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黒の男爵

作者: 浅野新

「赤の男爵が出たんだって」


 僕は思わず聞き耳を立てた。

 ひっきりなしに人が出入りする夜のコンビニ。時計を見たらもう八時を過ぎていた。四月の夜は今だ肌寒い。部活の帰りに小腹が空いたから、とお茶と肉まんを買って出ようとした僕は、先の言葉で足を止めた。

声がした方を見ると、女子高生二人組が携帯電話を片手に騒いでいる。

「本当なの、それ」

「本当らしいよ。今電話かけてきた子の家の近く、F市なんだけど、パトカーがいっぱい来てさ、警察の人が赤の男爵が出たって言ってたんだって」

「えー、F市ってこのすぐ近くじゃない。・・・ちょっと行って見たいよね? 」

「行ってみようか」

「でもF市のどこなの」

「F市美術館だって」

 僕は最後の言葉を聞くや否や、急いでコンビニを出た。

 外に停めてあった自転車の籠に肉まんとお茶の入った袋を放り込み、自転車にまたがって今来た道を猛スピードで戻る。

 F市美術館はここから十五分だったよな。

自転車のペダルを思い切りこぎ、どんどん加速をつけた。

車道を抜け、細い裏道に入り、閑散とした商店街通りを駆け抜ける。

 胸が痛い程どきどきするのは、自転車を必死でこいでいるから、だけではない。

 飽きるほど読んだ「赤の男爵」についての紹介記事を思い出す。


__世紀の大怪盗、赤の男爵。

__今や日本中で知らない人はいない、日本で最も有名な泥棒。男性という以外、年齢、国籍、活動目的に至るまで一切不詳。狙った獲物は逃した事はなく、絵画、装飾品、骨董品等標的は留まる所を知らない。

十年前から出没、当初は一年に数件ほどだったのが最近は活動が顕著になっている。

泥棒ながらこれほど国民に慕われているのは「男爵」と言う名のイメージ通り、手口が巧妙かつ鮮やかで、又、人を傷つけないからだと言われている。物品を盗まれた被害者が被害届けを出さない、又は撤回するという奇妙な現象も有名。


僕は小学生の頃から赤の男爵の大ファンだ。

当時新聞の写真で見た彼の姿に、衝撃を受けた。

ただ、美しかった。

月をバックに立ったその姿は。

深く、赤い__。



F市に入り、商店街通りを抜けるとすぐ、右手前に、ビルに挟まれた路地が見えた。かなり幅が狭い通りなのだが、自転車なら充分だ。

ふと思い出す。

ここを曲がれば近道だったな。

僕はスピードを緩めずに体を思い切り右に傾け、路地に突っ込んだ。

__と。

目の前に。

人がいた。

相手もこちらに向かって走って来る所だったらしく、はっと顔を上げる。

一瞬。

自転車のライトが相手の全身を照らし出した。

真っ赤なマントをなびかせ、

赤いシルクハットをかぶり、

全身赤いタキシードを着た、

__写真と全く同じ。


赤の男爵を。


「!!」

 僕は反射的に、左へ思い切りサドルを回した。

ぶつかる寸前、なんとか男爵をかわす。

ほっとしたのも束の間、かわした先に大きなゴミ箱の山が__。

 急ブレーキをかけたが間に合うはずもなく、

「わ、わわっ」

 僕は、

 ゴミ箱の群れに派手に突っ込んだ。

自転車は大きな音を立てて倒れ、反動で籠からジャージを入れたスポーツバックやお茶のパックや肉まんの入った袋が、ばらばらと飛び散る。

「・・・ってー」

 自転車でまともにこけたのは小学生以来だ。

僕は制服についた埃をはたきながら起き上がろうとして、はっと我に返った。

そうだ。赤の男爵は!?

振り返ろうとしたその時、

「大丈夫ですか? 」

目の前に手が差し出された。

赤い手袋。


まさか。

ゆっくりと視線を上げると、

目の前に赤の男爵が立っていた。

暗くてよくわからないが、シルクハットの下の顔は鼻の部分まで布で覆われているようで、くりぬかれた部分から覗く両目がすまなさそうに僕を見下ろしている。

「これは大変申し訳ない事をしました。驚かせてしまったようですね」

男爵は僕の手を取って立たせ、怪我のない事を確認した。

近くでよく見ると、赤と言っても赤ワインの色に近く、マント、シルクハットとマスク、タキシードの赤色は微妙に違う。白色のシャツを別にすると手袋も靴も蝶ネクタイも、とにかく皆赤い。

本物・・・だよな。

僕の目の前に、赤の男爵がいる。

あの、大怪盗の。


僕は立ち上がったものの、呆気に取られて何も言う事ができなかった。ただ赤の男爵を凝視している。

今の僕はきっと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのだろう。

男爵はそんな僕を気にする風もなく、足元に落ちていたお茶のパックを拾おうとしたその時、パトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた。

男爵が顔を上げる。僕はやっと我に帰り、言った。

「だ、大丈夫です」

 だから、急がないと。パトカーが。

しかし男爵は慌てた風もなく、再びお茶に目を戻した。パックは落ちた衝撃で破れらしく、中身が溢れていた。

 僕もそれに気付き、慌てて言う。

「い、いいよこんなの。大丈夫だから。それより、早く」

 緊張と焦りで舌がうまく回らない。

これは元々前も見ずに突っ込んできたこちらが悪いのだ。僕のせいでこんな所で時間を潰して捕まって欲しくない。お茶だって百円ぐらいのものだ。

 すると、男爵は僕を見て本当にうれしそうに微笑み、

「お心遣い感謝致します。本来はお詫びしなければならない所ですが、確かに時間がないようです。・・おっと自己紹介を忘れておりました。わたくし、赤の男爵。この代償は、必ず」

