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第六話

 私はちょっと読書を休憩して、暖かい窓辺でじっくりと伸びをした。はめ殺しのステンドグラスの外は美しい芝生と若い葉をつけた木々が風にそよいでおり、もう確かに春である。


 カラスさんが羽ばたく少し重い音と、革靴の足音がだんだん近づいてくる。私は本棚の陰から現れた人を見て、にっこりと笑いかけた。


「エイバル」


 私はちょうど読んでいた『カヴァリー生物見聞図誌 ユールー地方』を軽く持ち上げた。次の瞬間、二人で吹き出す。私はその本しか持っていなかったのだ。図書館の膨大な蔵書の中から、ピンポイントでこの一冊を求めて巡り合うとは、なんと天文学的な確率だろう。

 ため息交じりに笑って彼がカラスさんを空中に放す。私が本を差し出すと、「いいのか?」なんて言いながら手を伸ばした。


「えいっ」


 私はエイバルに取られる直前に身を翻して、本を体の後ろに引っ込めた。あっけにとられた顔ににかにかと笑って見せる。


「座って」

「は……? なんだよ……」

「どうせ、本はあとで読めるんだし。お喋りしましょ!」


 私が伸ばしていた足を畳んで窓辺のスペースを空けると、エイバルは眉をひそめていたが、大人しくそこに座った。


「最近、あなた忙しそうにしてるでしょう? 全然見かけないんだもん」

「ああ……だいぶ暖かくなってきたからな。冬眠から起きてきた六つ手グマが裏山の登山道まで出てくるようになったんだ。それで今猟師団が学校に来るようになったから、いろいろ聞きに行ってる」

「目がきらきらしてる」


 私は彼の顔を覗き込んで意地悪っぽく言った。彼はむず痒そうな表情をして顔をそらした。


「なにか、進展はあった?」

「いいや」


 身を守るように片足を窓枠に上げ、さらに頬杖をつく。


「ほとんど毎年顔合わせてるしな……今日はクマ肉食わせてもらった」

「いいなぁ、私、お昼はスパゲティだった」


 そこで、私は一緒にお昼を過ごしていた後輩のことを思い出した。


「エイバル、そういえばね。後輩ちゃん、成績が上がって喜んでたわよ」


 少し前テスト期間だったとき、私は生物学の成績に悩める知り合いを彼に頼んだ。初日こそ悪名高いエイバルに怯えて付き添いの私の後ろに隠れようとしていた女の子だったけれど、だんだん打ち解けて友達と一緒に教わりに行ったりしていたらしい。


 彼女が結果を報告しに来てくれたとき、私も誇らしい気分だった。エイバルはなんだか、ここ最近人付き合いを頑張っているようだから。


「私からも、ありがとう、エイバル。あなたにお願いしてよかった」

「いや、僕は」


 彼は食い気味に首を振ったかと思うと、突然カーッと赤くなって失敗した! という顔をした。手の中でごにょごにょと呻くように言う。


「……好きだ、ルルフィ」


 私はびっくりして背筋をしゃんと伸ばし、そのまま後ろに倒れて、日差しで温まった木枠に背中を預けた。それから笑い出した。変なタイミングの告白だなぁ。


「……ねぇ、私、待ってたのよ?」


 うまく文字に起こせないけれど、ぐぬぬ、みたいな唸り声をエイバルが漏らす。


「冬の休暇のとき、いくらでも二人きりの時間なんてあったじゃない?」


 私は余計意地悪な気持ちになって、ずいっと相手のほうに顔を突き出した。


「なんでこんなに時間がかかったの?」

「は?」


 素早く舌打ちする。


「うるせぇな……」


 彼はついにそっぽを向いてしまった。私はなんだかむやみに嬉しくなって、髪を肩にたぐり寄せて何度か指を通しながらずっとにまにましていた。しかし、だんだんそれも続かなくなって、その場に脱力して座り込む。

