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とぐろ  作者: バトレボ
1章
5/26

呪いの重さ

今日から1話投稿です。よろしくお願いします

「封刻の儀を行う」


 祭祀長の声は、焚き火のぱちりよりも深く地へ沈んだ。


「封刻の儀は七刻の四回目に執行する。七刻ごとに彼への訪問範囲を広げる。初七刻は面会を禁ずる」


 重ねられた言葉が夜気を締め、輪にならんだ人々の肩を見えない縄で結わえ直す。


「わかった」


 短い応答ののち、彼の肩に掛かる黒がかすかに揺れた。誰も続けて何も言わない。火の粉が一つ跳ねて、闇に溶ける。彼は幽閉の帷へ向かった。


 踏みしめるたび、足元の影は人型を忘れ、尾のように遅れて伸び、時に先回りして道の狭間を塞いだ。帷の前で一度だけ息を整え、布を払う。内側の空気は冷たく、乾いた香の名残が喉を洗うように流れ込んだ。


「よろしく頼む」


 彼は振り返らず言った。


「こいつと離れるのは何時ぶりだろう……長く振り続けて、もう身体の一部みたいでな」


 祭祀長と団長が近づく。背から外された長剣は光を吸い、刃文は沈み、闇を削って鋳たかのような手触りだった。団長が柄に添えた掌がわずかに沈む。


 重さには金属以外の何か――彼が背負ってきた年月と責任――が確かに混ざっている。柄革のこすれる乾いた音が、短い嘆息のように帷の中でほどけた。


「得物がなくても寝れるのは……不安になるな……」


 彼は苦く笑った。


 胸の奥では、いまも呪言が小さく泡立っている。得物が手元にあれば、いつでも終いにできた。だが選ばなかった。


 選ばず、戦い続けてきた。その末に、別の不安が顔を出す。言葉にすると、刃より鈍い痛みが腹に落ちた。祭祀長と団長は短く唇を結ぶ。


 もっと良い道があれば

――そう思いながらも、儀は進めねばならない。


 二人は得物を受け取り、火と人目から遠ざけて供台へ置いた。音は立たず、ただ静けさだけが重みを受け止める。


 彼は帷の内に座し、目を閉じた。初七刻は誰も来ない。見張りの足音が遠く円を描き、一定のところでかすかに沈む。息の出入りと、壁に映る影のかたちだけが、時刻表のように刻を知らせた。


 黒は静まらず、しかし荒れもしない。水たまりの表面に雨が一点ずつ落ち、輪紋だけを残して消える――その脈動が胸の奥で続く。


 夜が浅くなるころ、帷の隙間から冷気が一筋入り、肌に細かな鳥肌が立つ。目蓋の裏では、土の匂いと火の温度、汗の塩が交じり、過ぎてきた日々が淡く点滅した。


 最後の願い

――何を望むのか。


 何を手放し、何を残すのか。問いを胸の中央に据えて、余計な言葉を追い出す。数字ではなく、影の濃淡で時を測る。濃ければ遠く、淡ければ近い。濃淡は呼吸一つで揺れ、揺れるたびに思考の輪郭が少し和らいだ。


 翌日、祭祀長と団長の連名で封刻の告知が下る。外の空は雲に薄く覆われ、光は地面まで届かず、輪になった顔だけを均一に照らした。巫女衆は太鼓を伏せ、火は低く保たれる。祭祀長が一歩出て、声を置くように語る。


「封刻の儀――それは葬黒者の呪いを封じる儀。葬黒者は死ねば内に秘めた蛇呪を解き放つ。生き延びれば、葬黒の者として蛇呪側へ堕ちる。ゆえに、呪いごと封じる。葬刻に至った者の血、肉、骨をもってな」


 輪がわずかに震えた。焚き火の煙が風向きを変え、誰かが咳払いを一つ。言葉は止む。同じ蛇狩だけが次を待つ。祭祀長は続けた。


「いま彼は幽閉の内にある。次代への橋渡しになることを承認した。――英雄よ。

彼が封じた蛇の残滓を、次代の蛇狩に取り込んでもらいたい」


 視線が一斉に蛇狩へ集まる。藍から茶まで、彼が育てた面々。泣く姿を誰も見たことがない者たちが、静かに涙を落とし、頷きを一つに揃える。涙は誓いの形に似ていた。新人Aが震える唇で問う。


「封刻……の儀……は、執り行わねば……なりませんか?」


「そうだ」


祭祀長は正面から受ける。


「そうせねば、彼が守ってきたものを彼自身が壊してしまう。それだけは、避けねばならぬ」


新人Bが続ける。


「あの人に……会えるのですか?」


「初七刻は会えぬ。あれは葬黒者が自らの最後の願いと対峙する刻じゃ……」


 祭祀長は短く目を伏せた。


「今は逃さぬための見張りの意も強いがの。初七刻を過ぎれば会える」


 かつては願いを探す時間。いまは逃さぬための留め具。その変質の重みを、誰もが胸に置く。輪の外側では子の声が一度だけ上がり、すぐに抱きとられて消えた。日常の音が、告げられた異常をかろうじて支えている。


 祭祀長は太鼓の縁に手を置いた。


「七刻の四回目――そこが執行だ。それまでは刻ごとに訪いを広げる。声だけ、影だけ、手だけ。順に。彼の黒を荒立てぬためでもある」


 団長が一歩進み出る。火の赤が頬の古い傷を浅く照らした。


「……彼は帰ってきた。六度の移転のたび、畑は戻り、井戸は澄み、火は安定した。子の泣き声は笑い声に変わった。あの六度は我らの六年だけではない。もっと長く、もっと重い。

――だから、最後も我々で受けよう」


 嗚咽が漏れ、すぐに押し殺される。手の甲で涙を拭い、誰も列を崩さない。巫女衆の肩は揃い、蛇狩の背は揃い、輪はひとつの器のように息を合わせる。祝詞は短く、火はさらに低く、太鼓はまだ鳴らない。七つの刻を正しく数えるための静けさを、まず整えた。


 帷の内では、彼が影の濃淡で時を量り続けていた。濃ければ遠く、淡ければ近い。六度の移転が淡い光で点る。


 初めての土地の固い土、二度目の濁る井戸、三度目のうねる蛇呪と連日の太鼓、四度目に髪へ差した深い藍、五度目にかすめた葬黒の匂い、六度目の短い夜――どれも掌の温度で覚えている。


 内側の呪言は泡になり、『熱い』『苦しい』『うらやましい』『どうして』と音の粒へ変わっては消える。名を呼ばず、ただ通り過ぎる。そのたび胸の底に一語が沈んでいく。


――渡す。


 帷の外では、七刻の一つ目にひと節の祝詞が流れ、二つ目に影が縁で重なり、三つ目に布越しの掌が一度だけ温みを残した。誰の手かは見ない。見れば、手放しが利かなくなるからだ。


 輪は静かに準備を進め、声は短く、火は低く、太鼓はまだ沈黙を守る。空気は少しずつ重くなり、風は方角を定めるように一定の筋を撫でた。


 こうして、彼の内側の黒と、外の輪の静けさは歩調を合わせはじめる。封刻は戦いの拒否ではない。別の仕方で戦う約定だ

――その確かさが、彼の呼吸の深さへ、皆の立ち姿の角度へ、無言のまま広がっていった。



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