第6話 女神の使徒より、あなたの隣がいい
参列者が退場した後も、リディア嬢と俺は謁見の間に残されていた。
皇帝陛下が玉座に座ったまま、ボドワン宰相が傍に控えている。
そしてなぜか——ロマリア神聖国の聖女アンネリーゼ様が、皇帝陛下の横に立ってニコニコとこちらを見ていた。
さっさと退出していただきたいのだが……。
「リディア、ルークよ。今までこのような茶番に付き合わせてすまなかったな」
ボドワン宰相が、意外なほど穏やかな声で言った。
「宰相閣下、それはどういうことでしょうか?」
リディア嬢が不安げに尋ねる。俺の腕は相変わらず彼女に掴まれたままだ。
「ジェレミー皇子の悪行は、初めから掴んでいたということである」
「「ええっ!」」
「それを承知で、ジェレミー皇子には踊っていただいた」
リディア嬢が息を呑んだ。
「なぜ、そのようなことを……?」
「ジェレミー皇子が謁見の間に注目を集めている隙に、証拠固めをするためじゃ。このことはブリュネ公爵も、ベルガー伯爵も知っておる」
なるほど——そういうことか。
道理で、ブリュネ公爵が娘の侮辱に口を挟まなかったわけだ。親父も列席していたのに涼しい顔をしていた理由が分かった。全ては最初から仕組まれた舞台だった。
俺とリディア嬢は、その舞台の上で踊らされていたわけだ。
前世のブラック企業を思い出す。上層部が裏で話を決めていて、現場は何も知らされない。構図としては同じだな……。
「ちなみにルークよ。お主が言っておったジェレミー皇子の隠し事とは何か? 話してみよ」
来た。一番聞かれたくない質問だ。
あれは半分ハッタリだったのだが——ここは堂々といくしかない。
「え〜と、まず利害関係を考えました。ジェレミー殿下とシャリエ伯爵の結びつきに、どのような利益があるのかと」
「なるほど、良い着眼点であるな。それから?」
「シャリエ伯爵は北方山脈の鉱脈が枯れたせいで、資金繰りに困っていたと聞き及んでいます」
「その通りじゃな」
ここまでの情報源は親父殿だ。パーティーの時に愚痴混じりに語っていたのが、まさかこんな形で役に立つとは。
「ところがです。運良く、シャリエ伯爵は新たな鉱脈を発見した。しかし開拓する資金がない。そこでジェレミー殿下に泣きついた——鉱山の利権と引き換えに」
新鉱脈の部分は作り話だ。だが筋は通っている。
「つまり、ジェレミー皇子とエレミー嬢が結婚すれば、資金源の基盤は盤石になるというわけじゃな」
「そのとおりです。殿下は新鉱脈の開拓を帝国に隠し、利益を独占しようとしていたのではないかと」
「ご明察じゃ」
「……えっ?」
「んっ? ルークは知っていたのではないのか?」
「そ、そうですね。もちろんです。もちろんですとも」
当たった。
真実と出任せを混ぜた推理が、実態と一致していたらしい。
冷や汗が背中を流れる。前世のプレゼンで、適当に言った数字が実績とぴったり一致した時のあの感覚だ。
リディア嬢が俺を見て、にっこりと微笑んでいた。
腕を組んだまま、どこか誇らしげに。
——その笑顔はやめてくれ。心臓に悪い。
「しばし待たれよ」
宰相が皇帝陛下に近づき、何やら小声で話し始めた。
俺には聞こえないが、時折こちらに目を向けている。
「リディア、ルーク! こちらへ参れ」
呼ばれた。
皇帝陛下の御前に進むのは気が引けるが、リディア嬢は躊躇なく壇上に登っていく。俺の腕を掴んだまま。
まるで姉に連れられる弟のような構図で、正直恥ずかしい。
それにしてもリディア嬢の握力が尋常じゃない。身体強化魔法でも無意識に使っているのか?
