真夜中の魔物8
そんな時緖の様子を見てか、青年は眉を下げて頬を緩めると、それからそっと腰を屈め、時緖と視線を合わせた。
突如と重なる視線、間近に迫る柔らかな微笑みに、時緖は条件反射のようにドキリと胸を震わせ、それから慌てて顔を背けた。
何をドキリとしているのか、この人が本物の月那である筈がないのに。
「“真夜中の魔物”」
「…え?」
単純な自分に情けなさすら感じてしまうが、それでも消せない可能性が、時緒に繰り返し訴えかけてくる。
そんな風に葛藤を繰り返していれば、思いがけない言葉が月那の口から聞こえ、時緒は巡る思いも忘れ、驚いて顔を上げた。
「…知ってますか?」
その優しくもどこか遠慮がちな問いかけに、時緖は目を丸くしながら頷いたが、すぐにはっとして身を乗り出した。
「でも、本当に、あの“真夜中の魔物”?私の知ってる、あの話?」
焦る時緒は気づいていないが、「私の知ってる話か」と聞かれても、彼が時緒の何もかもを知っている訳がないのだから、困惑の一つも浮かべられても仕方ないだろう。だが、彼は顔を顰めるどころか、ほっと安堵したように頬を緩め、屈めていた体をゆっくりと起こすと、その物語の概要を聞かせてくれた。
「“真夜中の魔物”は、いつも寂しくて、でも、魔物と一緒に居たい人間なんていない。だから魔物は、真夜中の力を使って人間の夢の中に入り込み、朝が来るまで側にいて貰うんだ。その人が会いたい人の姿になってね。
でもそれは、人間にとっては悪夢になる。夢の中に現れた魔物は、いくらその人が会いたいと望む人間に化けたところで、中身は魔物、会いたいその人とは違う。おまけに魔物の力に囚われた人間は、魔物が作り出した夢の中を彷徨う事になる、その人は目を覚ます事が出来ず、夢の中から帰って来れなくなるんだ。
人間を苦しめると分かっていても、それでも魔物は誰かといたくて、その夢の中に人間を縛り続けた。
そんな時、同じように寂しい思いをして夜を過ごす少年と出会った。魔物は少年と出会った事で、人に寄り添い、誰かの為に真夜中の力を使うようになる」
その物語は、時緒もよく知る物語だった。やはり、あの“真夜中の魔物”なのだと、時緒は嬉しくなって、更に身を乗り出した。
「“真夜中の魔物”は、少年と一緒に、夢の中で色々な人の思いに触れていくんだよね?」
「そう」
「少年の会いたかった人とも、夢で会えた」
「そう、病院に入院している母親だ」
「やっぱり!それ、絵本のだよね?愛嬌があって、可愛い、真夜中の魔物の、」
確かめるように尋ねる時緒に、彼はひときわ嬉しそうに「うん」と頷いた。時緒はまるで信じられない思いだった。
本当に、自分の知る“真夜中の魔物”だった。
それが驚きで、でも、それ以上にこの心を満たしていくのは、“真夜中の魔物”を知る人物とようやく出会えたという喜びだ。だって時緒は、今まで“真夜中の魔物”という絵本を知る人に会えた事がなかったのだから。
“真夜中の魔物”。
時緒がその絵本を知ったのは、小学校の低学年、七歳とかその位の年齢だったろうか、同じ年頃の男の子が、たまたまその絵本を持っていて、時緒に見せてくれたのがきっかけだ。その男の子とは、家の近所の公園で出会った子で、今となってはその男の子の顔も特徴も思い出せないが、その絵本の事だけは、どうしてか記憶に残っていた。近所の子だろうと漠然と思っていたが、その日以降、その男の子に会う事はなかった。それでも時緒は、時折思い出す絵本の事が、どうしても気になっていた。
出来るなら、もう一度あの絵本を読んでみたい。そう思って、子供の頃から探しているのだが、“真夜中の魔物”という絵本は、どうしても見つける事が出来なかった。
様々な書店や図書館、ネットの中、それに、その絵本を知っているという人も見つからない。
だから、今夜、“真夜中の魔物”を知る彼に出会えたのは、時緒にとっては願ってもいない事だった。まさに、長年探し求めていた夢の在処を掴めた、そんな気分で、身を乗り出したついでにその手を握りしめ、ハグでもしそうな勢いではあったが、時緒はそんな浮かれた自分に気づき、慌てて乗り出した身を引っ込めた。
嬉しくて流されそうになったが、問題が解決した訳ではない。




