さようなら、お姉さん
背伸びをしてどうにか指が届いた。三桁のダイヤルを回す。鍵が外れて扉を開くと、ガムテープでぐるぐる巻きにされた黒いビニール袋があった。
解錠することはできたけれどアケミの身長は、黒い包みを取り出すのには、少しばかり足りなかった。
途方に暮れていると、
「君、そこで何をしている」
グレーのスーツを着たおじさんと、その後ろから同じくスーツのお兄さんがやってきた。
二人とも汗だくで、急いでやってきた様子に、アケミは怯んでしまい、何も言えなかった。
パトカーに乗せられて、警察署に着いたときには、ランドセルに書かれた電話番号で呼び出されたお母さんが待っていた。
「すみませんが、どうしてアケミが連れてこられたんでしょうか。アケミは虫も殺せないほどの優しい子です。何かの間違いじゃないんですか」
青ざめた表情でスーツのおじさんに駆け寄るお母さんの取り乱した姿をアケミは初めて知った。いつも元気なお母さんの眉尻が下がっていると、アケミも不安になってくる。
「お嬢さんは悪いことはしていません。恐らくですが。しかし聞かなければならないことがあるのです」
スーツのおじさんはお母さんとアケミを連れて、ステンレス製の机とパイプ椅子の置かれた部屋へ案内した。
「どうぞおかけください」
お兄さんに促されて、アケミとお母さんは慎重に腰を下ろした。
スーツのおじさんとお兄さんとアケミたちは対面で向かい合い、しばらくの沈黙が流れた。
「アケミさんは今日はなぜ、駅のロッカーのところにいたんだい」
おじさんの質問に、アケミはすぐには答えることができずに、黙ってしまった。するとお母さんが、
「正直に言いなさいアケミ、あなたはロッカーなんて使ったことはないでしょう」
お母さんの言う通り、アケミはロッカーの場所を知らなかったし、これまでに利用したことすらなかった。
詰問口調の剣幕に堪えきれず、アケミは渋々唇を開いて、
「いたずらされたの」
「悪戯?誰にだい」
おじさんに訊ねられたアケミは、全てを告白することにした。
「学校の帰りに、駅で待っていたら、同じクラスのエッちゃんとミナミちゃんがやってきたの。呼ばれて着いていくと、ロッカーがあって、エッちゃんがふざけてアケミの定期を入れちゃって。それから鍵が開かなくなっちゃった」
頭を抱えたお母さんは呆れて、
「何ですぐに言わないのよ」
「だって、いたずらされたなんて恥ずかしくて。あ、あとそれから、暗証番号を覚えてなかったし、電車の時間に遅れちゃうから、二人は先に帰っちゃった」
ロッカーの前にいた理由が明らかになったことで、お母さんは胸を撫で下ろしたようで、ほっとため息を吐いている。それならば、
「どうしてアケミが警察署に呼ばれなきゃならないんですか」
今度はお母さんの矛先がおじさんへと向いた。
「持ち物を調べさせて頂いたところ、アケミさんは定期を持っていました。つまり、これまでの供述は嘘である可能性が高い」
再びお母さんの視線がアケミへと移る。アケミは必死に首を振った。
「嘘じゃないわ。定期は本当に隠されちゃったんだから」
「ではアケミさん、どうして他のロッカーの中身を取り出そうとしていたの」
「それは、お姉さんのお願いを叶えてあげたかったから」
「お姉さんだって?それはどんな人だったか覚えているかい」
おじさんは机に前屈みになっていた。隣のお兄さんに制止されて落ち着きを取り戻したおじさんは咳払いを一つして、
「そのお姉さんとのやり取りを詳しく教えてくれないか」
「分かった。でもそれは突然だったの」
エッちゃんとミナミちゃんがいなくなってからも、アケミは定期の入ったロッカーと格闘を続けていた。午後四時の電車に乗らなければ、塾に間に合わなくなってしまう。
三桁のダイヤルは、それぞれ0から9までの数字が振られており、アケミは手当たり次第に回し続けていた。
「それではとても時間がかかってしまうわよ」
振り返ると、アーモンドを煎ったような、焦げ茶色の大きな瞳がアケミを捉えていた。
黒いシースルーのワンピースを着け、肩まである髪を片側に流した美しい女性が微笑んでいる。
「でも、番号が分からなくなっちゃったから」
