ガールフレンド(蟹)
とある、変なゲームばかり作っている変な会社。
その中の一番大きな会議室にて。
「流行りの『恋愛要素』を持たせた、流行りの『カードを集めて、合成して強化する』ゲーム。難しい謎ときとかは一切無いので詰まる要因は無くプレイヤーはクリックするだけでいいので手軽。スマフォ対応のWEBゲーム。いいねいいね! 新鮮さも斬新さも無いけれど売れそうだ!」
「ありがとうございます!」
「そこまではわかったんだが、このタイトルってどういう意味だね?」
ズラリと並ぶ、売れそうか売れなさそうかだけで若手の斬新なアイデアを判断して潰す老害上司達。
その前で深いクマを作った寝不足の開発……兼企画……兼、文章も書くし他のチームのデバッグにも駆り出されるし、描ければ絵も描いてしまいそうな、名刺には営業と書かれている主任が首を捻る。
視界が斜めになると、そのまま崩れ落ちてしまいそうになるので首の角度を直す。平均睡眠時間は二時間を切っている。さっきもトイレで立ったまま10分寝ていた。
「どういう意味と言われましても、次に製作するゲームの企画の暫定タイトルです。まだコンセプトしか決まっていないので仮の名前ですが」
「いや、いいよこの名前。グッと来る! わたしね、昔は漁師街に住んでいてね、今じゃもったいなくて出来ないような食べ方をしたもんだよ。今でも冬のボーナスの時期には家族で鍋するのが楽しみでね!」
ナポレオンって馬の上で3時間も寝てたらしいな! とか素で呟いてしまう彼には上司が何を言っているのかわからない。
上司の両隣で頷いている影の薄い他の上司は寝ているだけなのでコメントは無い。
「いいよ、やりたまえ。最高のゲームを作ろうじゃないか!」
だから、上司がこの何一つ目新しい所の無い寝ながら書いた企画書のどこに心を震わせているのか、全然わからない。そのまま止めるタイミングを見失ったこの企画は、ブレーキの壊れた機関車のように突き進み、多くの睡眠不足者にさらなる迷惑を掛ける事になり、企画者は最後まで言う事が出来なかった。
【企画案:ガールフレンド(蟹)】
それ、眠い状態で書いたので、打ち間違えです。なんて。
起立、礼。さようなら。埃っぽい汗の臭いが一斉に体積を増して教室の外にあふれだす。男子校だから仕方が無い。
「なぁ、帰りラーメン食って帰らないか?」
「うん。ああぁ、いいや」
クラスメイトの釣り同好会の仲間に声を掛けるが、気の乗らない返事。
最近、この友人はこんな返事が多い。これといって目立つ成績も残すわけでもないわりにトレーニングが過酷な体育会系クラブに入りたくは無く、とはいえガチガチの理系でも文系でも無い彼らは、あまり活動していない緩い文化系クラブを隠れ蓑にしてダラダラと放課後を過ごすのを日課にしていた。
完全にインドアでも無いし、アウトドアでがっちりと活動するには時間が掛かる。そんな部活は大抵ぬるいオタクの巣になっている事が多い。案の定、釣り同好会という集まりに釣りの活動実績は無く、部室が貰えない代わりに利用させて貰っているロッカーには漫画しか入っていない。
もちろん、先輩から引き継いだ古い漫画も二周以上読み終わった後の既読済み。ラーメン屋で小腹を満たしつつ最新号の雑誌を読むのがいつもの過ごし方だった。
「止めとくわ。早く帰ってゲームしたいし。小遣いも溜めとかないと……」
「え、なに。なんか面白いゲーム買ったの? 新作出るやつ?」
ゲームしたい。だから早く帰る。納得のいく理由である。
だが、買ったばかりなら理解できるが、金を溜めておかないといけないからラーメン食べに行かないと言うのはおかしい。もう買ったのか、これから買うのかどっちなんだ。
