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とぐろ  作者: バトレボ
1章
4/25

封刻の前に

よろしくお願いします。2話連続更新です。2話目です。

 彼が所属する一団は、およそ百五十。蛇呪を祓った土地で数年暮らし、蛇呪が蘇る前に次の場所へ移る。


 祓い手が呪いを取り込むことで、その地域の呪いは薄まり、人は耕し、火を焚き、子は眠ることができる。


 だが蛇呪は増え続け、祓いは追いすがる影のように途切れない。蛇狩は英雄であり、同時に蛇の呪いに対する生贄でもある。


「どうするか……また誰へ……負担をかけることになるな……気が重い」


 独白は乾いた道に吸い込まれた。踏み固められた土の匂いに、夕方の灰がまじる。やがて仮設の柵が見え、見張りの火が揺れ、人々の声がわずかに重なる。焚き火の明るい輪の外で彼は立ち止まり、声を投げた。


「団長……帰りました……」


「おっ! よくもど……ったな……」


 喜色が途切れた。明るさが、彼の黒に飲まれたのだ。葬黒になった英雄がそこに立っている。色は白目にしか残らない。


 あとは黒


――いや、闇を切り出したと言われたほうが近い暗さ。目のふちにわずかな白が沈殿し、呼吸のたびに揺らぎ、すぐに呑まれていく。


「葬黒の……者は?」


「祓った……その者からかなりの呪いを……もらったみたいだ……」


彼は呼吸を整える。


「葬黒になった……者は……どのくらいもつ……?」


 残酷な問いだった。六度の七祓いを成し遂げ、一団を六たび移し、生かしてきた男の口から出るには、あまりに静かな刃だ。


 周りの蛇呪が何も祓われていない弱い縄張りを浚うのならまだよい。だが、七つの輪をくぐらせた土地は作物が育ち、子が育つ。およそ一度の祓いで、それだけの未来が戻る。


 その希望を六度も手繰り寄せた彼に、団長は何を返せばよいのか、言葉が見つからなかった。焚き火のはぜる音だけが、間をつないだ。


「………祭祀長の元へ行こう」

「まだ、一団の者へ伝えるには早い」


「わかった」


 明かりの多い夜ほど、影は濃い。祝福に近いざわめきの中、二人の歩みだけが重く、次の希望へ向かう足をためらわせる闇が、足首に絡みつく。


 帷のたれた奥へ入ると、火は細く、空気は冷え、匂いは乾いている。そこに祭祀長がいた。彼の黒を一目見て、息を細く吐く。


「ついになったか……まずは感謝を……お主のおかげで、この一団は余裕をもって生き抜くことができた。……お主は蛇狩になり、その身に蛇呪を受け、どのくらいになる?」


「覚えてない……自分の村を襲われたという事実しか思い出せない……長い年月、狩り続けた……」


 言葉が切れ、沈黙が継がれた。蛇呪を受けると寿命は伸びる。祭祀長も団長も知っている。彼は、彼らの生まれる前の、さらに前の祭祀長や団長の時代から、最前線にいたのだ。


 歳月は刃の艶を奪い、同時に刃を手放させない。長く祈るほど、短く眠る。その理が、三人の間で重しのように座っている。


祭祀長は目を伏せ、やがて顔を上げた。


「我等が英雄にこれを言うのは苦しい……葬黒になった者は、いつか蛇呪へ堕ちる。今回倒した葬黒の者も、いつか堕ちた蛇狩じゃ。いつまで持つかは……わからぬ。近くの一団へ情報を求める走りは出したが……お主を超える色を持つ蛇狩はおらんのではないかと、ワシは思う。英雄であるお主が蛇呪側へ堕ちれば、誰も手出しできぬ葬黒の者になるやもしれん」


 言葉は祈りのようであり、告知でもあった。帷の外で火が小さく鳴る。遠くで赤子の泣き声がして、すぐにおさまる。生活の音が、宣告の輪郭を柔らげる。だが、意味は柔らがない。


 三人は同時に、同じ答えを見ていた。


「封刻の儀を、受けてほしい」


 静かな合唱のように、祭祀長と団長は重ねて言った。


 重い沈黙が落ちる。彼は上を見た。帷のすき間から星がのぞく。何が良い選択で、どうなることが最悪か。何を生かし、何を狩るのか。ひとつずつ、胸の中で並べる。


 並べながら、答えの形は薄く見えてくる。自分がいなくなっても、祓いが巡るように。黒が誰かひとりに沈まぬように。封刻は終わりではなく、受け渡しでなければならない。


「――」


彼は息を吸い、吐いた。胸の奥のざわめきは、遠雷のように遠のいていく。六祓いの最中に拾った呪言が、思考のふちでほどける。


 『熱い』『苦しい』『うらやましい』『どうして』。声はまだ在る。だが棘は鈍く、泡のように割れ、消え、また生まれる。それを見て、彼は小さく笑った。


「受けよう……」

「次の者達のために……この身を捧げよう」


 祭祀長は深く頷き、団長は目を閉じた。眼蓋の裏に灯が差すように、顔がわずかに明るむ。外では火が弾け、遠くで子の笑い声が上がる。


 黒は濃い。だが、黒の中にも道はある。封刻の儀の場はまだ整えられていない。だが彼の決意が、最初の杭の役目を果たした。杭が打たれれば、縄は渡せる。縄が張られれば、皆がそこを越えられる。


「準備を……」と祭祀長が言い、団長が頷く。


 手順は身体が覚えている。祝詞は短く、火は低く、太鼓は一拍だけ鳴らす。恐怖の水位を下げるため、皆は声を合わせ、呼吸を落とす。彼はそれを思い描き、わずかに肩の力を抜いた。


 帷を出ると、夜はひとしずく深くなっていた。彼は踵を返し、祓った葬黒の者の刃を休ませた場所を一度、振り返る。


 土に立つ得物は、静かに夜を吸っている。墓標であり、祈りであり、明日へ渡す印。


 今日ここで止まった黒が、別の場所で薄くなることを、彼は経験から知っている。だからこそ、歩く。歩いて、黒の置き場をつなぐ。


 とぐろを巻くように、過去と現在と未来が絡み、ほどけ、また絡む。その真ん中に、自分の足音を打ち込む。


 彼は歩き出す。足裏に土の重みを受け、呼吸を低く落とす。黒はまだ彼の中でうねっている。だが、そのうねりは、彼ひとりのものではない。封刻の儀の先に、次の明日を持つ者たちの輪が見える。囲む者、見守る者、祈る者。置き場が移る。彼はその移し替えの器となることを選んだ。


「今は眠れ……」


 最初に置いた言葉が、遅れて胸に降りてくる。彼の足は前へ進む。夜は深く、風はまだない。だが、その澄み過ぎた空気の底で、次の祈りの音が確かに生まれていた。


 火の粉がひとつ跳ね、闇に溶ける。彼は何も振り返らず、歩調だけを整えた。黒は重い。けれど、運べる。運ぶほどに、誰かが息を継げる。彼はそれを知っている。知っているから、歩く。


 歩くほか、できることがないから。



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