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第33話 望花殿⑤




 あの崩壊が起きた時。

 その日は、根の上がやけに騒がしかったのを覚えている。

 我が一族は住処から風を周囲にばら撒いて、人間たちと大赤桜の動向を探る。

 自らの住処を守るためと、古い約束のため。


 根猫は長い時を生きる。

 その長い生を放浪して過ごすのは面倒で、この住処は都合が良いのだ。

 だから守らなければならない。


 これまでもそうしてきた。

 ただ、今回は特別厄介なようだ。

 青白い顔で駆け込んできた桜武を認めながら、そう思うのだった。


『長老殿。俺は社へ向かうよ』


 都の人間どもを逃がし、逃げ遅れた連中に封をかけてから、桜武はそう言った。


『……いいのか? 死ぬぞ?』


 風で調べなくてもわかる。大赤桜の幹は今頃澱みで満ちている。

 いくら大赤桜の力を注がれた当主でも、立ち入れば浸食されて死ぬことになるだろう。


『承知の上だ。長老ならわかるだろう? 誰かが澱みを食い止めなければ、この国は駄目になる。それも、俺ら本家の人間じゃなきゃ防げない』

『……息子を助けようとした父親が、自ら呑まれるか』

『そもそも澱みを吸うのは死にゆく当主の仕事だ。なら、俺がやるのは当然のことさ』

『……そうか』


 彼を止めなかったのは、それが必要だと理解していたからだ。

 溢れた澱みは濃く、深い。あれを儂らの風で霧散させれば、被害は更に広がることだろう。

 どこかに固定させなければ対処はできない。

 桜武もそれを理解している。そしてこいつは、本人の意思を無視して守る程子供ではない。

 彼がそう望むのなら、わざわざ止めることはしないし、自分にはできない。


『あいつは、朱為は生き残れるだろうか』

『そのために和泉は西に行ったのだろう? ならば信じろ。お前の子だろう』

『……そうだな。その通りだ。せめて、あの子だけは生き残ってほしい。国を取り戻してくれなんて言わない。ただ、無事でいてくれればそれでいいんだ』


 桜武は剣を背負い、根に腰かけて鎧を身に纏う。

 死に装束となるだろうそれを整えながら、彼は「なあ、長老様」と口を開く。


「あの子が起きる頃には、澱みも減っているだろうか』

『ああ。それがどれだけ先の未来かは知らんがな。……そしてその頃には、この国は樹者だらけだ』

『はははっ! そうならないように頑張るさ』


 よし、と腰を叩いて彼は立ち上がった。

 これが最後の対話となるだろうに、彼はいつものように柔らかな笑みをこちらに向けた。


『長老様。あなたならきっとその時まで生きてるだろう? もしあの子が起きたら……その時は、朱為のことを頼むよ』

『ふんっ、覚えていたらな』

『根猫ってボケるのか? ……頼んだよ』

『……ああ。お前は後のことなど気にせず行ってこい』

『おう。……行ってくる』


 そう言って、彼は出ていった。

 大赤桜の澱みがごっそりと減ったのを感じたのは、それからしばらく後のことだった。



***



 響き渡る轟音に、御屋形猫の意識は現実に引き戻された。

 彼がいるのは社から離れた位置に生えた大赤桜の枝の上。

 普通の人間の視力では桜武がようやく掌大、坊たちに至っては指の先ほどの大きさにしか見えない程の離れた場所だった。


「当たった……やった!」

「……腕は衰えていないようだな。菖蒲の者よ」

「昨日たっぷり練習したからね! 成功してよかったわ……!!」


 その距離にいながら正確に桜武の右肩を射抜いてみせたのは、小僧たちの要請に従い菖蒲領から連れてきた、接ぎ木・星弓を宿した少女。

 五家たる菖蒲家の次期当主だという彼女は、その立場に相応しい成果を上げて見せた。


「それに狙撃位置も完璧! ありがとう、長老様!」

「……ふん、大赤桜のことなら我らが一番知っているからな」


