第八話
私たち学生は、みんな傘と館長からの一筆を持たされて図書館を出た。まだ雨はざあざあと降っているものの、雷は止んでいるし、風もだいぶ優しくなった。校舎に向かっていると思いだしたようにお腹が減ってきて、夕食は残っているのだろうかと考えた。
「ねぇ、あのカラスさんを指笛で呼ぶの、絶対私にも教えてね」
私は傘を高めに持ちながら隣を歩くエイバルにそう言った。私は背が低いから、そうしないと傘に隠れて彼の表情が見えなかったのだ。
「多分、すぐできるぜ。図書館にいる時間だって僕より長いだろ?」
「そうなの?」
「ああ、こいつだっていうやつを見つけて、じっくり向き合ってやれば向こうもだんだん信頼してくれる。指笛じゃなくたって、お前がやりやすい手段で訓練してやればいい」
「……もしかして、私もカラスさんと同じ扱いだったりしないわよね?」
「おい、まさか。そんなわけないだろ」
エイバルはわかりやすく思いがけないことを言われたという顔をする。私は腕も疲れてきたし、ふたつ分の傘の距離がじれったくて、彼の傘の下に飛び込んだ。
「あーあ、びっくりしたぁ。私ってほんとは、知らない間に訓練されてあなたを好きになっちゃったのかと思った」
「人間にカラスと同じことができるかよ」
たしかに、エイバルが自覚してそんなことできるなら今頃彼は全然違う人になっていただろう。でも、私は自分の傘を閉じながら彼を見上げて笑った。エイバルが頬を緩めて私のほうへ傘を傾けてくれるのがわかる。
「やだ、濡れないでね」
私はさらに相手に体を寄せて言った。周囲には人がいたけれど、雨の帳に区切られているおかげで、まるでみんなで景色のいいカフェにいて、自分以外の客に少しの親近感を抱きながら好きに座って過ごしているような、そういう肯定感があった。
「旅行に行ってみたいなぁ」
私は次の言葉を続けるまでに、ゆっくりと息を吸った。
「私ね、いつか、体が弱いのが治ったら旅をしてみたいの」
彼は私の脈絡のない発言に困惑するように少し間を空けたあと、「どこに行きたいんだ?」と私に言った。私はいろいろ考えた。
「見たことがないところ……」
「ざっくりしすぎだろ」
そう言われて、私はさらに考えた。
「すぐにはつかないような遠いところ……」
「ざっくりしてるなぁ」
「……それで、あなたがついて来てくれるところ」
私は拗ねてそう言った。エイバルがやっと気がついて、急いで私の表情を伺おうとする。
「行こう」
私が見上げると、彼は私に頷いて見せた。
「その、僕でいいっていうならさ」
「本当? 約束よ」
「わかったって」
しかめっ面になってエイバルが首を振る。私がにっこりと笑うと、真っ暗な夜だというのに眩しそうな顔をした。
もうすぐ春が終わり、夏になれば私たちは最上級生になる。今まで未来のことなんて想像がつかなかったのに、私は次の一年を彼といられると確信していた。再来年は、その次の年はどんなふうだろう?
「あなたが行きたいところにも、私、ついて行くわ」
私は人生で初めて自分の家族を選ぶことができるのかも。
「ずっとよ!」
私は笑顔を保っていられなくなって、その場で立ち尽くしてわーんと泣きだした。エイバルはぎょっとして慌てて足を止め、困り果てた様子で少し背中をかがめて私の表情を覗き込む。そのまま、ふと自分の耳に触れた。
傘を持っているのとは反対の手で大ぶりなフープピアスをひとつ外すと、耳に通す部分を閉じて円を作り、私に差し出す。
「約束な?」
滲んだ視界の中で、その華奢なわっかが輝く。少し力を込めたら壊せそうな、か細く頼りない約束を証ししてくれるもの。
いいの? とか、冗談じゃないのよね? とかそういうのはひとつも言葉にならなくって、私は余計泣きじゃくりながら左手を差し出してこくこくと頷いた。エイバルが私の手を引き寄せて、少し熱の移った不格好な指輪を薬指に通す。私は少しサイズの大きいそれを落とさないよう、手をきつく握りこんだ。
あどけない拍手が聞こえるのに、やっと周囲に人がいたことを思い出すくらいだった。エイバルは嫌がるだろうかと思って顔を上げると、彼はその一瞬前までたしかに結構逃げたそうな顔をしていた。
私に気づくと、もう全部知るかと言わんばかりに真っ赤になったあと、言葉を促すように少し首を傾げる。




