15. エリックの勝利
ゲスナーは顔を歪ませて、エリックの手を振り払う。そして何事かをわめきながら、エリックへ掴みかかった。馬乗りになって、エリックの肩へ手を置き、床へと押し付ける。
「貴様のせいでッ、貴様のせいで……!」
エリックは、ゲスナーの目を真っすぐにらみつけた。ゲスナーはその目つきに、一瞬怯んだように動きを止める。その瞬間に、扉が開く。
「何をしている!」
真っ先に飛び込んできたのは、レオポルトだった。次いでヘンケルと、騎士が何人か飛び込んでくる。
ゲスナーがびくりと震えて、彼らの方を見た。レオポルトは部屋に飛び込んですぐ、ぴたりと歩みを止める。青い瞳がじっと、二人へ、焦点を合わせた。
そして、ゆったりとした足取りで、歩き出す。
「何をしている?」
堂々とした足音が、静かにエリックの腹の底を打った。
レオポルトは感情の読み取れない笑みを浮かべて、ゲスナーを見下ろす。
「どいてくれるか」
その言葉に、ゲスナーの身体が震えはじめた。がたがたと指先が不揃いにわななき、強張った喉で声を絞り出す。
「あ……もうし、わけ……ございま、せん……」
ヘンケルがつかつかと歩み寄り、ゲスナーを無理やりどかす。レオポルトはすかさずエリックに手を伸ばして、助け起こした。
「殴られたのか。ああ、鼻から血が」
おろおろとうろたえながら、清潔なハンカチでエリックの口元を拭った。エリックの顔を覗き込む。先ほどとは別人のように感情的だ。
エリックは半ば茫然としながら、レオポルトの仕草を見ていた。
「……汚れますよ」
恐る恐るそう言うと、レオポルトは「構わない」と言って、エリックの頬をぺたぺたと触り始めた。まるで不安に駆られた子どもが、親を探すような仕草だ。
「骨は折られていないか。かわいい顔に傷ができている」
レオポルトは、一体どうしてしまったんだろう。戸惑ってヘンケルを見ると、彼は黙って首をすくめた。
仕方なく、エリックはレオポルトの肩に手を置く。
「僕は大丈夫ですよ、殿下。そんなに心配しなくても大丈夫……」
言いかけると、レオポルトは「心配」と呟いた。茫然とした様子で、エリックを見つめている。
えっ、とエリックは身体を後ろへ引いた。
「し、心配、してくださってますよね?」
確認するように言うと、レオポルトは手で顔を覆った。ため息をついて、うつむく。何事かと見守っている間に、騎士たちがゲスナーを拘束した。
ゲスナーは連行され、どこかへと連れていかれた。騎士たちも部屋を出ていく。
エリックがどうしようか迷っていると、レオポルトがエリックの膝裏へと手を伸ばした。
「ヘンケル。医者を呼べ」
指示を出しつつ、レオポルトは迷わずエリックを抱き上げる。横抱きにされたエリックは、思わず声を上げた。
「えーっ」
ヘンケルは淡々と「承知しました」と礼をする。エリックが慌てて「大げさです」と言っても、レオポルトは聞かない。
「痛いところはないか?」
指の背でエリックの頬を撫でる。まるで宝物に触れるような手つきだ。
絶句している間に、レオポルトはエリックを抱きかかえたまま歩き出した。手ずから救護室へと運び、ベッドへと寝かせる。あれよあれよと診察を受け、「絶対安静」と診断される。
その絶対安静も、レオポルトの睨みつけに、医者が屈したようなものだ。
医者の診察を終えて、エリックは身体を起こす。レオポルトはベッドサイドの椅子に座って、じっとエリックの顔を見つめていた。さらにレオポルトの背後から、ヘンケルがエリックをにらんでいる。
レオポルトの手が、エリックの頬へと伸びた。
「痛いところはないか」
レオポルトの言葉に、エリックは首を傾げる。殴られたところはじんじんと痛むが、それを言ったら、余計に心配させてしまいそうな気がした。
「ないです」
「嘘をつけ。あざになっているぞ」
レオポルトの少し冷えた指が、エリックの頬や鼻をなぞる。くすぐったくて笑い声をもらすと、レオポルトは手を離した。
「……やり遂げて、くれたな」
その言葉に、エリックは胸を張った。微笑みを浮かべて、目を伏せる。
「はい。僕たちは、成し遂げました」
レオポルトは「ありがとう」と囁くように言った。エリックはその言葉に、じんと胸の奥が熱くなる。
