったあの時の快感を、哲治は生涯忘れない。

 これさえ飲めば、自分は変われる。あいつなんかよりずっと強くなって、彼女を守るんだ。

 哲治は錠剤をピルケースごと制服のポケットに突っ込むと、リビングに向かった。哲治名義の通帳とカードが、サイドボードに保管されている。カードだけをそっと抜き出して、ポケットにしまい込んだ。

 もう薬が残り少なくなっている。補充しなければならない。薬は高価で、哲治の貯金は尽きかけていたが、そんなことは言っていられなかった。薬がなくなれば、もう自分を保てなくなりそうなところまで、彼は薬に頼りきっていた。

 玄関の方で音がして、哲治は慌てて引き出しを閉めた。

「哲治? 帰ってるの?」

「う、うん」

 母の声から逃れるように、哲治は自分の部屋へと駆け戻った。




 ドアの開く音に、カップを片付けていた立河は顔を上げた。斎の姿を見つけて、ほっと頬を緩める。

「どうだった」

「うん、何とか無罪放免。諸角さんが口添えしてくれて。ここまで送ってもらったし」

「そうか、そりゃ良かった」

 そう言って、斎の浮かない表情に気づいた。

「……どうした?」

「うん……ちょっとね」

 斎は息をついて、椅子に腰かけた。カウンター越しに、立河を見上げて苦笑する。

「世の中って狭いよね。――まさか、また会うなんて思わなかった」

「会う?」

「五年前の、女の子」

 立河が息を呑んだ。

「……確か、なのか」

「五年前の事件の時さ、最初誘拐事件ってことで、本庁の捜査一課が担当したでしょ。諸角さんが、覚えてたんだ。その子のお母さんも、諸角さんと顔見知りで。――間違いないと思うよ」

「そうか……」

 かぶりを振って、立河はカウンターを出た。斎の隣に腰かけ、肩に手を置く。

「だけど、もうおまえは≪ペインレス・ドッグ≫じゃない。≪天瀬斎≫。俺の甥だ」

「……うん」

 斎は肯いて、立河と入れ替わりにカウンターに入る。

「僕が淹れるよ。何がいい?」

「ブルマンだ」

「……何かさ、お茶汲み特権でこっそりいいお茶飲んでるOLみたいだよ」

「頼む客が少ないんだ。豆を消費しないと、新しいのが使えんだろ」

「はいはい」

 口の応酬と並行して、斎の手は慣れた様子で豆を挽き、サイフォンのフラスコで湯を熱しながら片手間にカップも温めておく。サイフォンから香ばしい香りが立ちのぼるようになるまで、そう時間はかからなかった。カップに注いだブルーマウンテンブレンドを、立河の前に置く。

「どう?」

「まあまあだな。俺には遠いが」

「年季が違うよ。でもまあ、進歩か」

 もう一杯分を余熱なしのカップにそのまま注ぎ入れ、自分の口に運んだ。

 ……やはり、カップは温めるべきだったかもしれない。少しぬるくなった。

「斎」

「ん、何?」

 コーヒーを啜っていた斎は、視線だけを立河に向ける。立河は、半分ほどでやめて斎を見据えていた。

「……おまえ、銃工を辞めるつもりはないか」

 斎が視線を落とした。ポケットには、突っ込んだままのベレッタ。

「俺が銃を扱えなくなってから、おまえが継いでくれたのはまあ、ありがたかった。一度銃を持っちまった以上、俺も所詮、銃から離れられない人間だ。おまえが傍にいるおかげで、安心して喫茶店のマスターなんぞやっていられる。――だが、おまえはそれでいいのか? 離れられなくなっちまうぞ」

「……今更だよ、叔父さん」

 カップを置いて、斎は立河の隣に座る。ポケットのベレッタを右手に握り込んだ。

「僕の方が、よっぽど染まってるんだ。銃が身体の一部になってる。切り離せない。――ずっと、そうやって生きてきたんだ」

「もう、終わったことだ。≪ペインレス・ドッグ≫はもう死んだ」

「そうかもしれない。でも僕は多分一生、火薬とガンオイルの匂いを落とせない。銃の撃ち方、ナイフで人を殺す方法を、箸の持ち方と同じくらいはっきり身体が覚えてる。そういう風に、育て(つく)られたから」

