猫になりたい。
猫になりたい。
そう願いながら、生きてまいりました。
今は無い母によると、『猫になりたい!』と鳴きながら生まれてきたそうです。
嘘です。
しかし、猫になりたい。何故か、キータイプすると、猫になり隊、となってしまう。
そんなことはどうでも良いのですが。
猫になりたい。
ペットにしていたのは、犬。
しかし、猫になりたい。猫になりたい。
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「残念ながら、回復の見込みはありません」
医師の言葉に、私は軽いめまいを起こしていた。
レントゲン写真に写るのは、猫に似た影。
数か月前には子猫だったのに、今ではまるで大人のようだ。
医師は何を言って良いのか解らない様子だった。思えば、彼の言葉を全く聞き入れず、民間療法に頼ったのは私だったので、彼が責任を感じる必要は無いのだが、それでも、こうしたことを伝えなければならないのは、心苦しさがあるのだろう。
とは言え、私も、この告知には動揺を隠せなかった。思わず、来ていた上着を脱いで、そして、また着てしまうくらいに、驚き、そして、焦ったのだ。
「あと、どれだけの時間が残っているのでしょうか?」
私はセーターを着込みながら、彼に尋ねた。
彼は、『誠に言い辛いのですが…』と、前置きをした。
「何故、あなたが生きてらっしゃるのか、解らない程です」
彼は、猫に似た影を指さした。
「本来、この影がもう少し小さな段階で、皆さん、お亡くなりになっております」
「成程」
「私どもは、このくらいの…」
そして、彼はマジックを取り出して、影の中に小さな猫を描いた。
「そう、このくらいの子猫の時点で、『余命、あと三日です』と言ったりします」
「それは冗談ですか?」
「冗談? …ああ、三日、と言うのは流石に言い過ぎですが。しかし、大体、この程度でお亡くなりになられる方が多いので」
「では、私は」
――先生は、ええ、と一つ咳ばらいをした。
「大体、このくらいの大きさとなると、既に、お亡くなりなられている筈なのですが、しかし、あなたはいたって健康に見える」
「ええ。自覚症状はこれといってありません。時折、身体中がバラバラになるような痛みと、気だるさと、消えてしまいたいくらいの喪失感を覚えることもありますが」
「そうですか」
医師は頭を振った。
「癌は、人に、残す時間を与える病と言われています」
「先生、それは」
「死ぬまでの間に、あなたが周囲の人に何を残せるのか。今回、残念ながら、私はあなたに具体的な時間を伝えることも出来ませんし、ここまで進行してしまうと、治すことも適いません」
「大丈夫です。私に残せるものなどありませんから。残す相手もいませんし。いつ、死が訪れても良い」
「この腫瘍が猫であったことが少ない希望でしょうか」
医師は言った。私は頷いた。これがもしも、トカゲだったら、私は絶望していただろう。
しかし、猫ならば良い。許せる。これが犬でも良かったが。
「養生下さい。無意味ですが」
医師は言った。
「養生します。無意味でしょうけど」
私は答えた。
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何となく、猫を探した。
街中に、猫が居ないか、と探し回った。
時折、猫、猫~、などと呼んだりもした。
ただ、周囲の人々に怪訝な顔をされたり、通学中の子供に避けられる程度で、猫は勿論、顔を出さない。
思えば、昔ほど野良猫野良犬は見なくなった。
特にそれが良いことだとは思わないが、とにかく、猫の姿は見つからなかった。
昔、餌付けした猫がいた。飼っていた犬が、時折、その猫と戯れている光景も見た。
餌を奪われ、本気で怒る時も見受けられた。思えば、私はまるで躾と言うものが出来ない駄目な飼い主だった。
もう、それも、十数年も前の事になる。
私は犬にも愛想を尽かされたらしい。彼女は事切れる瞬間までも、私を見れば吠えた。
それでも、時折は、甘えるように体を摺り寄せることもあった――今では、もう、そんなこともあった、と言う事しか思い出せない。ただ、漠然とした姿形と、出来事とが頭の中に残っているだけで、思い出として鮮明に残るものはほぼない。
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「養生か」
電気ポットのお湯をマグカップに注いだ。舌を焼く熱さが、身体を一時温める。
それすらも、たまらなく、つまらなかった。
台所を見回す。何変わることない景色に、その中に、私一人の姿しかない。
猫になりたいと、猫を飼いたいは同義ではなかった。
何もかもが億劫だった。だから、敢えて言えば、それは真逆とも言えたろう。
まして、猫を救いたいだとか、今の社会に対する反抗心と言うものも浮かばなかった。
高潔な精神も、とうとう、持ち得なかった。
体を摩る。一時よりは随分と痩せた。
つまりは、猫に近づいていると言う事か。
と、あの写真を思い出して、ふっと考える。
冷蔵庫の横に放り出したウイスキーの瓶を開いた。
グラスに入れ、氷をいくつか入れた。
こんな呑み方などしたことは無い。いつもは、もっと、いい加減に呑んでいる。
何時だろうか。
テレビの電源を点けた。想像を下回るつまらなさに呆れて消した。
聞き慣れたクラシックを流した。スピーカーを通すと途端に色褪せて聞こえて、これも消した。
昔好きだった小説を開いた。持って回った言い方をしていた。流石にこれを読んでいる時間は、無かった。
酒を呑む。酔いが頭をぼやけさせる。
猫の姿が頭の中に浮かんだ。
次いで、いろんな人の姿が浮かんだ。
彼女の顔が浮かんだ。
走馬燈ならば、素敵だけれど。
きっと、また、目が覚めるだろう。
漠然とした予感も、巧く行かない人形劇のように、物悲しく。
きっと、目が覚めた時には、もっといい加減な人間になっているだろう、と言う確信が。
余計に馬鹿馬鹿しかった。
猫になるなら、名前は、たまが良い。
嘘だ。でも、変な名前よりは、ずっと、その方が良い。




