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第14話 英雄なんかいらない——あなたさえいれば

 アンカード防衛戦の終結から二日が経った。


 街は復興の最中だった。崩壊した城壁の修復が進み、避難民たちが少しずつ自分の家に戻り始めている。

 ギルバートが指揮する傭兵団と冒険者たちが、城壁の外に残った魔物の残党を掃討している。組織的な脅威は消えたが、散発的に現れる魔物への対処はまだ必要だ。


 俺はアンカードの領主館の一室を借りて、これからの計画を練っていた。

 隣ではリディア嬢が、フィーネから聞き取ったシャリエ領の現状を紙にまとめている。


「人口は最盛期の半分以下まで減少。農地の大半が汚染で使用不能。鉱山は閉鎖。まともな産業がひとつもない——」


 リディア嬢がペンを止めて、ため息をついた。


「想像以上ですわね」

「ええ。ですが、絶望するには早いです」


 俺は自分のメモを見せた。前世の経営企画の癖で、状況分析をフレームワークにまとめてある。


「シャリエ領の問題点は大きく三つ。食料、産業、人口。逆に言えば、この三つを解決すれば再生の道筋が見えます」

「食料はどうするのですか? 農地が汚染されていると——」

「魔核があります。浄化された魔核の力を使えば、汚染された土壌を清浄化できるはずです。アンネリーゼ様の力も借りれば、かなりの速度で回復させられると思います」

「なるほど……。産業については?」

「鑑定スキルで領地の資源を調査する必要がありますが、鉱山が完全に枯れていない可能性もある。それに、魔核自体が資源と言えます」

「人口は……来てくれる人がいるかどうか、ですわね」


 リディア嬢が頬杖をついた。


「荒廃した辺境の領地に好んで移住する人は少ないでしょう。でも——条件次第では呼び込めるかもしれません。税の優遇、土地の無償提供、教育の整備……」


 リディア嬢の目が輝き始めた。

 この子は、こういう話になると止まらない。公爵家で帝王学を受けた知識が、具体的な施策に変換されていく。


「リディア様、メモ取りますか?」

「もう取っていますわ」


 見ると、彼女の手元にはびっしりと書き込まれた紙が何枚も重なっていた。

 前世の企画会議で、こういうパートナーがいたら——もうこの感想は何度目だろう。



 昼過ぎ、ギルバートが領主館を訪ねてきた。


「よう、坊主。計画を立ててるって聞いたが」

「ええ。シャリエ領——いずれ別の名前をつけますが——の復興計画です」

「ふうん」


 ギルバートはテーブルの上に広げられた紙の束を見下ろして、低い声で言った。


「俺も連れて行け」


 予想外の申し出だった。


「ギルバートさん、理由を聞いてもいいですか?」

「俺はシャリエ領の出身だ」


 初耳だった。


「ガキの頃にあの土地を出て冒険者になった。鉱山が枯れて、親父の仕事がなくなってな。故郷がどうなったかは——フィーネの話で分かった」


 ギルバートの表情が、一瞬だけ歪んだ。


「お前たちがあの土地を立て直すってなら、俺も手を貸す。それに——」


 ギルバートが不敵に笑った。


「お前の戦い方、嫌いじゃない。頭を使って、仲間を信じて、自分の限界を知っている。ああいう指揮官の下で働くのは悪くねぇ」

「……ありがとうございます。心強いです」

「礼はいらねぇ。故郷を取り戻すだけだ」


 ギルバートが差し出した手を、俺は握り返した。

 二度目の握手。だが、今度のそれは雇用関係ではなく、志を同じくする仲間としての握手だった。



 夕方、俺は一人で城壁の上に立っていた。

 アンカードの街並みを見下ろしている。

 復興の槌音があちこちから聞こえてくる。人々が笑い合いながら瓦礫を片付けている。子供たちが広場で走り回っている。


 ——ルークという少年が天使を召喚して街を救った。


 その話は、瞬く間にアンカード中に広まっていた。

 道を歩くと頭を下げられ、食堂に入ると食事代を断られ、子供たちには「使徒様」と呼ばれて追いかけ回される。


 居心地が悪い。

 前世では十年間、社内で存在感を消すプロとして生きてきた。名前を覚えてもらえないどころか、隣の席の後輩に「すみません、どちら様ですか」と言われたこともある。

 それが突然「英雄」だ。振れ幅が大きすぎて酔いそうだ。


「ルーク様」


 背後から声がした。

 振り返ると、リディア嬢が城壁の階段を登ってくるところだった。

 夕日を背にしたその姿が——帝城の回廊で見た、あの夜と重なった。


「こんなところにいらしたのですね。探しましたわよ」

「すみません。少し一人になりたくて」

「……そう、ですか」


 リディア嬢の声が、僅かに沈んだ。

 俺の言葉を、拒絶と受け取ったのかもしれない。


「あっ、いえ、リディア様が来てくれるのは嬉しいです。ただ——」

「いいのですわ。分かっていますから」


 リディア嬢は俺の隣に立ち、同じ方向を見た。

 夕日に染まるアンカードの街。修復が進む城壁。行き交う人々。


 しばらく沈黙が続いた。

 第一章の謁見の間の日から、何度もこういう時間があった。隣にいて、何も言わない時間。

 それが心地よいと感じるのは、信頼の証だろう。


 だが今日のリディア嬢は、いつもと違う空気をまとっていた。


「ルーク様」

「はい」

「一つ、訊いてもいいですか」

「何でしょう」

「ルーク様が英雄と呼ばれるようになったら……わたくしのこと、忘れてしまうのでしょうか」


 予想外の言葉だった。

 振り向くと、リディア嬢は俺を見ていなかった。夕日を見つめたまま、唇を微かに噛んでいる。