「斎、それは」

「叔父さんは、ぼろぼろだった僕に≪天瀬斎≫っていう人生をくれた。だから僕は、叔父さんの銃になる。そう決めた。それでいいでしょ?」

「……馬鹿か。わざわざ苦労を背負い込みに行きやがって」

「うん」

 笑って、斎はベレッタをカウンターに置いた。弾もその隣に。

「……こういう話って、お酒でも飲みながらなら、まだ格好つくんだろうね」

「原因の大部分はおまえだぞ。成人したら親父と息子みたいに一杯酌み交わしてやろうと思ってたのに、まさかおまえが下戸だとは思わなかった」

「う、それは僕の責任じゃない。DNAの掛け合わせの問題だよ」

「訓練しろ。どんな下戸でも回数重ねりゃ、それなりに飲めるようになるもんだ」

「嫌だ。ビールは苦い。チューハイは炭酸がきつくて飲みにくい。やっぱりコーヒーでいいや」

「どんな味覚だ、おまえは」

 呆れたように、立河が笑う。

 ――自分を“家族”として受け入れてくれる人がいる。それが嬉しくてならない。

 考えてみれば、妙なものだ。斎を家族として愛してくれた人は、皆斎とは血の繋がりのない人だった。

 守りたい。だから、銃は捨てない。

 斎はそっと、ベレッタに指を滑らせた。金属の冷たさを心地よく感じる自分も、やはり銃から離れられないのだとひとりごちた。




 翌日、那々は一人で登校した。直美はまだ昨日のショックから立ち直れず、今日は欠席すると連絡があったのだ。

 無理もない、と思う。銃を向けられるなんて、普通は経験しない。直美のようなお嬢様育ちなら、なおさらだ。そこへ行くと、自分は少々規格外なのかもしれないと、那々は諦め半分に思った。小学生にしてすでに誘拐・監禁経験があるのだ。

 幸い昨日の事件は、学校では教師にしか連絡が行っていない。そう騒がれることもないだろうと、普通に登校した。

 昇降口で上履きに履き替えようとした時、一通の封筒が乗せられているのに気づき、眉をひそめる。嫌な予感がした。

 封筒の表には、ぽつんと那々の名前が書かれている。

(げっ……ストーカー!?)

 見慣れすぎた字体に、那々は反射的に手紙を握り潰しかけた。今まで家にしか来なかった手紙が、学校の下駄箱に。導き出される答えは一つ。

(ストーカーは、この学校に通ってるってことね)

 全校生徒七百人超、その内半数は女子だから除外……したいところだ。いくら女友達が多いからとはいえ、ストーカーまで行ってほしくはない。

 そもそも、名前も分からないのだ。反応の返しようがない。好きだの何だのと書き連ねてくるくらいなら、まず名前くらい書いて寄越せと那々は言いたい。

 封筒を開けると、今回の手紙は際立って短かった。

【昨日は大変だったね。でも今度は、僕が守ってあげるよ】

 そのまま握り潰して、ゴミ箱に叩き込んだ。

 寒い。寒すぎる。

 コイツに守られるくらいなら自分の身は自分で守った方がマシだ。本気で護身術でも習い始めた方がいいかもしれない。無論、このストーカーも撃退の対象である。

 教室へ向かう那々から少し距離を置いて、一人の男子生徒が同じ方向へ歩き始める。西脇哲治は通りざまにちらりとゴミ箱を覗き込み、少し顔を曇らせた。彼女にはまだ、自分の想いは通じないようだ。

 幸運なことに、彼女のクラスと哲治のクラスは、同じ階にある。後をついて行っても怪しまれない。

 那々が自分の教室に入るのを見届け、哲治は心持ちゆっくりと、その前を通り過ぎた。トイレに入ると、個室の中でポケットを探り、ピルケースを取り出す。残り少ない薬を、一錠だけ飲み下した。

 この薬を飲むと、頭の働きもクリアになるのだ。今日は数学の小テストがある。評価を下げないためにも、落としたくはなかった。

 だが、これで残りはあと四錠。今日中にもう一錠は飲むだろうから、残りは三錠になる。早く補充しなければ。ルートはあるのだが、今は手持ちがない。帰りにでも、どこかの銀行のATMで現金を下ろしに行くことにする。

 トイレを出ると、人のいない空き教室を探して飛び込み、携帯のメモリを呼び出した。

「もしもし?」

『おぉ? 誰かと思ったら西脇じゃん? 何、またクスリ?』

「うん、もうあんまりないんだ。またもらえるかな。前と同じ量で、構わないから」

『金は?』

「放課後下ろして持ってく。できるだけ、人のいないところがいい」

『じゃあやっぱ屋上だろ。鍵くすねて開けとくから、テキトーに上がって来い』

「分かった、じゃあ放課後に」

 話を終えるとほっとした表情になって、哲治は携帯をポケットにしまい込む。そのまま彼が足早に出て行った後、教卓の中から一人の少女が顔を出した。彼女はスカートのポケットからメンソールの煙草を取り出し、火を点けてくわえると、ほとんど金に近づくまで脱色した髪をかき上げた。