優雅に一礼すると、どん、と言う音と煙と共に、彼は姿を消した。


煙が消え、路地に静寂が戻った後も、僕はしばらくその場から動けなかった。どれだけ時間が立っただろう、ようやく自転車を起こし、ちらばった物をのろのろと籠に入れ直す。

先程の記憶を反芻する。

赤いタキシード、翻ったマント。

優雅な身のこなしで。

煙と共に消え。


僕はため息をついた。

「やっぱりかっこいいよなあ・・・! 」



同じ日の夜九時頃、静まり返った私立高校A学園に真っ赤な服を着た人物が音もなく入っていった。

まだ明かりの点いている学長室まで行き、ドアをノックする。

「誰かね? 」

「レッドです」

「どうぞ」

 学長室の中に入った人物はシルクハットをかぶり、タキシードにマント、マスクをつけ、全身赤色の__

 赤の男爵だった。

 机に座っていた学長は彼の姿を認めると立ち上がり、破顔した。

「ご苦労様。無事で何よりだよ。今回も完璧だったね」

 男爵も笑った。

「ええ、まあ。ちょっとしたハプニングもありましたが」

「ハプニング? 」

「いえ、大した事はありません。ところで、これが例の品です」

 彼がポケットから木製の小さな箱を取り出すと、学長の柔和な顔つきが険しくなった。

箱を受け取り、中を確認してすぐ蓋を閉じる。

「これが例の・・・。確かに、ものすごく強い気を発しておるよ。君は大丈夫だったかね? 」

「まあ・・・。なるべく気にしないようにしていましたから」

「それなら良かった。・・・全く。こんな物の為にな」

 しばらく学長は難しい顔をしていたが、男爵を見て元の優しい顔に戻った。

「すぐにでも元に戻した方がいいだろう。教頭先生に海外出張して頂こう。なに、急だが心配要らないよ。先生は有能な方だから」

「確かにそうだと思います。いえ、僕はそちらを心配しているんじゃないんです。・・・警察の警備は益々厳しくなってきています。__これ以上は難しいかもしれません」

 学長の顔が曇った。

「そうか・・・こちらも手をつくしているんだが・・・」

 男爵は顎に手をあて、少しの間何かを考えているようだったが、思い切ったように顔を上げた。

「学長。今年の新入生男子の写真を全部見せてもらえますか」

「構わないが、どうしたのかね? 」

「今日、偶然なんですが、反射神経の素晴らしい生徒に出会ったんですよ。うちの制服を着ていました。服がまだ新しかったから一年生だと思うのですが。__彼なら、もしかしたら」

 学長が男爵を見た。表情が輝いている。

「そ、そうか。とうとう・・・。そうだ、新入生の写真はすぐ用意できるが、君が疲れていなければ今から探してみないかね? その生徒が見つかれば、私もすぐ手配をしよう。時間は少しでも節約したいからね。いや、君が良ければの話だが」

男爵が笑った。

「もちろんです」


 その日は学校にいるのが嫌になるような、五月晴れのいい天気だった。グラウンドの上を涼やかな風が渡っていく。

「藤堂、お前体操やってるのか」

 体育の授業が終わった後、同じクラスで親友の田中や、他のクラスメイト達にせがまれバク転を披露していた僕に、体育の顧問が声をかけてきた。

「あ、はい、昔に。中二ぐらいまでやってたんです。受験とかで辞めちゃったんですけど」

「それで運動神経がいいんだな。足も速いし。今日やった基礎体力テストな、お前がダントツだよ」

「あ、はあ」

「期待してるぞ。ああ、そうそう、お前らこれから教室に戻るだろ。このプリントを北島先生に渡してくれ。担任だろ」

 じゃあ、とプリントを渡され、僕と田中達は教室へ帰る事にした。

 期待してるって何だろう。まさか体育祭・・じゃないだろうな。第一担任じゃないし。

 悶々と考える僕に田中が声をかけた。

「藤堂、そのプリント何? 見せて」

「いいけど、つまんないよ。安全衛生のお知らせとかって・・・あっ」

 プリントを彼に手渡そうとした時、強い風が吹いた。紙が僕達の手をすり抜け後方へ飛ばされる。

あわてて振り返ると、丁度僕達の後ろにいた背の高い上級生が紙を拾い上げた。端正な顔がにっこりと笑い、僕に紙を差し出す。

「はい」

「あ、ど、どうも」

 彼が通り過ぎるのを待って、クラスメイト達が小声で囁く。

「今の生徒会長だよな。あの人、かっこいいよなー」

 僕も強く頷きながら、生徒会長の後ろ姿を見送った。


学校が終わって家へ帰ると、玄関に見慣れないダンボールが置いてあった。見ると、紙パックのお茶がワンケース分も入っているようだ。

ダンボールの上には二つ折りの真っ赤な紙が貼られている。

これってもしかして。

ぴんと来た。

急いで中を開けると、印刷の文字で

「赤の男爵」

とだけ書いてあった。

さすが赤の男爵だ。

あの時からまだ三日しか立っていないのに。

思わず顔がにやけてしまった。

その時の僕に、これから起こる事がどうして予測できただろう。


翌日の放課後、北島先生に呼ばれた。学長が呼んでいると言う。訳を尋ねても先生は笑って答えてくれない。

「大丈夫だよ、叱られる訳じゃないから」

 そう言われても安心はできない。入学してまだ一ヶ月にも満たないと言うのに一体何だろう、と僕は恐る恐る学長室へ入った。

 学長は壁まである大きな本棚を背後に、がっしりとした机に座っていた。きれいに禿げ上がったゆで卵のような頭、丸く艶々した顔に真っ白で豊かな口ひげをたくわえ、本当に人の良さそうな顔をしていた。

顎鬚を伸ばせばサンタクロースだ。

和製サンタクロース、いや学長がにこにこしながら、や、君が藤堂君かね。突然すまないね、と切り出した。

「ああ、そんなに緊張しないで。君は何も悪い事をしていないし、第一、君の事じゃないんだ。・・・あのね」

 学長が声を潜める。

「・・・君、赤の男爵を見たんだって?詳しい話を聞かせてくれないかな。・・・いやー、実は僕は彼の大ファンでね、はは、こんな事恥ずかしくって皆の前で聞けなくってねえ」