 狙撃場所へ連れて行けというからここまで運んだが、役には立ったようだ。

 右腕を半ば破壊された桜武は、残った左腕でなんとか剣を握ろうとしている。


「……させない!」


 腕と蔦を器用に操り、自身程の大きさのある弓を引き絞り、分厚い矢を放って見せた。

 余波で周囲の大気が震え、剛弓が桜武へと迫る。


 だが、桜武は素早く飛び退くと触手と剣を凄まじい速度で振るい、矢を両断した。


「……ああ、もう!」

 

 戦いを決めようとした渾身の一矢は外れてしまった。

 だが、今の一撃の意味は大きい。

 今まで退くことなく戦い続けた巨躯が初めて逃げたのだ。

 長い時を生きた根猫である自身から見ても断言できるほどの怪物相手に、まだ幼い命たちが奮闘している。

 そして勝利は目前だ。


 ――もしあの子が起きたら……その時は、朱為のことを頼むよ。


「……手助けするつもりはなかったんだがな」

「へ?」


 残念ながら、思い出してしまった。

 根猫は約束を違えない。


「おい娘。もう一度矢を放て。狙わなくていい。ただ全力を込めろ」

「え? でもそれじゃ当たらないんじゃ……」

「構わん。後は儂らでやる」


 風を放ち、仲間たちを呼ぶ……直後にわらわらと現れた。

 住処で待てと言ったのに、覗きに来てやがったな。

 昨晩小僧に散々撫でられてたからか、すっかりほだされたのだろう。……戻ったら説教だ。

 だが今この時は丁度いい。


「……風を!」

『――――!!』


 黒く染まった大赤桜の枝の上、根猫たちが一斉に鳴き声を上げた。

 緑の光を放つ彼らの周囲から風が吹き荒れ、それは巨大な一つの流れとなって空を駆け巡る。


「……なるほど! これなら……!! 長老様、坊君たちに繋げられる?」

「無論だ。……いいぞ」

「ありがとう! ――ふたりとも、次で決めるよ! ……全力で、桜武様を引き付けて!」


 叫ぶや否や、星弓から凄まじい光が立ち上る。

 余力なんて捨てた、全力の一矢。

 時間をかけて全力で引き絞り続け、赤い光は眩い程の輝きを放った。

 

「長老様、準備完了よ!」

「ああ。好きに撃て。お前が狙う場所に、矢を届けよう」

「ありがとう! うん……じゃあ、行くよ!」


 叫ぶと同時に、空を駆ける星の一矢が放たれた。



***


 全力での戦いの中、坊は感覚がどんどんと研ぎ澄まされていくのを感じていた。

 身体から溢れる光は力強さを増しており、比例するように身体が軽くなっている。

 けれど振るう剣の威力は上がり、桜武の巨剣も魔剣でいなせる程。


 何より流れ始めた風の音が、周囲の音をより詳細に伝えてくれるのだ。

 きっと御屋形猫たちのおかげだろう。

 姿は見えないが、離れた場所にいる筈だ。


『背後から触手!』

『左からも来ます!』


 2人の言葉とほぼ同時に、告げられた方角から風切り音が轟く。

 飛び上がってそれらを躱し、叩きつけられた触手を緋太刀で切り裂いた。

 そのまま着地と同時に桜武へと飛び出す。


『――ふたりとも、次で決めるよ! ……全力で、桜武様を引き付けて!』

「兄様!」

「おう!」


 手順は同じだ。

 坊が全速力で桜武へと駆け抜け、魔剣を振るう。

 あわよくばそのまま切り裂くつもりの赤い一閃は突き立てた巨剣の腹で防がれる。

 

「……むう」


 片腕を失った直後から取り始めた防御の姿勢。

 本来ならジリ貧の選択だが、右腕の負傷は早くも治り始めている。

 時間をかければ再生するのだ。その前に決着をつけなければならない。


「――おらっ!」


 投擲した仁桜の槍が、不動の桜武の右足を貫き地面に巨体を縫い留める。

 ぐっ、と衝撃に桜武の身体が固まったその瞬間に、氷魚の拳をぶち込んだ。

 威力を増したその一撃に、突き立っていた巨剣は浮かび上がり、唯一残った桜武の左腕は上へと跳ね上がる。

  

 ――腕さえ壊せば!