「……何か、マズイもん聞いちゃったかなぁ」

 桜庭(さくらば)まひるは、左手に持ちっ放しだったライターのような携帯灰皿に、灰を落とし込んで煙を吸い込む。朝の一服は、彼女の日課だった。学校で吸うのが、またスリルがあっていい。しかし今日ばかりは、そのせいで妙な話を聞き込むことになってしまった。

「……ま、いっか」

 黙っていれば自分に害が及ぶことはない話だ。そう片付けて、まひるは切れ長の眼を細め、メンソールの煙を味わうことにした。




 グリップを外し、サイドプレートを外すと、細心の注意を払ってメインフレームからパーツを取り外していく。破損したシリンダーは脇へ置いておいて、パーツの清掃を優先することにした。シリンダーの方は、メーカーの代理店から仕入れておいたものがある。バレルカバーも外してバレルを露出させ、トリガー部分も徹底的にばらしてみる。やはり全体的に汚れていた。バレルはもちろん、ハンマーからトリガー、ネジ一本に至るまで、汚れ具合を見て丁寧に磨き上げていく。

 それらの作業が一段落ついたところで、斎は身体を起こして大きく伸びをする。壁の時計の指す時刻は午前十時二十分。今日は喫茶店の方は定休日だった。とはいえ、完全な休日になどならないところが自営業の辛さだ。立河も普段はできない倉庫の整理をやっているし、斎は銃工の方の仕事がある。こちらの方には定休日などないのだ。

 幸い、このところはそう立て込んでいないので、すぐに諸角のM29の修理にかかることができた。このモデルは好きなので、パーツを取り寄せておいたのも役に立っている。刑事などという職業では銃に命を預けるようなことも多いから、できるだけ早く届けておきたい。

 磨いたパーツを組み立てると、新しいシリンダー(磨き済み)を取り付け、軽く回して調子を見る。良さそうだ。

 ダミーカートリッジをセットし、引鉄の落ち具合を確認。カートリッジを抜いて44マグナム弾を三発持つと、階下のシューティングレンジに向かう。

 シューティンググラスをかけると、右端のレーンに立った。距離は十五メートル。弾をシリンダーに装填し、構えた。射撃姿勢はスタンディング、両手でホールドする。ハンマーをコック、サイトをターゲットに合わせる。

 撃った。

 ガゥン、と銃声が耳を打ち、反動が両手を伝わる。ターゲットの真ん中を綺麗に貫通した。続いてもう一発。右に一ミリほどずれて、開いた穴の縁が削られる。

 次いで、右手に持ち替えた。コック、発射。上方に二ミリ。穴は増えない。

(こんなもんかな)

 シリンダーをスイングアウトさせて、空薬莢を排出(エジェクト)した。

 店に戻り、M29をもう一度さっとクリーンアップしてから保管棚に置くと、斎は三階、つまり自宅スペースに戻った。工房にしばらく篭った上に、試射で硝煙の臭いもついている。ガンオイルと硝煙の臭いをさせてコーヒーなど飲みに行ったら、それこそ叔父に殴られかねない。

 適当に着替えを掴んで、バスルームに直行した。

 服を洗濯機に放り込み、軽くシャワーを浴びて汗を流す。着痩せする性質なのか、服の上からでは細身に見えるが、実際は意外やしっかりした筋肉がついて、まるでアスリートのようだ。