 僕はどうして知ってるんですか、と言いそうになり思いとどまった。

何故僕が男爵に会った事を学長が知っているのだろう。僕は親友の田中を思い出し、すぐに打ち消した。

確かに彼にだけ赤の男爵に会った話はしたが、絶対誰にも言わないようにと口止めした。田中は約束を破る奴じゃない。ただ彼はこんな事を言っていた。

「最近警察も厳しくってさ、広く情報提供を呼びかけたり、あちこちで張ってるらしい。大人には話さない方がいいよ」

 そう言う事か。 

その手には乗らない。


僕は学長をしっかり見据え、言った。

「いや、僕は見てません」

「そうかな? F市で君が男爵を見たと噂が立っているんだけどね」

「きっと勘違いだと思います。僕は見てません」

学長はしばらく僕の顔をまじまじと見ていたが、やがて顔を紅潮させ、笑い顔になった。

「・・・いやー、普段の素行もいいし、運動神経抜群。それに口も堅いと見た。藤堂君、私達は君のような人を待ってたんだよ」

そう言って学長は立ち上がると壁側にある本棚へ歩き、困惑している僕を手で招いた。

「今から見る事は他言無用だよ」

 学長が本棚のどこかを触ると、かちりと音がして、壁まである大きな本棚がゆっくりと自動的に横へスライドし、壁にもう一つのドアが現れた。

え。

 学長がドアを開けてこちらを振り向く。

「さあ」

 僕はたじろいだ。

「えっ・・・、さ、さあって、本棚が、ドアが、・・・こ、これって何なんですか!? 」

わけがわからない。

 学長は自分の口に人差し指を立てて、静かに、と言って微笑んだ。目がいたずらっぽく輝く。

「赤の男爵に会いたくないかね? 」


 僕は信じられないものを見ていた。

地下室に所狭しと置かれたたくさんのTVディスプレイ、コンピューター、無線機、机の上に広げられた様々な建物の設計図やミニチュア模型、宝石や美術品の写真の数々。

 部屋には学長を始め教頭、学園の先生達数名。担任の北島先生や体育の顧問もいる。

そして、部屋の中央には。


赤の男爵が。


 学長に連れられ、隠し扉から地下に降りた僕は地下室の秘密基地を見せられ、そこにいた先生達と、赤の男爵を紹介された。

学長は僕と赤の男爵を交互に見て、言う。「いや、藤堂君。びっくりしたろうがね。まあ、座って。話を聞いて欲しいんだ」

あまりの衝撃に言葉も出ない僕は、勧められた椅子に素直に座る他なかった。目の前のテーブルにはF市美術館に似た模型がある。

学長も向かいの席に座り、他の先生達もそれにならった。男爵だけ学長の横に立っている。

学長が続けた。

「我々は〝赤の怪盗団〟と言ってね、この学園ができた時から、つまり十年前からこの地下室を拠点に活動しているんだ。メンバーは僕や教頭先生、今、部活動等で全員集まってはいないが、この学園の先生方全員、それと__」

右横を見る。

「赤の男爵」

 男爵が一礼した。つられて僕も思わず会釈してしまう。

「教育者が泥棒、と思われるだろうがね。我々が何故このような事をしているかと言うと__」

 学長は胸ポケットから小さな木箱を取り出し、こちらに差し出した。

「例えば、これだ。開けて見てくれるかね」

 受け取って、中を開けてみた。

 箱の中には大きな緑色の宝石がついた、指輪が入っていた。

エメラルドだろうか。指輪の細工が古めかしく、アンティークのように見える。だけど、これはどこかで__。

 あっと僕は声をあげた。

「こ、これ、F市美術館の__」

 学長が頷く。

「そう。一週間前、F市美術館から赤の男爵が盗み出した指輪だよ。ところで、それをどう思うね? 」

「どうって・・・」

 僕は指輪をもう一度見た。大きくて古めかしい、只の指輪だ。

 だけど。

 何か、何か__。

 指輪を眺めながら答える。

「よくわからないけど、何か__。」

「そこだよ!! 」

 突然学長が大きな声を出し、机をどんと叩いた。見ると顔が紅潮している。

「何かある事はわかるんだね? いやいや、初めてでそれだけ感じれば充分だよ。・・その指輪は西洋のアンティークでね、約二百年前の物だ。それだけ古いと、気も強くなって来て大変なんだよ」

「は? 」

 気が強くなる?

 学長が頷く。

「物はね、大切にされればされるほどその持ち主の気持ちがこもるんだよ。年月が長いと特にね。だから大抵の物は元の持ち主の所か作られた所、故郷へ戻りたがっているんだ。そうして強い気を発してサインを出す。物を大切にする人はその気がわかるらしいが、私は昔から人一倍、物の発するそういう気を感じ取る力が強くてね。美術館や博物館に行く度に悲鳴が聞こえてくるようで何とかならないかとずっと思っていた。それだけじゃない。その物が放つ強い気は、現在の持ち主や家族にまで得体の知れない不安や罪悪感をもたらし、結果周囲にまで悪い影響を与えるんだ。それは美術品等を調べるうちに偶然わかったんだがね。それである日友人に思い切って打ち明けたら何と彼もそういった気を感じると言う。それで我々は悩んだ挙句仲間を集め、気、サインだね、を発する物を盗み出し、元の所に返す〝赤の怪盗団〟を結成したんだ。大抵元の持ち主は亡くなっている事が多いからその遺族や子孫にこっそり、ね。大変喜んでいるようだよ。大方本人と一緒に埋葬するらしいが。いや、本当は真相を話して今の持ち主が元に戻すのが一番なんだが、利益のみを求める人達は不吉な雰囲気を何となく感じ取っているにも関わらず、そのサインがどこから発せられているか全く分からないのだよ。だから相手にしてもらえない。それで不本意だが、怪盗をやっているわけなんだ」

「赤の男爵と言う派手な怪盗をしているのはね、目立つ事で逆に我々が盗み出す物に着目して欲しいからなんだ。詳しく調べれば、我々が標的にしている物は全て、元の持ち主が特別に大事にしていた物だと分かる。そうすれば自ずと物のサインに気付くだろうからね」

「しかし最近は物を見境なく買い集める人が増えてね。利益のみを求め、アンティークに限らずただ貴重な物、珍しい物を買い集めれれば良いと思っている。その物の背景を理解せずにね。結果、赤の男爵の活動も増え、警察の動きも厳しくなってきた。男爵一人で盗み出し、警察の手から逃げるのが難しくなってきたんだ。それで、だ」

 学長はここで一息つき、僕をまっすぐに見つめた。

「君に赤の男爵の影となって欲しい。つまりパートナーだね。メイン、盗みは赤の男爵がするんだが、君も現場に行って彼の逃亡の手助けをしたり、他様々なサポートをしてもらいたいんだ」

「それで、どうかな、藤堂君。優れた身体能力や真面目な性格、それに何と言っても男爵を慕ってくれている。君以外に適任者は見つからないんだ。やって・・・くれるかな? 」

学長が僕を見た。北島先生も、他の先生も

一斉に、僕を。


僕は赤の男爵を見た。

男爵は初めて出会った時と同じ、優しい目で僕を見ている。

無理する事はない。

そう言ってる気がした。

心は決まった。


僕は顔を上げ、学長をまっすぐ見返した。

 いや、きっとここで赤の男爵を見た時から決めていたのだ。

「はい。僕、やります! 」

「やってくれるかね!! 」

 先生達の表情が明るくなり、場が一気に和んだ。

赤の男爵はひとり席を離れ、こちらに向かって歩いて来た。目の前で止まると、優しく微笑む。

「引き受けてくれて、本当にありがとう。これからどうぞよろしく」

 赤い手袋をはめた手が差し出される。

あの時と一緒だ。

僕は興奮で顔を赤くしながら立ち上がり、がっしりと握手した。

「はい! 」

 北島先生も笑いながらやって来た。僕の肩を叩く。

「さあ、藤堂、明日から忙しくなるぞ」


学長に早速翌日から地下室へ来るよう言われた僕は、次の日部活が終わった後部屋へ直行した。

「いきなり大任だぞ、藤堂」

やけに嬉しそうな北島先生が地図をテーブルに広げて待っていた。D市博物館と周辺の地図が描かれている。先生が博物館を指差した。

「まず簡単に説明するぞ。今度の標的はD市博物館だ。近くだから藤堂も一度は行った事があるだろう。うん、そこの小さな置物を盗むわけだが、それは赤の男爵がやる。藤堂には、男爵が盗んだ後、彼の逃亡の手助けをして欲しい。そこでだ」

