凍った銃声
俺は敵を殺したことがない。敵だと思いたくないのかもしれない。
味方のために味方を殺す俺は、今日も引き金を絞る。
風が冷たいが、日差しは眩しい。降り積もった雪も鏡のように照り返してくる。夏以上の眩さは何者も温めることはない。この戦争と同じだ。
長すぎる戦争は、既に何度目かの年越しをしていた。まだ春は遠い。戦況に対する比喩としての春も遠いだろうが、実際の春も遠い。
親父が戦い、母の弟が死んだという戦争を世界大戦と呼んでいるが、今回の戦争はそれよりも大きな規模になっていた。
以前のあれを“準世界大戦”と改称するのか、それとも今回の戦争を第二次世界大戦とか呼ぶのかもしれない。この戦争で人間を殺し尽くしでもしない限り。
俺は鉄星帝国軍人。名前は……まあ、必要ないだろう。
鉄星帝国はドイツ語を公用語とする枢軸側の中心戦力だ。
なんでも、鉄星帝国はアーリア人という民族で、ユダヤ人や黄色人種に勝るので、この戦いは人類全体を劣等種から解放するための戦争だそうだ。
……そんな意見を耳にタコができるほど何度もされたが、まあ、マユツバだ。
大日本帝国とやらはアーリア人ではないはずだが同盟を組んでいるし、軍隊の士気を上げるための方便だろう。
それは分かるが、やはり嘘くさい話を延々聞かされれば頭もおかしくなるし、それを信じそうになる。
俺はそんな先輩が居ない、ひとりでできる仕事を求めて、この部署を希望した。
俺は峰を守っている狙撃兵だ。
この峰を進むと砦が有る、が、俺が見張っているのは侵入者ではない。
アルコールが残っていることを確認してから火を入れ、アルミの容器に上に穴だけ開けたカンヅメと水を入れた
アルコールストーブの原理でアルミ容器が温まり、中のカンヅメが湯煎される。
冷え切った指は、熱すぎるカンヅメを持つと痛みで俺の肉体の一部であることを思いだした。感覚が戻って来る。
昨日は雪が降りすぎて雪濠から移動した。見るまでもなく、その雪濠は雪の重みで潰れていることだろう。
そのため、昨日は浅い雪濠で休み、身体はいつも以上にかじかみ、毛布の中では俺の身体から出た湿気が結露し、凍ってさえいた。
新しい雪濠を作らなければならないが、その前に飯を食わないといけない。温かい血液を胃袋越しに流し込まなければ、人間の筋肉と関節も油の切れたブリキのオモチャと大差ない。
食べ飽きたカンヅメ入りコマ切れウインナーの少しばかりの脂が、ノドからガソリンのように全身に回る。
少しばかり赤みの戻った手で懐中時計を見れば、任務開始まであと二二分。雪濠掘りは次の休憩時間だ。あとは愛用のライフル、Kar98kの点検と便所に行って使い切る。
休憩の前にも点検しているが、いくら寝てもまた眠くなり、いくら食ってもまた飯が必要で、女房がいくら美人でも他の女が欲しくなるのと同じだ。
このライフルは生きている。それが証拠に呼吸をする。空気を吸って雷管を叩き、咽頭の線条で弾丸に傷を付けて吐息で押し出す。
雪に潰れていた白いシートを張り直し、その下に身体を滑り込ませ、腹這いに横になり、谷間に囲まれた道を見下ろす。
息は静かに吐く。風が止んだときに吐いた白い息は、思いの外目立つ。
俺の血液は任務中、常に熱を保つ。肘で自分を固定し、その瞬間を待つ。何日も来ない日も有る。だが今日は、早く来た。
双眼鏡越しに見えたのは三人。まだ若い。コートから覗くズボンの柄は、鉄星帝国の軍服に間違いない。
小さなリュックサックを背負って山越えか。それも命懸けだが、なるほど。
俺は双眼鏡から、Kar98kに持ち変え、スコープを覗き込む。角度を付けて曲げた肘は雪に突き刺すようにする。
俺の腹と両肘は三脚架だ。撮影に臨む練達したカメラマンだ。シャッターチャンスは近い、ひとり目の被写体を決めろ。
この射撃位置は、標的から見て崖の上。崖に挟まれた道は風向きも常に一定で、狙撃するならば絶好の位置だ。
三人を狙撃するならば、ひとり目のワンショットキルは前提だが、更に残るふたりがどう逃げるかをチェスのように想定しなければならない。
王手は簡単に掛かる、だが、詰みには順序が有るのだ。
狙撃地点が不明なときのふたりの行動は、セオリーとしてはもちろん身を隠すだろう。岩や横穴などがない地点を選んではいるが、それでも積もった雪やらもあり、皆無ではない。
射程とタイミングを図る。相手の動きを予測する。
ここじゃない、ここでもない、そう、ここだ。シャッターチャンスだ。
俺は静かに、Kar98kの引き金を絞り、銃声と共に標的の頭が雪原に赤い飛沫を残すのをスコープ越しに確認した。
次だ。次のふたりは撃たれたあとに身を隠そうとする。視界から消える前にひとりは仕留める……!
