第四話
「おい」
「……なあに? 悪いけど私今、待ち合わせ中なの……」
「ああ、僕とだろ? 待たせたらしいな、二、三日ぐらい」
私は予想とは違う返事に、一拍遅れて本から顔を上げた。不満げな表情の男の子が隣に立っているのに、笑顔を浮かべてみせる。
「あら、そうね、待ってたわ、二、三日くらい」
「ふざけてるのか、お前」
「もちろんよ、私は奨学生なんだから、真面目でいないと」
エイバルが首を横に振りながら舌打ちするので、私はきゅっと口を閉じて込み上げてくる笑いをこらえた。彼が机の上に腰かけ、手持ち無沙汰そうに私の周りに置かれている本を持ち上げる。私が今日読み進めていた冒険小説シリーズの一冊だ。
「ここ最近、僕と待ち合わせだって言いふらしてるのはなんなんだ? 毎回セドリックが報告してくるから、うるさいんだよ」
「だって、『エイバルと待ち合わせ』って言うとみんな遠慮してくれるんだもん」私は本を閉じながら言った。「おかげで今週はたくさん本が読めたのよ」
彼は聞いていないようにぶつぶつと文句を言い続ける。
「お前、結局毎回いないしさ……」
「でも、ちょうどよかった。あなたに聞きたいことがあったの」
私は自分の髪全部を左肩の上にたぐり寄せて、指で梳いた。
「ねぇ、『エルフについて書いてある本を持ってきて』って頼んで、物知りカラスさんが『エルフ』っていう文字の一度も出てこない本を持ってきたことって、ある?」
「つまり、カラスは『エルフ』に対して、僕たちとは違う知識を持っているって?」
エイバルは素早くそう言って、しばらくじっくりと考え出した。
* * *
「なぁ、僕の質問に、紙の中の文字で答えられるか?」
「カァ」
エイバルが用意した文字表と学校の図書館にはない本(こっちは、カラスさんの業務外の労働へのお礼用だ)を、物知りカラスさんは喜んで受け取ってくれた。床に置いた本をくちばしで器用に開き、羽を膨らませながら楽しげに読み進める。
私たちはなすすべなく、並んでしゃがみこみながらその光景を見つめた。
「……どうやら、本にしか興味はないみたいね」
「こいつにはお前が乗り移ってるのか?」
* * *
「失礼ね、私にも、読書以外の趣味ぐらいあるわよ」
「その状態で言われてもな」
カラスさんを連れたエイバルを目線だけで見上げて、私は本を積み上げて作った障壁の中で身を縮めた。なくなっても気づかないような本を集めるようにカラスさんたちに頼んだけれど、どうやら、同じくいるかもわからないような存在を追い求める子がいたようだ。
「外でスケッチするのとか、好きよ……だけど、冬は外にいるとすぐに風邪を引くから」
「じゃあ床に座らないほうがいいだろ。埃っぽいし」
「ここだけ自分で掃除したから、大丈夫なの」
それに、意外と窓から入る光も暖かいのだ。「掃除したばっかりなら余計にダメだろ」とうるさいので、私は開いていた本を頭にかぶるようにして、「今日は誰とも話したくないの」と伝えた。友達が突然友達でなくなってしまう気持ちなんて、彼は一生理解できないだろう。
「……じゃあ、本だけ持っていっていいか」
「好きにしてよ」
彼は言った通り、積み上がった本の中から一冊抜き取るとどこかへ行った。しばらくして戻ってきたかと思うと、別の本を持っていく。
それを何往復か眺めているうちに、だんだん私はいじけているよりエルフについて聞きたいことがあったのを思い出して、むずむずし始めていた。その前に本を全部片づけなきゃと思いながら、立ち上がる。
* * *
「エイバル、セドリック!」
授業と授業の合間、私は廊下に仲良し二人組を見つけて声をかけた。今は友達といるから、挨拶だけのつもりで歩きながら手を振る。
セドリックがしっぽを揺らして手を振り返してくれるところまでは想定内だったけれど、エイバルまでわずかに頬を緩めるのに、私は思わず「えっ? 怖い……」と漏らして、とくに意味もなく彼の評判を落とした。
* * *
エルフは肉食なのだろうか。私はナイフとフォークで夕食の骨付きチキンから細かく肉を剥ぎながら、ふとそう考えた。
「ハーフタームの間はどう過ごすの、ルルフィ?」
私をこのように骨に沿って捌いたら、その中にあるのは実際に人間の肺と臓器なのだろうか。それを私自身が直に確かめることはできない。だけど、私以外の人が確かめるのは意外に簡単なことだ。
「僕は家に帰るんだ、父さんが旅行に連れて行ってくれるって」
私は私が寝ている間のことも、生まれつき背中にある大きな縫い痕に自ら気づくこともけしてなく……もっとも身近な少女の未知について、ガーゴイルのように固く背を向けているだけなのかもしれない。
「いいなぁ、俺なんか、帰ってこないで勉強してろって手紙が来たんだぜ?」
『怪人イゴール』の中で、イゴールを生み出したフィリップ博士は怪人を生かす臓器がどの死体から取り出したものか、全て手帳に残した。私はつまり醜く恐ろしい人造人間より得体の知れない存在で、博士の手帳を読んで泣いた彼はきっと私より私の友人と分かり合えるだろう。
「でも、ルルフィも学校にいるなら楽しく過ごせそうだ。そうだよな?」
チキンは胡椒が効いていて美味しい。だから飲み下すのは容易なことだ。
「そうね」
私が笑みを浮かべて、相手が嬉しそうに笑うのを見ていると、喉の奥から固いものが込み上げた。私は休暇が始まってから三日もすれば母親から許しの手紙が来て、この友人が喜んで家に帰るのを知っている。別に、特別彼に居残ってほしいわけじゃない。
けれど、私は気の進まない食事もやめることにして立ち上がった。
「私、待ち合わせがあるんだった」
口からでまかせを言って友人たちに手を振る。
* * *
ハーフターム——学期途中に挟まる休暇が始まると、すぐに学校中から生徒がいなくなった。休暇中のぱらぱらとしか人のいない校舎は苦手、だ。先生たちが私とすれ違うと、必ず挨拶をくれるようになるのも苦手だ。
いつも以上にたくさん本を読むぞと意気込んでも決まってうまくいかないので、学校生活六年目にして、そろそろ諦めがついていた。
私は私服のワンピースの上に制服を着こみ、その上に上着や防寒具を何重にも重ねて寮の部屋を出た。
入学前、最後にいた家の老夫婦に買ってもらった学校指定のコート、孤児院からもらった大きすぎる古着のローブ、プレゼントでもらった手袋や自分で作った毛糸の帽子にマフラー、ブランケット。内訳はこんな感じで、見た目の総合評価と反比例した温かさをしている。
今日は雪が降っていた。