先生は地図の上に別の紙を広げた。博物館とその敷地内の拡大図になっており、先生は博物館の一つの窓を示した。

「男爵はここの窓から出て東へ逃げるから、君は少し離れた茂み、この辺だね、に潜んで彼が行ったら西へ逃げる。警察を分散させる為にね。つまり」

「囮ですね」

 僕は先に答えた。学長から男爵の影に、と言われた時から何をするかは薄々分かっていた。先生が頷く。

 あれ、でも囮だったら、もしかして・・。

 僕の疑問を見透かしたように、先生がにやりと笑った。

「そう。もちろん、藤堂も赤の男爵の扮装をしてもらう」

「ほ、本当ですか!? 」

「厳密に言えば男爵の変装、だけどね。・・・大変な役だが、がんばって欲しい」

「は、はい」

 憧れの男爵に近付けるだけではなく、自分も、例え偽者でも男爵になれるんだ。これは頑張らないと。


それからの一ヶ月は怒涛のように過ぎた。

僕は毎日地下室に通いつめ、先生達とD市博物館の写真や地図を見ながら何度も逃亡手順を確認したり、博物館のセキュリティーを調べたり、男爵が使う道具の使い方を教えてもらったりした。コンピューターで博物館周辺の情報収集をしたり、休日には実際にこっそり一人で博物館まで行って逃亡経路を確認したりもした。

その間に赤の男爵も何度か地下室を訪れ、情報収集等をしていたが、彼はいつでも男爵の扮装をしていてそれを解く事はなかった。周りの先生達も一向に気にしている様子はない。最初は黙っていようかと思ったが我慢ができなくなり、遂に僕はある放課後北島先生に聞いてみる事にした。

「あの、先生」

周囲を見渡し、小声で北島先生を呼ぶ。

「ん、何だ」

他の先生達はデータと睨み合いをしていてこちらの様子に気付いていない。

「あ、あの、赤の男爵って誰がやっているんですか」


 言ってから思わず周りを見回す。

今日は赤の男爵は来ていなかった。

 先生も身をかがめ、小声になって答える。

「藤堂、その質問はここでは禁句だ。・・・赤の男爵の正体はわからないんだ。先生もここは長い方だけど、学長を始め数人の先生方しか知らない。味方にさえ教えないのはフェアじゃない、と思うかもしれないけどね、赤の男爵はここの最重要機密だ。わかるか? 知ってる人はできるだけ少ない方がいい。例えパートナーでもね」

「そうなんですか・・・」

 何となく予想していたとは言え、少しがっかりした。北島先生が笑いながら写真を差し出す。

「そんな顔するな。正体がわからなくても、君が尊敬する人物には変わりはないわけだろ。それでいいじゃないか。それより、この人物に注意していてくれ」

僕は気を取り直して写真を受け取った。

少し伸びた黒髪と日に焼けた精悍な顔が印象的な男性が写っている。

「彼は真田刑事と言ってまだ若いんだが、赤の男爵の事件は彼が担当でね。これがまあ、熱血漢でどこまでも追いかけてくる。一番の要注意人物だよ。赤の男爵の、最大のライバルだな。君もくれぐれも気をつけるんだよ」

 ふうん。

 僕は写真をじっと見つめた。


とうとうその日が来た。現在午後九時。地下室には学長以下、「赤の怪盗団」全てのメンバーが集まっていた。もちろん赤の男爵もいる。僕は到着してすぐに、学長から着替えるようにと袋を渡された。

憧れの、赤の男爵の衣装だ。

興奮で胸がどきどきした。しかし取り出して見ると、衣装はトレードマークの赤色ではなく__黒色だった。

 北島先生が言う。

「全身真っ赤と言うのは例え夜でも目立つんだ。藤堂はまだ初心者だから少しでも目立たない方がいい。ほら、これがあるし、帽子やマントも仕掛けがある。最初はそれで赤の男爵に化けるんだ。はは、そんなにがっかりするなよ。君は途中まで警察を引き寄せられればいいんだから」

「・・・確かに影武者が捕まっちゃ話になりませんよね・・・」

 そうだった。主役は赤の男爵で、こちらは脇役なのだ。分かっていたはずなんだけど。


 別室で衣装に着替え地下室へ戻ると先生達から歓声が上がった。

「藤堂君、良く似合うよ」

学長の言葉に思わず照れてしまう。

 北島先生がイヤホンを手渡した。

「これを耳につけておくように。指示は地下室から無線で随時流すからな。藤堂が今身に付けている、この蝶ネクタイには発信機が取り付けてあってここのコンピューターで藤堂の動きは追えるが、もし緊急事態等があったら、シルクハットの裏にワイヤレスマイクがあるから君からの連絡に使ってくれ。じゃあ皆さん、これを見て下さい」

 机に広げられたD市の地図を、北島先生以下、学長や僕、赤の男爵、他の先生達全員が真剣な眼差しで見つめる。

「藤堂、もう一回おさらいだぞ。盗った後に赤の男爵はA地点へ、藤堂は警察を引き付けて逆方向のB地点へ逃げる。青山先生はA地点で、先生はB地点で車を回しているから、各自そこで回収。藤堂、ちょっと距離は遠いが頑張るんだぞ」

「はい」

「落ち着いてやれば大丈夫だ。男爵の予告状はいつも前日ぎりぎりに出すから、警察の警備も完璧には整わないんでね。でも・・・あれがちょっと気にはなりますねえ、学長」

北島先生が学長を見た。

「ああ、あれねえ」

 学長が僕の視線を感じてこちらを見る。

「最近男爵の熱狂的なファンがいてね。赤の男爵の犯行現場に同じコスプレをして現れる人達がいるんだ。警察も厳しく取り締まるようになったからもういないかと思うが。しかし藤堂君、君も同じファンだと思われたらカモフラージュの意味がなくなる。あくまで君が本物の赤の男爵だと信じさせなければいけない。それを忘れないようにね」

「はい」

「じゃあ、時間だ」

 その言葉を合図に全員が動いた。所定の位置について一斉にコンピューターや無線を動かす先生達。指示を出す学長。 科学の青山先生は僕に近付き、使う時は地面に叩きつるんですよ、とゴルフボールのような物を数個握らせた。

