真夜中の魔物11
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「…何てタイミングだろうね」
眠りについた時緒を見て、月那は溜め息混じりに呟くと、ベランダへと視線を向けた。カラカラとベランダの戸が開き、覗いたカーテンの向こうには、真夜中の夜空が広がっているのが見える。本物の夜空は、のっぺりとしていて冷たく感じる、意地悪をされた気分だからだろうか。
「いやいや、タイミングばっちりだろ?俺の術は一級品だからな!時緒の奴、朝まではぐっすりだぜ」
そう言いながらベランダからやって来たのは、なんと、狸だった。
しかし、月那は狸が喋っていても驚く事もなく、苦い顔を作ると、そのまま時緖の体を抱き上げ、そっとベッドに横たえた。布団を捲ったが、小さな膨らみの中にアトムの姿はない。
狸も気にせず、とてとてと、部屋に入ってくる。
「本当に、よくやるよな、お前」
呆れた声を出しながら、狸は小さく体を震わせた。すると、ふわっと白い煙が立ち上がり、その煙の中から、今度は小柄な人間の女性が現れた。
「よし、今夜の俺も完璧に可愛いな」
その口振りは、先程の狸そのもので、女性のように見えるのは、彼が女装をしているからだろう。
フリルのついた可愛いらしい黒のワンピースを身に纏い、長い黒髪に、勝ち気でありながら魅惑的な子猫のような瞳。その姿は、間違いなく時緒の隣人、アズそのもので、アズは人間ではなく、化け狸だった。性別も、時緒は女性だと思っているが、男性である。女装をしているのは、可愛いもの好きを突き詰めた結果の趣味だ。
月那はといえば、狸が人間に変化しても驚く事もなく、それどころか溜め息を吐いて口を開いた。
「何しに来たんだ?」
「何しにって、うちのにゃんこの様子を見に来たんだろ?」
呆れた声に、アズも同じように呆れた様子で返せば、月那は肩を竦めた。
「そうだった、親戚から引き取ったのになかなか懐かないから、時緒さんに時々預けてるんだっけ?」
とぼけて返す様子に、アズは愛らしい顔を最大限に歪め、月那を睨み上げた。
「なあーにが、“だっけ?”だよ!お前が自分でそう仕向けたくせに!」
「仕向けたなんて人聞きの悪いこと言うなよ」
「その通りだろ!今日だって、家に帰って来るなり、時緒の様子がおかしいからって、急いで猫に化けて、俺に連れて来させたくせに!」
「仕方ないだろ、様子がおかしかったのは本当なんだから。それに、あまり大声を出すな、近所迷惑だろ。そうなったら困るのは彼女だ、ここは時緒さんの部屋なんだから」
当然のように反論する月那に、アズは苦々しく舌を打つ。この男は、時緒を中心にしか物事を考えられないのかと、そんな意味を込めてアズは顔を顰めているが、時緒の事しか目に映していない月那が、その様子に気づく筈もない。
アズは、これもいつもの事だと、また疲れたように溜め息を吐き、どっかりとテーブルの前に腰を下ろした。
「そんな事言ってさ、そいつが本当に困ってる原因って、お前の事なんじゃないの?お前が気づかない内に何かやらかしたんじゃない?既にストーカーまがいのことしてるしさ」
「失礼な、隣の家に住んでいるのは偶然だ」
「偶然ってなぁ…、お前、妖の世から人の世に来て、真っ先にうちに転がり込んで来たじゃねえか!俺は、弟のリズがいつ来ても良いように、この家を確保して、しかも人の世界に馴染むように、お隣さんの時緒ともわざわざ仲良くしてたって言うのにさ!」
「お陰で、猫の預かりはスムーズにいったね」
「だから!俺が人間のこいつと仲良くしてたのは、その為じゃないっつうの!そもそもさぁ、今日だって、わざわざ店に来たのに、お前の顔見て逃げるように帰ったんだろ?それさぁ、お前の正体がバレたんじゃないの?人間の振りして喫茶店で働いてるってさぁ。もしかしたら、隣のにゃんこもお前だって気づかれたんじゃねぇの?」
「そんなわけないだろ、もしそうなら猫の俺を預かったりはしない、」
そこで、月那ははっとしたように言葉を切った。
「…そうか、リズといたんだ」
「リズ?そういや、今日、こっちに視察に来ててさ、お前の顔見てから妖の世に帰るって言ってたな」
「あぁ、店の前でリズに会ったよ。人の世で出版されてる絵本を買い込んでた、色々見せられたよ」
「勉強熱心で優秀だろ、俺の弟は!俺に似て可愛いしな」
「そりゃ、双子だからね。そうか、時緒さんの様子がおかしかったのは、僕がリズといたからかもしれない」
アズには双子の弟、リズがいる。彼もアズと同様に女装を趣味としているが、それでも、性格も見た目も真逆だ。時緒が見たという、月那と居た女性とは、恐らくリズで間違いないだろう。近くで顔をしっかりと見れば、リズの事をアズだと思ったかもしれないが、遠目からなら、いくら双子の二人とはいえ、まずアズとリズを見間違う事はない。それだけ、この双子の服の好みや印象は違っていた。