「あなたのおかげです。ありがとうございます」
頭をさげようとしたら、「よせ」と額に手を当てられる。レオポルトの大きな掌に、どきりと胸が跳ねた。
レオポルトは唇を噛んで、「すまなかった」と呟く。何を謝っているのか分からなくて、エリックは彼をそっと見上げた。
彼はエリックをひたりと見据えて、唇を噛んだ。どこか戸惑ったように、口の端がわななく。
「……危ない目に遭わせてしまった。本当にすまない」
低く掠れた声に、エリックは思わず噴き出してしまった。
レオポルトは唇を歪めて、「なぜ笑う」と拗ねたように言う。
だって、とエリックは笑った。
「僕は、あなたの共犯者ですよ。これくらい、なんてことないです」
レオポルトは、惚けたように唇を薄っすら開けた。目元は甘くたわんで、エリックを見つめている。エリックは、その瞳を真っすぐに見つめ返した。
「それに、これで終わりじゃないんですから。ここから細かい調整が、たくさんあるんです。あなたに押し付けなきゃいけない面倒が、これからたくさん湧いて出てきます」
おどけたように言えば、レオポルトはやっと笑った。
エリックはそわそわと指を組んで、彼を上目遣いに見つめる。
「だから、そんなに心配しないでください。僕、そんなに頼りないですか?」
そう尋ねれば、レオポルトは首を横に振った。エリックはほっと息をついて、頷く。
改めてレオポルトの顔を見た。その美しい瞳が動いて、エリックへと焦点を合わせる。
「エリック。……ありがとう」
何もかもが浮かばれたような気持ちだ。エリックは「はい」と返事をする。その声はどこか、甘えたに揺れていた。
レオポルトはしばらく、エリックをじっと見つめていた。顔が少しずつ近づいてくる。
額が、ゆっくりと重なった。エリックとレオポルトの鼻が触れ合うほどの距離で、見つめ合う。レオポルトの手が、エリックの肩に置かれて、うなじへと触れる。
エリックは、恐る恐る尋ねた。
「……どうしたんですか?」
お互いの吐息が、混じり合うほどに近かった。レオポルトはじっとエリックを見つめて、「いや」と呟く。
「かわいいなと思って」
「えっ……そんな……」
かわいい。他の誰かに言われたら不愉快な言葉だろうが、レオポルトに言われると、どんな褒め言葉にも勝った。照れて俯くエリックから、レオポルトの顔が離れる。
「いや、すまない。……困らせたな」
そう言って、レオポルトはエリックから手を離す。エリックはときめく胸を押さえて、「もう」と憤慨してみせた。
「そんなことされたら、勘違いしそうになるじゃないですか」
「どんな勘違いだ?」
レオポルトが、ぽかんとした表情で尋ねる。エリックは、「えっと」と恥じらいつつ答えた。
「あ、あなたが、僕のことを、好きみたいだなって……」
も~、と冗談めかして笑えば、レオポルトは無表情になっていた。息をのんで笑みを引っ込めると、レオポルトは自嘲気味に笑った。視線がそらされる。
「すまない。気持ち悪かったな」
「違います。違います、その」
エリックは、ぎゅっと目を瞑った。
まだヘンケルが場に残っていようと、言わなければいけなかった。
「ぼっ、僕、男の人が好きなんです……! 恋愛的な意味で……好き……」
勝手に、涙があふれる。言ってしまった。血の気が引いて、指先が強張る。
しばらく誰も声を出さなかった。エリックの指に、あたたかな手が触れる。目を開けると、惚けた表情で、頬を少し赤らめたレオポルトが、エリックの顔を覗き込んでいた。
「……そうなのか?」
「は、はい」
「本当に?」
こくん、と頷く。レオポルトは唇をわななかせた。見間違えでなければ、それは笑みだった。
ヘンケルは「殿下」と、遠慮がちに彼へ声をかけた。
「俺は席を外した方が、いいでしょうか」
「いや。このまま、部屋に戻る」
エリックの身体の下に、エリックの手が入る。そのままひょいと持ち上げられて、エリックは「わっ」と間抜けな声を出した。
レオポルトは、いたずらな笑みを浮かべて、エリックへ頬ずりする。その柑橘の香りに、どきりと胸が高鳴った。
「話の続きは、私たちの部屋でしよう」
その声の甘さに、エリックはただ頷くことしかできなかった。