「ふたりとも、ご苦労であった」
皇帝の声は穏やかだった。
「有り難きお言葉、痛み入りますわ」
リディア嬢と俺は頭を下げた。
そろそろ腕を離してほしいのだが。
「緊張せずともよい。余はふたりに褒美を取らせようと思っておる」
「そのようなお気遣い、無用でございますわ」
リディア嬢が手をフルフルと振る。
さっきまでの凜々しい公爵令嬢はどこへ行ったんだ。なに、この可愛らしい生き物。
「そうはいかぬのじゃ」
皇帝は僅かに表情を引き締めた。
「シャリエ伯爵領の領主に空きができてな。誰かを領主に据えなければならん」
シャリエ伯爵家は取り潰しが確定していたのか。
ということは——この領地を誰かが引き受ける必要がある。
リディア嬢なら公爵家の令嬢だし、領主としての資質は……。
「はい、お受けいたします!」
即答。
さすが公爵令嬢。十六歳で領主になる覚悟が、一瞬で固まるのか。
ここから先はリディア嬢にお任せして、俺は——
「うむ。ルーク、ベルガー伯爵には余から伝えておくが、爵位が必要であるな。ボドワン卿、どうしたものかな」
はい?
「そうですな……少々実績が足りぬかと存じますが」
少々どころか全く実績がないのだが。
「ちょっとお待ちください。領主になるのはリディア様ですよね? なんでぼくの爵位の話になっているんですか?」
「わっはっは」「ほっほっほ」
皇帝と宰相が笑っている。何がおかしいのか全く分からない。
「ルークよ、知らぬかもしれぬが帝国は人材不足でのう。才能のありそうな若者には早い時期から唾をつけておるのだ。いわゆる青田買いじゃ」
青田買い。前世なら新卒一括採用だ。
あの地獄をもう一度味わうことになるのか。
「それでは、実績のない若輩者はこれにて退散いたします」
「ルーク様、逃げようとしてもだめですわよ」
再び腕を掴まれた。離してくれたと思ったのに。
握力が明らかに増している。身体強化魔法を使っているとしか思えない。
「実はのう」
宰相が声のトーンを変えた。
「将来性のある人材が不足していることは確かなのじゃが、ルークの場合はもう一つ疑念があるのじゃ」
「ぼくが何か疑われているのですか?」
「聖女様、こちらへ参られよ」
宰相の後ろに控えていた聖女アンネリーゼが、会話の輪に入ってきた。
「お久しぶりでございます、リディア様」
聖女様の白い髪が、謁見の間の光を受けて銀色に輝いていた。金色の瞳は穏やかだが、どこか超然とした雰囲気がある。
「ご無沙汰しております、アンネリーゼ様。この度は恥ずかしいところをお見せしてしまい……」
「とんでもございません。リディア様はとても立派でした」
ふたりの挨拶が終わると、聖女様の金色の瞳が——俺に向けられた。
「お初にお目にかかります、ルーク様。わたしはロマリア神聖国において預言者を務めているアンネリーゼと申します」
「はじめまして、アンネリーゼ様」
近くで見ると——綺麗な人だ。リディア嬢の華やかな美しさとは対照的な、月の光のような静かな美しさ。
だが、年齢は俺と同じくらいに見える。十五、六歳で聖女とは、大変な重責だろう。
「アンネリーゼ様、神託の内容を教えていただけますかな?」
宰相に促され、聖女様が語り始めた。
「はい。約一ヶ月ほど前のことでございます。わたしが女神メーティス様に祈りを捧げていた時、神託がありました」
神託——女神の言葉。俺を転生させたあの声の主だ。
聖女様が神託を唱える。
「『黒目黒髪の少年が帝城の裁きの間に現れて、帝城を魔物から救うだろう。古き森から湧き出た魔物に蹂躙されている都市を、その少年が神の如き御業により浄化するだろう。かの少年は荒れ果てた大地を豊饒の土地へと清浄化し、人々を安寧へと誘うだろう』」
