第20話 商業都市との絆——信頼できる仲間たち
鉱山襲撃事件から三日後。
俺たちはアンカードを再訪した。目的は交易協定の締結だ。
マリエッタが同行し、商人ギルドとの橋渡し役を買って出てくれた。
彼女の行動力は凄まじかった。この三日間で既にロッシ商会を通じて、アンカードの主要商会三社に根回しを済ませていたのだ。
「マリエッタさん、いつの間にそこまで——」
「商機は鮮度が命ですわ。ルーク様が鉱山で遊んでいる間に、わたくしは仕事をしていたのです」
遊んでいたわけではないのだが。鉱山で襲撃者と戦っていたのだが。
だが、この少女の仕事の速さには素直に脱帽する。前世の営業部にスカウトしたいレベルだ。もっとも、彼女が前世にいたら三日で部長の椅子を奪っていただろうが。
アンカードの商人ギルド本部で、交渉が始まった。
テーブルの向かいには三つの商会の代表が座っている。いずれも百戦錬磨の商人という面構えだ。
だが、こちらにはマリエッタがいる。
「ミスリルの優先販売権をロッシ商会に。ただし、最初の一年間は三社合同の販売体制とし、利益を均等に分配します」
マリエッタが切り出した条件は、絶妙だった。
独占を避けることで三社の反発を防ぎ、利益の均等分配で協力体制を引き出す。一年後にロッシ商会が優先権を得る布石は打ちつつ、目先の利益で他社を取り込む。
前世の経営企画の目で見ても、見事な交渉戦略だ。
「加えて、ベルフィーネ領——」
マリエッタが新しい名前を口にした。俺が仮につけた名前だ。シャリエ領では旧伯爵のイメージが悪いので、領地名を変更する予定だった。
「ベルフィーネ領からアンカードへの交易路を整備し、定期的な隊商を運行します。これにはアンカード防衛戦での恩義もございますし、互いの利益になるかと」
防衛戦の恩義。これが効いた。
アンカードの商人たちは、俺たちが街を救ったことを忘れていない。恩義と利益が重なった時、商人は動く。前世でも、義理と実利の両方を提示できた時に契約はまとまった。
交渉は二時間で妥結した。
マリエッタが用意していた契約書に、三社の代表が署名する。
「やりましたわね、マリエッタさん」
リディア嬢が珍しく感嘆の声を漏らした。
「ふふ。お褒めに預かり光栄です、リディア様。でも、これはまだ序の口ですわ」
マリエッタの翡翠色の瞳が、商人の笑みの奥で輝いている。
「ルーク様」
マリエッタが俺の方を向いた。
「今回の交渉を成功させてくださったお礼です」
そう言って、マリエッタは俺の頬に軽くキスをした。
商人の挨拶——なのだろう。おそらく。この世界の商人の間では一般的な礼儀作法——なのかもしれない。
背後の気温が急激に下がった。
振り返ると、リディア嬢が立っていた。
笑顔だった。完璧な笑顔だった。
だが、周囲の空気が文字通り凍りついている。足元に霜が降りているのは気のせいではないはずだ。無意識の魔力漏出だ。
「リディア様、あの——」
「何ですか? ルーク様」
笑顔のまま首を傾げるリディア嬢。声の温度が絶対零度だ。
「商人の挨拶ですよ。文化的な——」
「ええ、存じていますわ。商人の挨拶ですものね。何も問題ありませんわ」
問題しかない。足元の霜が厚くなっている。
マリエッタはにこにこと笑っている。確信犯だ。この少女、わざとやったな。
「マリエッタさん、この地方の商人の挨拶は握手では?」
「あら、そうでしたかしら? わたくしの故郷では頬にキスが普通なものですから。おほほほ」
嘘だ。さっき三社の代表とは全員握手で済ませていた。
商人は信用が命だと聞いたが、この少女の信用は別の通貨で計算されているらしい。
アンカードからの帰路、馬車の中でリディア嬢は俺に一言も口をきかなかった。
窓の外を見つめる横顔は穏やかだが、馬車の中の気温が明らかに低い。二月の帝都より寒い。