……あれ?
思いもよらない出来事が、起きた。
ふたりとも身を隠さない。
残るふたりの内、ひとりは頭の弾けた死体を抱きしめ、残る男はその盾になるように銃を構えている。
いや、無理だろ。
反撃できるわけがない。射撃音も切り立った崖の中で音が反響して方向は定まらないし、そして頭の破裂した男はもう死んでいる。
死んでいる男を手当てしようとする男、そのふたりを守ろうとする男。
俺は、なんということもなく、無駄弾もなく、ふたりの頭に一発ずつ叩き込んで任務を遂行した。
俺の仕事は、狙撃手だが、敵を狙撃したことはない。脱走兵を専門に狙撃している。
脱走者は必ず、この道を通る。そこに待ち構えている。
一度もユダヤ人とやらを殺したことはない、俺が殺しているのは優秀で優れているはずのアーリア人ばかりだ。
次の標的が来ないことを確認し、俺は崖を降りて死体をいつもの穴へと捨てるために台車に乗せる。
たまに捕虜と一緒に将校が穴を掘りに来るが、まだ大丈夫だ。
穴の中では雪の積もった中で腐りもせず、青白い死体が俺を見ている。
別に睨んではいない、意思のない無気力な死体の視線は、俺を突き抜けて空を見ているようだ。
死体を投げ込んでから、俺はこいつらが余分なアルコール燃料を持っていないかと思い付き、死体のリュックサックと台車を担いだ。余分なアルコールを確保できれば、調理用器具をカイロ代わりにして今晩はヌクヌクと温かく眠れる。
休憩時間中は監視をしない。他の地点で狙撃をしている狙撃手が担当になる。
手早く雪濠を掘り直し、昼食のためにアルミ容器に火を入れてから荷物を漁ると、どれからも食料と水、弾丸、そして同じ写真が出て来た。
どこか異国だろう。ヨーロッパのどこからしい海で三人が肩を組んで笑っていた。写真の裏には夏の日付、戦争が始まる前だ。
ああ、そうか。
「こいつら、友達だったのか」
更に引っ掻き回すと書き損じの軍票、免許証、電報の写し、そしてあるリュックから安っぽいノートが出て来た。
何気なく目を通せば、なんのことはない、日記帳だ。
この日記の持ち主のアルベルトは、ふたりの幼馴染、ヨナタンとオリヴァーのことをよく記している。
ヨナタンは勇猛だが軽薄なところがあり、誰にも容赦がない、とか。
オリヴァーは、賢く優しいが、臆病な所があり、社会に出てから心配だ、とか。
荷物の中身から察するに、この日記帳の持ち主、アルベルトとは俺が最初に殺した男だ。
軽薄だというヨナタンはそのアルベルトの死体を抱きしめて泣いた男。
臆病だというオリヴァーはそのふたりを守ろうとして盾になった男だ。
アルベルトの友人に対しての不安は全くの杞憂だったと、アルベルトに伝えてやりたい、そんな温もりを伴う錯覚が有った。
なぜこの三人は脱走したのだろうか?
脱走者には制裁が待っていると分かっていただろうに。
戦争で誰かを殺したくないからか、友人が誰かを殺すのが耐えられなかったからか。
アルベルトが他のふたりにどう思われていたのだろうか、友人を分析するが見事に的外れな男。
それでいながらヨナタンとオリヴァーは、アルベルトのことを慕っていた。仲の良い三人だ。
戦争に勝って祝勝会か何かで顔を見たら、一緒にビールでも飲み明かしたいな。
……ああ、違う。間違えた。
「……俺が、殺したんだっけか」
ちょうどカンヅメが温まった頃、銃声が響いた。
俺の休憩時間中、別の地点の狙撃手が、また誰かを撃ち殺した。人間の息の根を止めて銃だけが呼吸をする。
冬山に、紅が散らばる。
当作品は、佐倉治加さん主催の企画、【真冬に染みるくれなゐ】の参加作品です。
詳しくはこちら。(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/693934/blogkey/2211982/)
鉄星帝国に関しては、84gの別小説、虚海西遊記に登場する架空の国家です。
ええ、全く。完全にフィクションです。ドイツ語を公用語としているだけです。
シンボルは鉄星です。鉤十字とは全く関係ありません。この作品の主人公もモチーフなんて居るわけありません。全く。
連想の解釈をあらすじで入れる、を忘れてたので、マジであとがき。
連想はかなり安易なもんですね、真冬→雪・紅→血。真冬に鮮血がしぱぱ、って散る感じ。
んで、短編読み切りとして書ける中で、ハルカさんの読者層ってことで、シリアス寄り。
短編で起承転結するならギャグかホラーの方が組みやすい感じも有るんですけど、ちょうどミリタリー系も書きたかったので、そんな感じ。