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第4章:排除される人々

 玄関先で拾った小さな新聞の切れ端を指先で撫でながら、井川真由はふと息をついた。都内の古びたアパートの一室での取材を終えたばかりだが、いまだ胸の奥にひっかかる感覚がある。ここ数日、自らの足で見聞きしてきた事実が頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。


 彼女が追っているのは、社会の片隅に追いやられた人たち——いわゆる「排除される人々」の姿。リーマンショックや派遣切り、非正規雇用の拡大といった社会情勢のあおりを受け、住まいを失い、孤立を深める人々がいる。さらに最近は、社会保障制度が見直しや改正の名のもとに、より厳格化・効率化へと向かっている。支援につながりきれないまま「排除」が進む現状が、真由の目にはどこか危うく映った。


年越し派遣村の記憶

 冬の寒さを感じ始めたある日、真由は東京・神保町の雑居ビルに向かった。そこに借りられた小さな会議室で、「年越し派遣村」の元スタッフだった男性が取材に応じてくれることになっていた。


「当時はすごかったですね……」


 50代半ばの男性は、温かいお茶を口に運びながら遠い目をする。リーマンショックの影響で、製造業派遣が一気に打ち切られ、住まいと仕事を同時に失った人々が大勢いた。野宿せざるを得なくなった人、ネットカフェを転々とする人、全財産がスーツケースひとつになってしまった人。


「僕らの年越し派遣村に、寒空の下で行き場をなくした失業者が押し寄せました。国の制度はある程度整ってるはずなんです。でも、申請手続きが複雑だったり、家族に頼れと言われたり……要するに『すぐには使えないセーフティネット』なんですよ。年齢が若いと『まだ働けるだろう』と門前払いにされるケースも多かった」


 真由はメモを取るペンを止め、「社会保障制度の最近の改正」というキーワードを切り出す。男性は苦笑いした。


「まぁ、生活保護法改正や生活困窮者自立支援法で“就労支援”を強化するってのは聞こえはいいです。だけど実際、自治体の予算や意識によって差が大きいし、家族にまず頼めとか“自助・共助”を優先する風潮が強まってる。結果、当事者が申請をためらい、路上に放り出される人が減らない。『排除』だよ、これは」


 真由の胸には重い何かがのしかかる。一度社会の仕組みから外れてしまうと、あまりにも復帰が難しい。年越し派遣村の記憶を語る彼の言葉には、悲痛な諦念と、それでもあきらめきれない思いが混じっていた。


ホームレス支援団体「つなぎの会」取材

 夜8時を回り、真由はあるホームレス支援団体「つなぎの会」の夜回りに同行した。街灯の下、都内の繁華街から少し外れた公園近くまで歩いていくと、ベンチで毛布にくるまる人の姿が見える。警備員に追い出されて転々としている人、ネットカフェが満室で入れなかった若者。彼らは「統計に表れない」ホームレス状態にいる人たちだ、とスタッフは言う。


「路上でテントを張っている人だけがホームレスじゃないんです。ネットカフェ難民や脱法ハウスも、住民票を移せず、住所不定扱いになってしまう。これって“見えないホームレス”だと思いませんか?」


 支援スタッフは小声で言う。「排除」という言葉は、単に“そこから立ち退かされる”というだけじゃない。社会全体が、存在すらなかったことにしてしまうことでもあるのだ。


「彼らが人権を侵害されているといっても、なかなか問題にされない。差別的に『汚いから出て行け』と言われたり、警備員から暴言を浴びせられたりするケースは珍しくないんですよ。排除されて、さらに差別される。二重三重の苦しみを負ってしまうんです」


 真由は頭を下げたまま、深く頷く。人権という観点が必要だ。彼らが生きているこの街で、なぜ普通にトイレにも入れないのか。誰もが暮らしを保障されるはずなのに、制度は複雑で、周囲からは「自己責任」と言われて……。


学校現場に広がる子どもの貧困

 翌日、真由は区内のある小学校を訪問した。ここでは子どもの貧困対策に力を入れており、校長や教師の働きかけによって朝食支援や放課後の居場所づくりが行われているという。