 拳を戻して魔剣を握り、桜武の腕を斬り落とそうと全力で振るう。

 だが――。


『――――!!』


 震えるほどの咆哮を桜武が上げた瞬間、残っていた触手が左腕に纏わりつき、腕と巨剣の柄を覆ってしまった。

 異形と化したその腕の太さは坊の魔剣では到底斬り落とせず、触手のいくつかを切り裂くにとどまった。

 ギチギチと鈍く強い音が鳴り響き――そしてそのまま、巨剣が振り下ろされる。

 今までの倍の速度で放たれた一撃を避ける暇はない。


「……っ!?」

「朱為!!」


 飛び込んできた仁桜と2人で巨剣の一撃を辛うじて防ぐ。

 その重みで周囲の床がはじけ飛び、坊の全身に激痛が駆け巡る。


「ぐっ……!!」

「耐えろ朱為。次で終わる!」

「……うん!!」


 正直体力も限界が近く、踏ん張る足も剣を握る腕も震えている。

 防ぐのも振るうのも後数回が限界だろう。

 一方更なる異形と化した桜武は吹っ切れたように槍を剣で切り裂き片足を引き抜くと、咆哮を上げ、無事なもう片方の足を軸に巨剣を振り回し始めた。

 

『――――!!』

「うわっ!?」


 恐ろしいほどの速度で振るわれる剣の余波だけで吹き飛びそうになる。

 片腕を失い、もう片腕は地面に届くほどの長さになった桜武の立ち姿は歪で、左へと傾いている。

 だがその動きは機敏さを増し、片腕に集中した膂力は爆発的に増加している。

 現に振り上げられた一撃の後、桜武の巨体が浮き上がってしまう程に。


『なんて動きだ! 化け物め……!!』

『あれでは近づけませんね……』


 今なら2人の攻撃だけでなく、詩乃の狙撃すら捌いてしまいそうだ。

 何とかして動きを止めなければならない。

 だが体力も限界が近い。取れる手段は――。


「……あっ」


 ふと閃きが坊の頭を駆け巡る。


「兄様!」

「どうした?」

「封をしよう。手伝って!」

「……おお! わかった!」


 そのやり取りだけで理解してくれる。

 流石は兄様だ。

 

 ――2人なら勝てる。絶対に。


 幸いなことに、邪魔な触手は一ヶ所に纏まってくれた。 

 後は右腕を断つだけでいい。


「じゃあ剣を弾くぞ!」

「うん!」 

『――――!!』


 回転して剣を振るう巨体へと2人で飛び込む。

 仁桜が剣の軌跡に槍を突き立て、そのすぐ横に坊も魔剣を構えた。

 

