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第2章 山谷の現在(いま)

真由が柴田陽太と再び会ったのは、山谷の小さなカフェだった。「さんやカフェ」と名付けられたその場所は、外国人バックパッカーたちが自由に出入りし、地元住民とも交流する不思議な空間だった。


「想像と全然違いますね」と真由は言った。


柴田は笑って頷いた。「でしょう?山谷はもう、かつての『ドヤ街』だけでは説明できないんです。」


「私、2002年の日韓ワールドカップあたりから外国人が増えたとは聞いていましたが、これほどとは思っていませんでした」真由は続ける。「観光客と山谷って、ちょっと違和感があります。」


「それが最初の認識のズレですね。」柴田は落ち着いた口調で言った。「観光客は確かに増えました。安く泊まれる宿泊施設が外国人バックパッカーたちに人気なんです。でも、その裏で地元の住人たちは複雑な気持ちを抱えています。」


「複雑というと?」


「観光客が増えれば地域経済は潤います。でも一方で、昔からここに住んでいる人たちは、自分たちの街が変化するのを少し怖がっている。街が『自分たちのもの』ではなくなるという不安です。」


真由はカフェの壁に貼られた山谷の古い写真を見つめながら話を続けた。「私が知っている山谷は、日雇い労働者が溢れ、生活に困った人が集まる場所という印象でした。リーマンショック後には中年の人々が増えたとも聞きましたが、それも実際のところどうなんでしょう?」


柴田は少し表情を曇らせた。「リーマンショックの影響は非常に大きかったです。製造業などで『派遣切り』に遭った40代から50代の中高年層が大量に流れ込んだ。今ここで生活困窮状態にある人々は、いわゆる『失われた30年』をそのまま体現しています。」


「失われた30年……」真由は繰り返した。


柴田は静かに続ける。「山谷という街が昔と違っている一番大きな理由は、日雇い労働のニーズが消えたことです。労働者として来た人々が働けなくなり、年を取ってここに取り残されました。彼らの多くは生活保護に依存せざるを得なくなり、『福祉の街』と呼ばれるようになりました。」


真由は慎重に問いかけた。「正直、私は『福祉の街』という言葉に少し抵抗がありました。行政が困窮者をここに集め、ある種の『囲い込み』をしているのではと感じてしまって……」


柴田はその問いに落ち着いた声で答えた。「それもまたよくある誤解ですね。山谷に生活保護を受ける人が多いのは事実ですが、それは行政が意図的にそうしているわけではありません。むしろ、ほかに行き場のない人たちが自然に集まってしまった結果なんです。」


真由は深呼吸して言った。「私はまだまだ知らなければならないことがたくさんあるようです。」


柴田は真由を真っ直ぐ見て言った。「メディアが山谷を伝えるとき、時に住民を『記号化』してしまう。真由さん自身も、取材のなかで葛藤しているでしょう。でも、本当に伝えたいことは『この街に住む人々のリアルな声』であるべきです。」


真由はうなずきながら心の中でつぶやいた。確かに、私たち報道ができるのは「記号化」ではなく、読者が問題を自分ごととして捉えるための「きっかけ作り」なのだ。


カフェを出て街を歩きながら、真由は改めて周囲を見渡した。昔の面影を残す建物と、新しく建てられたゲストハウスやカフェが混在する不思議な街並み。行き交う外国人観光客と地元住民の姿。それらが彼女の中で一つの像を結びつつあった。


真由は自分がまだこの街を、そしてそこに住む人々の現実を十分に知らないことを痛感した。そして、もっと深く、もっと丁寧にこの街と向き合う必要性を強く感じ始めていた。


さんやカフェを出たあとも、柴田は真由を連れて山谷の路地をゆっくり歩いた。夕方が近づくにつれ、簡易宿泊所の軒先では高齢の男性たちが将棋を指したり、談笑したりしているのが見える。その脇を旅行用のリュックを背負った外国人観光客が通り過ぎ、時には互いに笑顔で挨拶を交わしていた。