 これが何か聞こうとしたけれど、

「煙玉ですよ。さあ、時間が迫っているから急いでください」

と青山先生に急き立てられ、それ以上質問する暇はなかった。

僕は赤の男爵と共に踵を返した。目指すは、博物館へ。

 先に部屋を出ようとした赤の男爵がふと振り向く。

「藤堂君」

「は、はい」

「緊張していますか? 」

「え、あ、はい」

男爵は、ふっと笑った。

「難しい事じゃありません。君がすべき事をすればいい。・・・大丈夫。頼りにしていますよ」

「はい! 」


さあ、始まるぞ。


僕は茂みの中で息を潜めていた。腕時計に目をやる。十時まであと五分だ。

暗闇の中に博物館がサーチライトを浴びて浮かび上がっていた。その周りには警備に当たる警官達の姿が見える。春の夜風が僕の頬を撫でていく。静かな夜だ。

僕の手が微かに震えていた。手袋をはめていてもはっきりわかる。止めようとしても止まらない。時間が迫ると共に緊張もピークに達していた。

僕は茂みの中でそうっと息を吸い込んだ。未だ自分が着ているとは信じられない、赤の男爵の衣装を見下ろす。

大丈夫。赤の男爵は絶対に失敗なんかしない。僕は、落ち着いてやればいい。

僕がすべき事を。

五分間が恐ろしく長く感じられた。腕時計の針がゆっくりと動いていく。

三・・二・・一

突然博物館の全ての明かりが消えた。

「何だ! 」

「落ち着け! 」

建物の内外から警官達の驚いた声が聞こえる。続いて窓ガラスが数枚割れる音がし、僕の周囲にいた警官達が音のした方向へ走って行った。

暗闇の中に目を凝らすと、やがてガラスが割れた方とは反対の窓から人影が見えた。赤の男爵だ。ロープで三階の窓から素早く降りると、彼は音もなく走り去って行った。

一瞬こちらを見た、ような気がした。

今だ。

僕は茂みから飛び出し、走り出した。遠くに数人の警察官が見える。背後で声がした。

「赤の男爵だ! 追え!! 」

 裏門から抜け出し、僕はマントをなびかせ小さな通りを走った。シルクハットが脱げないか気にしながら。

 少し走って次の角を左へ曲がる。

 大丈夫。予定通りだ。

すると、突然僕の目の前を、A地点へ行ったはずの赤の男爵が横切った。

「えっ!? 」

 な、何でここに!?

 男爵もこちらに気付き、立ち止まると大きな声を上げた。

「わっ!! も、もしかして、赤の男爵? ほ、ほんものお!? 」

 違う。男爵じゃない!

 よく見ると大柄だし衣装の色も微妙に違う。

学長が言っていた男爵のファンなのだろうか。

 赤の男爵の格好をした男は、ほ、本物!? 感激だなあ、等と言いながら近付いてくる。

 正体を見られる訳にはいかない。

「あ、あの、違う!! 」

 僕は仕方なく赤色の衣装を脱いで見せた。


赤い服は黒の衣装の上からスナップボタンで簡単に留めてあるだけ、シルクハットとマントは表が赤色、裏が黒のリバーシブルだから簡単に衣装替えができる。覆面や手袋は黒のままだけど。

北島先生の言っていたこれが、赤の男爵の変装で、遠目から見れば充分男爵に見える。

「なんだあ! ご同胞かあ!! 」

 黒い衣装に早変わりした僕を見て、男は大げさに肩をすくめてみせた。

それにしても声が大きい。警察が聞きつけやしないだろうか。

そっと周りに視線を走らせた。

男は全く気にした風もなく大声でしゃべり続けている。

「でもさあ、おたく、赤の男爵見なかったあ!? 俺もうすっごいファンでさあ!!かっこいいよなあ、この前なんか・・・ 」

「しーっ! 声が大きいって!! 全然見てないよ、じゃあね」

「そうかあ、見てないのかあ!! じゃあ、あっちの方に行って見ようかな」

「だ、駄目だ! 」

そっちは赤の男爵が逃げた方向じゃないか!


止めようとしたその時、

「こっちだ! 」

 男の声が聞こえた。

振り返ると警官達がこちらに向かって来ている。

「やべえ!! 」

 コスプレ男が路地裏へ逃げ出す。

僕も慌てて駆け出した。

「いたぞ! 追え!! 」

 背後で警官達の足音が横道へ逸れて行った。どうやらコスプレ男の方を追っていったようだ。

 僕はほっとしつつも全速力で駆けた。

 路地を幾つか走り抜け、街灯が壊れた薄暗い通りに出る。

 もうすぐだ。

 角を曲がろうとしたその時、前方から警官達が走って来た。五人はいる。

え。

振り返ると後ろからも数人がやって来る。

 見破られていたのか!?

警官達が前後からじりじりと僕を包囲する。

前の警官達の中から、背広を着た若い男が息を切らしながら近付いてきた。

浅黒い、精悍な顔。


真田刑事だ。

「見損なうなよ、ここらへんは地元でね、脇道は子供の頃から知り尽くしてるんだ。男爵マニア野郎のおかげで時間を食ってしまったが、ここまでだったな、赤の男爵」

 僕は一歩下がった。

刑事がさらに近付く。

もう一歩。

街灯が僕を照らし出す。 

「何? お前・・・」

 真田刑事が当惑した顔で僕を上から下まで見つめた。

「赤の男爵じゃ・・ない・・のか? 」

しまった! 

僕は一瞬自分の黒いタキシード姿を見下ろした。

ずっと着ておくべきだったのに。

学長の言葉が蘇る。

__最近熱狂的なファンがいてね。赤の男爵の犯行現場に同じコスプレをして現れる人達がいるんだ。

__ファンだと思われたらカモフラージュの意味がなくなる。

__君は、あくまで赤の男爵だと信じさせなければいけない。

__赤の男爵だと。


何も言えず硬直している僕に、刑事が軽くため息をついた。

「・・・君、ファンの人だね? 全く、困るんだよなあ、この手が増えて。・・・ちょっと話を聞かせてもらうよ」

 なんだ、という雰囲気が周囲に流れた。取り囲んだ警官達の輪が緩む。

いけない。

これでは全員が赤の男爵の追跡に回ってしまう。

何とか信じさせなければ。

僕が、

赤の男爵だと。


__どうする?

僕は背後の警官をちらっと見た。

__赤の男爵なら。

僕の真後ろには。

背の低い警官が、一人。

僕のすべき事は。

赤の男爵が笑っている。

__頼りにしてるよ。

すべき事は、

今やれる事だ。

__赤の男爵なら、どうする?


僕はシルクハットのつばに軽く左手を添え、真田刑事を見てにやりと笑った。

「これは真田刑事。随分なご挨拶ですね。長い付き合いだと言うのに、分かりませんか」

「何っ!? 」

 僕は言いざま、数歩後ろへ下がった。


 後ろには、警官が。

__赤の男爵なら。

僕は前を向いた体制のままシルクハットを脱いで後ろへ投げ飛ばした。間髪入れず軽く腰をかがめて両手を振り上げたと同時に、両足で思い切り地面を蹴る。

身を反らせ、背後にいる警官の肩をがっしりと掴んで突き放し、

ふわっと。

バク転した。

そのまま警官達の輪から飛び出す。

「なっ! そんな!! 」

真田刑事の驚愕した声が聞こえる。


しかし逆さまに宙に浮いた時、僕のポケットから玉がぽろぽろこぼれ出てしまった。化学の青山先生からもらった物だ。

「あっ」

 拾える暇もなく、玉は僕が地上に着陸すると同時に落ち、そして__

「うわっ!! 」

「煙が!! 」

 玉が割れると同時にものすごい量の煙が噴出した。

 風下にいたらしい警官達はまともに煙をくらい、全員目をこすったり咳き込んだりしている。

煙玉って、この事だったのか!

