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挨拶へ

 キースが医務室に戻って来る頃には、ひな子のあてのない心の行方はおおよそ決まっていた。

 だからこそキースを笑顔で迎えることができた。逆にキースは気まずさから、ぎこちなく椅子に座る。

 どう話を切り出そうか考えがまとまっていない男に、ひな子は不思議そうな目で問いかけた。


「何か問題がありましたか? あ、通じないんだった」


 小首を傾げてから口元を押さえたひな子に、キースは再び紙とペンを差し出した。

 書かせてくれるつもりなのだろう、と受け取った紙には既に文章が書かれていた。『わるくおもわないでほしいんだけど、じつはひなこちゃんのカバンにはいっている、てがみをよんでしまったんだ』

 二秒後、文章の意味を理解したひな子の顔が真っ赤に染まる。


(ラブレターを見られてる~!! ああ、でもよく考えたら、あれを見る以外にスフェラ語が読めるってわかるはずないじゃん! 恥ずかし過ぎる~っ)


 そして思わず、『わすれてください!』と書いて紙をキースに読めるよう逆さにした。

 しかしキースの話はその報告だけではない。案の定動揺している少女に追い討ちをかける罪悪感にさいなまれながらも、なんとか要件を書き記した。

 『こんなはなしをしたのはね、あした、そのディルバート・ペトゥラノス××がお見えになって、×××かどうか××に××んだ』

 キースは自分が思うよりも動揺しており、ひな子には読めない熟語を使用していた。しかし、それでもその意味を伝えるには充分なメッセージであった。


「ディルバート様が……存在する?」


 湧き上がった歓喜をどうすることもできず、溢れた涙を手で受け止める。

 ひな子の中でディルバートという男は、とてもお近づきになれない雲上人であり、更に誇り高き戦死を遂げた“失った人”でもあるのだ。


『ヒナコちゃん? 大丈夫!? まさか泣くとは……、本当に女の子ってよく泣くよな……』


 とにかくハンカチを差し出すキースだが、ひな子はメッセージを優先した。

 『ディルバートさまがここにいらっしゃるんですか?』

 射抜くような真っ直ぐで必死な視線に、キースの動きが止まった。


(なんてこった……単なる少女の淡い憧れじゃないのか? なんて真剣な表情なんだ)


 『そうだ』と書き終わった瞬間、ひな子の全身に鳥肌が立ち、何かを堪えるようにシーツを握りしめた。

 感情に飲まれたひな子がまともにキースに向き合えるようになるまで、五分を必要とした。


「ごめんなさい……」


 自分の行動がおかしかったと反省したひな子は、興奮よりは悲しみが強い表情でキースに頭を下げた。

 言葉は通じなかったが意味は通じたらしく、『きにしないで』とキースは一言で返した。

 ひな子はその後もディルバートについて質問をして、最後に『おしえてくださって、ありがとうございました』と伝えた。


「ディルバート様……こんな、本当にいらっしゃるなんて……」


 キースに食事やお手洗いの説明を図で受けた後、ひな子は医務室に一人きりになった。外には見張りが居るが、キースが動揺の大きかったひな子を気づかって、医師の診察を明日にしてもらうよう頼んだのだ。


「……ああ、絶対に会えるはずがない人に会えるなんて……冷静になんかなれないよ」


 ひな子の頭の中に、様々なディルバートの情報や『異世界英雄シグマ』の情報が交錯する。

 そして、考えを落ち着かせるためにもカバンからノートと文房具一式を取り出して、日本語で『原作』のストーリーや設定を書き残すことにしたのであった。

 翌朝は穏やかなもので、にこやかなキースが食事を運んでくれた。軽く雑談をして、ひな子は自分の気持ちが落ち着いたと確信する。

 食事の後には診察を行ったが、意思疎通に手間取りなかなか終わらない。しかし苦労の甲斐もあり、体調に異常はないと診察結果が出た。

 『そとにでてもいいでしょう』と許可をもらえば、意気揚々とキースに建物の中を案内してもらうことになった。


 ――警備隊が交代で詰めている、町の規模からすると立派な建物の外――森側に、大きな黒い翼が舞い降りた。


『ふぅ……お疲れ様、クーガー』


 愛竜の鼻面を撫でてやると、上機嫌に目を細める。その一人と一頭に近づくのは、ディルバートに連絡をしたフーリ隊長であった。


『これはディルバート・ペトゥラノス少佐! こんなにもお早い到着とは思いませんでした』

『出迎えありがとうございます、ですがあまり他人行儀にしないでください。フーリ警備隊長殿』


 わずかな微笑みは、黒い眼帯が発する人を拒絶する雰囲気に逆らい、彼の精悍な印象に親しみやすさを与えていた。

 既知の仲であるフーリは握手を求めて、ディルバートを歓迎する。


『いや、何。いきなり王都から呼びつけてしまったからね。せめてこれくらいはさせてくれ』

『ありがとうございます。……それでこちらに落とし子と疑わしき少女が現れた、と聞きましたが』

『私は落とし子であると踏みましたが、ぜひ確かめて頂きたい。シグマ殿のご忠告通り、本人に問い詰めるようなことはしておりませんよ』

『お気遣いありがとうございます。その少女についていくつかお訊ねしたいのですが、まず王都へ行く可能性はお伝えして頂けましたか?』

『いや……部下の話では、どうもまだショックが大きいらしくて……重要な話もあまり伝えられていない』


 ディルバートは一つ頷いた。少女が本当に落とし子であったなら、自分の出身は隠すだろうし混乱しているに違いない。

 シグマにそう聞いて来たディルバートは、あまり得意ではない“女性を慰める”ことの必要性を理解して、心の中でため息を吐いた。

 二、三の基本的な情報を共有してから、ディルバートとフーリはそれぞれの仕事へと赴くために別れた。


(医務室か建物内のどこか、ね……面倒だな。医務室に居てくれれば楽なんだが)