「不思議な光景ですよね」柴田が言う。


「ほんとに……」と真由は小さくつぶやく。かつてのドヤ街の雰囲気を残しつつも、ここには新しい何かが入り混じっているのを肌で感じていた。


地域住民の生の声


柴田が声をかけたのは、木製の簡素な腰掛けに座っていた初老の男性だった。ニット帽を目深にかぶり、顔の半分をマスクで覆っている。柴田は軽く会釈して話し始めた。


「こんにちは、最近どうですか、体調は?」


「ああ、なんとかやってるよ。仕事はもう見つからねえけどな」


男性は元建設作業員で、いまは生活保護を受給しながらドヤで暮らしているという。聞けば、若いころは全国の建設現場を渡り歩き、東京オリンピックのころには都会の大工事に携わった思い出があるそうだ。


「1964年の頃は忙しかった。あの頃、オレらが作った道路やビルのおかげで東京は世界に誇れる街になったんだ。……でも、年を取ったら仕事も健康もなくなってしまってよ」


そう寂しげに語ったあと、彼はちらりと通りを行き交う外国人観光客を見やって言葉を続けた。


「でもまぁ、こうして観光客が来るのはいいことかもしれないな。町が賑やかになるからよ。オレも暇があったら英語の挨拶ぐらいは勉強してみようかって思うよ」


なんとも言えない明るさとわずかな諦念が交錯する言葉に、真由は胸が締め付けられる思いだった。


山谷の具体的な風景と「福祉ドヤ」


少し歩くと、古い木造建築を改装した宿泊所の前に着く。外壁には英語や韓国語、中国語の案内が貼られ、定住の高齢男性が出入りする一方で、大きなスーツケースを引いたバックパッカーもやって来る。


「ここがいわゆる『福祉ドヤ』ですか?」と真由が尋ねる。


「いえ、ここは一般のドヤがゲストハウスに転用されたタイプですね。福祉ドヤというのは、生活保護受給者を中心に受け入れている施設で、個室や相部屋で暮らす形態です。『貧困ビジネス』と紙一重な運営をしているところもあって、課題が多いですよ」


柴田のNPOでは、こうした福祉ドヤの入居者の生活相談や医療同行などを行うことがあるという。中には、生活保護費を受け取っているのに十分な食事や清潔な部屋を提供されず、実質的に搾取されているような事例もある。それらを防ぐためにも、定期的な巡回や見守りが欠かせないのだと柴田は説明した。


真由の内面


その説明を聞きながら、真由の頭の中には先ほどの高齢男性の言葉が引っかかっていた。「自分たちはかつて東京を支えた。しかし歳を取り、気づいたらここに取り残された」。


(ここにはそういう人がたくさんいるのかもしれない。今は外国人で賑わう宿のすぐ隣で、生活保護受給者が孤立している……)


かつて「社会の隙間」に落ちてしまった人が最後に行き着く場所。それが山谷なのだろうか。真由の胸に、ひとつの疑問とともに、強い使命感が生まれつつあった。


柴田のNPOの具体的支援


角を曲がると、プレハブのような建物が並ぶ一角が見えた。そこには「自立支援センター○○」と書かれた小さな看板が掛かっている。柴田のNPOもこの周辺のいくつかの施設と連携し、相談会や炊き出し、簡易的な健康診断を定期的に実施しているのだという。


「たとえば失業や病気、家庭環境の問題など、相談内容は千差万別です。『どこにも住む場所がない』『行政や福祉事務所の制度がわからない』といった人をまずは受け入れて、少しずつ安心して暮らせる状態を目指しています」