「リディア様」
「…………」
「リディア様」
「…………」
「怒っていますか?」
「怒っていません」
怒っている。絶対に怒っている。
前世で学んだ最も重要な教訓の一つ。「怒っていない」と言う人間は百パーセント怒っている。
「リディア様、ぼくはマリエッタさんに何の感情も——」
「何の感情もないのに頬にキスされるのですか?」
「されたんです。一方的に」
「避ければよろしかったのに」
「避ける暇がなかったんです」
「言い訳がお上手ですこと」
「事実です」
「事実かどうかはわたくしが判断します」
理不尽だ。完全に理不尽だ。
だが、前世の経験が教えてくれる。こういう時は反論すればするほど悪化する。黙って嵐が過ぎるのを待つのが最善手だ。
三十分ほど沈黙が続いた後、リディア嬢がぽつりと言った。
「……ルーク様は、マリエッタさんのことをどう思っていますの?」
「優秀な商人だと思っています。領地の復興に不可欠な人材です」
「それだけですか?」
「それだけです」
「…………」
「リディア様?」
「……嘘がお下手なのは知っていますわ。だから、今のは本当なのでしょうね」
馬車の中の温度が、ほんの少しだけ上がった気がした。
「ルーク様」
「はい」
「次にどなたかがルーク様にキスをしようとしたら——わたくしが先に氷漬けにしますわ」
「……善処します」
「善処じゃなくて、避けてくださいまし」
碧い瞳にようやく光が戻った。
口元が微かに——本当に微かに——緩んでいる。
嵐は去った。たぶん。
領都に戻ると、領主館の前に見慣れない馬車がもう一台停まっていた。
今度の馬車には帝国の紋章が入っている。公用車だ。
館に入ると、大広間にフィーネと一人の少年が座っていた。
年齢は十四歳くらい。銀縁の眼鏡をかけた、線の細い少年だ。手には分厚い本を抱え、テーブルの上には帝国の公文書が山と積まれている。
「あ、お帰りなさいませ。ルーク様ですね?」
少年が立ち上がって一礼した。動作は丁寧だが、目の下には深い隈がある。
「わたくしはヴィクトル・フォン・ボドワン。宰相閣下の孫にございます。このたび、行政顧問としてこちらに派遣されました」
ボドワン——あの宰相の孫か。
「祖父から命じられまして……正直に申し上げると、左遷だと思っております」
あまりにも率直な自己紹介に、俺は思わず笑ってしまった。
前世の自分を見ているようだった。新卒で配属された僻地の支社で「ここは左遷先だ」と先輩に教えられた日を思い出す。
「ヴィクトルさん、ここは左遷先ではありません。ぼくたちにとっては最前線です」
「……最前線、ですか」
「はい。そして、行政の専門家が来てくれるのをずっと待っていました。税制改革、法整備、帝国への報告書類——どれも人手が足りなくて困っていたところです」
ヴィクトルの目が、僅かに輝いた。
隈の奥に、知性の光がある。この少年は優秀だ。直感がそう言っている。前世で培った人材を見抜く目が、ここでも役に立つ。
「……本当に、わたくしが必要なのですか?」
「本当です。今すぐにでも。この書類の山、一緒に片付けてもらえますか?」
ヴィクトルが、初めて笑った。
照れくさそうな、だが確かな笑顔だった。
「……はい。喜んで」
こうして、領地の再建チームにまた一人が加わった。
俺、リディア、アンネリーゼ、ギルバート、フィーネ、マリエッタ、ヴィクトル。
七人。
前世の経営企画部の半分以下の人数だが、全員が自分の持ち場を持っている。
こういうチームを、前世では「ドリームチーム」と呼んだ。冗談みたいだが、今の俺の実感だ。
窓の外では、南の農地に小さな緑の芽が出始めていた。
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