僕は偶然の幸運に呆気にとられながらもすぐに気を取り直し、シルクハットを拾い、身を翻して通路の奥へと駆け出した。

とにかく、ここから逃げ出さないと。

「ごほっ! や、奴が逃げるぞ、追え! 」

背後で真田刑事の声が聞こえる。


全速力で通りを走りぬける。

背中のマントが風でばたばたと揺れる。

無線で北島先生に連絡を取ろうとマイクを口元に近づけようととして、やめた。

予想外の出来事で脱出ポイントからかなり外れてしまった。先生もすぐには来られないだろうし、逆に今来られたら真田刑事に見られるかもしれない。却って危険だ。

このままではそのうち追いつかれる。どこかで撒かなければ。

 さらに走って十字路を左へ曲がる。

しかし曲がってすぐに後悔した。

だだっぴろい道路とその両脇に住宅街があるだけで、身を隠せそうな場所がどこにもないのだ。

 どうする。

 やりすごさなければ。

 僕は広い道路を見渡した。


 しばらくして真田刑事達がやって来た。

 刑事が悔しそうに舌打ちする。

「こっちへ曲がったかと思ったが・・・ごほごほっ、くそ、右へ行った奴らの報告を待つか」

「ごほっ、真田刑事、あの人物は本物だったのでしょうか? 」

「ああ、間違いない。あの身の軽さ、機転の良さ、素人にできるわけがない。__しかし何故今回は黒だったんだ? 」

それからさらにバタバタと数名の警官が走って来た。

「真田刑事! こちらにもいませんでした。しかし、たった今連絡が入りましてA地区で赤の男爵を見たと・・」

「な、何だって!? A地区!? まるっきり反対方向じゃないか!! 」

「は、はい。しかし、本物に間違いないと・・・」

「どうなってるんだ、赤の男爵は二人いるのか? では今までは? それともどちらかが偽者か? さっぱりわからん。__しかし今のは・・・宙を飛び煙のように消え・・・見事だったな・・・」

「真田刑事? 」

「い、いや、何でもない。とにかくA地区へ確認だ。急ごう」

「はっ!!」


 警官達が走り出す。真田刑事も後に続こううとして走り出す前に一瞬通りを振り返り、つぶやいた。

「黒、か・・・」


警官達の足音が遠ざかり、通りは完全に静寂に包まれた。

それからたっぷり五分待った後、通りにあったマンホールを動かし、僕は地面から顔を出した。辺りを見回す。

「ふう。ここに逃げ込めなきゃ、アウトだったなー」

 マンホールから這い出し、素早く近くの塀まで移動する。

 無線のスイッチを入れると、学長の慌てた声が飛び込んできた。

「もしもし、シャドウ、大丈夫かね!? 聞こえているかね、もしもーし!? 」

 シャドウとは誰だろう、と一瞬考えた後、任務遂行中の自分の呼び名だったと気付いた。

「あの、シャドウです。はい、何とか大丈夫みたいです。すみません、もう少し小さな声で・・・。はい、今D町の、えーとここは・・あ、二十四番地にいます。はい、色々あって・・。回収を急いで下さい。あっ! 赤の男爵は・・大丈夫ですか。そうですよね。・・・はい、わかりました」


 無線のスイッチを切ると、どっと今までの疲れがが襲ってきた。足がだるい。 

「良かった。何とか作戦、成功か。 それにしても、あててっ」

僕は背中をさすった。

「最近体操やってなかったから無謀だったかな。この若さで整体デビューかも・・」


 翌朝、学校は赤の男爵の話題で持ちきりだった。今日一日どの先生も気味が悪いほど機嫌が良く、皆一斉に宿題を減らしたので、事情を知っている僕だけが、他の生徒が訝りやしないかとハラハラした。

休み時間になるとクラスメイト達はこぞって男爵の話をし、僕はそれを机に寝た体制で聞いていた。

田中が興奮した顔で新聞を持って近付いて来る。

「すごいよ! D市ってここの近くじゃないか! 前回といい、二度もうちの近くで男爵が現れたんだよ、見たかったよなあ。それにしても」

 僕の頭を軽くこづく。

「何だよ、藤堂、お前誤って背中痛めたんだって? どおりで湿布臭いよ、親父じゃないんだからさ」

「悪かったな」

 顔だけを上に向け田中を睨んだが、田中は思い切り無視して、うっとりと宙を見つめている。

「ほんと見たかった、かっこ良かっただろうなあ。お前も見習えよ」

「はは・・・」

 かっこ悪い男爵ならここにいるよ、と言う言葉を僕はかろうじて飲み込んだ。


 放課後地下室に行くと、上機嫌の先生達が迎えてくれた。学長が満面の笑みで言う。

「いやあ、上出来だよ、藤堂君! 昨日君がやった事を聞いた時は、胸がすく思いがしたよ。背中は大丈夫、ちょっとひねっただけだから、若いからすぐ治るよ」

 化学の青山先生が煙玉を手に笑った。

「僕の発明品は役に立ったでしょう。これからもどんどん作りますよ。使ってくださいね」

「初めての仕事で、よくやったな。赤の男爵の影武者に相応しい」

 北島先生の言葉に笑顔を返したが、少し引っかかった。

 影、なんだよな。


「ありがとう」

 声のした方を振り向くと、知らない間に赤の男爵が立っていた。音を立てずに近付くと、シルクハットのつばに左手をかけ、優雅にお辞儀した。

「お陰で助かりましたよ」

「あの、い、いえ」

 僕は顔が赤くなるのを感じた。

 やっぱり本物は違うな。

 全身から自信と貫禄に満ち溢れているが、敢えてそれを見せ付けようとしない。

 即席の男爵とは大違いだ。

 僕はそっと微笑んだ。

 影でいいじゃないか。

僕は今、自分ができる事をやればいいのだから。


 背中は一週間ほどで治ったが、男爵の次の仕事には少し間があった。

その間僕は自主的に毎日筋トレをし、長距離も走るようにした。美術館や博物館へもよく出かけるようになった。美術に全く疎くても、少しでも自分なりに物の持つ気を感じ取りたかった。毎日部活を理由に帰りの遅い僕を、両親が心配したので勉強もするはめになった。親は成績が下がるのではと思ったらしい。幸い地下室にはいつも誰か先生がいたので、分からない部分や宿題を教えてもらった。

