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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編童話シリーズ

相思相愛

作者: 八代 秀一

 最愛の恋人が死んだ。

彼女の病気が発覚して僅か一か月ほどのことだった。

心の準備などできるはずもない。

だって、彼女が死ぬなんて微塵も想像していなかったのだから。


 病気などすぐに回復して、これまでと変わらない日常がこれから先もずっと続いていくものだとばかり思っていた。


 それなのに、どうしてこんなことに――。


 病室のベッドで横たわった恋人の姿を呆然と見下ろして、彼は絶望した。

冷たくなった彼女の抜け殻。

もうどんなに呼びかけても彼女が返事をすることはない。

微笑み返してくれることもない。

まるで半身を捥がれた気分だった。


 ――これから先、一体、何を心の支えに生きていけばいいのだろうか。


 長い黙考の後、彼を力なく首を横に振った。

彼女のいない人生なんて考えられない。

彼女のいない世界に何の希望も持てない。

彼女さえいれれば、ほかには何もいらなかったのに――。


 彼にとっては、彼女が世界のすべてだった。

それほどまでに彼女を深く愛していたのだ。


「もう生きていても意味がない」


 彼女のいない人生に生きる意味を見出すことなどできるはずもない。

ならば、せめてあの世で一緒になろう。

そうだ、それにもし仮にあの世で一緒になれなかったとしても、今死ねば同じタイミングで生まれ変わって、来世で結ばれることができるかもしれないではないか。


 男はベッドに備え付けられた袖机の引き出しから果物ナイフを取り出し、鈍色の刃先をそっと首筋に添えた。


 今の彼女の温もりと同じ、ひんやりと冷たい無機質な感触。


「待たせてごめんね。初めからこうすれば良かったんだ。僕もすぐに行くから」


 深く目を閉じ、深呼吸を一つして果物ナイフを持つ手に力を込めた――その時だった。

不意に聞き馴染みのない声に呼びかけられて、彼はハッと目を見開いた。


「そんなことをしたって彼女には会えないよ。無駄死にもいいところさ。だって、あの世なんてものは人間が死を恐れるあまりに創作した夢物語に過ぎないし、ましてや生まれ変わりなんて宗教のご都合主義もいいところだもん」


 見ると、窓際で波打つカーテンの陰に小学生ぐらいの男の子が見え隠れしている。

年の頃は、7、8歳といったところだろうか。

西日を背にしているせいで顔はよく見えないが、白いランニングシャツに半ズボン、ランドセルらしきものを背負った不思議な少年だ。


「君は?」


 どこかの病室の子供が迷い込んだのだろうか?

訝しそうな彼の視線に、少年はおどけるように肩を竦めて、


「別に僕のことなんて、どうだっていいじゃない。それよりもどうだい? どうせ死ぬんだったら、僕と取引しないかい?」


「取引?」


「そう、寿命を取引するんだよ。といっても、まぁ、実際に取引するのは、お兄さんとお姉さんであって、僕は単なる仲介役に過ぎないんだけどね。どうだい? お兄さんとお姉さんの寿命を入れ替えて、お姉さんを生き返らせてみないかい?」


 死んだ人間を生き返らせる?

それこそご都合主義の夢物語ではないか。


「えっと、悪いんだけど、君が何を言っているのか、僕にはわからないよ。それに今は子供の遊びに付き合っている気分じゃないだ」


 素気無くあしらうと、少年は色のない声で「ああ、そう」と呟いて、逆に突き放すようにこう言ったのである。


「別に僕は無理強いをするつもりはないけど、本当にいいのかい? 今を逃がしたら、もう二度とお姉さんを生き返らせることは出来ないよ。僕もそれほど暇じゃないからね」


 子供の戯言だ。

そんなことはわかり切っている。

でも、もし本当にそんなことができるのだとしたら?


 悪魔のささやきにも似た少年の言葉に心が揺らぐ。


「本当に僕が犠牲になれば、彼女を生き返らせることができるのかい?」


「もちろん。ただし、代わりにお兄さんは死んじゃうけどね。でも、自ら命を絶つほどお姉さんのことが好きだったわけしょ? だったら、何も問題ないと思うんだよね。それとも何かな。お兄さんは死んだ恋人のことを想って泣いていたんじゃなくて、恋人を亡くした自分が可哀想で泣いていたってことなのかな?」


 険のある物言いだ。

イラッとして言い返す。


「そんなわけないだろ。僕にとって彼女は人生のすべてだ。彼女の幸せの為なら、僕は死んだって構わないさ。いいだろう。もし君が本当に僕と彼女の寿命を入れ替えることができるならば、実際にやってみせてくれよ」


「そうこなくっちゃ。じゃあ、早速そこの椅子に腰かけて、目を瞑って、気持ちを楽にして。大丈夫、痛いのはほんの一瞬だから」


 言われるがままに来客用のパイプ椅子に腰を下ろして目を瞑ると、瞼越しに少年が大きな鎌のような物を振り上げる気配を感じた。

が、それもほんの一瞬のことだ。

ビュンと一陣の風が首筋を通り過ぎたかと思うと、意識は稲穂を刈り取るがごとく消えて無くなったのだった。


 次に彼が目を覚ましたのは、日付が変わって少しした頃だった。


 寝ぼけ眼を擦りながら病室を見回す。

無機質な壁、白い天井、夜の街並みを映す窓辺に少年の姿はない。

仄かに消毒液臭い病室には、以前と変わらず、冷たくなった恋人が寝かされているだけだ。


 ――やはり子供の戯言か、それとも僕は夢を見ていたのだろうか。


 自嘲気味に片頬笑んだ時。

不意に背後から声がして、彼はハッと背中を固くした。


「残念だけど、これは夢じゃないよ」


 紛れもない、先程の少年の声だった。

けれども彼女は生き返っていないし、僕は死んでいない。


「これは一体、どういうことだい? 僕と彼女の寿命を入れ替えてくれるんじゃなかったのかい?」


 肩越しに尋ねると、少年は事もなげに、


「入れ替えたよ」


「じゃあ、どうして彼女は生き返っていないのかな?」


 無論、そんなことが本当にできるなんて初めから思っていない。

けれども、まったく期待していなかったと言ったら嘘になるだろう。


「仕方ないだろ。お姉さんも同じように願ったんだから。自分の寿命と引き換えに、お兄さんを生き返らせて欲しいってね。でもまあ、これはこれで良かったじゃない。相思相愛ってことが確認できたんだからさ。とはいえ、本音は単に恋人のいない世界で一人孤独に生き続ける苦痛を押し付けられるのが嫌だっただけかもしれないけどね」


 言葉のトゲにチクリと刺されて反射的に振り返る。

が、そこに少年の姿はなかった。

残っていたのは、孤独感を煽る夜陰の静けさと鉛を飲んだような胸の重さだけだ。


 あの少年は、一体何者だったのだろうか。

本当に実在する人物だったのか、それともやはり僕は夢を見ていたのだろうか。

どちらにしても、彼女が生き返らないことだけは確かだ。


 そう実感すると、またぞろ彼女との思い出が溢れてきて彼は泣いた。

築いた思い出を数えるように零れ落ちる涙。

そして彼は思うのだった。


 ――果たして僕は、死んだ恋人を想って泣いているのだろうか? それとも恋人を亡くした自分が可哀想で泣いているのだろうか?

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