そして聖女様は、真っ直ぐに俺を見て言った。
「その少年こそ〈女神の使徒〉様です。そしてルーク様は黒目黒髪でございます」
……やめてくれ。
「黒目黒髪の少年は他にもいるのではないですか? 宰相閣下」
「それがな、最近はそれに当てはまる人物がおらぬのじゃ」
いないのかよ……。
「でも、一致するのは黒目黒髪というところだけですよね? それにここは『裁きの間』ではありませんし——」
「神託の表現はいつも曖昧なところがございます。それくらいは許容範囲かと」
許容するのか。
「ルーク様の疑念はもっともだと思います。わたしもすぐにルーク様を〈女神の使徒〉様だと特定するつもりはありません」
「それでは無罪放免ですね」
「ですので、ハッキリするまではルーク様に張り付かせていただきます」
……おい。
「宰相閣下」
助けを求めて宰相を見たが、目を逸らされた。
この狸親父め。
ここまで黙って聖女様の話を聞いていたリディア嬢が、俺の腕をぐっと強く掴んだ。
痛い。確実に身体強化魔法だ。
「ルーク様、いいじゃありませんこと? わたくしもお傍におりますので、不都合なことがあれば排除いたしますわ」
「排除」って。
なぜかリディア嬢と聖女アンネリーゼの間に、稲光が飛び交っているような幻覚が見える。
気のせいだと思いたい。
「あの、ルーク様」
聖女様が、小首を傾げて俺を見つめた。
「先ほどから思っていたのですが、とても綺麗な黒い瞳をしていますね」
リディア嬢の握力がさらに強くなった。骨が軋む音が聞こえた気がする。
「聖女様、ルーク様の瞳の色についてはわたくしも存じておりますわ。わざわざご指摘いただかなくても結構ですの」
「あら、そうですか。失礼しました」
アンネリーゼ様はにこにこと笑っている。天然なのか、それとも——
いや、考えるのはやめよう。どちらにしても俺の平穏は終わりだ。
その時、息を切らせた衛兵が謁見の間に駆け込んできた。
「何事であるか!」
「宰相閣下! 第一近衛騎士団のフェルミ様から緊急の連絡であります!」
「申してみよ」
「帝都の北東にある〈古代の森〉から魔物が大量に湧き出ているとの報告です! 商業都市アンカードが昨日より襲撃を受けており、魔物の数は約一万におよびます!」
一万。
俺は経営企画の人間だから数字の重みは分かる。一万の魔物を殲滅するのに必要な戦力は、最低でもその数倍だ。
「アンカードの状況はどうなっておる」
「駐屯兵団約三百名と冒険者百名弱が防衛戦を行っていますが、一部の魔物が都市内部にまで侵入しており、状況は思わしくありません」
四百人で一万に対処——圧倒的に足りない。
「三十分後に緊急対策本部を設置する。各将軍へ連絡せよ」
「はっ、直ちに!」
衛兵が駆け去った。
「宰相様! これは女神様のお告げの通りでは?」
聖女様が食い気味に声を上げた。
確かに神託には「古き森から湧き出た魔物に蹂躙されている都市」とあった。ぴったり当てはまる。
「アンネリーゼ様、その話は後回しにしてくれぬか」
「はい……致し方ないですね」
聖女様がしょんぼりと肩を落とした。申し訳ないが、今はそのままおとなしくしていてほしい。
「皇帝陛下、緊急事態ですぞ」
「分かっておる。リディアとルークよ、残念であるが、お前たちの件は後回しである」
「はい、それではこれにて退出いたします」
「うむ、大儀であった」
リディア嬢と俺は謁見の間を退出した。
聖女アンネリーゼは宰相と残るようだ。
長い回廊を歩きながら、ようやく肩の力が抜けた。
一時は斬首刑すら覚悟したが、どうにか生き延びることができた。
前世の決算期を乗り越えた時の解放感に似ている——いや、命がかかっている分、こちらの方が数段上だ。