とにかくできる事は何でもした。

そうして一ヶ月が過ぎ、学長が次の標的を告げた。二週間の準備期間は慌ただしく過ぎ、当日を迎えた。


車内で僕と北島先生は最後の打ち合わせをしていた。先生がカーナビを指差した。

「赤の男爵はこのT字路を西から東へ走ってくる。警察もそれに続くから、君はこの南側で立って、男爵が行った後、警察をひきつけて欲しい。南に下った先に廃屋のビルがあるから、その屋上まで出るんだ。そこで我々はヘリで君を回収する。いいね? 」

T字路で車は停まった。僕を降ろすとすぐに走り去る。

僕は発見されやすいように、わざと街灯の下に立った。


少しして通りから足音が聞こえてきた。

一人。

一瞬、赤の男爵が前の通りを走り去って行った。速い。

よし。

僕は身構えた。

やがて騒がしい複数の足音が聞こえ、真田刑事を筆頭に警官が数人躍り出た。

刑事はそのまま行き過ぎようとし、ふとこちらを見た。

目があった瞬間、僕はきびすを返して走り出した。

「あっちだ! 」

 真田刑事が叫ぶ。僕は背後をちらりと見た。うまくいった。皆ついてきている。


 何度か入り組んだ路地を通り抜け、全速力で駆ける。指示されたビルへまっしぐらに走った。

 目標のビルに着き、辺りを見回す。

 まだ刑事達は来ていないようだ。

 僕はビルの外側にある非常階段を見上げた。階段と言うより鉄製の古びたはしごが、かろうじて壁にくっついている。

学長の言う通りこれは使えないな。

僕はこの時の為あらかじめ開けられていたビルのドアを開け、内側から鍵をかけた。階段を四階まで一気に駆け上がり、屋上に出る。

もう追いつけないだろう。

赤の男爵の扮装を脱いだ。闇に同化するような、真っ黒な衣装が現れる。

「いたぞ! あそこだ! 」

通りに目をやると、刑事達がこちらを指差し、走って来るのが見えた。真田刑事は錆付いたはしごを一瞥すると、

「君達はドアへ! 」

残りの警官をドアへやり、一人はしごに手をかけた。

ぎっ、ぎぎっ、

はしごが嫌な音を出し、不安定に揺れる。僕は取っ手の部分を見た。

コンクリートに打ち付けられた二本のボルトがゆるんで、今にも取れそうだ。

刑事はそれに気付く筈もなく、急いで上がって来ようとしている。

階下から、警官達のドアを蹴破ろうとする音が聞こえる。

僕はそちらに気をとられながらも、揺れるはしごから目が離せず、金縛りにあったように立ち尽くしていた。

やがて真田刑事の頭部が見え、精悍な瞳が見えた。僕を見て一瞬にやりと笑い、一層はずみをつけて上ってくる。

ボルトが限界にまで達している。

思わず声を上げた。

「駄目だ! 動くな!! 」

 刑事は一瞬怪訝な顔をしたが、おどしと取ったのか鼻で笑い、手すりに手をかけ、上り切ろうとした。

その時。

「わっ!!! 」

 はしごが大きく揺れた。

 ボルトが抜け、はしごは真田刑事を乗せたまま大きく後ろへ傾き__。

体が先に動いていた。

がしゃっ、と外れたはしごがビルの壁にぶちあたる音がした。

 真田刑事が叫ぶ。

「!? なっ・・・! 」

僕は腹ばいになって両手をいっぱいまで伸ばし、刑事の右手首をつかんでいた。

宙ずりになった刑事が驚愕の顔で僕を見ている。

くそ、手袋じゃ手がすべる。

「つ・・かまれ」

 ずずっと体が前に引きずられながらも、僕は懸命に近くの手すりまで刑事の手を引き上げた。右手を手すりに捕まらせると、彼の左腕を掴み、何とか刑事を引っぱり上げる。


 真田刑事はひざをつき、荒い息をしながら、戸惑った表情で僕を見上げた。

「また、黒の・・・お前、何物・・・」

僕は視線を逸らし、ほこりまみれになった服をはたいた。

「・・・忠告はしましたよ。全く、無茶をする人ですね」

「お前・・・」


バラバラバラ、とヘリコプターの音が近付いてきた。

迎えだ。

「では」

僕は地面に発光弾を叩きつけると同時に、後ろを向いてビルの端まで猛然と走り出した。


「目が! く、くそ、待て! 」

真田刑事の声が背後で聞こえる。


ヘリコプターは目の前に迫っていた。

闇を切り裂くライトに目がくらみながらも、入り口から降ろされた縄梯子が風で大きく揺れているのが見えた。

無線から連絡が入る。

「ブラック、梯子に飛び乗るんだ」

「ラジャー! 」

僕は落下防止の柵の上に乗り、すぐに梯子へ飛び移った。ヘリコプターがゆっくりと上昇する。

 眼下に真田刑事が見えた。盛んに目をこすっている。

「では、御機嫌よう、真田刑事」

「く、くそ」


 ちょうど階段から他の警官達がなだれ込んで来た所でヘリコプターはビルから離れた。

 思わず安堵のため息をもらす。

 今回も、何とか作戦成功だな。

僕は小さくなっていくビルをずっと見つめていた。


 その後も数回僕は影として出動した。毎回あわやと言う所がありながら、体操で培った反射神経と運の良さで何とか切り抜ける事ができた。

ただ、毎回決まって囮の僕を追う真田刑事が気になっていた。本当に赤の男爵だと騙されているのか。それとも。



満月の美しい晩だった。

僕は全速力で走っていた。

何で。

道路脇の茂みを飛び越える。

何で。

道路の街灯が僕の姿を一瞬照らし出す。

何で。

「待てっ!! 」

真田刑事の声が遠くに聞こえる。

僕が影だと分かっていて。

 何故僕を追う?


