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第3話 三人の嘘つきと、ひとつの約束

「リディアよ! 嘘をついても無駄だ。こちらには証人がいるのだ!」


 ジェレミー殿下が勝ち誇ったようにリディア嬢を睨み、謁見の間の扉の方へ手を振った。

 すると三人の少女が足早に入ってきて、壇上の前に並んだ。

 いずれもリディア嬢と同年代——学園の生徒だろう。

 証人を用意していたか。前世の経験で言えば、証拠もなく告発する人間はいない。最初からこの展開を想定していたということだ。


 その中からひとりの少女が歩み出た。


「わたくしはフェリス子爵の娘、カサンドラと申します。皇帝陛下」


 カサンドラ嬢は皇帝陛下にカーテシーで挨拶し、皇帝が頷くとボドワン宰相に向き直った。


「宰相様、わたくしは学園の講堂前にある大階段で、リディア様がエレミー様を突き落とすところを目撃しましたの。後ろの二人も一緒にいたので間違いありませんわ」


 ん? ちょっと待て。

 先ほどまで延々と語られていたイジメの話——教科書を水浸しにしたとか、持ち物を捨てたとか——そっちの証言はどうした?

 いきなり突き落とし事件の証言に飛んだぞ。段取りを間違えたのか、それとも最初からイジメの件は立証する気がなかったのか。


 いずれにせよ、この不自然さに気づいたのは俺だけではないだろう。

 横目でボドワン宰相を見ると、案の定、僅かに眉が動いた。


「わたくしの悪戯の話ではないのですか? まあいいわ」


 リディア嬢も同じことに気づいたようだ。さすがに頭が回る。


「なぜそのような嘘を言うのでしょう? 当然ですが、わたくしはやっておりませんわ」

「見苦しいぞ、リディア! この期におよんで白を切るのか!」


 う〜ん、まずいな。

 証人が三人もいると、たとえ嘘でも圧力がある。リディア嬢が否定するだけでは「三人の証言vs一人の否認」という数の論理で押し切られかねない。

 前世で学んだことがある。裁判でも会議でも、数の力は正論より強い。だからこそ、数の力を崩す方法を見つけなければならない。


 ところで——エレミー嬢は本当に怪我をしているのか?

 あの演技力なら、怪我自体が嘘という可能性もある。確認しておこう。


 俺はそっと鑑定スキルを発動した。

 宮廷魔導士が三人ほどいるが、俺とはレベルが桁違いだ。この程度のスキル使用は気づかれない。


 エレミー嬢の鑑定結果が浮かぶ。


 ——左足首の捻挫、右膝の打撲、左腕の骨にひび。いずれも治療中で、回復魔法の痕跡あり。


 怪我は本物だ。階段から落ちたこと自体は事実らしい。

 だが、それをリディア嬢がやったかどうかは別問題だ。自分で落ちた可能性も、第三者が突き落とした可能性もある。


「ど、どうかしましたか? ルークさん……」


 振り向くと、リディア嬢が目を大きく開いて俺を見ていた。

 まずい。鑑定スキルを使ったのがバレたか?

 いや、スキルの発動自体は無詠唱だから外からは見えないはずだ。もしかすると、俺が魔力を使った瞬間の気配を感じ取ったのかもしれない。

 やはりこの子の魔力感知能力は並外れている。


 だが、リディア嬢は何事もなかったように宰相に向き直った。


「宰相閣下、ご提案がございます」

「申してみよ」

「証人のご学友三人から、事故のあった日時と場所を訊いてくださらないでしょうか?」


 ジェレミー殿下が苛立った声を上げた。


「今更何を言うのだ?」

「もちろん、三人別々にでございます」


 なるほど——証言の整合性を調べろということか。

 三人が同じ嘘をつくには、日時、場所、状況の細部まで口裏を合わせておく必要がある。別々に訊けば、どこかでほころびが出る。

 とはいえ、それくらいの準備はしているんじゃないか? 時間稼ぎにしかならないような気もするが……。


「なるほど、リディア嬢の意図は理解した」


 ボドワン宰相が頷いた。


「宰相殿! それは時間の無駄だ!」


 ジェレミー殿下が食い気味に反論する。


「殿下、それを決めるのもわたしの役目ですぞ。なにか不都合でも?」

「い、いや。大丈夫だ」


 ——口裏合わせしてないのか!

