薄っぺらい歌
ある大きな街に、ある若い男が住んでいました。
男は歌うことが好きで、ちやほやされるのも好きでした。いつか歌で有名になって、周りの人にちやほやされながら生きるのが夢でした。
男は夜になると、近くの大きな駅までギターを担いでいって、いちばんにぎやかな道の端に座り込み、歌うのが日課でした。
歌は日課でしたが、とても仕事にはなりませんでした。ときに、寂しい背広の中年男や、目を泣き腫らした女などが、「一曲歌ってくれ」と言って、男のギターケースに金を入れることがあります。しかし男が歌い終わると、みんな一様に「やっぱりダメか」とでも言いたげな顔をして、礼もそこそこに去っていくのです。男は、同じ客の顔を二度見たことがありませんでした。
その理由は男自身、分かっているつもりでした。男曰く、彼の書く詞は絵空事というか、夢物語というか、薄っぺらで現実感がなかったのです。しかも悪いことに、受けの良さそうなテーマを扱うほど、そうなってしまうのです。
たとえばラブ・ソングを書くにしても、男に恋愛経験などありませんし、異性と付き合う能力も、異性に対する興味も、男にはてんで欠けていました。
ならばと今度は友情を讃えようにも、男に心を許せる友達などいたことがありませんし、また、親しい友達が必要だと思ったことも、今までありませんでした。
とにかく男は、他人に興味がありませんでした(というより、育ってきた過程で徐々になくしていったのです)。何なら今は、「自分ひとりで、自分ひとりのために生きる」ということに、強いこだわりとプライドを持っているほどでした。
男は、長年鍛えた自分の声に一定の自信を持っていましたし、それなりに良質な曲が作れましたが、薄っぺらな人生から生まれる詞だけは、同じように薄く、重みのないものにしかなり得なかったのです。そのくせ、他人に頭を下げて何かしら教えを請うには、プライドが邪魔をするという始末でした。
一体どうしたものかと、男は毎日のように考えていました。
ある夜、いつものように歌い終わった後、男は一つの考えを持って、駅前で頭の悪そうな若い女をひとり引っ掛けました。男は見た目は悪くありませんでしたから、あっさり上手くいきました。若い女が夜遊びの背徳感に酔っていたことも、上手くいった理由のひとつだったかもしれません。
男は、女を言いくるめて、自分の部屋に誘い込むことに成功しました。
そしてその深夜。男は、女が眠っている隙に馬乗りになって首を締め、殺してしまいました。
男は人殺しの歌を書きました。一つの生命が、自らの手の中で失われていく瞬間を、ひたすら写実的に、克明に、無機質な表現で描写しました。
男が人前でその歌を歌うと、不思議な魅力で聴いた者をすぐさま虜にしました。
また、その歌の噂は口伝によって瞬く間に広まりました。
そのうち男は、日に日に増えていく客の中に、以前も見た客の顔を何度も見かけるようになりました。
数年後、男はトップスターでした。
あの曲をきっかけとして一気にスターダムを駆け上がった男は今や、歌が上手く、作る曲も良く、ついでに見た目も良い、押しも押されぬスター歌手として、国中に広く認知されていました。
唯一の欠点であった薄っぺらな作詞も、公私の生活が充実するにつれて、見事に克服されたのでした。
歌を歌えば、歌っただけちやほやされる。望んでいた生活がついに男のものになりました。
しかし、残念というべきか、それは長くは続きませんでした。
男は、数年前に殺したあの若い女の殺害容疑を掛けられ、今になって逮捕されたのです。
「しらを切り通せるものではない」と悟った男は、女を殺したことを認め(殺した理由だけは、印象を良くするために誤魔化しましたが)、結果、懲役十五年の刑が言い渡されました。男の歌手人生はこれで終わったかのように思われました。
塀の中の男のもとには最初、毎日のようにファンレター(なかには中傷の手紙もあり、むしろそれが殆どでしたが)が届きました。男は、それらを全て大事に読み、何度も泣きました。孤高を気取っていた自分が、既にたくさんの人間に支えられ生きていたということに、そこでやっと気が付いたのです。男は深く悔いました。くだらない理由のために殺人を犯したことを。そしてたくさんのファンを裏切ったことを。
男は特別に、塀の中で曲を書くことを許されました。男には、多くのファンを裏切った償いとして出来る事が音楽以外にありませんでしたから、自ら「曲を書かせてくれ」と何度も頼み込んだのです(また、それを嗅ぎつけた大手レコード会社から何らかの働きかけもあったようです)。
そして男は、たくさんの人々の協力を得て、塀の中でアルバムを制作し、服役中に発表しました。その数は計三枚にもなります。これらアルバムは、以前とは大きく異なる作風となりましたが、以前からのファンにも、また熱心な音楽ファンからも高い評価を受けました。
男は仮釈放を申請しませんでした。そして十五年の刑期を終えた時、彼を待っていたのは、「復活ライブ」と銘打たれた、男の全盛期に比べればとても小さなライブ・ツアーでした。それでも、熱心なファンたちは実に十五年の間、男を待ち続けていました。
男は以前、自分がちやほやされたいがために歌を歌っていました。しかしそのライブ・ツアーでは、男は、ファンへの感謝を込めて、塀の中で作った曲や、以前のヒット曲など、一曲一曲を今までになく大切に歌いました。
そのライブ・ツアーを含め、男が、かの「人殺しの歌」を歌うことは、二度とありませんでした。
男はツアーが終わって半年後、かの女の遺族に、路上で刺されて死にました。そのとき男は四八歳でした。