柴田はそう語り、センターの前にいる仲間に挨拶をしていた。すぐ隣では炊き出しが行われており、高齢男性だけでなく中年女性や若いワーキングプアらしき人も並んでいる。


「ここには本当にいろんな境遇の人が来ます。ホームレス状態と一括りにしても、理由や背景は様々で……」柴田の言葉には、もどかしさと、しかしそれ以上に熱意を感じた。


多様な人々と山谷のこれから


同じ列に、リュックを背負った20代ほどの男性がいた。柴田によれば、彼はリーマンショック以降の不況で親が失業し、家を失った。派遣の仕事も見つからず、しばらくネットカフェを転々とした末にここに流れ着いたという。


「若い人も増えてるんですね」と真由がつぶやく。


「ええ。『山谷は高齢者の街』というイメージが先行しているけど、本当は若年層もいます。社会的なセーフティネットから外れてしまった結果、ここに来るしかない……。」


真由は柴田が指し示す先を見つめながら、これが今の日本の縮図なのかもしれないと思った。外国人観光客が支える一面と、生活保護や貧困ビジネスの狭間で喘ぐもう一つの現実。想像以上に複雑な問題が絡み合い、それが山谷という地域をいま形作っているのだ。


柴田は静かに言った。


「だからこそ、僕らはここで支援活動を続けています。山谷は決して『終着駅』じゃなくて、もう一度やり直せるための『始発駅』になりうると信じているんです。何歳であろうと、どんな境遇であろうと、ちゃんと暮らせる社会にしたい。そのために、まだまだ課題は山積みですが……」


真由は目の前の光景を見渡しながら、その言葉を胸に刻んでいた。高齢男性も、中年の人も、若い人たちも、この街でそれぞれのストーリーを生きている。どう伝えれば、社会は目を向けてくれるだろうか。


(私は書かなきゃ。忘れ去られないように、彼らの声を。)


夕暮れが迫る山谷の商店街を歩くと、真由の五感にさまざまな刺激が襲ってくる。狭い路地にはさまざまな看板があり、日本語と英語、時には韓国語や中国語まで混じっている。屋台からは安い揚げ物のにおいが漂い、遠くでは誰かが演歌らしき曲を口ずさんでいた。


「ここが、いろは会商店街です。昔はアーケードがあって、もっと活気があったんですよ」


柴田がそう言う先には、古びたシャッターが目立つ店もあれば、新たに改装されてコーヒーや外国人向けの惣菜を売る店も混在している。軽く挨拶を交わす中年の店主は、「まあ、外国人さんが買いに来てくれるのはありがたいね」と言いながらも、どこか戸惑いを隠しきれていない様子だった。


ネットカフェ難民と若い世代


「若い人って、意外といるんですね」


そう真由が漏らすのも無理はない。先ほどの炊き出しには、20代くらいの青年が数人いた。柴田いわく、彼らはもともとネットカフェに泊まり続けていた“ネットカフェ難民”と呼ばれる人たちだという。


「非正規雇用や派遣切りで行き場を失うと、住む場所も一気に失われますから。ネットカフェに寝泊まりし、そこでも金が底をついたら最後は山谷に来る——そういう流れがあったんです」


柴田の言葉に重みがあるのは、彼自身が年越し派遣村のボランティア活動をきっかけに福祉の道へ進んだからだ。


「まだ若いから体力もあるし、何とかなると思っていたのに、制度の壁や就職の難しさ、信用のなさで苦しんでる人は多いんです。彼らをただ『怠け者』と見なすのは、本質を見誤ると思います」


真由はうなずきながら、先ほど会った若い青年の戸惑い気味の表情を思い出していた。彼にとってこの街は最初から選んだ場所ではなく、いくつもの選択肢が消えた末の“行き着いた先”だったのだろう。


地域コミュニティと商店街


商店街を少し抜けると、十字路の角で小さな八百屋を営む老夫婦が野菜を並べている。値段は確かに都会の相場より安い。通りかかった外国人バックパッカーが人参を手にとり、英語まじりに「コレ、イチニッパ?」と尋ねると、老夫婦は笑顔でジェスチャーを返した。


