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野犬公の愛人  作者: 鳥羽ミワ


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15/31

15. エリックの勝利

 ゲスナーは顔を歪ませて、エリックの手を振り払う。そして何事かをわめきながら、エリックへ掴みかかった。馬乗りになって、エリックの肩へ手を置き、床へと押し付ける。


「貴様のせいでッ、貴様のせいで……!」


 エリックは、ゲスナーの目を真っすぐにらみつけた。ゲスナーはその目つきに、一瞬怯んだように動きを止める。その瞬間に、扉が開く。


「何をしている!」


 真っ先に飛び込んできたのは、レオポルトだった。次いでヘンケルと、騎士が何人か飛び込んでくる。

 ゲスナーがびくりと震えて、彼らの方を見た。レオポルトは部屋に飛び込んですぐ、ぴたりと歩みを止める。青い瞳がじっと、二人へ、焦点を合わせた。

 そして、ゆったりとした足取りで、歩き出す。


「何をしている?」


 堂々とした足音が、静かにエリックの腹の底を打った。

 レオポルトは感情の読み取れない笑みを浮かべて、ゲスナーを見下ろす。


「どいてくれるか」


 その言葉に、ゲスナーの身体が震えはじめた。がたがたと指先が不揃いにわななき、強張った喉で声を絞り出す。


「あ……もうし、わけ……ございま、せん……」


 ヘンケルがつかつかと歩み寄り、ゲスナーを無理やりどかす。レオポルトはすかさずエリックに手を伸ばして、助け起こした。


「殴られたのか。ああ、鼻から血が」


 おろおろとうろたえながら、清潔なハンカチでエリックの口元を拭った。エリックの顔を覗き込む。先ほどとは別人のように感情的だ。

 エリックは半ば茫然としながら、レオポルトの仕草を見ていた。


「……汚れますよ」


 恐る恐るそう言うと、レオポルトは「構わない」と言って、エリックの頬をぺたぺたと触り始めた。まるで不安に駆られた子どもが、親を探すような仕草だ。


「骨は折られていないか。かわいい顔に傷ができている」


 レオポルトは、一体どうしてしまったんだろう。戸惑ってヘンケルを見ると、彼は黙って首をすくめた。

 仕方なく、エリックはレオポルトの肩に手を置く。


「僕は大丈夫ですよ、殿下。そんなに心配しなくても大丈夫……」


 言いかけると、レオポルトは「心配」と呟いた。茫然とした様子で、エリックを見つめている。

 えっ、とエリックは身体を後ろへ引いた。


「し、心配、してくださってますよね?」


 確認するように言うと、レオポルトは手で顔を覆った。ため息をついて、うつむく。何事かと見守っている間に、騎士たちがゲスナーを拘束した。

 ゲスナーは連行され、どこかへと連れていかれた。騎士たちも部屋を出ていく。

 エリックがどうしようか迷っていると、レオポルトがエリックの膝裏へと手を伸ばした。


「ヘンケル。医者を呼べ」


 指示を出しつつ、レオポルトは迷わずエリックを抱き上げる。横抱きにされたエリックは、思わず声を上げた。


「えーっ」


 ヘンケルは淡々と「承知しました」と礼をする。エリックが慌てて「大げさです」と言っても、レオポルトは聞かない。


「痛いところはないか?」


 指の背でエリックの頬を撫でる。まるで宝物に触れるような手つきだ。

 絶句している間に、レオポルトはエリックを抱きかかえたまま歩き出した。手ずから救護室へと運び、ベッドへと寝かせる。あれよあれよと診察を受け、「絶対安静」と診断される。

 その絶対安静も、レオポルトの睨みつけに、医者が屈したようなものだ。

 医者の診察を終えて、エリックは身体を起こす。レオポルトはベッドサイドの椅子に座って、じっとエリックの顔を見つめていた。さらにレオポルトの背後から、ヘンケルがエリックをにらんでいる。

