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とぐろ  作者: バトレボ
三章
42/43

北の輪に灯る

よろしくお願いします

 黒の太鼓が北を指した。その低い響きは、闇に潜む道標のように胸へ残り、ゼンと綴を前へ押し出していた。仲間を率いて歩み続け、斜面を下った先に、ゼンの団長の弟が束ねる北の一団の営みが見える。


 広場には小さな火が点々と並び、湿りを含んだ薪は高く燃え上がらない。淡い赤だけが煤けた空気を照らし、白い煙は冷気に裂かれて風へ流れる。夜は深い。闇は音を吸い、吐いた息はすぐ白くほどけて消えた。


 迎えに出た祭祀長は杖を軽く突き、無駄のない姿勢で立つ。年を重ねた目は濁らず、探るためではなく、託すに足るかどうかを量るために向けられる。


「お前たちの戦力は、いかほどか」


 揺れのない声。問われているのは数ではなく、芯だ。


 ゼンが一歩出る。足音が土に沈み、背筋を伸ばしたまま答えた。


「葬黒に至った蛇狩が二人。綴と、俺だ」


 余計な飾りはない。綴は横に立ち、短くうなずく。それだけで足りる。空気はさらに張り詰めるが、否定の色は浮かばない。場の端で焚き火がぱちりと弾け、沈黙に小さな切れ目を入れた。


 夜営の輪に迎え入れられた綴は、まず匂いを嗅ぎ取った。焚き火の焦げに混じる、鉄めいた生臭さ。呪いが近い土地に特有の重さが、鼻の奥に薄く刺さる。


 目を凝らせば、規律正しい北の一団の姿がある。刃を研ぐ者、祈りを紡ぐ巫女衆。動きは正確で乱れがない。けれど、隠しきれぬ疲れが端々に滲んでいた。


 若い蛇狩の指先は刃に触れながら小刻みに震え、巫女衆の声は途中で息を詰まらせる。誰も弱音を吐かない。だが、疲労は積もり、静かに重みを増している。


 綴は思わず呼吸を浅くした。堅実と知られるこの一団でさえ、押し寄せる影の圧に体温を奪われている。隣でゼンが目の端で仲間を量り、鞘にかけた指にわずかに力を込めた。音を鳴らさず、その仕草だけで心の位置を確かめるように。


 焚き火の影の中、祭祀長が口を開く。低く抑えた声は輪の隅々まで届いた。


「お前たちも感じておろう。この地は、徐々に呪いに押されつつある」


 言葉が土の奥へ落ちる。綴の胸がひやりと固くなる。夜風に混じる匂いはどこか腐っていて、肌にまとわりつく。ここでは眠りも浅く、夢の境目に黒い影が入り込んでくる

――そんな気配が確かにある。


 背後で新人のAとBがわずかに身じろぎ、互いの顔を見合わせた。肩は強張り、掌は握りしめられて白い。綴は視線だけを送って軽くうなずく。大丈夫だと叫ばない。怯えを否定せず、それでも前へ進む合図として。


 「ここまで迫っているとは……」


 ゼンが自分にだけ聞こえるほどの低さでつぶやく。驚きより、確かめる硬さがあった。


 祭祀長はそれを受けるように、淡々と続ける。


「眠りの浅さ、息の重さ。ここにいる者は皆、同じ影を見ておる。輪を支えるためにも、お前たちの力が要る」


 焚き火が再び大きく弾け、火の粉が闇に吸い込まれた。綴は拳を静かに握り直す。胸の奥に残る小さな火を、ここで消すわけにはいかない。背にはゼンの気配があり、輪の各所に仲間の体温がある。そのことが、寒さより先に骨へ届く。


 やがて、輪の外で交代の合図が低く鳴った。見張りが二人、影を入れ替える。巫女衆は清めの器を布で包み、蛇狩は布で刃の曇りを拭う。動作は静かで、無駄がない。重さに耐えるための、確かな手順がそこにあった。


 団長は火の縁に半身を置いたまま、輪を見渡すだけで場を整える。声を張らずとも、誰がどこで力を落とし、誰がいま支えになるかを見ている目だ。ゼンはその視線の流れを追い、必要な場所に短く頷きを送る。言葉を積み重ねず、呼吸と目配せで意思を通す。


 綴は新人ふたりのそばへ寄り、灯りから半歩だけ外れた暗がりで囁いた。


「怖いのは普通。いまは息だけ整えよう。明日の朝、歩幅を合わせる。それで十分」


 Aは喉を鳴らし、Bは鼻から長く息を吐いた。肩の高さがゆっくり同じになる。揃ったと見るや、綴は黙った。余計な励ましは、時に足を重くする。


 風が一つ、丘を越える。乾いた葉が地面を転がり、火の下で微かに光る。遠くの木立では、枝と枝が擦れて低い音を立てていた。そのざわめきに、ここだけの静けさが縁取られる。


 祭祀長が最後の祈りの結びを落とすと、輪の上に薄い膜が張られたように空気が変わった。冷たさは厳しいままだが、乱れは小さくなる。


 綴はその変化を皮膚で受け取り、帯の結びを一度確かめた。手の中に震えはない。恐れが消えたわけではない。ただ形がはっきりしただけだ。形がわかれば扱える。


 ゼンが近づき、短く言う。

「休め。明日、歩く」


 言葉は少ない。だが、そこで途切れず続いていく道の感触を添えている。綴はうなずき、北の空を仰いだ。低く垂れ込めた雲が星を隠し、空は重く沈む。それでも、その向こうには行くべき場所がある。見えなくても、ある。


 火は小さく丸まり、輪の周りに浅い影を並べた。寝床に体を横たえると、地面の冷たさが背へ上がる。耳の奥では、遠い水音のようなざわめきが絶えず続いている。


 呪いの近さは、静けさの濃さでわかる。だから、息は急がない。長く吐き、短く吸う。胸の内側を均し、目を閉じる。


 眠りは浅い。それでいい。浅い眠りなら、すぐ起き上がれる。交代の合図が一度、また一度と過ぎ、見張りの足音が砂を踏む。輪の向こうで誰かが布をかけ直し、刃の位置をそっと直した。


 綴は半分だけ眠り、半分だけ起きている感覚のまま、明朝の動きを頭の中でなぞる。並び、歩幅、目の配り方。祠までの細い道、沈む土、倒木の根の向き。暗闇に描いた地図は、何度も歩くうちに余白が減り、線だけが残っていく。


 風が一度止まり、また吹き出す。灰がふわりと舞い、冷えた粒が頬に触れた。綴はその冷たさを確かめ、目を閉じたまま指をほどく。芯は揺れない。隣ではゼンの呼吸が浅く整い、輪の端では巫女衆の気配が静かに続く。


 夜が明ければ、また歩く。黒の太鼓が指した北の先へ。影の匂いは濃く、道は細い。それでも、いまここに重ねた息遣いが、朝にそのまま続いていくはずだ。綴は胸の奥に小さな火の色をたしかめ、音も立てずまぶたを閉じ直した。



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