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第21話 温泉と乙女の秘密

 復興が始まって一ヶ月が経った。


 農地の浄化は順調に進み、最初に植えた根菜が小さな芽を出し始めている。

 鉱山は試掘の段階に入り、ギルバートが集めてきた元鉱夫たちが坑道の整備を進めている。

 ヴィクトルは着任早々、領地の法整備と帝国への報告書類を驚異的な速度で片付けてくれた。あの少年は左遷どころか、宰相閣下が送り込んだ切り札だったのではないかと思い始めている。


 そして今日——思わぬ発見があった。


「ルーク様、鉱山の第三坑道の奥で温泉が湧いているのを見つけました」


 フィーネが興奮した顔で報告してきた。


「温泉?」

「はい。かなりの湯量です。ギルバートさんが『いい湯だ』と言って入ろうとしたので、全力で止めました」

「ギルバートさん……」

「何だよ。長年の冒険者生活で、温泉を見つけたら入るのは本能だ」


 後ろからギルバートが頭を掻きながら現れた。鎧の下が湯気で湿っている。止められる前にちょっと浸かったな、こいつ。


 鑑定スキルで確認すると、温泉の成分は前世の日本の温泉に近い。硫黄泉で、肌に良い成分が豊富に含まれている。

 そして何より——これは観光資源になる。


「リディア様、この温泉を整備すれば、領地の新たな産業になる可能性があります」

「温泉施設ですか? 面白いですわね。ですが、まずは住民の疲労回復に使ってはいかがでしょう」


 さすがリディア嬢。商売よりも先に住民のことを考える。

 公爵令嬢のくせに、いや、公爵令嬢だからこそか。民を想う領主としての資質が自然に備わっている。


「では、簡易的な露天風呂を整備しましょう。坑道の一部を浴場に改造すれば、すぐにできるはずです」


 ギルバートと鉱夫たちが大喜びで工事を買って出た。

 肉体労働者にとって、温泉ほどありがたいものはないのだ。前世の俺も、残業後のスーパー銭湯だけが生きがいだった時期がある。



 三日後。

 簡易露天風呂が完成した。

 岩を積み上げて作った湯船は素朴だが、湯量は十分。鉱山の斜面に面しているので、眺めは悪くない。荒廃した大地の向こうに沈む夕日が、なかなかの絶景だ。


「男女の時間を分けましょう。夕方五時までは女性、それ以降は男性ということで」


 リディア嬢の提案で、入浴の順番が決まった。

 住民たちも恐る恐る利用し始め、湯上がりの顔は一様に緩んでいた。温泉の力は偉大だ。国境も異世界も関係なく、湯に浸かった人間は幸せになる。


 さて——問題はここからだ。


「ルーク様、今日は女性の時間が終わるまで鉱山の事務室で待っていてくださいまし」

「もちろんです」


 覗く気など毛頭ない。中身は三十二歳の社会人だ。そんな犯罪行為には——


「ルーク様、念のためお伝えしますが、覗いた場合は氷漬けにしますわよ」

「覗きません」

「ギルバートさんにも伝えてくださいまし」

「伝えます」


 ギルバートは「覗く趣味はねぇ」と言っていたが、目が泳いでいた。一応、鉱山の反対側で作業させておこう。



 女性の入浴時間。


 リディア嬢、アンネリーゼ様、フィーネ、マリエッタの四人が露天風呂に浸かっていた。

 以下は翌日、フィーネがこっそり教えてくれた内容だ。俺が聞いていい話かは分からないが、気になるものは仕方がない。


「はあ……極楽ですわぁ……」


 リディア嬢が湯に肩まで浸かって、普段の公爵令嬢モードが完全に解除されたらしい。

 素が出ると語尾が伸びるタイプだったのか。


「リディア様、お肌がつやつやですね。うらやましいです」


 アンネリーゼ様が隣で目を細めている。聖女様は温泉でも転ばなかったらしい。奇跡だ。


「マリエッタさんも肌が綺麗ですわね。何かお手入れを?」

「秘密ですわ。商売道具ですもの」


 マリエッタが笑う。商人は何でも商売に繋げる。


「フィーネさんは褐色のお肌が素敵ですわね。日に焼けたのですか?」

