勇者は遅すぎた
王国にある小さな鍛冶工房。
炉の後始末を終え、工房を出る。
火の始末はキッチリ確認しなければ安心出来ない。
いつも主人がしていたから、私も身体に染み付いている。
「よし」
工房の鍵をしっかり閉まったか最後の確認。
さあ帰ろう。
「ん?」
家路を急ぐ私の目に1人の人影が。
もう夜は深く周りは真っ暗闇、この辺りがいくら治安の良いといっても、こんな時間に出歩く人間なんか珍しい。
1軒の屋敷前で立ち尽くす人影。
ある女が30年以上前に建てた屋敷。
そこで起きた事件は、みんな知っている。
浮気をした勇者。
夫を殴打し、唾を吐きかけた愚か者の話。
「まさか…」
その人影は大柄でフードを目深に被り、膝下まであるマントに身を包んでいる。
顔は見えない。
その様子に胸騒ぎを覚えた私は駆け寄った。
「ミッシェルさん?」
「ち…違います」
それはミッシェルだった。
いくら否定しても、この声は忘れる事が無い。
「待って!」
走り去ろうとするミッシェルを呼び止める。
なぜここに居るのか、聞きたい。
「私はアレックスの妻、アンナです」
「ア…アレックスの」
「はい」
女は立ち止まり、振り返った。
「そう…貴女がアレックスの…」
ミッシェルが今、どんな表情をしているか分からない。
小刻みに震える様子に敵意は感じなかった。
「とりあえず場所を変えませんか?
いくら深夜でも、貴女がここに居ては何かとまずいでしょ」
「でも…」
「そうね、私の家に来ませんか?
そこなら誰にも見つからないし」
「え…それって?」
明らかに躊躇しているミッシェル。
アレックスに会うのが怖いのだろう。
「アレックスは…今居ません、だから」
「そう…なんだ」
少しホッとしたような、それでいて寂しそうにミッシェルが呟いた。
「さあ上がって」
「失礼します」
少し歩くと見える小さな家。
ここが私の暮らす終の住処。
「マントはそこに掛けて、今お茶を淹れるから」
「そんな、気遣わないで」
「子供達も独立して、ここには住んでないから大丈夫よ」
「子供…?」
「ええ、娘が二人と息子が1人。
今は孫も六人居るのよ」
「そっか…アレックスに孫まで…」
5年前、最後の子供が独立したのを期に、私はそれまで住んでいた家を売り払い、この家に引っ越して来た。
引き継いだ実家の工房も息子に譲った。
私は近くに新しい工房を立ち上げ、今は自分の出来る範囲の仕事をこなしている。
息子はまだアレックスに遠く及ばないけど、彼なりに頑張ってくれてるから、それで良い。
私の世話を子供達は見ると言ったが、お断りさせて頂いた。
みんな家庭があるし、なにより私は元気だ。
それに気を使いたくない。
「さあ、早く座って」
「でも…」
まだ躊躇っているミッシェルのマントを脱がせ、テーブルに着かせる。
マントの下、露わになるミッシェルの両腕は当然義手だった。
「さあ、どうぞ。
その義手でも、ちゃんと飲めるでしょ?」
「ええ…そうね」
器用に義手の先でカップを摘み、お茶を啜るミッシェル。
上手く使いこなせているわね。
「王都は久しぶりでしょ?
何年振りかしら」
「さ…30年振りになるわ」
「そっか…随分経ったわね、それじゃミッシェルは58歳ね、私も50歳だもん、お互い歳を取ったものね」
「え…ええ、そうね」
まだ緊張しているミッシェル。
私の事など殆ど覚えてないだろう。
あの頃はまだ小娘だったし、なによりミッシェルの顔なんか見たくもなかった。
今のミッシェルは、茶色だった髪もすっかり白髪になり、顔には無数の皺が刻まれている。
だが、髪は手入れされて、薄く化粧も、薄汚い印象は全く受けなかった。
「貴女の話は聞いてるわ。
すっかり有名人ね」
刑期を終えたミッシェルの歩んで来た道は知っている。
辺境での刑期は18年前に終え、そこでの真摯な態度と活躍に、王国は勇者としての地位を再び与えて王都への帰還も許した。
しかしミッシェルはそのまま数年間辺境に留まり、残された罪人の待遇改善に尽くした。
そして辺境を出たミッシェルは王国や世界各地を巡り、その土地の捕まっている犯罪者達が再び社会復帰出来る施設を作る活動を始めた。
当たり前だが、元犯罪者に対する社会の目は厳しい。
また家族に受け入れて貰える人間なんか僅かだ。
そんな人間の為、ミッシェルは各国に働きかけ更生施設を作って回っているらしい。
「なぜ王都に?」
「ここ近くの街に施設を作る話があって、ついでに王都に寄ったの、協力者と一緒に」
「協力者?」
「…私と同じ、元罪人。
色々私の世話もしてくれる人達よ」
「その方達は?」
「先に宿へ戻って貰った。
私は用事があるからって言って」
普段からミッシェルの身の周りを世話をする人間が居るのか。
だからみすぼらしい形はして無かったんだ。
そこまでは知らなかった。
「立派にやってるのね」
「そんな事…私は罪人だから」
「元罪人でしょ?
もう刑罰の罪は償ったんだし」
「単に刑期を終えただけ、アレックスには何も償ってない」
「主人に何も償ってない…か」
「そうよ…だから」
アレックスに謝りたくて、王都に来たって事ね。
でもミッシェルは知らないのかしら?
