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第三話

 後悔をしていないかと言われたら、私はたしかに後悔していた。ちょっとした好奇心と怒りのために支払うには、全然バランスの取れない代償を負うことになってしまった。


 あのあと生物教師には怒られてしまうし(それでも、授業を追い出されたエイバルに比べたら甘い扱いなんだろうけれど……)、今度生活指導の面談を受けることになってしまったし(それでも、授業を追い出されたあと職員室に連行されていったエイバルに比べたら甘い扱いなんだろうけれど……)。

 ああ、今回のことでもし奨学金がもらえなくなったら、どうやって生きよう。


 そんなことを考えながら、放課後、図書館へ向かった。


 校舎から、広い敷地を通って別の建物へ行く。五角形の筒のような建物が図書館だ。大きな扉の前で寝ている怪力ミニブタちゃんを揺り起こし、その子に学生証を差し出す。

 ぺとんとカードに大きな鼻をくっつけて特性の香料をかぎ取ると、怪力ミニブタちゃんは体を起こして、自分の何倍もの重さの扉を押し開けてくれた。


「ありがとう」


 私は暖かい建物の中へ入って、まずは司書に借りていた本を返した。図書館のカウンターの中は人間より動物のほうが多くて、いつ見ても面白い。

 いつもなら自由気ままに書架の海の中を漂ってみるのだけれど、今日は調べものの日だ。私は天井近くを飛び回る黒い影たちを見上げた。


「レファレンス!」


 私の声に反応して、影がひとつ降下してくる。そこかしこにある止まり木に止まって、カァと鳴くのは物知りカラスさんだ。その背中の鞍のようなベルトの上で、革の服を着た小間ネズミちゃんが相棒のくちばしの中にチーズのかけらを押し込む。


「『エルフ』について書いてある本を探してほしいの」


 カラスさんはチーズを飲み込んで、お辞儀するように一回頭を低くした。ばさばさと羽ばたいて、今度は低空飛行で目的の本棚へ向かい始める。本当にエルフはあの子の妄想ではなかったのだと思いながら、私はそのあとを追いかけた。


 カラスさんはたしかに生物の棚の前で曲がった。書架のはるか上の段に着地すると、爪を鳴らしながら歩いてある本に近寄り、くちばしの先で背表紙をつつく。

 するとネズミちゃんが素早くカラスさんの背中から降りて、爪のない小さな手で本を引っ張り出した。本を持つネズミちゃんを大きな足で掴んで、カラスさんが私のもとへ降りてくる。


「くわっ」「ちぃ」

「ありがとう、お二人さん」


 私は二匹から差し出された本を受け取り、彼らにほかにも本を探すよう頼んで、机のあるスペースへ向かった。『カヴァリー生物見聞図誌 ミラッタ地方』を開く。

 古い手記に解説をつけて編集したような内容の、ほんのすみっこのコラムのような感じで、『エルフ』という文字はそこにあった。


 カヴァリー博士はある島の固有種の鹿の研究の際、もっとも美しい毛並みと角を持った牡鹿の生態を一年かけて追った。その牡鹿は肉食獣を恐れないほど強く果敢であり非常に賢く、春には難なくハーレムを形成した。

 しかし、翌年の春、その牡鹿は生まれた自らの子どもたちを連れて突如森の中に姿を消してしまう。現地の猟師は、その牡鹿は『エルフ』だったのだろうと博士に言った。


 その牡鹿はハーメルンと名付けられた。


「ルルフィ!」

「きゃあ」


 突然後ろから肩を叩かれて、私は椅子の上で飛び跳ねた。ふと気がつくと私の周囲には動物たちが集めてくれた本が山積みになっていて、背後には時々話す同級生がいた。

 びっくりしたぁ、と私は胸を押さえながら相手を振り返る。彼はそのまま私の隣の席に荷物を置いて世間話を始めようとするので、私は慌てて、今は待ち合わせをしているのだと言った。


「エイバルと約束があるの」


 私がそう言った途端、相手は突然表情を変えて座りかけていたのを立ち上がる。

 ああ、そう、そろそろ来るの? じゃあ、邪魔しないでおくね……というふうにぶつぶつ言いながらそそくさと立ち去っていくので、私は首を傾げながら「ええ」と返事した。


 入れ替わるように、背中にカラスさんとネズミちゃんのタッグとたくさんの本を乗せたミニブタちゃんがやってきたので、私は周囲の本の山を見て、新しい本を受け取ったあと、もう持ってこなくてもいいと伝えた。せっかくだからと新しい本を開いて『エルフ』の文字を探す。


 そうしていると今度は友人がやってきて、そのあとに後輩たちが声をかけてくれる。私は彼らに待ち合わせの約束を説明しているうちに、だんだん笑いをこらえるのが難しくなっていた。みんな、エイバルの名前を出すとすぐに世間話を遠慮してくれるのである。

 後輩たちを見送ったあと、私はしばらくくすくす笑いながらも調べものに戻り、そのあとは、熱中していくつもの本を開いた。探すのは、エルフ。エルフ、エルフ、イー、エル、エフ。風が吹くような柔らかくて脆い音の言葉と、それについての物語。


「……おい、正気か?」

「……」

「……チッ」


 ガタンとふたつ隣の席が乱暴に引かれる音に、私はふと文字の中から顔を上げた。いつのまにか大きな窓の外はずいぶん暗くなっていて、さっき話したみんなはいなくなっていた。それから、そういえば待ち合わせをしていた子がやっと現れたことに気づく。


「本当に待ってたのかよ、バカだなぁ」


 エイバルが頬杖をつきながら、開口一番悪態をつく。


「ぷっ……」


 私は彼の顔を見た瞬間、とても愉快な気分になって、思わず吹き出していた。


「うふふ……あはは!」


 開いていた本で顔を隠して笑いをこらえようとするけれど、あんまりにも面白くて、全然止まらない。エイバルは怪訝な顔で私の様子を見ていた。面白いから、こっちを見ないでほしい。


「あなた、き、嫌われてるのねぇ……うふふ!」

「人気者に言われるぐらいならそうなんだろうな」


 彼が舌打ちをしたので、私はひーっとお腹を押さえた。

 もう閉館時間ギリギリだ。やっとエイバルが来たけれど、今から片づけをしないと寮の門限にも間に合わない。だけど、私は彼に怒っていたこととか、彼が遅くなった理由とかもうどうでもよくなって、文字をぎゅうぎゅうに詰め込んだ額の熱さに満足しながら笑い転げた。

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