 硝煙の臭いを落とすように肌を滑っていた手が、右の鎖骨の辺りでぴたりと止まった。かすかな傷痕を指でなぞる。自嘲のような笑みが漏れた。

 十分ほどでざっとシャワーを浴びると、バスルームを出て着替えた。タンクトップとブラックジーンズ。タオルを首にかけたまま、喫茶店の方に顔を出した。

 先に倉庫を覗いたが立河の姿はなかったのだ。極めつけに、店の方からコーヒーの芳香が漂ってきているとなれば、

「叔父さん、倉庫の整理は?」

「もう終わった。おまえも飲め」

 コーヒーブレイク決定である。

 今日はキリマンジャロだ。ゆっくりと味わっていると、立河が二杯目を注ぎ足しながら言った。

「下で何やらガンガンいってたみたいだが、もう修理は済んだのか?」

「うん、シリンダーと、後はメンテだけだったし。これから諸角さんに連絡しようと思って」

「そうだな、早い方がいい」

 いくら防音設備ができていても、わずかながらには響くのである。いつもは店内にBGMがかかっているので、客で気づく人間はいないだろうが。

 店の電話で諸角に連絡し、銃が仕上がったのを伝えると、すぐに行くと返事が返ってきた。やはり自分の銃が一番なのだろう。彼を待つ間、コーヒーを楽しむことにする。

「モカ、淹れとこうか」

 気を利かせて、立河はモカブレンドの準備を始めた。

 諸角は、驚くほど早くやって来た。斎が迎えに出ると、開口一番言い放った。

「ずいぶん早かったな。しばらくなんて言うから、三、四日くらいは覚悟してたぞ」

「29系は僕も好きなモデルなんで、パーツを取り寄せといたんですよ。それに、ここんとこそんなに立て込んでなかったんで。一応、徹底的にばらしてメンテしときました」

「悪いな。大分汚れてただろう」

 そこで、タイミングよく出されたモカブレンドを、礼を言って受け取る。ガブリと一口飲みながら、疲れたように嘆息した。

「まったく、近頃のガキはどいつもこいつも、安易に薬なんぞに手ぇ出しやがって」

「……昨日の事件、ですか?」

「ああ。きっちりキメてやがった。俺のM29を傷モノにしてくれた奴もな。最近の少年事件の半分近くが薬絡みだ。まったく、頭が痛ぇよ」

「薬も銃も、今は結構簡単に手に入るようになってますしね」

 銃規制緩和の影響で、正規の銃器輸入の裏に隠れて、密輸も増えた。さらに、その正規の輸入銃をコピーした銃も出回っている。ドラッグの蔓延とあいまって、銃器関連の少年犯罪が確実に増加していた。とはいえ、今更また規制を強化したところで、減るのは合法の銃だけだ。非合法の銃は減らない。

 ちなみに警官の銃は基本的に貸与品だが、規制緩和を受けて自前の銃を持つ警官も増えた。諸角もその一人だ。もちろん警官の銃はきちんとナンバーが振られて管理されるが、銃工に持ち込んで修理するなどの場合は、今回のように代替品を借りることが認められる。無論、持ち込み先は公認を受けている銃工に限られるが。

「そういうことだ。――おまえのところにも、来てないか。カスタムの依頼とか」

「ウチは非合法の銃は受けませんよ。合法銃でも、話聞いて、犯罪に使われそうな場合は断ってます」

「公認銃工の鑑だな」

「せっかくの営業許可、取り消されたくないですから」

 肩をすくめて、斎はぬるくなったコーヒーを飲み干した。

「下、鍵開けてきます」

「ああ、俺もそろそろ行こう」

 諸角も席を立つ。連れ立って一階に下り、斎が鍵を開けた。諸角はショルダーホルスターからM629を抜いて返し、自分のM29を受け取って、嬉しげに眺めた。

「やっぱり黒い方が落ち着くなぁ」

「諸角さん、レンジ使います?」

「おまえの調整なら間違いないだろうが、まあ慣らしとくか」

 下のレンジに移動し、ターゲットを見て、諸角が感心したような声をあげた。

「あれ、何発撃った?」

「三発です。両手と片手で」

「相変わらず凄ぇ腕してやがる。俺なんか十五メートルじゃ、十センチ内に集めるだけで精一杯だってのに」

 まじまじとターゲットを見つめ、諸角は銃に弾を装填して構えた。両手のホールドで、引鉄を引く。

 真ん中の穴から一センチほどずれて、ターゲットに穴が増えた。

「くそ、やっぱりオール満点にゃ敵わんか」

 もう一発撃つと、今度は二センチほど左上。それでも中心近くに集めている。

「ハンマーが引きやすいな。やっぱりメンテはしとくべきか」

「ホントなら、使った後はマメにメンテするのが一番なんですけどね」

「そんな暇があると思うか?」

「ですよね」

 店に戻り、M629を片付けて、修理代金を受け取る。もちろん、領収書はきっちり発行した。会計に回せば、経費で落ちるのだそうだ。

 帰りざま、諸角は振り返った。

「……おまえは、薬なんかに関わるんじゃないぞ」

「分かってますよ。そんなものに手を出したら、終わりですから」

「そうだな。おまえは分かってると思うんだが、どうも心配になってな。若い奴中心に、広まってるらしいんだ」

「こんな商売ですから、銃や薬の怖さは知ってますよ」

「ああ、そうだったな」

 ひらひらと手を振って、諸角は店を出て行った。

「……心配、か」

 斎は少し笑った。何となく、面映い気分になる。

 ≪ペニーハウス≫の常連の中でも、諸角は特に斎に肩入れしてくれている。息子に重なるのだと、前に聞いたことがあった。小学校の時に、交通事故で亡くなったらしい。生きていれば、斎と同年代になっていたはずだそうだ。