 それからちゃんとした返事をしていないことに気づいて顔を上げるけれど、どうしてもエイバルと目が合うと声が出なくなってしまうから、私は嬉しいのだと伝わるように笑っていた。


     * * *


「占術学なんて、あなたが一番好きそうなのに」


 キツネちゃんがいるじゃない、キツネちゃんが。私が言っても、彼は投げやりに首を横に振った。


「念力キツネはかわいい」

「ふふ」

「でも水晶占いはなにが面白いのかわからない」

「あーっはっはっは」

「笑いすぎだろ」


 私たちは占術学の授業終わり、食堂に向かって廊下を歩いていた。


 念力キツネちゃんと力を合わせて行う水晶占いにて、エイバルは水晶の中に浮かぶ靄がいつまでたってもなんのシルエットか判別がつかなくて、最終的に「センスがない」と先生にさじを投げられて拗ねているのだった。

 占いの精度に重要なキツネちゃんとの親密度だけなら、クラスで一番だったのに。


「キツネちゃん、頑張ってはっきり映してくれてたわよ? とっても、」


 私は彼の周りをおろおろ飛んでいたキツネちゃんのことを思い出して崩れ落ちそうになった。


「困ってたもの……」

「それだけはわかっちまうんだよな、残念なことに」


 エイバルはしかめっ面で言いながら、両耳にひとつずつ、授業の間外していたチェーンピアスを戻す。彼の耳にはほかにもいろいろ刺さっている。以前どうしてわざわざ痛いことをするのかと聞いたら、それを言われると反論できない。趣味なのだと返事が返ってきた。


「ねぇ、お昼、何食べる?」

「お前は?」

「私、ピクルスのサラダと……あとミネストローネ」

「メインどこ行ったんだよ」

「だめ。一皿食べきれないんだもん」

「じゃ、僕の皿からなんか食う?」

「えへへ、じゃあ、私からもなにかあげるわ!」


     * * *


 おはようー、おはようー、くぇーっ。

 録音オウムさんがそういうふうに繰り返しながら、部屋の扉の外を通り過ぎていくのが聞こえる。私はまだ少し眠いのをこらえて目を開いた。起き上がって天蓋のカーテンを開けると、隣のベッドの上で制服のままのルームメイトがもぞもぞ寝返りを打っているのが見えた。飛び出した足には靴を履いたままだ。


 私は彼女のベッドのカーテンを閉めてあげた。ほかの同室者はそれぞれまだ眠っていたり、ちょうど起き出してきたり。私は綿のワンピースの上に一枚上着を羽織って、同室の子と一緒に洗面所へ行った。五分ごとにオウムさんが寮の廊下を騒がしく飛び回る。


 私はブラシで髪を梳きながら部屋へ戻って、制服に着替えなければと思いながら、そのままぼふんとベッドに腰を下ろした。このベッドの上で何度泣いたことだろうとふと考える。私は孤児院の前に捨てられていた。

 本当の誕生日はわからない。名前だって孤児院の院長がつけてくれたものだ。私の母や父にとって私はルルフィではない。それでは、ルルフィという子はどこにいるのだろう? 私はいったい誰なのだろう? みんなは一人じゃないのに、私はなぜ一人なのだろう?


 そうやって泣いていた女の子を、今の私なら抱きしめてあげられる。


 目の前のクローゼットの扉には彼がくれた——ベタなことに、彼は最近私に花束をくれた——花が一輪ずつ干してある。野花を摘んだものだから色味は地味だけど、ふっくらとボリュームのあるものが多かったので、私は押し花ではなくドライフラワーにしようと思っていた。


 どれだけ嬉しくて、私は花を長く残すためにわざわざ友達にリボンをわけてもらったのだろう。浮かれているなぁ。もう『待ち合わせ』だなんて言わなくたって、私は一人ではなかった。どんなときも、どこへ行っても、誰といても、けして孤独ではなかった。


 私は髪に指を通しながら窓の外を見上げた。呼吸が落ち着くまでそうしていた。

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