「大丈夫、手伝ってあげる。何かヒントはないかしら」
お姉さんが屈みこむと、ほのかに懐かしい香りがした。どこかで嗅いだことのある匂いだった。
「うーんとね、そうだ、ミナミちゃんが4の数字はどこかにあったって」
「なるほどね」
膝に頬杖をついて、お姉さんは目を閉じた。考え事をするお姉さんの桃色の唇が柔らかそうに膨らんでいる。
「三桁の数字は、全部で千通り。その中で、少なくとも一つは4である場合は、271通り。あなたの電車の時間は?」
あっという間に計算をしたお姉さんに驚きつつ、
「午後四時だから、あと十分もない。間に合うかなあ」
「271個を全て試すのに、一回につき二秒かかるとして、そうね、ギリギリかしら。早速始めましょう。そのミナミちゃんの記憶が正しいことを祈って」
お姉さんにウインクされて元気の出たアケミは、順番に指示された数字を回しては解錠のボタンを押していった。
すると50と経たないうちに、正解の番号へ辿り着くことができた。その間もずっとお姉さんはつきっきりで側にいてくれた。
定期を胸に抱き締めて、
「ありがとう、お姉さん。アケミ、助かったよ」
「ふふ、それは良かった。ところでアケミちゃん、まだ時間が残っているわよね」
アケミは頷いた。このまま予定通りの電車を捕まえるには、時間に猶予がある。
「お姉さんのお願いを聞いてくれないかしら」
「お願いって?」
立ち上がったお姉さんは、アーモンド色の瞳を、最上段のロッカーへと走らせる。
「あそこを開けて欲しいの?」
「そうよ、察しがいいこと。でも心配いらないわ、すでに番号は知っているから」
背伸びしたアケミはお姉さんの指示に従って、ダイヤルを回す。
「えーと、9、2、4。んと、あ、開いたよ、お姉さん!」
振り返ると、そこには人影はなく、微かなお姉さんの香りが漂っているだけだった。
数歩後ずさって、ロッカーの中身を覗くと、
「ガムテープでぐるぐる巻きにされた黒いビニール袋があったの」
部屋の中は静まり返り、スーツのおじさんは天井を仰いでいた。いつの間にかお兄さんの姿はない。
「そのお姉さんの特徴は他にあるかい」
おじさんが遠い目をしてアケミに訊ねた。アーモンドのような瞳、長い髪の毛、黒いワンピース以外だと、
「右目の下にほくろがあったわ」
アケミの言葉に深く頷いたおじさんは、
「このことは他言無用でお願いします」
お母さんに耳打ちすると、部屋を出ていってしまった。
家に帰ったアケミに、お父さんは驚いて、
「あれ、アケミ、塾はどうしたんだい」
ネクタイをほどく手を止めた。
「ちょっと頭が痛いんだって」
すかさずお母さんが割って入った。
「あれ」
「どうしたのアケミ?」
お父さんのタンスの匂いは、どこかで嗅いだような気がする。
廊下に出ると、後輩が待っていた。
「警部、こちらです」
通された部屋には、鋭い目をした金髪の男が座っていた。
「だから、俺は殺してねえよ」
「嘘をつくな、証拠は出ているんだぞ」
大声を張り上げる後輩を宥め、
「君は駅のロッカーを利用したことがあるか」
警部の発言に、金髪の男は顔をしかめる。額に汗が浮かび、どこか落ち着かない様子だ。
「ロッカーの中には、君の良く知っているモノが入っていた」
「何で俺だって言えるんだよ」
「それはDNA鑑定の結果が出れば明らかだけれど、確か君の誕生日は9月24日だったな」
金髪の男の顔がみるみる青ざめていく。
「あいつが犯人で間違いないですね」
取調室から出た後輩が呟いた。
「そうだな」
喫煙所につくなり、警部は煙草に火をつけた。
「それにしても不思議なこともあるものですね、小学生の女の子がたまたま凶器の在処を突き止めるなんて」
後輩は煙草を燻らせながら首を傾げている。
「これでやっと彼女も浮かばれますよ、何せ樟脳浸けにされて一年も放置されてたんですから」
窓から空へ舞い上がる紫煙は、やがて署内に植えられた楠木へと流されて、月明かりに消えた。(了)
場合分け自体はストーリーの本筋にそれほど関係ないですが、万が一間違ってたら教えてください。
宜しくお願いします。
遺失物シリーズ①災厄の匣
遺失物シリーズ②お姉さんの願い
遺失物シリーズ③、は果たして!?
乞うご期待!