「来るぞ! せーのっ!」

「――っ!!」


 激突の瞬間に力を込めて、2人で巨剣を受け止める。

 爆発するような金属音が鳴り響き、襲い来る衝撃を全力で受け止めた。


『踏ん張れ……!!』

『頑張って……!!』


 それでも吹き飛びそうになったのを、坊は右腕を緋太刀に変え、魔剣を押さえたまま、地面へと突き立てる。

 振りぬく半ば程まで押されたが……剣を受け止めることに何とか成功した。

 勢いは殺した。

 ならば次は、こちらの番だ。


「お玉!」

「お鈴!」

『『――!!』」


 名を叫ぶのと同時に、相棒たちが空中で咆哮を上げた。

 途端に吹き荒れる相棒たちの風が2人に纏わり、押し上げる力へとなる。


「行くぞ朱為」

「うん」

「「せーのっ!!」」


 合わせた力で触手の巨剣を跳ね飛ばした。

 巨剣に支配された身体は、それだけで身体が浮き上がり大きな隙となる。

 そこが最後の好機――なのだが、その動きは途中でびたりと止まる。


『――――』

『まじかよ……止めやがった』

「大丈夫っ!!」


 恐ろしい膂力と触手のバネで勢いを止めたのだ。すぐさま剣が振り下ろされるだろう。

 だからその前に――もう一度止める。


「いくぞ、朱為」

「……うん、兄様!!」


 2人で手を突き出して、赤桜の力を解き放つ。

 それは開かれた桜武の身体に激突し、封をかけた。

 止められるのは一瞬だが、それで十分だ。


「詩乃! 今だ!」

『うん……じゃあ、行くよ!』

  

 叫び声が聞こえた、その直後。

 凄まじい轟音とともに、固まった左肩に星弓の一矢が突き立った。


『やった!』

「……いや、まだだ」


 だが、触手で極太になった腕は貫通せず、矢は半ばで勢いを失くした。

 それほどに樹の触手が分厚かったのだろう。


『……そんな、足りない!?』

「……大丈夫!」


 封は解けたが、まだ星弓の衝撃で固まったままだ。

 そこへ飛び込んだ坊が、氷魚の拳で矢尻を殴りつけた。

 今度こそ貫通した矢ごと、桜武の肩を破壊する。


「兄様!」

「おう! 決めるぞ!」

 

 その僅かに残った断面へと仁桜が飛びつき、槍を幾つも突き立てた。

 それでもしぶとく残る左腕へと、鋭く尖らせた手を振り下ろした。


「いい加減、休めよ父様!!」


 その一閃で遂に完全に腕と触手を斬り落とすことに成功した。

 これで、桜武を守る全ては失われた。

 

『――――』


 力を失い、異形は膝から崩れ落ちる。

 こうして、ようやく桜武は動きを止めた。

 それでも構えを解かずに坊は見つめていたが、桜武が再び動き出すことはなかった。


「……やったな」

「……うん」


 全身から力が抜けそうになるのを坊は必死で堪える。

 もう少し、もう少しだけ頑張らないと。

 剣を散々に砕かれた舞台に突き立て、なんとか倒れないように踏ん張った。


 霞み始めた視界の先。

 崩れ落ちたままの桜武の身体は、驚くことに再生を続けている。

 ……本当はたっぷり時間をかけてお別れをしたいのだけれど、残された猶予は少ない様だ。

 最後の力を振り絞って魔剣を担いで、桜武の前へと歩みを進める。


「……俺がやるか?」

「大丈夫、僕がやる。……僕の役目だ」


 ――やっと、ここまでたどり着けた。


 父と母が、そして兄が救ってくれたお陰で、坊はここまでやって来られた。

 氷魚に藤雄。

 旅を始めたばかりの頃はこの国が失ったものを取り戻すことすらできず、ゼロに戻すだけだった。

 でも詩乃たち菖蒲家の人々に出会えた。根の奥にはまだ多くの人が眠っている。

 そして、兄もお鈴も取り戻せた。……ちょっとだけ、姿は変わっちゃったけれど。


 その全てが、目の前の父のおかげだ。そして自分を西まで届けた母のおかげだ。

 ……その恩を、返す時が来た。


「……お父様。僕を守ってくれてありがとう」


 時間がないから、言葉は少しだけ。

 代わりに残った僅かな体力全てと、赤桜の力を込めて――こちらへと垂れた頭へと、坊は魔剣を突き立てた。


『――――』


 ふと、何か言葉が聞こえた気がした。

 だがその意味を理解する前に、赤い光が爆発し、舞台の全てを包み込んでいったのだった。


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