いつも空いているマズイラーメン屋が嫌だというならわかるが、ダラダラ居座って雑誌を三冊読んでも嫌がられない店というのはなかなか無いのだから仕方ない。断る口実にしても違和感がある。
「パソコンでやるゲームでさ。良くあるブラウザゲーかと思ったんだけど。ちょっとやってみたら、奥が深くて。ついつい課金しちゃってるんだよ」
自分はレースゲーム位しかやらなかったのだが、たまにこの友人が変なゲームを掘りあてては貸してくれるので、こいつのお勧めゲームは楽しみにしていた。
だからこいつが面白くてハマっていると言うのなら、自分もやって見ようかとは思う。だが、課金というのは嫌な響きだ。なんで金を払う側なのに課金と呼ぶんだ。まぁ課金アイテムに金を払う事を省略しているのだろうけれど。
と、そんなどうでもいい事に拘って黙っていると、興味を持ったと勘違いしたのか、説明を始めた。
「最初はサ、ふざけたゲームだと思って話のネタにと思ってちょっとやって見ただけなんだよ。だけどさ、序盤で笑った後だんだん話にのめり込んじゃってさ。シュールなのかと思ったら純愛ストーリーなのな。泣いちゃったよ」
笑うのか泣くのかなんなんだ。
「ヒロインをコモンカードだけでいいからコンプリートしようと思ってただけなのに、偶然なんだけど、スーパーレアの一番人気ある先輩ヒロインの脚を手に入れてさ。即合成したよ。夜中やってたからお腹すいちゃってさ」
ん? いま、話が飛んだ。
「行動力回復のアイテムはゲーム進めていれば結構手に入るからいいんだよ。ただ、レアガチャがヤバいな。あれは手を出すとキリが無い。でも脚6本集まってるからいまさら後には引けなくなっちゃって」
「待った! 待ってくれ。いま『ヒロインの脚』って言ったよな?」
ゲームオタクの話を途中で遮るのはご法度だったが、さえぎらずにはいられない。
ヒロインの脚という単語だけならばおかしくは無い。脚フェチだと言う事はわかっている。
黒タイツとかオーバーニーソックスとか短めソックスとか、ニーハイのゴムの所の太ももが緩く段差になっている部分を指先でなぞりたいとか、足の爪のペディキュアが少し爪が伸びたせいで空白になっている部分こそ真絶対領域と呼ぶべきとか、ふくらはぎに付いた筋肉を恥ずかしがる体育会系女子の照れつつも隠されるふくらはぎはその女子の体重分の金塊と同じ価値があるとか、そんな話だけを語りながらマズイラーメンを毎週喰い続けられる相棒だ。
だがコイツ、『ヒロインの脚』の後に『お腹すいた』と言い、さらに『脚六本』という単語が出てきた。
猟奇的な何かなのか? 18歳未満の俺達にはあまりにも早すぎる何かなのじゃないか? それならもっと早く誘ってくれても良いんじゃないか友達がいの無いヤツめ。
男子校には変態しかいない。繰り返すが、男子校には変態しかいない。その理由については説明する必要も無いとは思うが、蟲毒という物がある。それだけでわかって欲しい。
「なぁ、それなんてゲーム?」
「ガールフレンド(蟹)っていうんだ」
・・・聞き間違えたか?
「すっげぇ面白いんだよ。
主人公とヒロインは築地の寿司屋でばったり会うんだけど、お互いに一目ぼれでさ。包丁持ってヒロインを刺そうとする凶悪犯からヒロインを連れて逃げるんだよ」
え、なに、サスペンス物なの?どういうシステム?
「連れて逃げたヒロインと一緒に暮らし始めるんだけど、水族館行ったり鍋喰ったりするたびにヒロインが傷つくイベントが発生してさ。そのフォローにてんやわんやするんだ」
なんで鍋喰って傷つくのさ。あとそれってどういうシステムのゲームなのさ。読んでくタイプのアドベンチャー? 選択肢で選ぶ式?