今回の仕事で僕は黒い衣装のままだった。前回の逃亡の際に赤のタキシードを破いてしまったのだ。マントが赤い為遠目にはわからず、少しの間なら警察の目をごまかせるだろう、と言う事で始めから黒の衣装でいく事になった。

果たして僕の後を追ってきた真田刑事達は途中で囮だと気付いたようだった。

すると刑事は他の警官達に赤の男爵を追うよう指示し、自分だけ僕を追いかけてきた。

そうして僕達二人は走り続けている。

「待て! 黒の男爵!! 」

え。

僕は柵を飛び越え、公園の中へ入った。そのまま右手の林へ入り、丘を目指して走る。

丘の上に出れば迎えのヘリコプターが来るはずだ。


それにしても。

走りながら真田刑事のセリフを反芻する。

今、


黒の男爵って言ったよな?

 

丘の上には、大きな一本の木と満月以外に何もなかった。

僕は大木へ近付き、辺りを見回してから木の陰へ隠れた。無線のスイッチを入れる。

「こちらブラック。予定地に着きました。回収を急いでください」

 スイッチを切って息を整えていると真田刑事が必死に丘を駆け上がって来た。

「そこにいるのは分かっているぞ! 黒の男爵!! 」

 黒の、男爵。

 僕はゆっくり息を吸って、大木から姿を現した。月の光が背後から降り注ぐ。

刑事は僕の姿を認めると、ぎょっとしたように少し離れた所で立ち止まる。息をはずませながらもこちらの出方を伺っているようだ。

「__どうして僕を追うんです? 」

「逃げ場はないぞ、黒の男爵」

「面白い事を言いますね。分かっている筈です。僕は只の影。男爵でも何でもありません。あなたが追っている赤の男爵は、ほら」

 僕は刑事の後方を指した。

「全くの反対側へ逃亡していますよ。お宝と共にね。でもこれから追いかけても無駄です。既に姿をくらましたでしょう」

 丁度その時、刑事の携帯が鳴った。

「はい、真田です。__はい、・・・そうか・・・」

僕は軽く笑った。

「ね? そうでしょう? 」

 刑事は携帯の電源を切り、胸ポケットに入れた。

「ああ、そのようだな」

「僕が影だと分かった時点で引き返すべきでしたね。まあ、それが僕の役割ですが」


 遠くからヘリコプターの音が聞こえてきた。

 そろそろ退散だな。

 僕は右手を挙げようとした。

「俺の狙いは奴じゃない」

 挙げようとして、止めた。

「俺は分からなかったからお前を追った訳じゃない。最初から気付いてたんだ。俺の標的は」

 刑事は僕をまっすぐ見た。

「お前だ、黒の男爵」

 僕は大きく目を見開いた。

「僕は男爵じゃない。赤の男爵の影。本体があってこその影です。僕を捕まえても彼の事は何も分かりませんよ」

「そんなことはどうでもいい」

「どういう事です」

「おっと、これは失言だったかな。どうでもいい事はない、赤の男爵はずっと追ってきたんだからな、彼も捕まえなきゃならない」

「でもお前は。ある日突然現れて。あの現れ方、身のこなし。衝撃だった。赤の男爵以上だった。正直、かっこよかった。・・・魅せられたんだ」

「あんなすごい事ができる奴が影なんかの筈じゃない、分かったんだ。男爵は二人いる。赤と、黒の」

僕はめまいがしてきた。男爵が二人いる?そんなのでっちあげだ。

僕は、

僕はただ、

自分の仕事を忠実にやっていただけなんだ。

影の仕事だろうと、必死に。


ヘリコプターの音で僕達は我に返った。

煙玉を真田刑事に投げつけた。すぐに周りが煙で包まれる。僕はヘリコプターから投げられた、ロープの端に付いてある輪へ片腕を通した。

「OK!! 」

 間一髪、刑事が手を伸ばす前に僕の体はあっと言う間に上へ巻き上げられた。


どくん。どくん。

無事、ヘリコプターの内部に乗り込んだ後も、心臓が早鐘のように打っていた。

僕の事をかっこいいと思ってくれる人がいる。

例えそれが敵側の人間でも。

僕の事を認めてくれる人が。

丘から遠く離れた場所でヘリコプターは着陸し、迎えに来ていた車に乗って学校に戻った。

学長室には既に赤の男爵も到着していて、学長と歓談していた。机の脇には盗んだ品物が置いてある。

学長が僕を見て微笑みかけた。

「やあブラック、ご苦労様。今回も文句なし、素晴らしかったよ。これでレッドも安心して活動できるよ」

 僕はシルクハットを脱いだ。

「あ・・・はい・・」

 赤の男爵が僕をじっと見つめる。

「何か、あったのですか? 」


 少しためらったが、僕は学長達に真田刑事とのやり取りを話した。

 男爵は腕組みをし、少し間をおいて口を開いた。

「・・・影武者の存在がばれるのは、時間の問題だと思っていました。例えそうでも、相手を撹乱させられるのは間違いがないから、何も問題はないんですが。・・でもまさか、敢えて君を狙ってくるとは・・・相手もお目が高いですね」

「え? 」

「影が実体よりも輝く事があるって事ですよ」

 どういう事ですか、と聞く暇も与えず男爵は続ける。

「君はこれから堂々と黒の男爵を名乗ればいい。真田刑事の言う通り男爵は二人いるんですよ、赤と、黒と。光も影もない。どちらも主役です。やって頂く事は従来通り私のサポートですが、場合によっては君がメインになる事もあると思います」

 いいですよね学長、と男爵が声をかけると、学長は満面の笑みで頷いた。

「君はもう影ではないから、」

 赤の男爵はそう言うと、自分のシルクハットを脱ぎ、顔面のマスクに手をかけた。

「男爵仲間としてご挨拶しなくてはいけないな」

そうして彼がマスクを外すと、その下に現れた顔は__。


「えっ・・・、生徒会長!? 」

端正な顔、軽やかな物腰。一度見たら忘れるわけがない。

驚いて口をぱくぱくさせている僕に、生徒会長はにっこり笑いかけた。

「改めてよろしく、黒の男爵」



夜の十時前。僕はとある美術館の屋上にいた。

腕時計を見る。あと五秒だ・・四・・三・・二・・一、

時間だ。

十時きっかりに僕の後方で花火が一発上がった。大きな、白い光が僕を照らし出す。

屋上から見下ろした。外で美術館を警備していた警察官達がこちらに気付いて驚きの声を上げている。

赤の男爵は今のうちに潜り込んだだろう。


真田刑事の姿も見えた。僕を見上げて不敵に笑う。

「現れたな」

僕も笑い返した。


ふと思い浮かべる。

学長。赤の男爵。学校の先生達。真田刑事。父や母、田中や友人達。


僕を頼りにしてくれる人達。

僕を愛してくれる人達。

僕を認めてくれる人達。


皆、みんなに感謝をこめて。


赤の男爵が言っていた。

影が実体よりも輝く事があると。


告げる。

前よりも、堂々と、自信を持って。


僕の名を、僕の存在を。


僕はマントを翻した。

「黒の男爵、参上!! 」



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