 レオポルトの手が、エリックの頬へと伸びた。


「痛いところはないか」


 レオポルトの言葉に、エリックは首を傾げる。殴られたところはじんじんと痛むが、それを言ったら、余計に心配させてしまいそうな気がした。


「ないです」

「嘘をつけ。あざになっているぞ」


 レオポルトの少し冷えた指が、エリックの頬や鼻をなぞる。くすぐったくて笑い声をもらすと、レオポルトは手を離した。


「……やり遂げて、くれたな」


 その言葉に、エリックは胸を張った。微笑みを浮かべて、目を伏せる。


「はい。僕たちは、成し遂げました」


 レオポルトは「ありがとう」と囁くように言った。エリックはその言葉に、じんと胸の奥が熱くなる。


「あなたのおかげです。ありがとうございます」


 頭をさげようとしたら、「よせ」と額に手を当てられる。レオポルトの大きな掌に、どきりと胸が跳ねた。

 レオポルトは唇を噛んで、「すまなかった」と呟く。何を謝っているのか分からなくて、エリックは彼をそっと見上げた。

 彼はエリックをひたりと見据えて、唇を噛んだ。どこか戸惑ったように、口の端がわななく。


「……危ない目に遭わせてしまった。本当にすまない」


 低く掠れた声に、エリックは思わず噴き出してしまった。

 レオポルトは唇を歪めて、「なぜ笑う」と拗ねたように言う。

 だって、とエリックは笑った。


「僕は、あなたの共犯者ですよ。これくらい、なんてことないです」


 レオポルトは、惚けたように唇を薄っすら開けた。目元は甘くたわんで、エリックを見つめている。エリックは、その瞳を真っすぐに見つめ返した。


「それに、これで終わりじゃないんですから。ここから細かい調整が、たくさんあるんです。あなたに押し付けなきゃいけない面倒が、これからたくさん湧いて出てきます」


 おどけたように言えば、レオポルトはやっと笑った。

 エリックはそわそわと指を組んで、彼を上目遣いに見つめる。


「だから、そんなに心配しないでください。僕、そんなに頼りないですか?」


 そう尋ねれば、レオポルトは首を横に振った。エリックはほっと息をついて、頷く。

 改めてレオポルトの顔を見た。その美しい瞳が動いて、エリックへと焦点を合わせる。


「エリック。……ありがとう」


 何もかもが浮かばれたような気持ちだ。エリックは「はい」と返事をする。その声はどこか、甘えたに揺れていた。

 レオポルトはしばらく、エリックをじっと見つめていた。顔が少しずつ近づいてくる。

 額が、ゆっくりと重なった。エリックとレオポルトの鼻が触れ合うほどの距離で、見つめ合う。レオポルトの手が、エリックの肩に置かれて、うなじへと触れる。

 エリックは、恐る恐る尋ねた。


「……どうしたんですか?」


 お互いの吐息が、混じり合うほどに近かった。レオポルトはじっとエリックを見つめて、「いや」と呟く。


「かわいいなと思って」

「えっ……そんな……」


 かわいい。他の誰かに言われたら不愉快な言葉だろうが、レオポルトに言われると、どんな褒め言葉にも勝った。照れて俯くエリックから、レオポルトの顔が離れる。


「いや、すまない。……困らせたな」


 そう言って、レオポルトはエリックから手を離す。エリックはときめく胸を押さえて、「もう」と憤慨してみせた。


「そんなことされたら、勘違いしそうになるじゃないですか」

「どんな勘違いだ?」


 レオポルトが、ぽかんとした表情で尋ねる。エリックは、「えっと」と恥じらいつつ答えた。


「あ、あなたが、僕のことを、好きみたいだなって……」


 も~、と冗談めかして笑えば、レオポルトは無表情になっていた。息をのんで笑みを引っ込めると、レオポルトは自嘲気味に笑った。視線がそらされる。


「すまない。気持ち悪かったな」

「違います。違います、その」


 エリックは、ぎゅっと目を瞑った。

 まだヘンケルが場に残っていようと、言わなければいけなかった。


「ぼっ、僕、男の人が好きなんです……! 恋愛的な意味で……好き……」


 勝手に、涙があふれる。言ってしまった。血の気が引いて、指先が強張る。

 しばらく誰も声を出さなかった。エリックの指に、あたたかな手が触れる。目を開けると、惚けた表情で、頬を少し赤らめたレオポルトが、エリックの顔を覗き込んでいた。


「……そうなのか?」

「は、はい」

「本当に?」


 こくん、と頷く。レオポルトは唇をわななかせた。見間違えでなければ、それは笑みだった。

 ヘンケルは「殿下」と、遠慮がちに彼へ声をかけた。


「俺は席を外した方が、いいでしょうか」

「いや。このまま、部屋に戻る」


 エリックの身体の下に、エリックの手が入る。そのままひょいと持ち上げられて、エリックは「わっ」と間抜けな声を出した。

 レオポルトは、いたずらな笑みを浮かべて、エリックへ頬ずりする。その柑橘の香りに、どきりと胸が高鳴った。


「話の続きは、私たちの部屋でしよう」


 その声の甘さに、エリックはただ頷くことしかできなかった。

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