「子どもたちは、なかなか自分から貧困を言葉にしません。『朝ごはんを食べてこない』『ノートや筆記用具がない』『保護者が夜遅くまで働いて家にいない』——そういう兆候を教師が気づいても、どう支援すればいいのか分からないことも多くて」


 校長は苦しい表情を浮かべる。「スクールソーシャルワーカーや民間の支援団体と連携し、学習支援の場を作ったり食を支援したりしている。でもそれは一部の学校・地域だけの取り組みで、予算も足りない。国や自治体が本腰を入れていないから、結局現場の先生たちに負担が押し寄せてしまうんですよ」


 さらに教師のひとりは、「軽度発達障害の可能性がある子がいて、家庭も経済的に苦しい。だけど親御さんは障害を認めたがらず、公的支援も利用できない」とこぼす。

 家庭事情や障害、経済困窮が絡み合うとき、学校がどこまで踏み込めるか——答えは誰も持っていない。そこでも制度の狭さと差別への恐れが、子どもを追い詰めていた。


具体的に見えづらい貧困——シングルマザー・清美のケース

 真由は、山谷地区で出会ったシングルマザーの中山清美(48歳)を再訪する。彼女はパートを2つ掛け持ちし、朝から夜遅くまで働いている。それでも家計は火の車だ。家賃、光熱費、食費、子どもの学費……どれも削れないが、どれも払うのがやっと。


「生活保護、考えないわけじゃないんです。でも“家族に援助してもらえないの?”とか、“まだ働ける年齢でしょう?”とか言われるんじゃないかと思うと……」


 清美はうつむいて困り顔をする。「子どもに恥をかかせたくない」という思いもある。社会や周囲の目は「自己責任」や「怠けている」というイメージを押しつけてくる。

 真由はメモをとりながら、その痛切さを実感する。実際には不正受給なんかより、こうして制度を使いたくても使えずに踏みとどまっている人のほうが圧倒的に多い。子どもがいるからこそ、清美は必死に頑張っているのに、支援を求めること自体が“後ろめたさ”に変わってしまっているのだ。


排除の連鎖に立ち向かう

 この数日間の取材を通じて、真由のノートには、たくさんの「排除」の痕跡が記されていた。ホームレスへの暴言や追い立て、年越し派遣村に殺到した人々、学校現場でこぼれ落ちる子どもたち、申請をためらい続けるシングルマザー——どれも“誰かが社会からこぼれ落ちる構造”を示している。


 元派遣村スタッフの「誰かが伝え続けないと、存在ごと切り捨てられる」という言葉が蘇る。真由は机に向かい、記事の草稿を書き進める。だがふと、ふいに「こんな記事を書いたところで、社会は変わるのだろうか」という無力感がよぎった。

 それでも、あの夜回りで出会ったスタッフの言葉——「人権はあるはずなのに守られない人がいる。それを見過ごすのは社会全体の責任」——を思い出す。ここで筆を止めてしまえば、まさに彼らを“見えない存在”としてしまうのは自分だ。


 深夜、パソコンの画面に向かっていた真由のスマートフォンが震えた。ホームレス支援団体からのメールだ。「来週、都内某所で子ども食堂を兼ねた無料相談会をする。もしよろしければ取材に来ませんか?」という内容。

 彼女は一瞬迷った末に「ぜひ伺います」と返信した。“排除”を追う先に見えるもの——それは人々がともに声を上げ、つながり合う小さな芽かもしれない。先の見えない孤立や差別に負けず、支援や連帯を拡げる実践に光を当てたいと、真由は思う。


取材メモ

 こうして「排除される人々」にまつわる取材は一段落したものの、真由は実感している。社会保障制度の穴、差別や偏見がもたらす人権問題、そして子どもの貧困をめぐる学校現場の苦闘。どれ一つとして簡単には解決しないし、目に見えない苦しみほど深刻だ。

 だが、次に真由が向かうのは、貧困ビジネスの闇を暴く取材。そこでまた別の現実を目の当たりにすることになるだろう。彼女はノートを閉じ、夜の空を見上げる。

 人が社会から外されるとき、その足元は暗い影に覆われる。しかし、だからこそ書かなければならない。誰かの人生を記号で終わらせないために。次なる一歩を踏み出すため、真由は鞄の中の取材メモをぎゅっと握りしめた。

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