婚約破棄された公爵令嬢ですが、全てを失ったはずのその日、隣国の冷酷皇太子に拾われて人生逆転しました〜今さら泣きつかれてももう遅いです〜
それは、あまりにも突然の出来事だった。
「エレノア・フォン・クラウディア。お前との婚約を、ここに破棄する」
王城の大広間。煌びやかな夜会の最中、その言葉は高らかに響いた。
ざわめきが広がる中、私はゆっくりと顔を上げた。
「……理由を、お聞きしても?」
努めて冷静に問い返す。
だが、王太子アルベルトは鼻で笑った。
「理由だと? 決まっているだろう。お前は聖女であるマリアに嫌がらせをした。さらには毒を盛ろうとした証拠もある」
「……証拠?」
そんなもの、あるはずがない。
だが、彼の隣に立つ少女――マリアが、震える声で言った。
「わ、私は……見てしまったのです……エレノア様が、薬を……」
嘘だ。
けれど、誰もそれを疑わない。
なぜなら――彼女は“聖女”だから。
「もういい。言い訳は聞かん」
アルベルトは冷酷に言い放った。
「この場をもって、お前は社交界から追放だ。爵位も剥奪する」
……すべてを奪われた。
婚約者も、名誉も、未来も。
それでも私は、微笑んだ。
「承知いたしました」
その瞬間、周囲がざわついた。
泣き崩れるでもなく、怒り狂うでもない私に。
けれど――
(……覚えていなさい)
心の中でだけ、そう呟いた。
その夜、私は屋敷を追い出された。
使用人たちは誰も目を合わせない。
父ですら、冷たい一言だけだった。
「家の名に泥を塗ったな」
……それが、すべてだった。
荷物も持たず、私は夜の街を歩く。
行く当てもない。
未来もない。
だが――不思議と涙は出なかった。
「……こんなものだったのね」
すべてが、あまりにも軽かった。
信じていたものが、すべて偽物だったと知っただけ。
そのときだった。
「随分と、無様な姿だな」
低く響く声。
振り返ると、そこにいたのは――
黒衣の男。
いや、その立ち姿だけで分かる。
ただ者ではない。
「……どなたですか?」
「名乗る価値があるかどうか、まずは見極めさせてもらおう」
失礼な男。
だが、その目は鋭く、まるで全てを見透かしているようだった。
「お前、無実だろう」
――その一言で、心臓が跳ねた。
「……なぜ、そう思われるのですか?」
「目だ。濁っていない」
簡潔な答え。
けれど、それだけで――
初めて、胸の奥が揺れた。
「……そうですか」
「それだけか?」
「信じていただけるなら、それで十分です」
そう言って微笑むと、男はわずかに目を細めた。
「面白い女だな」
そして、告げた。
「俺はレオンハルト。隣国の皇太子だ」
――空気が、凍りついた。
「……え?」
「お前を拾ってやる」
あまりにも唐突で、傲慢な言葉。
けれど――
「条件は?」
私は即座に聞き返した。
すると彼は、愉快そうに笑った。
「復讐したいだろう?」
図星だった。
「……ええ」
「なら、俺の側に来い。力を貸してやる」
甘い誘いではない。
これは、取引だ。
だが――
「お受けします」
迷いはなかった。
すべてを奪われた今、失うものは何もない。
「いい返事だ」
レオンハルトは私の手を取り、軽く口づけた。
「これからは俺が、お前のすべてを守る」
その言葉は――
不思議と、嘘には聞こえなかった。
それから数ヶ月。
私は隣国で、新たな生活を送っていた。
そして知る。
自分がいかに狭い世界で生きていたかを。
「……なるほど、王国はそこまで腐っているか」
書類に目を通しながら、レオンハルトが呟く。
「はい。税の横領、貴族の癒着、そして……聖女制度の悪用」
「その中心にいるのが、元婚約者とあの女、か」
「ええ」
すべてが繋がった。
マリアは偽物の聖女。
そしてアルベルトは、それを利用して権力を握ろうとしている。
「潰すか」
レオンハルトはあっさり言った。
「……簡単に言いますね」
「簡単な話だ。正義はこちらにある」
その言葉に、私は小さく笑った。
「では――」
顔を上げる。
「徹底的にやりましょう」
もう、情けはかけない。
すべてを奪われたあの日の私に、誓う。
――必ず、あの者たちに報いを。
ーーーー
王国は、崩れ始めていた。
きっかけは――ほんの小さな噂。
「聖女は偽物らしい」
その一言だった。
だが、それは瞬く間に広がる。
なぜなら――
証拠が、次々と出てきたから。
「な、なぜこんなものが……!」
王城で叫ぶアルベルト。
机の上には、偽造された奇跡の記録、賄賂の証拠、そして……毒の入手経路。
「全部、お前たちのものだ」
低く響く声。
振り返ると、そこにいたのは――
「レオンハルト……!」
そして、その隣には。
「お久しぶりです、殿下」
私がいた。
場が凍りつく。
「エレノア……!? なぜお前が……!」
「なぜ、ですか?」
私は静かに微笑んだ。
「捨てたはずの女が、生きて戻ってきたのがそんなに不思議ですか?」
「貴様……!」
怒りに震えるアルベルト。
だが、もう遅い。
「すべて、明るみに出ました」
私は淡々と告げる。
「あなた方の罪は、隣国だけでなく、民衆にも知れ渡っています」
「そんな……マリア! 何とか言え!」
だが、マリアは崩れ落ちていた。
「ち、違うの……私はただ……」
「もう遅いのです」
私は彼女を見下ろす。
「あなたが泣こうが喚こうが、事実は変わりません」
静寂。
そして――
「拘束せよ」
レオンハルトの一声で、兵が動く。
「やめろ! 私は王太子だぞ!」
「元、だ」
冷酷な一言。
その瞬間、すべてが終わった。
数日後。
王国は正式に崩壊した。
腐敗した貴族たちは処刑、あるいは追放。
アルベルトもまた、すべてを失った。
そして――
「エレノア……頼む……助けてくれ……」
薄汚れた姿で、彼は私の前に跪いた。
「私は間違っていた……お前こそが……」
「やめてください」
私は、冷たく言い放った。
「その言葉、今さら何の価値もありません」
「だが……!」
「あなたは、私を捨てた」
一歩、近づく。
「信じることもせず、守ることもせず、ただ利用して」
そして――
「今さら縋るのですか?」
彼の顔が歪む。
「もう遅いのです」
それが、すべてだった。
その後。
私は正式に隣国に迎えられた。
「改めて言う」
レオンハルトが、私の手を取る。
「お前を手放す気はない」
「……強引ですね」
「嫌か?」
少しだけ、考えるふりをして。
「……いいえ」
私は微笑んだ。
「むしろ、望むところです」
彼の目が柔らかくなる。
「なら――」
「ええ」
もう迷いはない。
すべてを失ったあの日から。
私は――
「これからは、あなたと共に」
新しい人生を歩き出す。
今度こそ、本物の場所で。