「ルーク様はどんどん遠い存在になっていきます。女神の使徒、アンカードの英雄……。人々があなたを称える声が大きくなるたびに、わたくしは——」


 声が細くなった。


「わたくしは、あなたの隣にいてもいいのだろうかと。そう、思ってしまうのです」


 ああ——そういうことか。

 リディア嬢は婚約破棄のトラウマを抱えている。ジェレミー殿下に捨てられた経験が、「また必要とされなくなるのではないか」という不安を生んでいるのだ。


 前世の俺にも分かる感覚だった。

 会社で必要とされているうちはいいが、いつ「お前は要らない」と言われるか分からない。その恐怖は、一度味わうと簡単には消えない。


「リディア様」


 俺はリディア嬢に向き直った。


「ぼくは、英雄になんかなりたくありません」


 リディア嬢が顔を上げた。碧い瞳に夕日が映っている。


「使徒とか英雄とか、そういうのは全部おまけです。ぼくがこの世界でやりたいことは——最初から変わっていません」

「最初から……?」

「あの日、リディア様に言ったでしょう。『その願い、承りました』って」


 リディア嬢の目が揺れた。


「ぼくはリディア様との約束を果たすために生きています。みんなが幸せに暮らせる国を、一緒に作る。それがぼくの全てです。英雄と呼ばれることじゃない」


 そして——言わなくてもいいことを、言った。


「それに、ぼくの方こそ不安ですよ。リディア様は公爵令嬢で、才色兼備で、統率力もある。ぼくなんかいなくても——」

「いなくては困りますわ」


 リディア嬢が遮った。

 声が震えていた。


「あなたがいなければ、わたくしはあの謁見の間で心が折れていました。あなたがいなければ、この街は守れなかった。あなたがいなければ——わたくしは夢を見ることすら、忘れていましたわ」


 一歩、近づいてきた。


「ですから——もう二度と、『ぼくなんか』なんて言わないでくださいまし」


 碧い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。

 涙は流していない。だが、その瞳の奥に揺れるものは——涙よりもずっと強いものだった。


「……分かりました。もう言いません」

「約束ですわよ」

「はい。約束です」


 リディア嬢が小さく笑った。

 夕日が彼女の金髪を紅く染めて、碧い瞳がきらきらと輝いている。


「ルーク様」

「はい?」

「わたくし達の領地へ、行きましょう。早く、あの土地を見てみたいですわ」


 「わたくし達の領地」。

 その言葉の響きが——何よりも心強かった。


「ええ。行きましょう」


 俺はリディア嬢と並んで、夕日に染まるアンカードを見下ろした。


 この街を守れたのは、自分一人の力ではない。

 ギルバートが城壁を守り、アンネリーゼ様が傷ついた人々を癒し、リディア嬢が避難民を導き、俺は森の魔核を浄化した。

 それぞれが自分の役割を果たした結果だ。


 前世では——全部を一人で背負おうとして、潰れた。

 この世界では、そうならない。

 隣に、信じられる人がいるから。


「さて」


 俺は伸びをして、空を見上げた。

 夕焼けの向こうに、最初の星が瞬き始めている。


「明日からは、領地経営のお勉強ですね」

「ふふ。ルーク様には教わることが多そうですわ」

「いえいえ、貴族社会の作法はリディア様に教わらないと。ぼくだけでは三日で失脚します」

「あら、わたくしがいれば十年は持ちますわよ」

「十年じゃ足りません。一生お願いします」


 ——言ってから、自分の発言の重大さに気づいた。


 リディア嬢が固まっている。

 耳の先まで真っ赤だ。


「い、一生……ですか」

「あっ、いえ、今のは言葉の綾で——」

「撤回は許しませんわよ」


 リディア嬢が顔を背けた。赤い耳だけが見えている。


「……覚えておきますからね」


 小さな声が、夕風に乗って届いた。


 ——やらかした。

 中身三十二歳のくせに、うっかり口を滑らせるとは。


 だが、不思議と——後悔はなかった。



 こうして、アンカード防衛戦は幕を閉じた。


 翌日、俺たちはアンカードを発ち、荒廃したシャリエ領へ向かうことになる。

 新しい仲間を得て、新しい目標を掲げて。


 メンバーは五人。

 俺、リディア、アンネリーゼ、ギルバート、フィーネ。


 五人で、一つの土地を生き返らせる。

 馬鹿げた話かもしれない。前世の経営企画部は三十人いても一つのプロジェクトを完遂できなかったが、たぶん原因は人数じゃなくて会議の多さだ。この世界には会議室の予約システムがない。それだけで生産性は三倍になるだろう。


 だが——採算では測れないものがある。

 隣を歩いてくれる人の笑顔。

 信じてくれる人の言葉。

 守りたいと思える場所。


 それを手に入れるために、俺は女神に転生させてもらったのだ。


 荒廃した大地を前にしても、不思議と怖くはなかった。

 隣に——この子がいるから。


第二章「アンカード防衛戦」、完結です。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。


「一生お願いします」——ルークの口が滑った瞬間、書いている自分が一番驚きました。

次章からは舞台を荒廃した領地に移して、二人の「国づくり」が始まります。

戦いとはまた違った面白さをお届けできると思いますので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。


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