鬼の種
「一発喰らうやいなやあっさり距離を取れる冷静さは実に見事だ。特に未知の技を相手にする時には何よりその自制心が肝になる」
「揺動か、その手には乗らないよ」
先に動いたのはタダリであった。何か特殊な技があるにしてもあの緩慢な戦法が後手に回って同じ結果を出せるとは限らない。そして彼の攻撃は弾くのではなく避けて距離を取る。これで少なくとも何らかの糸口に辿り着ける。はずであった。
気づけば無数の傷を負い四肢の腱を切られその場に膝をつくタダリの姿がそこにある。どこか呆けたその顔は今だ理解が追いついていない。
タダリの剣を受けたリュウテツはそれを弾くでも去なすでも無くただ受けた。片手である。両手で踏み込む渾身の斬撃、それを有ろう事か片手で受けびくともしない。その感触はさながら分厚いバネ鋼を打ち付けたに等しい。寒気が走る。リュウテツの体がゆらりと動くと波打つようにその腕がしなり始め、その波はやがて交える剣先にまで及び炸裂した。タダリの体は強烈な衝撃とともに弾き飛ばされる。なんとか体勢を保ち着地した眼の前にリュウテツは急接近しその体は既に揺れていた。
その緩やかな体捌きから起こされる大波はその腕を鞭のように伝い圧縮されその先で開放される。受けども弾けども後続の波がその勢いを再び蘇らせ防御が間に合わない。そして双剣である。幾方より繰り出される斬撃はその数を増すごとに無数の残像を幻視させた。
タダリは四方八方くねくねにまみれた。
「エートこっちは片付いた、加勢するぜ」
「いや、いい。もう終わってる」
敵の中エートは佇んでいた。斬りつけるもの、蹴りつけるもの、逃げるもの様々あれどその誰もがその姿勢のまま固まり微動だにしない。幾重にも巻き付けられた数えきれえぬ銀線は、複雑に絡み合い交錯しエートの袖口へと帰結する。ギリタ達が駆け寄るとエートは手首を返しその腕を振り下げた。刹那その場は肉塊の海と化す。たわみ垂れた銀線は血糊を絡めながらスルスルと袖口へと吸い込まれていった。
「うわぁ...」
「ほんとそれ、えげつねえな」
「後で手入れが大変なんだよこれ。それにあっちほどじゃない」
「どーだエート、俺の技は」
リュウテツはなめらかに腕を波打たせている。
「回りくどい。性格のしつこさが滲み出てる」
「なぜこの素晴らしさがわからんのか、ナミリも気持ち悪いと言うし」
「「「よく弟子入りしたな」」」
「さて、どうしたもんかな」
身動きが取れずへたり込むタダリの髪を掴みリュウテツは問いかけた。
「先ずは...そうだな、貴様は先刻真っ先にナミリを狙ったな。何を恐れた」
タダリは奥で横たわるナミリに視線を向ける。
「どうやったかは知らないがナミリを戻せて何よりだったね」
「ここに来てしらばっくれる胆力は流石の裏稼業といったところか」
振り絞るように捻り出したその手はリュウテツの首へと伸ばされる。が力なく垂れ落ちる。
「やれやれ、こうなってはそれも今日で廃業だがね」
「廃業ついでに知ってることを語ってもらおう」
ギリタは再びタダリの首元に刃を立てた。
「鬼の種とはなんだ」
「...なるほど、理解した。推察するに、ナミリの意識が戻らないようだね。戻す方法を教えよう」
皆、これは長引くとそう踏んでいた。しかし裏腹に突如タダリは連々と語り出す。
「まず初めに言えるのは、僕はその製作者じゃないから理論的なことは分からないということ。でも物がどこにあるかは分かる」
「物なのか」
「それは呪具だからね」
「ほう」
「服を脱がせてみるといい背中にあると思うよ」
「「「「ほう」」」」
ナミリの服を剥ぐ役を巡り一悶着終えて師匠たるリュウテツが脱がせると、その体は呪紋にまみれそれは背面胸椎部に収束した。小さな石である。親指程の楕円の石は肉にめり込み滑らかな曲面は光沢し黒光りする。その色はどこか濁る様に流動が見られた。呪紋はその石から生えるように体を行き渡らされていた。
「なるほどな解毒しても呪具からの毒と呪いが継続されて拮抗している様な常態か。これはある程度すれば元に戻るな、道理で潰しに掛かるわけだ」
「タダリよ、戻せると言ったなここからどうする」
「解毒はできているのだろう?呪いを移せばいいのさ、僕に」
「罠だな」
「罠だ」
「間違いない」
「だとしても君たちに呪詛を移すことなどできまい?」
「貴様にはできるのか」
「だから言っている」
「...背に腹は変えられんか」
「では僕の前に彼女を置きたまえ」
リュウテツはタダリの下へナミリを運びその背を向け置いた。タダリが石に額を押し当て呪言を呟き始めると、ナミリの体に纏わりつく呪紋は一つまた一つと剥がれ浮き上がる。そしてその反対にタダリへと再び張り付き延びていく。そうして全ての呪文が張り替えられタダリが体を起こした。石はナミリの背から外れそこには窪んだ痕が残り、そして代わりにタダリの額へとめり込んでいた。
「程なくナミリは目覚めるだろう」
「そうか、感謝する。では死ね」
リュウテツの剣がタダリに到達する刹那タダリの姿が消えた。遥か後方に金属音、振り返るとそこでタダリは剣を拾い上げる。その剣は瘴気を帯びていた。
「やはりか、それだけ動けるっつーのは貴様も鬼化するということだな」
「ああ、僕も程なくそうなるだろう」
タダリの四肢は元に戻り体中の傷も見違えるほどに癒えていた。
「気になったんだが、その剣は呪具だな。そして誰か術者を切ったな。その瘴気に怨嗟の色が見える」
エートは先刻から腕を組み事の次第を観察するように見届けている。
「ふむ、いい剣だろうラジムから貰ったんだ」
「いつの間にか居ねえと思ったら...先走り過ぎだぜ」
ギリタの声にはどこか悲しみを帯びている。目頭は溢れるものを抑え充血していた。特に親しい間柄で無くとも同業として仲間として一度行動を共にした者ならばその訃報を悲しむ、そんな甘さがこの陰にあってギリタという男を成していた。
「しかしラジムが呪術者だったとは思えんなどういうことだ」
「さあね、突然こんなになって僕だって驚いているのさ。でもこれは僥倖というもの。このままでは僕はご存知のように醜悪な化物へとならざる負えないがね、一つの可能性を得たんだよ」
「怨嗟、そうか、怨嗟か」
「どういうことだ」
「呪具という形をとっているがあの石は仮説どおり毒に呪詛をかけて作られたのだろう。つまり呪詛の媒介となる怨嗟が足りていない。その代りが媒介者の生命力だったのだろうがあの様だ。しかしそこであの剣だ」
「奴は完全な鬼に成るということか」
「迷惑極まりないな」
「ご理解いただけたようで」
タダリが剣を顔の前に掲げ呪言を呟くと、剣に纏う怨嗟の瘴気はたなびくように額の黒石へと吸い取られていった。