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第6章 揺れる報道の倫理

 記事が出たのは月曜の朝刊だった。社会面特集『“支援”の名を騙る闇――貧困ビジネスの構造と制度の穴』。真由が数週間かけて掘り起こした実態が、全国紙の紙面に載った。


 掲載から数時間、社の代表電話は鳴り止まなかった。


「よくぞ書いてくれた」「あれはうちの町にもある話だ」


 支援団体や読者からの応援の声が相次いだ一方で、


「生活保護者を甘やかすな」「書いた記者は社会を混乱させて喜んでるだけだろ」


 という罵倒も同じ数だけ届いた。


 ウェブ版!ニュースのトップに躍り、コメント欄には「真実だ」「よく調べた」から「働かない奴のために税金使うな」まで、何千という反応が並んだ。


真由(内心):「報道は光にも刃にもなる」——その言葉が、あらためて現実味を帯びていた。


 その日の夕方、取材対象だった元囲い込み型施設の入居者・山本から電話が入った。


「記事、読みました。ありがたいです。でも……正直、怖くなってます。今の施設の職員が、“なんでこんなタイミングで取材受けたんだ?”って言ってきたんですよ。名前出してないのに、空気でわかるんですね……」


 真由は固くなった喉で「ごめんなさい」とだけ言うことしかできなかった。自分の言葉が、誰かを救うと同時に、誰かの立場を脅かしている。事実は人を守るが、暴くこともある。


 記事の反響は大きかった。支援団体への寄付が増え、真由のもとには新たな情報提供が舞い込んだ。


 ネットカフェ難民の女性が「記事を読んで生活保護を申請しようと思った」とメールを送ってきた。


 脱法ハウスを逃げ出した有田からは、「あの記事のおかげで、支援団体が弁護士を紹介してくれた」と連絡があった。


 一方で、新聞社の広報に1通の内容証明郵便が届く。


『貴社掲載の記事は、当社運営施設を連想させる内容であり、名誉毀損及び営業妨害に該当する可能性があります。謝罪及び訂正を求めます。』


 差出人は記事中で名前も出していない、だが噂されていた業者の一つだった。


 その数日後、社の出入り口付近に見知らぬ男が立っていたという報告があった。「例の記事を書いた女記者って誰?」と、ビル管理会社の職員に執拗に尋ねていたという。

 社内に緊張が走った。真由のスマートフォンにも、“非通知”から何度も着信が入る。SNSの匿名メッセージには「お前もいつか路上に落ちるぞ」とまで書かれていた。


 編集部の会議室では緊張した空気のなか、上層部と社会部記者たちが集まり、対応を協議していた。


「法的リスクを考えれば、第2弾は慎重にすべきだ」

「行政からの問い合わせも来ている。今後の取材は正式な照会を通せ」


 真由の胸に冷たいものが流れる。


「だったら、最初から書かなきゃよかったって言いたいんですか?」


 声に出したのは、小山だった。対立する局長と睨み合いになりかけたとき、意外にも、若手記者の佐伯が口を開いた。


「……井川さんの記事、俺、泣きました。

実はうちの母親、生活保護を受けてた時期があって。ずっと黙ってたけど、あれ読んで、“あの頃のことを恥じなくていいんだ”って思えたんです」


 その場の空気が静まる。数人の記者が、うなずいた。


 夜、真由は自席でパソコンの画面を眺めながら、ページビューのカウントが少しずつ減っていく様を見ていた。

 最初はバズった。でも、3日も経てばトレンドは移る。関心は離れる。


「社会は一瞬、こっちを向いた。でも、すぐ別の話題へ行ってしまう。

書いた私は、その先もずっと背負い続けるのに」


 ふと、以前訪れた“ぼよよん”のイベントのことを思い出した。あの時、自分は「子ども向けキャラクターで社会問題なんて伝わるわけがない」と思っていた。


 でも、あの時の演者・三井沙耶香の声は、確かに子どもたちの胸に届いていた。


 その週末、公民館のホールで再び“ぼよよん”と再会した。子どもたちの笑い声と、保護者たちの柔らかな視線が舞台を包んでいた。


 舞台の奥で、三井沙耶香が、着ぐるみの頭を外して、汗を拭いていた。


「来てくれてありがとうございます」

「こちらこそ……少し、迷ってたんです。書いたことが、誰かを傷つけてしまって」


 沙耶香は小さくうなずき、少し間を置いて語った。


「私たちは“やさしい物語”に見えるようにしてるけど、実はとても厳しい現実を見つめてます。

子どもには、ほんとうのことを言わないと、逆に傷つけてしまう。だから私は、演じるときこそ嘘がつけません」


 真由は黙って聞いていた。報道もそうだ。伝える者は、結局のところ“誠実であること”しかできない。声を届ける者は、自分の手に乗せたその声が、刃になって返ってくる覚悟を持たなければならない。


 日曜の夜。真由はパソコンに向かっていた。


「報道は、誰かを救うかもしれない。

でも同時に、誰かの傷を深めるかもしれない。

それでも私は、書く。

なかったことにされる人生が、また一つこの街に埋もれる前に。」


 彼女は静かに“保存”をクリックした。

 もうすぐ、また月曜日が来る。

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