Forest.
まさに夏といった蒸し暑い青空の下、僕は自転車を飛ばして家に帰っていた。
今日発売の新作ゲーム、とっても楽しみだったコレをようやく買えた。
その嬉しさと、クーラーの効いた部屋でゲームをするというまさに至福と言える未来。
ついつい自転車の速度も上がってしまう。
ついつい油断してしまう。
いつもはちゃんと一時停止する見通しの悪い十字路を、今日はそのまま突っ込んだ。
ねぇ神様。あなたはイタズラ好きなのでしょうか?
人の最高な幸福が究極の絶望に変わるのが好きなのでしょうか?
それともとてもとても赤い血肉が好きなのでしょうか?
それとも純粋に、僕が不運なだけなのでしょうか。
僕が飛び出した十字路。
僕から見て右側から、トラックが突っ込んできていた。
既に目と鼻の先だった。
轢かれる。
そう思った瞬間に、僕は思わず目を瞑った。
♂♀
金属がひしゃげるような音。
全身を襲う痛覚。
痛い。
暑い。
苦しい。
瞑っていた目を開けると、目の前は真っ暗だった。
暗闇の正体はアスファルトだった。
暑く焼けた道路に手をつき、上半身を起こす。
脚は腕同様、千切れるどころか出血もしていなかった。
首を回し、辺りを見渡す。
トラックは既にいなくなっていた。
自転車は隣で半壊していた。
僕がここまで無傷なのは、自転車が身代わりになってくれたからなのだろうか。
「ありがとう。ごめんね」
スクラップ同様のそれに、感謝し謝罪する。
さらに幸運な事に、ゲームも無傷だった。
「………さて」
意味もなく呟き、立ち上がり、もう二度と走れないであろう自転車を起こし、家まで押して帰ることにした。
♂♀
いつもと同じ距離を、いつもより長い時間を懸けて家に辿り着いた。
自転車ってありがたい。
さて、自転車の事は親が帰ってきてからでいいだろうし、さっさと部屋でゲームをしよう。
玄関の鍵を開け、引き戸になっているドアをガラガラと開ける。
そこは既に、家ではなかった。
そこは、森だった。
苔むした太い木の枝。
様々な小動物や昆虫。
光が葉や枝に遮られ、薄暗く、細々とした光が射し込む森。
ここは僕の家だ。
ここは僕の家の筈だ。
無意識に足を踏み出す。
僕は落ちた。
そこに、床とよべる物はなかった。
悲鳴をあげながら僕は落ちていく。
しかし、地面に着く前に蔦が体に絡み、まるで受け止められるように木の枝の上に着地できた。
周りを見ると、リスや小鳥、猿などの動物たちに囲まれていた。
彼らに敵対心があるように見えない。
それどころか、一緒に遊ぼうと、そう言っているようにすら見える。
僕は、彼らと過ごすことにした。
ここは僕の家だ。
♂♀
数時間、数日、或いは数ヶ月、時間の流れが意味を失う程度の時間を、僕は森で過ごした。
食べ物は森で見つかるし、たまに降る雨により、喉を潤すこともできた。
動物たちと遊び、木の実で食事を済ませ、月光に照らされながら寝る。そんな日々を過ごしていた。
ただ、無性に右手が温かかった。
理由は分からない。
気にしなければ気にならないし、何も問題なかったが、何故かその温かさは、懐かしく、とても優しい物だと思った。
森での暮らしが普通になってきた頃、木々の間から射し込む光とは別の光を見つけた。
疑問に思い、近付く。
それは、僕があの日開けた玄関から射し込む外の世界の光だった。
そうだ。ゲームをまだ開いてすらなかった。
クーラーの効いてる部屋でゲームをする。ここでは出来ない物事が、この玄関から外に出れば可能になる。
しかし、僕にゲームなど必要だろうか?
この森で、僕は満足な生活を送れていた。
電気を必要としない生活で僕は満足できていた。
外に出る必要はない。
そう思い、踵を返そうとする。
帰っておいで。そう玄関からの光が言ってるような気がする。
懐かしく、優しく、泣きそうな声が。
こっちへおいで。そう森の闇が囁いている。
全てを受け入れ、安らかな眠りを与えてくれる闇が。
帰っておいで。
こっちへおいで。
帰っておいで。
こっちへおいで。
何度も何度も繰り返される。
帰っておいでという声に反応するかのように、右手の温度も上昇する。
まるで、誰かが握りしめてるかのように。
僕は迷い、そして、光に背を向けた。
僕は、森で暮らしていける。
電気はもう、必要ない。
そして、僕は闇に融けた。
♂♀
真っ白な病室に響いていた心臓の鼓動を表している心電計の音が、モニター表示と同様に一定の音になる。
白衣を着た男性医師は、装置を止め、ベッドの脇に座っている女性に呟く。
「………ご臨終です」
女性は何も言わない。
医師は続けて言う。
「………奇跡です。あのような撥ね飛ばされ方をすれば普通は即死の筈です。なのにこの子は7日も生きた。しかし、最後に力尽きてしまった………」
その言葉を残し、医師は一人病室を出る。
女性は、ベッドに寝かされている包帯だらけの息子の右手を、固く、ずっと握りしめている。