「残念だけど、それは叶わない」
「…え?」
驚いたように顔を上げるミッシェル。
でも、本当の事、それは決して叶う事が無いのだ。
「当たり前よね。
私がした事は今も赦せる筈ないもの…」
「そうじゃない」
「そうでしょ、赦せなくて当然よ…」
項垂れるミッシェル。
分からないなら、教えるしかない。
「アレックス…主人は8年前に亡くなったのよ」
「まさか!」
「本当よ、流行り病でね。
あっと言う間だった…」
あの時は悲しかった。
絶望に打ちひしがれ、後を追う事も考えた位に。
それをしなかったのは、アレックスが遺した工房と、愛しい家族が居たからに過ぎない。
「もう…謝れないのね…
アレックスは私を恨んだまま…」
ミッシェルは涙ぐむ。
謝罪なんか独り善がりな行為でしかない。
数多くの罪人を見て来たミッシェルなら分かるはずなのに、どうしても気持ちには逆らえなかったって事か。
「…よかったら使って」
そっとハンカチを傍に置くと、義手の先にハンカチを引っ掛け、器用に涙を拭った。
「上手いものね…」
「ええ…この義手は戦う為に作られた物じゃないから。
勇者の力が衰えて、戦えなくなった10年前に特別で作って貰ったのよ。
よく出来た義手…全く壊れないの」
ミッシェルは義手を見る。
懐かしい義手。
なぜならミッシェルの義手を作ったのは…
「…きっとアレックスも喜んでるわ」
「え?」
「その義手を含めて、貴女が使って来たのは全部アレックスが作った物よ」
「まさか…そんな」
ミッシェルは今日一番の驚いた顔を見せる。
当然だ、自分を一番恨んでいると思っていた人が、そんな事をしていたなんて信じられない話だろう。
「嘘…まさかずっとアレックスが」
「考えたら分かるでしょ。
僅かな報酬で高価な義手を何回も買い替えたり出来ると思う?」
「…あ」
主人は依頼がある度、誰が作ったかはミッシェルに教えない条件で義手を作っていた。
「なぜ…どうしてアレックスは?」
確かに信じられない行動だった。
アレックスは毎回壊れた義手を見ながら、
『ここの金具がまずかった』とか、
『ここの金属を補強しよう』って言っていた。
ミッシェルに対しての思いやりと言うより、職人としての探究心からだった。
「その義手が最後の作品よ、せいぜい大切に使いなさい」
「あぁアレックス…」
「アレックスはその義手を作りながらホッとした顔をしていた。
『もうアイツの戦いは終わったんだな』って」
「アアアア!!」
ミッシェルはテーブルに突っ伏して泣き出す。
号泣、獣のような、咆哮に似た叫び声。
その声に怒りが込み上げて来た。
ごめんね、アレックス。
そろそろこっちの我慢も限界よ。
「ふざけるな!
今まで何をしていたの!!」
「アンナさん…」
私の態度が変わった事にミッシェルは驚いているが言葉が止まらない。
「主人が死んだ事すら知らないで、今更なのよ!」
「…だって」
「だってじゃない!」
また言い訳か。
結局この女は何も変わってないのだ。
知りたい事だけしか知ろうとしない。
反省だって、人に教えられてからようやく知る。
自分本位、こっちは謝罪なんか要らないのに。
アレックスもそんな事をを望んでいなかった。
ミッシェルの義手を作っていたのだって、ただ勇者としての責を果たすのに必要だからと、兄上に言われて、作っただけ。
兄上も勇者と共に戦った事があったから、哀れに思ったのだろう。
金銭も足りない分だって、兄上がポケットマネーから出していた。
『まあ、斬り落とした責任かな?』
そう言っていたが、教えてなんかやるもんか。
「私は…私なり…に」
呻くミッシェル。
確かに彼女のしてきた事は立派かもしれない。
だけど、私からしてみれば愛する人を蔑み、傷つけた悪人にしか未だに見えない。
「アレックスの…主人の想いは私も理解出来ない」
「アレックスの想い…」
「ええ、どこまでミッシェルを恨んでいたか分からない。
貴女の話なんか殆どしなかったし」
これは本当の事。
だが、ミッシェルに未練があった訳ではない。
ミッシェルに対し心底呆れ、愛情はもう全く無いと言っていた。
だからといって、特に恨む事も。
『そんな感情を持つ事自体煩わしい、俺が愛してるのはアンナ、君だけだ』
そう言い、私を抱きしめてくれた。
本当に彼と結婚出来て幸せだった。
そんなアレックスを傷つけたミッシェルを私は絶対に赦せない。
「…ミッシェルの戦っている姿が好きだったって」
「それアレックスが?」
良い反応ね、我ながら性格が悪いと思うけど、仕上げと行きましょう。
「アレックスが貴女のプロポーズを受けた時よ。
一度だけ聞いたの、どうしてミッシェルとの結婚を決めたのかって」
「わ、私のプロポーズ」
「男の子って強い人に憧れるじゃない…勇者なら尚更だったでしょうね」
熱心というより、異常な程にミッシェルからのアプローチは凄かった。
遂に押し切られたアレックス。
だけど、アレックスもミッシェルへの愛はあったんだろう、だから結婚までしたんだから。
「わ…私はなんて事をしてしまったの!!
謝れない!もう謝る事が出来ない!!」
再び泣き出すミッシェル。
今更な謝罪だ、せいぜい苦しむがいい。
ずっと罪の意識を抱いたまま生きて行けばいいのだ。
『ざまあみろ!』
心の中で快哉を叫んだ。