「いえ、生まれつきです。北方山脈の民はこの肌色が多いのです」


 そんな他愛ない話をしていたところで——話題が変わったらしい。


「ところで」


 マリエッタが湯の中で身を乗り出した。


「皆さまに聞きたいことがあるのですが——ルーク様のことです」


 四人の間に、妙な緊張感が走ったとフィーネは語った。


「ルーク様って、どう思います? わたくし、ちょっと気になっていて」


 マリエッタの爆弾発言に、リディア嬢の目が据わったらしい。湯の温度が二度ほど下がったとのこと。物理的に。


「マリエッタさん、先日の頬へのキスといい、随分と積極的ですわね」

「あら、あれは商人の挨拶ですわよ?」

「握手でしたわよね、他の方には」

「リディア様は記憶力がよろしいのですね。おほほ」


 このやり取りの後、アンネリーゼ様が静かに口を開いたという。


「わたし、一つお話ししたいことがあるのです」


 三人が聖女様に注目した。


「わたし——ルーク様のこと、お慕いしています」


 湯気の向こうで、アンネリーゼ様は穏やかに微笑んでいたそうだ。


「でも、身を引こうと思うのです」


 リディア嬢が目を見開いた。


「なぜですか、アンネリーゼ様」

「ルーク様の目が、リディア様を見ている時と、わたしを見ている時とでは——全然違うのです」


 アンネリーゼ様の声は穏やかだったが、微かに震えていたとフィーネは言った。


「わたしを見る目は優しいけれど、リディア様を見る目には——熱があるのです。あの熱に、わたしでは勝てません」


 沈黙が落ちた。

 湯気だけが、ゆらゆらと立ち昇っていた。


 リディア嬢が口を開いた。


「アンネリーゼ様、勝手に身を引かないでくださいまし」


 意外な言葉に、アンネリーゼ様が顔を上げた。


「わたくしは正々堂々と勝ちたいのです。あなたが身を引いてしまったら、わたくしの勝利は空虚になりますわ」


 リディア嬢の声は強かった。


「それに——あなたはわたくしの大切な友人です。友人に惨めな思いをさせたまま、自分だけ幸せになるなんて、わたくしには耐えられませんわ」


 アンネリーゼ様の金色の瞳に、涙が浮かんだらしい。


「リディア様は、本当にずるい方ですね」

「何がずるいのですか」

「そうやって優しくされると、余計に好きになってしまうじゃないですか——ルーク様のことも、リディア様のことも」


 アンネリーゼ様が泣き笑いの顔で言うと、リディア嬢も思わず笑ったという。


「ふふ。では、もう少しだけ——お互い全力で、ということで」

「はい。でも——たぶんわたしは、リディア様を応援してしまうと思います」

「それは困りますわね。手加減されるのは嫌ですもの」


 マリエッタがパチパチと拍手した。


「素敵なお話ですわね。わたくしは恋愛よりも商売に生きますので、お二人を応援する側に回りますわ。ただし——」


 翡翠の瞳がきらりと光る。


「ルーク様を怒らせたい時は、わたくしにお声がけくださいまし。頬にキスするくらいなら、いつでも」

「それは却下ですわ」

「即答ですのね」


 四人の笑い声が、夕暮れの温泉に響いたという。


 フィーネは最後にこう付け加えた。


「わたしは——ルーク様をお守りする立場ですので、恋愛のお話には参加しませんでした。ただ——」


 褐色の頬を僅かに赤くして、フィーネは言った。


「ルーク様が幸せなら、それでいいのです」


 ……全部聞いてしまった。

 聞かなかった方が良かったかもしれないが、今さら記憶を消すことはできない。


 ただ一つだけ、分かったことがある。

 俺の目は——リディア嬢を見る時だけ、違うらしい。


 自覚はなかった。だが、聖女様がそう言うなら、きっとそうなのだろう。

 中身三十二歳の分別は、どこへ行ったのやら。


★ここまで読んでいただき、ありがとうございます。★

ここまでで、少しでも「面白そう!」「期待できる!」そう思っていただけましたら、

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