 ジェレミー殿下の動揺は明らかだった。「不都合でも?」という宰相の問いに対して、一瞬言葉に詰まった。準備が万全なら、こんな反応にはならない。

 リディア嬢の逆転もありそうだな。


 ボドワン宰相と書記官が三人の証人を別々の場所に連れていき、事情聴取を始めた。

 しばらく時間がかかるだろう。


 その隙に、気になっていたことをリディア嬢に訊く。


「リディア様、なんでぼくがここに呼ばれたのか知っていますか?」

「正直言って分かりませんわ。ただ……嫌な予感がします」


 まだ別のカードがあるかもしれない、ということか。


「この裁判の落としどころは何処なのでしょうか?」

「誰もが傷つかない結論はないと思いますわ」

「もしかして、死罪の可能性もありますか?」

「そうならなければいいですわね」

「はい、まだ死にたくないです」


 もう帰りたい。

 せっかく異世界に転生したのに、初日から生命の危機とは。

 前世はブラック企業に殺されかけ、転生先では皇子の茶番劇に殺されかける。俺の人生はどこまで理不尽なのか。


「リディア様は、婚約が破棄されると困りますか?」


 これは純粋な疑問だった。

 政略結婚の婚約が破棄されれば、ブリュネ公爵家にとっては痛手だろう。だが、リディア嬢個人にとってはどうなのか。


「はい、政略結婚ですから、婚約が破棄されるとブリュネ公爵家が困ります。けれど、それは皇家も同じことです」


 淡々とした声だった。

 自分の結婚を「政略」と言い切れる十六歳。大人びているのか、それとも最初から恋愛感情など期待していなかったのか。


「調べる時間があればよかったのですが……。でも、初めからわたくしとの婚約に意味などなかったのかもしれませんわね」

「どういうことですか?」

「ジェレミー殿下の我儘ですよ。殿下にわたくし達が振り回されているだけなのかもしれません」


 リディア嬢はそう言って、静かに目を伏せた。

 我儘で婚約して、我儘で破棄される。リディア嬢にとっては、自分の人生を他人の気まぐれに左右されてきたということだ。

 それは——前世の俺と同じだ。会社の都合で配属され、上司の都合で酷使され、自分の意志で選んだものなど何一つなかった。


 だが、俺は腑に落ちなかった。


「ぼくとしては腑に落ちませんね。婚約破棄をするだけなら、こんな大掛かりな舞台は必要ない。少なくともこの場は、婚約破棄のためだけに設けられたものではないと思います」


