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スフェラ大陸へ

 『――親愛なる竜騎士様へ、突然のお手紙失礼します。

 私は貴方様をよく知っていますが、貴方様は私をまだ何も知らないはずなので、こんなお手紙を送ると不躾ではないかと思っています。

 それでも私は今までディルバート様にたくさんの物をもらい、支えられて来ました。

 この気持ちに偽りはないと信じて頂くのは難しいことでしょう。

 けれど愚かな私には、ただ筆を進めることしかできないのです。

 ――まだお会いしたことはなくとも、』


「私はディルバート様を心からお慕いしております、ねぇ」

「わあっ!」


 背後から言葉をかけられた少女は、慌てて机の上の手紙を――明らかに日本語ではない文字で書かれた便せんを隠した。


「百合! せっかくスフェラ語で書いてるのに言わないでよ!」

「あら~図書室ではお静かに、ですわよ? ひな子さん」

「人を待たせておいて、それはないんじゃないの?」


 からかう口調の百合に、ひな子は唇を尖らせて拗ねた。声は抑えめながらも、目が雄弁に文句を訴えている。


「ごめん、さ、もう帰ろ? お詫びにパックのイチゴミルク奢るからさ」


 くすくす笑いながら親友が奢る、と言えばひな子の機嫌はたちまち良くなった。


「では許してしんぜよう」

「ひな子のくせに偉そー」


 ひな子は手元の手紙を中が見えないように四つ折りにして、真っ白な封筒にそっとしまった。そしてほとんど人の居ない図書室から、軽い足取りで出ていく。

 おしゃべりをしながら二人で昇降口を抜け、学内の自動販売機が吐き出す甘いジュースにストローを差せば、一日の疲れも癒やされる心地である。


「ふー、やっぱりイチゴミルクだね!」

「うーん、やっぱりひな子のディルバート様ラブは本当にヤバいよ。そのラブレター何通目?」

「えーっと、三十通……くらい? もう少しかな?」


 すっかり呆れた口調の百合に、ひな子も困り気味に笑って誤魔化しモードである。


「本当は?」

「五十五通目……」

「うげっ、なんでそんなに増えてんの? アニメも劇場版も終わって久しいよね、シグマって」

「シグマ自体はね。でも私のディルバート様への愛は終わらないの! あぁ、なんで死んでしまう運命なんだろう……」

「あ~それ止め! その話し出すとあんた、きりなくてウザいから止めて」

「はいはい。イチゴミルクに免じて許すよ」


 通い慣れた道すがら、二人の女子高生はたわいない会話を重ねる。百合の顔を見れば、本当に止めて欲しかったのだろう。大げさな安堵の息を吐いた。


「……けどさ、スフェラ語とか作品だけの文字まで使ってラブレター書く、ってだけでかなりアレだと思う訳。これでも花盛りの女子高生を心配してるのよ? 男っ気のないひなさん?」

「わかってるんだけど……現実に勝てる男の人なんか居ないよね。美化しなくても超絶イケメンなんだもん!」

「なんだもん! じゃねーよ。『異世界英雄シグマ』は十年前に始まった作品で、七年も前のアニメで知ったんでしょ。あたしもシグマ好きだし、最初はオタク特有の推しキャラってヤツだと思ってたのに……」


 この子はね~、と吐いた言葉には幼なじみにしかわからない年月の重さが込められていた。


「ははは、心配してもらってる身としては心苦しいんだけどさ。私、本当にディルバート様が好きなんだよ。推しキャラなんかじゃあ表せない」

「さよか……もうこのやり取りにも飽きてきた。まあ、もう『スフェラ語を覚えたいから、スフェラ語の交換日記しよ! 一生のお願い!』とか言い出さないんならいいですけどー」

「その節はお世話になりました……えへへ。おかげさまですらすら書けるようになったよ」

「私はもう昔過ぎてほとんど書けないけど、あんたが書くラブレターの内容ならだいたい読めるわ」


 ニヤリと笑った百合に対し、バツが悪そうなひな子は手紙が入ったカバンを逆の手に持ち直した。


「からかわないでよ、人が真剣に書いてるのに……」

「ちょっと、ラノベのキャラに“真剣に”ラブレター書いてるイターい子をからかわなかったら、どうやって相手しろって言うのよ? しかも七年もですよ、七年も!」


 多少は自分の異常性を自覚しているひな子は、強く言い返すこともできずに足下のアスファルトと底が削れた茶色のローファーを見つめた。


(自分が二次元に恋してるイタい子、ぐらいなら良かったんだけどな……向こうからアクションがある訳でもないのに、どんどん気持ちを強くしてさ……普通覚めるか飽きるよね)

「……わかってても、どうにもできないんだよね」

「やっぱさ、ひな子は恋をするべき! 人並みにオシャレもしてるし、顔だって可愛いよ。性格は……シグマのことを抜かせば点数高い」

「シグマじゃなくて、ディルバート様って言って。シグマは嫌いじゃないけど普通だから」

「それが玉に致命傷! 細かいし意味不明だし、良い男も近寄りたくなくなるよ?」


 それはそれで構わない、と言えば親友が激昂するのはわかっていたため、ひな子はごまかすように頑張って笑みを浮かべた。


「そうだよね、二次元愛よりリアルの男の人のが最後は大切だよね」

「そうです! わかっててこれなのよね~、いつものことながらね~」


 結局百合は呆れて、長年続く報われない片思いの話を止め、切り替えるように現実リアルの話を始める。受験という壁が近づいた今、二人にとって最も話さなければならないことでもあった。