 勝手知ったる詰め所の中を歩きながら、今日は昼寝日和だなぁと取りとめのない思考を繰り返す。彼にとって落とし子かもしれない少女を迎えに行く任務は、半分体を休める休暇をもらったようなものだ。

 目的の医務室の扉を外に開くと、一目でそこには誰もいないことがわかった。中に入るまでもなく扉を閉める。


「きゃあああっ!!」


 悲鳴に驚くディルバートが見た物は、“変な服”を着た少女が背中を向けて走り去る姿と、それを追いかける警備兵の姿。

 訳はわからないが、十中八九悲鳴の少女が自分に与えられた任務だと理解できたため、急ぐでもなく後を追うのであった。


『ヒナコちゃん……! 待って!』


 追いかけて来るキースの声こそ聞こえていたが、自分のことでいっぱいいっぱいなひな子に立ち止まる余裕はありはしない。


(ディルバート様! ディルバート様……っ紺の御髪、細く編んで背中に流した部分に一筋交じる赤髪。常に面倒臭そうな表情に、垂れた目元。精悍な眼差しを覆う眼帯が、更に男前度を増しているわ。引き締まった顎に厚い胸板……! 二次元より三次元の方が素晴らしいなんて!! 私、私死んじゃいそう!)


 予想を超えた奇跡との遭遇。心臓はバックンバックン脈打ち、不整脈ではないか疑うほどだし、顔は真っ赤で茹だっていないか心配になるほどだ。


『追いついた……』


 肩に手を置かれて、ようやくひな子は正気を取り戻した。そしてやっぱり、冷静にはなれなかった。


「あああ、キースさん。どうしましょう、変な子って思われたに決まってますよね。というかどんな顔をすれば……服! こんな格好でディルバート様にお会いするのは失礼ですよね!?」

『わ、わからないけど落ち着いて。大丈夫だから、ね?』


 お互いに理解できない会話のラリーをすると、キースの果てしない困惑顔を見る余裕が少しだけ生まれて、ひな子は自身に呆れのため息を吐くと謝罪した。


「またやってしまった……ごめんなさい、キースさん」


 スフェラ大陸の国では正式に謝る時のマナーは手のひらを上に向けて重ね、頭を下げるのだ。慈悲をください、のような意味になる。これは昨夜情報を整理した時に思い出していた。

 アニメでさんざんそのポーズを見たひな子は、誠意を込めて謝罪した。


『大丈夫、ちょっと驚いただけで……ペトゥラノス様にも謝りに行こう。許してもらえるさ』


 キースが重ねた手のひらに拳を置く仕草をして、すぐにひな子の腕を取った。ディルバートに引き合わされることを察知したひな子は、足に力を入れて踏ん張る。


「待ってください! こんな野宿した体と三日着た制服で会うのは、乙女の嗜みが疑われます!」


 濡れた布で昨晩体を拭いているものの、確かに今のひな子の格好はお世辞にもきれいとは言い難い。


『お取り込み中すまないが……そちらの少女を紹介してもらえるか?』


 ディルバートの出現に、ひな子は精いっぱい体を隠して後ろを向き、しゃがみ込んだ。汚い姿を見られたくないだけではなく、単純に心臓の準備ができていなかった。


『これはディルバート・ペトゥラノス少佐。先ほどは失礼しました。えー、こちらの少女が“ヒナコ・サキガハラ”です。ヒナコちゃん、挨拶! せめて立って!』


 通じないとわかっていても、必死になってしまうのは人情というものだろう。田舎町の警備兵に過ぎないキースにとっても、ディルバートは充分憧れの存在である。


「五秒待ってください!」


 手のひらを出してお願いしたのは良いが、それが何を意味するパーかわからない二人には微妙な空気が流れた。

 五秒後、勢い良く立ち上がったひな子は、なんとか微笑みを“キースに”向けることができた。


『ヒナコちゃん、ペトゥラノス少佐に挨拶を……できないか。とにかく向き合ってくれる!?』


 嫌がるひな子の肩を掴んで、なんとかディルバートの前に突き出した。多少キースの胸は痛んだが、ディルバートの立場や心情を思うと、後で叱られる方が恐ろしかった。


「ひっ、ひな子と言います。初めまして、ディルバート様、じゃない。ペトゥラノス様!」


 ひな子の態度や頭を下げる仕草から、礼をされた本人にきちんと挨拶が伝わった。

 因みに、一連の茶番を眺めていたディルバートの感想は“面倒なことになりそうだ”である。


『初めまして、ディルバート・ペトゥラノス少佐です。ヒナコさん、よろしくお願いします』

「はぁあ~……」


 差し出された手に思わず手を伸ばして、うっとり握手をするひな子。もちろん視線はディルバートの顔に固定されている。

 ぼんやりしてディルバートに見惚れるひな子を余所に、キースとディルバートは場所を移して詳しい話をすることを決めた。


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