 リディア嬢は頬に人差し指を当てて、考え込んだ。

 小首を傾げて、碧い目を細めて——

 なに、この可愛らしさ。こんな状況でそんな仕草をされると、思考が一瞬止まるんだが。


「ルークさん、いずれにしても、わたくしは疲れました。どこか遠くへ行ってしまいたい……」


 遠くへ——逃避の言葉だ。

 無理もない。十六歳の少女にこの重圧は酷すぎる。

 だが、ここで「大丈夫ですよ」と慰めるのは簡単だが、それでは何も変わらない。

 だから俺は、わざと話をずらした。


「いいですねぇ。ぼくは世界中を旅してみたいです。この世界にはどんな土地があるのか、見て回りたい」

「楽しそうですわね」


 リディア嬢の声が、少しだけ柔らかくなった。


「わたくしは……どこかに素敵な土地を見つけて、みんなが幸せに暮らせる国を築きたいですわ」


 みんなが幸せに暮らせる国。

 夢見がちな乙女の願い——と笑うこともできる。だが、俺にはその言葉が胸に刺さった。


 前世の俺は、経営企画部で数字ばかり追いかけていた。売上、利益率、コスト削減。数字の向こうに人間がいることを、いつの間にか忘れていた。


 「みんなが幸せに暮らせる」——そんなシンプルな目標を、いつから馬鹿にするようになったのだろう。


 この子は、俺が失くしたものを持っている。


「リディア様」

「はい?」

「それなら必要なのは、まず安定した食料供給と治安の確保です。それから住民が誇れる産業を育てて、税制を整えて、教育の仕組みを——」

「……ルークさん?」


 リディア嬢が目を丸くして俺を見ている。

 しまった。つい前世の癖で、事業計画を語り始めてしまった。


「あっ、すみません。つまらない話を……」

「いいえ」


 リディア嬢が、不思議そうに——でも、どこか嬉しそうに、俺を見つめていた。


「つまらなくなんかありませんわ。ルークさん、なぜそんなことまでお分かりになるのですか? まるで、実際に国を治めた経験があるかのように……」


 鋭い。この子は本当に鋭い。

 国を治めた経験はないが、会社の経営計画なら何十本も書いてきた。だが、そんなことは言えない。


「……ぼくの、夢でもありますから」

「夢……ですか」


 リディア嬢は少し黙った。

 それから、この日初めて——本当の笑顔を見せた。

 作り物ではない、取り繕ったものでもない。ふわりと咲く花のような、自然な微笑みだった。


「素敵な夢ですわね、ルークさん」


 その笑顔に、俺は気がつけば答えていた。


「その願い、承りました」


 言ってから、自分でも驚いた。

 何を格好つけているんだ、俺は。伯爵家の三男坊に、公爵令嬢の願いを叶える力なんてないだろう。

 だが——言葉は、もう口から出てしまった。


「えっ……ルーク様?」


 リディア嬢が息を呑んだ。

 碧い目が大きく見開かれて、俺を見つめている。

 ——今、「ルーク様」と呼んだ。「さん」から「様」に変わった。

 それが何を意味するのか、貴族の礼儀作法に詳しくない俺にも分かった。

 この子は今、俺のことを——「対等の他人」ではなく、「敬意を払うべき人物」として見直したのだ。


 返事をしようとした瞬間、事情聴取を終えたボドワン宰相が戻ってきた。

 その顔は——渋い、の一言だった。

 傍らの書記官が小さく首を横に振っている。


「宰相様、いかがでしたか?」


 リディア嬢が堪えきれずに声を上げた。


「ジェレミー殿下、エレミー嬢。三人の証言が一致しませんでしたので、この件は無効にさせていただきますぞ」


 やはり——口裏合わせが甘かったのだ。

 日時が食い違ったか、場所の細部が一致しなかったか。いずれにせよ、三人が別々に訊かれた結果、嘘が発覚した。

 前世で学んだ教訓がここでも通用する。嘘は細部から崩れるものだ。


「ぐぬぬぬぬ……」


 ジェレミー殿下が唸る。


「そんな筈はありませんわ!!!」


 大きな声を上げたのは——エレミー嬢だった。

 感情を爆発させて、勢いよく立ち上がった。


 車椅子から。


「「「えっ!?」」」

「「「なんで立ち上がれるの!」」」

「「「怪我したのは嘘だったのか!?」」」


 謁見の間がどよめく。

 参列者たちが驚きの声を上げ、やがてそれは嘲笑に変わった。

 さっきまで泣きながら同情を集めていた少女が、感情に任せて車椅子から飛び上がったのだ。誰だって笑うだろう。


「はて? エレミー嬢、立ち上がっても大丈夫なのかな?」


 ボドワン宰相が冷めた声で咎める。

 もはや隠しようがない。


 まあ——実を言うと、エレミー嬢の怪我が治っているのには理由がある。

 事情聴取の待ち時間中に、俺がこっそり回復魔法をかけておいたのだ。

 鑑定で怪我の場所と程度が分かっていたから、ピンポイントで治すのは簡単だった。レベル9,999の回復魔法を最弱出力で使えば、宮廷魔導士にも気づかれない。


 なぜ敵を治したのか?

 理由は単純だ。怪我が治った状態で立ち上がれば、「怪我は嘘だった」と周囲に思わせることができるからだ。実際には本当に怪我をしていたのだが、もうそんなことは誰にも証明できない。


 エレミー嬢は自分で墓穴を掘ったことに、ようやく気づいたようだ。顔が青ざめていく。

 だが、もう遅い。


 俺はちらりとリディア嬢を見た。

 彼女は——微かに、本当に微かに、口元が緩んでいた。

 厳しい表情を保とうとしているのに、安堵が隠しきれていない。

 その小さなほころびが、なぜか——たまらなく愛おしく見えた。


 いかん。集中しろ。まだ終わってない。


 いずれにせよ、エレミー嬢も証人の三人も、皇帝陛下の御前で虚偽の証言をしたことは確定した。

 帝国法でどのような罰が科されるかは分からないが、軽くはないだろう。


 だが——ジェレミー殿下は、まだ諦めていない顔をしている。

 あの目は、まだカードを隠し持っている人間の目だ。


 嫌な予感がする。

 そして、その予感が当たった試しがないと思えるほど——この世界は、前世と同じくらい理不尽にできているらしい。


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