「そういえば私、思ってたよりも模試の結果良かったんだ」

「おー、おめでと! 私は苦手の科学がくせ者で……あんな日常に役立たない記号ばっか詰め込むのはツラヒ……」

「あはは、わかるけどねーもうちょっと違う考え方すれば良いのに。ゲームの調合レシピみたいなもんだよ」

「えー、それ偶に言うけど絶対違う。……でも、同じ大学に行けたら良いよね。一人暮らし始めたりしてさ」

「うん、楽しそう!」


 近い将来の自分を想像して笑い合う二人の姿は、当たり前のどこにでも居そうな女子高生だった。


「じゃあまた明日、親のわがままに付き合わせてごめんね!」

「全然良いよ、私の家も近いし暗くなったら心配なのもわかるし」

「ありがとう、ひな子も早く帰りな。バイバイ」

「バイバイ」


 手を振って別れると、ひな子は自分の家に向かう道ではなく、一本それて右に曲がった。


(模試の結果を神社に報告しよっと。五分もかからないから良いよね)


 ひな子がお参りを習慣にしている神社は、古くから地域に根付いているところで、神社によくあるようにちょっとした丘の上に建っていた。

 十段程度の階段を登りきり、鐘を鳴らして二回柏手を打った。完全に自己流である。


「えーと、神様のおかげで勉強にも打ち込めて大変助かりました! 受験の時にもどうか困ったことが起きないように、見守っていてください!」


 受験が終わったらまたお参りに来ようと決め、古びた神社の階段を降りる。

 ――突き上げる衝撃に、ひな子は階段を踏み外した。


「うっ!?」


 なんとか頭だけはかばったものの、不意に倒れたせいで足首におかしな力がかかる。事態を飲み込めないままに、今度はグラグラと地面が横に大きく揺れ動いた。


「地震…! っつ……」


 立ち上がろうとして、足首をひねったことに気づく。揺れている最中に動くのは危険だと承知の上だが、丘の下方であるひな子が倒れた位置は、地滑りが起きやすい最悪の位置であった。


(どれだけ離れられる……? 誰かに連絡を……)


 ビキッとひび割れた音は老朽化した電柱だった。それをただ見上げ、動くことも叶わずに少女の体は瓦礫に埋もれた。


 ――ジナル王国、郊外。閑静な夜の気配に、一つのうめき声が上がった。


「う、うぅ……あれ?」


 目を開いたひな子の最初の違和感は光であった。街灯の明かりも住宅街の明かりもなく、異様なまでに暗い――。


「私、足首ひねったよね。それに……確か、電柱が落ちて来て……どういうこと?」


 現在のひな子の体には痛みがない。服装こそ制服のままではあるが、倒れ込んだ時の汚れはしっかり付いているのに、だ。


「カバンある……良かった。スマホは……電源入らない、か」


 速まる鼓動とは裏腹に、草木の匂いが漂う場所に座り込む自分の心の中が妙に冷静なことに気づいた。


「なんだっけ、シグマの始まりって確かこんなのだったよね。大ピンチだったのに、知らない場所に居て怪我もしてないって……」


 自分の言葉に戦慄が走る。恐れを振り払うように、立ち上がって服の汚れをなるだけ叩き落とした。


「とにかく誰か探さないと……野宿なんかできないし、ここがどこかもわからない……」


 奮い立たせるための言葉は、ひな子の中の疑惑を膨れ上がらせただけであった。

 動き出す前に周辺を観察すると、先ほどまで居た神社のように、丘の上に建物があった。


「……なんか立地が似てるかも、偶然……かな?」


 不安に押し潰されないように、土を踏みしめて丘を登る。そこには日本古来の木の建物はなく、石を基調にした装飾の多い柱や壁が鎮座していた。

 一通り建物の周囲を探るが、人の気配もなく鍵は当然のごとく掛かっており扉は開かない。


「……こんなに暗いともう他の場所は探せないよね……」


 何もできることがないので、かろうじて屋根の下でカバンを枕代わりにして体を横たえる。救いと言えば、気温がほど良く凍えてしまわないことぐらいだろうか。


(ここはどこなんだろう? 見たこともない場所に、一人……私はどうなったの? お母さん、心配してるだろうな……百合も地震、大丈夫だったかな?)


 喉の乾きを覚えたが、イチゴミルクはとっくに飲み干してごみ箱に捨てている。限りない闇の中、冷たい石の床に一人で膝を抱えると、ひな子は孤独と心細さに襲われた。


「大丈夫だよね……うん、きっと大丈夫」


 翌朝、目を覚まして自分の部屋ではなかったことに驚き、今の状況に泣きそうになる。……が、すぐに気を取り直した。

 ひな子にとって、自分の認める長所である前向きさを失ってしまえば、それは終わらない絶望が始まることを示していた。

 何はともあれ、人を探すことと飲める水を見つけること。

 一夜の宿であった建物を見上げ、心の中でお礼を告げると前に向かって歩き出した。


「あ……! 町並みが見える! 町が近いんだ。良かった……」


 小高い丘だったことが幸いして、目測でそれほど遠くない位置に家の屋根が見えた。

 少々わざとらしく響いた独り言は、少女の精いっぱいの虚勢であった。

 町が近いだけあり、道は整備されている。さほど苦労もなく、ひな子は町に向かうことができたのであった。


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