地獄のくねくね
頭上は提灯で埋め尽くされている。しかしどれほどの空間であろうかそれは直下でさえも照らすことはない。その遥か暗黒にただ浮かぶのみ。静寂の闇、瞳が開かれる。突然の叫び声。呼応して空間を割くように整列された灯篭に明かりが灯る。そうして薄闇から真っ白な天幕が浮かび上がった。そこに幾人かが駆け寄った。
「おお、おおお、なんということだ」
「おお、いかがなされた、総司様」
「総司様が泣いておられる...」
「鳥が、一羽の鳥が、落とされた」
「なんと」
総司と呼ばれる男、思想一派聖翼会を率いるその者である。総司は天幕の下、胸を抑え悶えながらもその息を整える。
「...降霊の儀に入る魂流鏡を持ってまいれ」
「はは」
一般にこの集は新興の思想団体と思われている。事実一介の信徒達はそれである。しかしその首魁は遥か太国平定以前より脈々と続く呪術者の末裔。その蓑は歴史の裏様々に形を変えて今に至る。現総司はその術をもって呪具(信徒に儀式と共に配られる装身具)と己の間に見えぬ糸を繋いでいた。それは時に導き、惑わせ、啓発させる。そうしてこれまで無数の糸を操ってきた。その糸が切れる。すなわちそれは繋いだものが死んだ時、激痛を伴って知らされる。
「其は何者ぞ」
魂流鏡と呼ばれる呪具たる鏡は糸に残された思念が彷徨い霧散するまでの僅かの間その残滓を流れ込ませ対話する事ができる。総司は問うと鏡は答えた。
「...我が名はラジム」
「其を殺めし業の者は何者ぞ...」
「では、始めるぞ」
エートは掌に刃を立てる。滴るそれは横たわる鬼の口へと注がれる。それを見てリュウテツ、ギリタ、バリの三人は握力を強めた。適量流し終えるとエートも三人の元へ駆け鬼を見た。
「何も起こんねえな」
「おかしいな見当違いだったかな」
「おいおい頼むぞ坊」
「いやまて、なにかおかしい。もしかして、ゆっくり小さくなってないか」
バリの言葉を聞いて注視するとたしかに少しずつ縮み始めているのが確認された。動き出す様子も無く遠巻きでは変化も微妙なため四人は再び近づいた。
「結局どうなんだこれ」
「俺が昔やったのは簡単なものだったしなぁ。リュウテツの言う鬼の種だかはもっと違う質のものなのかもしれない」
そうして縮んだ末に鬼であったそれはエートとリュウテツの見立て通りナミリの姿を表した。
「良かった。ナミリ、起きろ、ナミリ」
「これでこいつじゃなかったらズッコケたな」
「確かに」
ナミリの意識を戻そうとするリュウテツを尻目に笑い合うギリタとエートにバリは顔を歪めていた。
「おや、皆さんここにいたのか。ずいぶんと探したよ」
「タダリか一体何があった」
「何って、ん、倒れてるのはナミリかい。途中ではぐれて何処に行ったかと...」
駆け寄ろうとしたタダリはその動きを止める。タダリの首元にはギリタとバリの剣がその刃を立て交差していた。
「この場所が説明になかったのはどういうことだ」
「一先ずその手の剣を離せ話はそれから聞いてやる」
バリがタダリの持つ剣を取り上げたその時、その鞘口から大量の瘴気が溢れ出した。
「うわ、なんだこれ」
「てめえなにをした」
「いや、僕もなにがなんだかっ」
その隙きを突いてタダリはバリの手に鞘を残し瘴気の源を抜き放った。その精緻に文字の刻まれた刀身には血が滲みそこから黒く溢れ出る瘴気を纏う。それを見たギリタはタダリの首を狙う。一瞬遅れてバリも己の剣を振るう。タダリは仰け反りさらにそのまま倒れ二人の斬撃を躱す。地に背をつける勢いを殺さず体を捻り回転し超低空に剣が振り回される。次撃に掛からんとする二人は足を狙うそれを飛び退いて躱し距離を取る。タダリは即座に体勢を前方に定め急加速して走り出す。それを追う二人に立ちはだかる影、タダリの手下であった。突如湧き出る障壁との戦闘が否応なく開始された。
「エート行ったぞぉ」
「応、と言いたいとこだがなぜに俺だけ六人ッ」
残りのタダリの手下は既にエートのもとに集い乱戦を呈していた。
「君は危険だからね」
ニヤリと笑うタダリ。エートの側を過ぎその刃を突き立てナミリの下へ飛び掛かった。
「悪手かもしれんぞ」
そんな呟きがタダリの耳に届いた時強烈な衝撃が腹を襲う。タダリの体は軽く宙に押し戻される。その表情には悶絶と同時に疑問符が合わさる。
「誰だ貴様」
「俺か、俺はな...」
「変装大好きくねくね弟子コン師匠だ」
「エートちょっと黙れ」
「...くねくね」
「まあいい、可愛い弟子も目を覚まさんし聞きたいことは山ほどあるからな。お前ちょっと死なない程度にボコられろ」
「そうか、あなたがナミリの。マルバが見当たらないようだしあれはあなたか」
「察しが良くて助かる、俺はリュウテツという。特別に地獄のくねくねを見せてやろう」
リュウテツは反り返る双剣を取り出し全身を捻り構える。先刻ナミリがしてみせたそれよりも低く深い構えは前傾をとり体に巻き付く腕は反り返る刀身も相まってさながら穿孔刃を思わせる。身構えるタダリを緊張と焦りが体を強張らせた。しかし意外、リュウテツが全身のバネを解き繰り出した剣筋は実直にしてブレもなくそして遅い。力むタダリにはぬらりと動くその剣筋は余計に困惑を来させる。遅い、己の気負いが過剰であったとタダリは確信した。右からの剣を払い、左からの剣を払い、その本体へ一撃を食らわさんとしたその時である。払ったはずの刀身は今まさにタダリの胴を斬りつけていた。一方タダリの振るう刀身を舐めるが如く寸出で躱したリュウテツはすかさず次の一撃を放つ。しかし遅い、その刃は空を切る。タダリは距離を取った。
理解が追いつかない。なぜ斬りつけた俺が斬られるのか。何故払った斬撃を食らっているのか。奴の体捌きは遅い、しかし俺の放つ斬撃は躱された。なんだ、何を見落とした。