「こんな風にゆるやかに共存してる感じです。でも昔からの地元住民の中には、“この街を観光地扱いしないでほしい”と言う人もいるんですよね」


柴田はそう語り、商店街の歴史を少し話し始めた。かつて山谷が日雇い労働で賑わっていた頃、ここには朝早くから大勢の労働者が弁当や日用品を買いに集まり、夕方には酒屋で一杯引っかけるのが日常風景だったらしい。今はその数が激減し、代わりに外国人や生活保護受給者が行き交うようになった。


地元NPOの連携と行政の関係


しばらく歩いた先にあるプレハブ風の建物では、また別の支援団体が夜間の簡易健康診断会場を設営していた。柴田は手を振ってスタッフに挨拶をし、真由に紹介する。


「ここは山友会という団体です。無料診療や炊き出しを長く続けてきたんです。うちのNPOとは役割分担をしている部分もあって、情報交換は定期的にしています。区役所の福祉課とも時々連絡を取り合いますが、制度の手続きは煩雑ですから、そこで行き詰まる人も多いんですよね」


救える人がいる一方で、手続きや保証人、さまざまな書類の壁に阻まれて支援まで辿り着けない人がいる現実。柴田が力を込めて語るその内容は、真由の胸にずしりと響いた。


山谷の社会運動と世代間のギャップ


健診会場には白髪交じりの元労働者が多く並んでいた。なかには「70年代~80年代の山谷騒動」を経験したという人もいて、柴田は彼らに敬意を持って接しているようだ。かつては劣悪な労働環境や暴力団との抗争、警察との衝突も絶えなかったという。


「今でも日雇い労働の賃金未払いをめぐって、警察沙汰になることはあるんですか?」


真由がそう訊ねると、柴田は苦笑した。


「昔ほど荒っぽい騒動は減りましたが、賃金に限らず色々問題は残ってます。むしろ今は家族から見放された高齢者や、身体を壊して働けなくなった人が増えて、表面には出にくい形で辛い状況が進んでいるんです」


列の後ろでは、若年層がスマホをいじりながら退屈そうに待っている姿も見える。高齢世代と若者の間には、価値観や社会経験のギャップが大きそうだと真由は感じた。この街がひとくくりに「貧困」と呼ばれるだけでは語り切れない、多様な人間模様が詰まっている。


柴田の背景と使命感


休憩がてら建物の外に出ると、柴田がふと切り出した。


「僕がこの仕事を始めたきっかけは、年越し派遣村でした。あのときは本当に衝撃で。街でホームレス状態の人を見たことはあっても、実際にテントで寝起きしている人たちと一緒に過ごしたことはなかったんです。人生ってこうも簡単にガラッと崩れるのか、って。どうにかしないとって思いました」


そう話す柴田の横顔には、多少の疲労がにじむが、それ以上に決意のようなものが伺える。


「NPOの現場は厳しいことが多いです。人を助けようにも全員を救えるわけじゃないし、無力感に苛まれることもある。でもやっぱり、ここには来たくて来たわけじゃない人が大勢いますから。何かできるかもしれない、って信じてます」


五感を揺さぶる山谷の空気


辺りはすっかり薄暗くなり、街灯の下では高齢者が立ち話をし、外国人観光客がホステルに帰っていく。時折、風が吹き抜けると古いビルのコンクリートのにおいがして、先ほど通りかかった屋台からはまだ揚げ物の香りが続いていた。ごちゃ混ぜの言語、古い時代の名残と新しいビジネスが混在する空気——真由はそのすべてを吸い込みながら、頭の中を整理する。


(山谷という街を、自分はどこまで書けるだろう。見えない貧困の形はいくつもあって、しかもどんどん変化している。私に何ができるのか?)


柴田の目には、もう一歩先を見据える強い光があった。

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