リディア嬢はまだ俺の腕を掴んでいる。
だが、さっきまでのように力を込めてはいない。指先から伝わるのは、穏やかな温もりだけだった。
「リディア様」
「はい?」
「今日のこと、本当にお疲れ様でした」
リディア嬢が足を止めた。
俺も立ち止まる。
回廊の窓から夕日が差し込んで、リディア嬢の金髪を紅く染めていた。
碧い瞳が、夕日の光を受けてきらきらと揺れている。
「ルーク様こそ」
リディア嬢が小さく笑った。
「あの場で、わたくしのために不敬罪を覚悟で戦ってくれたのはルーク様です。わたくしはただ……あなたに助けていただいただけですわ」
「そんなことはありません。リディア様は自分の力でジェレミー殿下に反論していました。ぼくは少し手伝っただけです」
「少し、ではありませんわ」
リディア嬢が俺に向き直った。
夕日を背にしたその姿が——逆光で、輪郭だけが金色に輝いている。
「ルーク様、先ほどの領地の件ですけれど」
「はい」
「本当に、一緒に来てくださいますか?」
その声には、さっきまでの公爵令嬢の毅然さはなかった。
十六歳の少女が、不安を隠しきれずに尋ねている。
「荒れ果てた辺境の領地です。鉱脈は枯れ、住民は困窮し、まともな産業もない。わたくし一人では……正直、何から手をつければいいのかも分かりません」
リディア嬢の碧い瞳が、俺を真っ直ぐに見つめている。
「でも、あなたがいてくれたら——あなたの知識と、わたくしの人脈があれば、何とかなるかもしれないと。そう、思ってしまったのです」
あの時の会話を思い出した。
「みんなが幸せに暮らせる国を築きたい」——リディア嬢の夢。
「その願い、承りました」——俺の、半ば無意識の約束。
「リディア様」
「はい」
「ぼくは前世——いや、昔から、自分の仕事が誰を幸せにしているのか、分からないまま働いていました」
言葉を選びながら、慎重に話した。前世のことを全て明かすわけにはいかないが、嘘は言いたくなかった。
「でも、あなたと一緒に領地を立て直すことは——ぼくがずっとやりたかったことに、一番近い気がするんです」
リディア嬢の目が大きく見開かれた。
「ですから、喜んで。一緒に行きます」
沈黙が落ちた。
夕日が少しだけ傾いて、回廊の影が長くなった。
リディア嬢は何も言わなかった。ただ——俺の腕を掴んでいた手を離して、今度は俺の手を、両手で包むように握った。
指先が温かい。
微かに震えている。
「……ありがとうございます、ルーク様」
声が、少しだけ湿っていた。
泣いているのかもしれない。だが、顔を上げた時の彼女の表情は——涙を堪えた、満面の笑みだった。
「楽しみにしておりますわね。わたくし達の国づくり」
わたくし達の国。
その言葉が、不思議なほど自然に胸に落ちた。
「ええ、必ず」
俺がそう答えた時——回廊の向こうから聖女アンネリーゼの声が響いてきた。
「ルーク様ー! リディア様ー! 大変です! 帝城の上空に魔物がー!」
パタパタと駆けてくる足音。
聖女様は走るのが下手らしく、法衣の裾を踏んで転びかけている。
リディア嬢がすっと手を離した。
さっきまでの潤んだ瞳はどこへやら、完璧な公爵令嬢の顔に戻っている。切り替えが早い。
「行きましょう、ルーク様」
「ですね」
走り出した俺の左腕を、当然のようにリディア嬢が掴む。
右側からは追いついたアンネリーゼ様が、息を切らしながら並走してくる。
両腕が塞がった。
前世では、走る時に隣にいてくれる人は誰もいなかった。
今は——両方にいる。
嬉しいような、面倒くさいような、複雑な気持ちで、俺は帝城の外へと走った。
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