「物理的に傷を負ったヒロインを、同種の蟹と合成して回復させるんだよ。システムはカード集めて、カード合成して、カードバトルする、カード恋愛ゲーム」
なんで恋人をニコイチするんだ。ヒロインと同種の蟹ってなんだ。それってヒロインが蟹って事だろ、おい。
「で、カードを集めてヒロインを強化するんだけど、なかなか同種のがあつまらなくて。ダメージを限界まで受けてる時に合成すると新品同様の体力に戻るから回復のタイミングで合成したいってのもあって、ついついトロ箱が一杯になっちゃうんだよね」
なぁ、さっきからヒロイン合成しちゃうのって、どういうこと。複数のヒロインがいて? で、同じヒロインカードは合成できるって事?
「そうだよ。そう言ってるじゃん」
言ってない。あと同族ってなんだよ。
「だから蟹だよ。」
え。
「ヒロインが蟹なんだよ」
ゴメンお前が何を言ってるかわからない
「物分かりの悪い奴だな。ああ、既存のカードゲームの『ダブり』って要素が頭にあるんだろ。このゲーム、同じカードは存在しない。同種の蟹はいても、同じ蟹は二匹はいないからだ。同じ重さ、同じ味、同じ外見の蟹なんていないだろ? 彼女ってのは世界にただ一人なんだよ」
わからない! 目が回る!目が回る!
「ずわいガニさんが俺の一押し。鍋にする時身もたっぷりついてるし。北国生まれの美人だよ」
なにそれ、他にタカアシガニとか沢ガニとかもいたりするの?
「脚の長いカッコいい系お姉さまの高足さんや小柄で可愛い沢さん? もちろんいるよ。むしろずわいさん喰う勢いで人気だよ。物理的に」
意味がわからない。全然わからない。
わからないので。とりあえずやって見る事にした。ユーザー登録を行い、友人からの招待コードを入力し、黒い背景に薄緑に浮かび上がる築地場内MAPをクリック。輝く板前の笑顔。
築地で出会ったまだ動いている新鮮な蟹に一目ぼれした主人公の、蟹を連れてデートに行き、動物に食われたり持ちこみ食材として調理されたり網棚に置き忘れたり賞味期限が過ぎたりしながら過ごす、そんな日常をプレイ。
さまざまな要因でダメになって行く『ヒロイン(蟹)』を、励ましてみたり、買ったり捕ったり獲ったり盗ったり釣ったりしながら入れ替えて、常に新鮮な蟹を手元に置きながらも、食材を無駄にしない様に調理して美味しく食っちまう、規制スレスレの攻めの姿勢のストーリー。
脚の長いタカアシガニさん。武将マニアのヘイケガニさん。台湾ガザミさん。沢ガニ。なんか毛深いヒロインもいる。
てっきり擬人化された蟹なのかと思いきや、超美麗な蟹画像は全て有名イラストレーターによる描き下ろし。ぶくぶくいうボイスも某有名アイドル声優。
気がつけば、小遣いは全て課金ガチャに消えていた。
製作会社の偉い人達の意味不明の蟹への愛が結晶したこのゲームは、プレイする者達の正気を砕き、気がつけば夢中にさせてしまう何かを持っていた。
つまらないのに、ついついやってしまう。夢中になって遊んだのにどんな話か覚えていない。そういうクソゲーがときおり持つ、神のごときバランスで成立した奇跡のゲームだったのだろう。
街のゲーセンのクレーンゲームにはたらばちゃんのぬいぐるみがみっしり詰め込まれ、中高生のカバンには蟹脚のレプリカキーホルダーがぶら下がり、時に原作をリスペクトし過ぎたファンが生のカニカマを持ったまま電車に乗って顰蹙を買い、朝の情報バラエティで紹介され、深夜放送で蟹を茹でて食うという猟奇的な放送が行われて炎上し、特徴の無いタレントは蟹好きを主張し始めた。
社会現象となったガールフレンド(蟹)はテレビで特集が組まれ、WIKIが作られ、雑誌の表紙は毎号紅ずわい。流行語大賞に『雑炊萌え』という単語がノミネートされ、ウィキペディアの多くの蟹の項目は編集合戦が巻き起こり、夏と冬には薄い本が。
もちろんそんなブームが長続きするはずも無く、製作会社は調子に乗って『蟹2』を作ったが、なんかいろいろあって潰れた。
すいません。なんかテレビのCMみてたら。