『――そりゃあ心配さ。おまえはもう、私の息子なんだから』

 ふと、思い出した。過去に、斎を“家族”として、愛してくれた人。

 ――大丈夫。僕にもまた、“家族”ができたから。

 僕はまだ、生きていられる。

 軽く息をついて、斎は店を閉め、階段を上っていく。コーヒーの匂いが漂ってきた。吸い寄せられるように向かう足に、苦笑した。

(薬物中毒にはならなくても、カフェイン中毒はもう手遅れかな)




 校舎の屋上は、原則立入禁止だ。だが、哲治は人の目のないことを確かめつつ、屋上への階段を上っていた。バリケードのように置かれた机や椅子は、人一人分ほど間が空けられている。相手はもう来ているようだ。

 いつもは鍵がかかっているはずの重いスチールのドアは、軋みながら開いた。

「よーう、西脇」

 コンクリートに胡座をかいて、車座になっていた四人の少年が、こちらを振り返る。一人が手招きした。

「金は?」

「下ろしてきた」

 財布から取り出した十枚近い一万円札に、一人がひゅう、と口笛を鳴らす。

「さぁすが、お坊ちゃんは気前がいいよなぁ」

「そんなことより、薬は? あるんだろ?」

「ああ、ほらよ」

 袋に入れられた錠剤を受け取って、哲治はほっとした笑みを浮かべる。

「イイだろ? ≪ヴァンパイア・キス≫はさ」

「最高だよ。これ飲み出してから、成績上がったんだ」

「だろ? アタマは冴えるし、腕っ節も強くなんだぜ? 最ッ高のドラッグだよな」

「けどさ、他のも試してみたくねえ?」

 一人が、ポケットから紙袋を引っ張り出した。病院で処方される薬のように、小分けにされたビニールに薄いピンクの粉末が入っている。

「これ、ヤル時に使ったら凄ぇイイんだぜ。一度使ったらもうこれナシじゃできねえってくらい。おまえだっていんだろ、ヤッてみたい女の一人くらいさ」

 那々の顔が、頭に浮かんだ。頬が熱くなってくる。

 少年が、にんまりと笑みを浮かべた。

「だろ? 使ってみろよ、意識飛ぶくらいイケるぜ」

「け、けど彼女は、こっちのことなんて知らない……」

「そんなもん、ヤッちゃったもん勝ちじゃん?」

「そーそー、向こうだって騒ぎ立てやしねえって。心配なら、相手にも≪ヴァンパイア・キス≫使わせりゃいいんだよ。したら、薬欲しさに何でも言いなりだぜ?」

 その言葉は、哲治の頭に響き渡った。

 ――彼女を、自分の好きにできる?

「……それ、いくら?」

 気がつくと、口が勝手に声を出していた。

「そう来ねえと。グラム一万。高純度品だってよ」

「一万か……」

 ぎりぎりしか下ろしてこなかったので、手持ちがない。だが、さっきの言葉が頭について離れなかった。

 哲治の逡巡を見通したように、一人が唇を歪めた。

「……けどさ、おまえもそろそろ金きついだろ? ≪ヴァンパイア・キス≫も結構するからさ。――こっちの条件呑むなら、俺たちの仲間ってことで、卸値で回してやってもいいぜ?」

「ほ、ホントに?」

「ああ」

「それで、その条件って?」

 勢い込んで尋ねる哲治に、少年は悪魔の囁きを吹き込む。

「仲間を増やすんだ」

「仲間?」

「≪ヴァンパイア・キス≫を他の誰かに飲ませて、薬なしじゃいられないように仕向けるんだよ。そしたら、俺たちの仲間だって認めてやるよ」

「飲ませるって……どうやって」

「それは、自分で考えろよ。そういう頭のある奴じゃねえと、仲間とは認められねえな」

「それとよ、獲物はなるたけ、金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんにしろよ。おまえなら、そういう知り合いいんじゃねぇの?」

 ひとしきりはやし立て、少年たちは屋上から引き上げていった。哲治は一人取り残されて、ぼんやりと考える。

 誰かを犠牲にする。そうすれば、彼女が手に入るのだ。

 その時、閃いた名前があった。

(そうだ……あいつにすればいい)

 そして、≪ヴァンパイア・キス≫でハイになった脳細胞が、近付くための作戦を組み立てていく。

(……それでいい。そうすれば、彼女は俺のものになる!)

 自分で考えついた作戦に満足し、哲治はうっそりと笑った。



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